第七十話 魔導学
熊の酒樽亭の定休日。
冒険に行かない日は、昼飯の八割はここのランチで済ませているのだが、今日はお店はやっていない。
さて、今日はなにを食べようかな、と自室で悩んでいると、コンコン、と控えめなノックの音が響いた。
「どうぞー、ラナちゃん」
「はい、失礼します」
無論、とっくに部屋に近付いてくる気配には気付いていたので、すぐに返事をする。
果たして、この店の看板娘のラナちゃんが僕の部屋に入ってきた。
「なにか用かな。宿代はこの前払ったと思うけど」
「はい。すみません、少しだけヘンリーさんにお願いしたいことが」
これです、とラナちゃんが部屋に備え付けられているテーブルの上に、拳程度の大きさの石を二つ置く。綺麗な八角形に整えられたそれは、僕もよく目にするものだ。
「魔石の魔力が切れちゃって。うちの家族はみんな魔力少ないので、補充お願いできませんか? 次の宿代、オマケしますから」
「あー、いいよ、了解。そのくらいお安いご用だ」
魔石。
魔力を溜め込む性質を持つ石の総称である。
魔物からもドロップするが、あれとはちょっと用途が違う。あっちは材質とかの関係上、装備品とかにされる事が多い。
対してラナちゃんが持ってきたのは、普通に鉱石として採掘され、魔導具の燃料源として利用できるよう加工されたものだ。
こっちは収魔石が正式名称。なお、これが開発されたのは百年ほど前で、そこから民生用の魔導具が一気に普及した。
それまでは魔力の大きな人しか使えなかった魔導具が生活に利用されるようになって、大変便利になったらしい。
……と、いうのは、長命種であるエルフのリオルさんに聞いた。僕は普通にその後の生まれなので、あって当たり前のものだから、それ以前の生活というのは想像がつかない。
「結構大きいですけど、大丈夫でしょうか」
「平気平気。これでも、僕は魔導も得意だし」
で、魔力を溜め込むってことは、当然使ったらなくなる。
そういった場合、知り合いの魔力の豊富な人に頼んで補充するのが一般的である。
シリルのやつとかだと、一人でこの街の二、三割の需要くらい賄えそうだが、僕だって魔石の十個や二十個余裕である。
「よっと」
ラナちゃんが持ってきた二つの魔石を、片手に一つずつ持ち、意識を集中させる。
石の中に、僕の魔力が注ぎ込まれていき、くすんだ色だった魔石が徐々に輝きを取り戻し始めた。
まあ、完全充填に十五分くらいか。あまり急ぎすぎると、割れたりするからな。
「あのー、ついでで申し訳ありませんけど、そちらが終わったら、こっちもお願いしていいですか?」
と、ラナちゃんが小指の先ほどの小さな魔石を差し出した
「ん? 別にいいけど……そんな小さいの、何に使うやつ? 質がいい、ってわけでもなさそうだけど」
一つの魔石に保管できる魔力は、魔石の質と大きさに比例する。
小型化をしようとすると、お高い魔石を使う必要があるから、現代の技術では家庭用の魔導具はまあ大体大型だ。
んで、ラナちゃんが差し出したそれは、別に普通の、なんの変哲もない魔石。そしてかなり小さい。
別に補充するのは良いのだが、用途はなんだろう。消費魔力の少ない明かり系でももうちょっと大きいはずだが。
「これは私の研究用です」
「研究って?」
「いえ、実は前に王都に行ってから、魔導学の方に興味が湧きまして。ほら、あの転移門とかすごかったじゃないですか。コンラッド教授はそちら方面にも明るくて、色々と指導してもらっているんです」
ああ、ちょっと懐かしいな。
ラナちゃんが書いたなんかの論文が評価されて、アルヴィニア中央大学に見学に行った時を思い出す。
あの時会ったコンラッド教授と、ラナちゃんは月一、二回手紙でやりとりしているってことは知っていたが、魔導学の方に力を入れているってことは知らなかった。
「魔導学の実験だとやっぱり魔力が必要で。まあ、私の机上での実験くらいならそこまで大げさな魔力は必要ないので、今までは自前の魔力を使っていたんですが……結構疲れるので、魔石に切り替えようかと。それで、ヘンリーさんにはご面倒をおかけしますが……」
「そんな小さな魔石なら訳ないから、別にいいよ」
今補充しているやつは結構時間がかかるが、ラナちゃんが研究用に使うという小さな方なら一分もかからない。そのくらいの手間、いつも世話になっていることを考えれば安いものだ。
「はい、すみません」
「ちなみに、どんな研究してんの?」
僕にはわからないかもしれないが、興味本位で聞いてみる。
「ええと、そうですね。今までは色々、先人の研究の再検証をしたりして、知識を蓄えていましたけど、そろそろやりたいって思っている研究はあります」
「そうなんだ」
「はい。瘴気の研究ですね」
僕たちが使う魔力と、魔物を形作っていたり人の手の入っていない場所に漂う瘴気というものは、本質的には同じもの、と言われている。
ただ、僕たちが魔力を放出しても魔物が発生したりしないのだから、勿論違いはあるそうだ。
今まで沢山研究されて、多少は解明されているそうだが、まだまだ謎は多いらしい。
ちなみに、僕みたいな一般人は、なんかばっちい魔力が瘴気、ってくらいのふわっとした認識である。
「ふーん」
「興味なさそうですね」
「いやー、無学でごめん。でも、それ解明してなんか役に立つの?」
あ、しまった。学者さん……の卵に対して、失礼なことを言ってしまった。
一つ一つは意味がないように見える研究でも、それを積み重ねることで人類は発展してきたのだ……というのは、同じく学者肌のリオルさんの言葉である。
「さあ、どうなんでしょうね?」
「ええ……」
反発されるでもなく、普通にそう返された。
そういや、ラナちゃんの勉学はあくまで趣味とか言っていた。やってみたいからやる、それだけなのだろう。
「まあでも、面白そうなので」
「そ、そうなんだ」
しかしやはり、その感覚は僕にはわからない。……まあ、頑張ってくれ。と、心の中でエールを贈っておいた。
そんなやり取りがあった、一週間後のこと。
「おおおおお!」
ジェンドが気合を入れてオーガを袈裟斬りにする。炎を纏った大剣で斬りつけられ、オーガは炎上。
続いて、ジェンドは即座に防御の姿勢を取る。そうして、同時に相手取っていたもう一匹のオーガの攻撃を受けきった。
「二匹相手でも、もう負けないなありゃ」
突進してくるアイスボアをいなしながら観察する。
軌道をそらされ、そのまま僕の後ろへ走るアイスボアは、方向転換する前に飛んできたティオの矢で貫かれた。
「フェリスも、普通にオーガ相手できてるし」
オーガのバックアタックを受けたが、フェリスはちゃんと反応し、互角以上に戦い続けている。
フェリスの守りの後ろで、牽制の魔法を撃ちまくっているシリルの助力もあるが、治癒士兼任と考えれば十分過ぎるほどの実力だ。
「よっ!」
んで、僕の上空を通ってそんな頑張っている後衛に向かおうとしていたスノーフェアリーの群れを、分裂投槍で仕留めた。
よし、どっちかの加勢に――と、考える前に、ジェンドとフェリスはほぼ同時にオーガを倒した。
「……皆さん! 他に魔物はいないみたいなので、一旦終わりです!」
ちょこちょこ弓で援護を飛ばしつつ、周辺警戒をしていたティオが声を上げ、僕はふう、と息をついた。
「っとと、そうだそうだ、忘れるトコだった」
フェリスとシリルのところに向かう。正確には、その側に倒れているオーガの死体が目当てだ。
「あ、ヘンリーさん、お疲れ様です」
「お疲れさん。で、ちょっとオーガ借りるぞ」
「はい?」
こてん、と首を傾げるシリルをよそに、僕は如意天槍をナイフ状にして、オーガの小指を切り取る。
ポーチに入れておいた瓶を取り出し、切り取った小指を入れて蓋をした。
「なにやってるんですか?」
「いや、ラナちゃんに頼まれたんだよ。なんか、瘴気の研究してるから、ちょっと取ってきて欲しいって」
これも指名クエストである。まあこの程度で大金をもらうはずもなく、ランチ一回が対価の仕事だが。
「はあ。それで死体を?」
「ああ。この瓶に入れとくと、瘴気が拡散したりしないらしい」
瘴気とか魔力って、非物質的なものだから普通の容器だと瘴気は通り抜けてしまう。
しかし、この瓶は魔導学の研究用に開発されたもので、こいつの中に入れとくと拡散しないらしい。本質的には収魔石と同じものとのことである。
「ほへー、世の中には変な道具があるんですねえ」
「そうだなあ。しかし、まじまじと見ることなんてあんまりないけど、こうして観察すると不思議なもんだ」
オーガの指が、瓶の中で肉という物質から瘴気へと昇華している。
普通ならこのまま大気中に解けてしまう黒いモヤのようなものが、瓶の中で留まっていた。
死ぬと、瘴気となって霧散してしまう魔物。……うーむ、考えてみれば謎だ。
「ラナちゃんか。私はあまり話したことはないが、頭が良いんだね」
「そうでもないとアルヴィニア中央大学には誘われないと思う」
そういや、フェリスはあまり熊の酒樽亭に来ないし、ラナちゃんとの面識はそんなになかったか。王都からの帰り道は一緒だったけど、あまり話はしていなかったようだし。
「そういえば、ジェンドやシリルと再会できたのも、その子の才能のおかげだったか。私も感謝しないと」
いや、ジェンドはそのうち会いに行っていたと思うが。しかしあいつ、今は開き直ったみたいだけど当時はちょっとヘタれてたからな。時間は多少かかったかもしれん。
「とりあえず、ドロップ集めて次に行きましょー」
「ああ、はいはい」
瘴気を入れた瓶をポーチにしまい直し、次なる魔物を探すべく、僕たちは歩き始めた。
後日。
「そういえば、ラナちゃん。前持って帰ったあの瘴気って、役に立った?」
「あ、はい。色々とわかりましたよ。勿論、私がわかったことなんて、今までの研究で判明していることだけですけど」
「ふーん」
まあ、そうそう大発見! とはいかないか。
「ただ、ちょっとした仮説は思いつきました。検証はまだまだこれからですけど」
「へえ。じゃ、また適当に取ってこようか? ランチ一回で」
「はい、多分お願いすると思います」
とまあ。
このときから、二週に一度くらいの頻度で、ラナちゃんのために瘴気を採取してくることになった。
僕としては、昼飯代が一回浮くってことしか考えていなかったが。
……この時取ってきた瘴気が、後々とんでもない発明に繋がり。
ラナちゃんの名前は、魔導学の歴史に刻まれることとなるのだが。
それはもうちょっと先の話である。




