第六十二話 最上級 後編
先行したロッテさんが爪を躱し、空振ったフェンリルの脚を蹴り上げる。
グゥ、と痛みに少しだけ鳴き声を漏らしたフェンリルは、その口を大きく開けて咆哮を上げた。
「グゥゥゥゥ、ガァァァァッーーーー!!」
フェンリルの咆哮は、人に根源的な恐怖を呼び起こす――と、言われている。
僕も一瞬身体が強張った。
……なお、ロッテさんは、関係ねえ私の歌声を遮るなと言わんばかりに、声量を上げて対抗している。
無駄を悟ったフェンリルが噛み付きを敢行し、またしてもロッテさんはそれを躱して横っ面に拳を打ち付ける。
自分より遥かに小さく、手足も短い人間に翻弄されることに業を煮やしたのか、フェンリルは攻撃の回転を上げるが……ロッテさんはその尽くを避け、あるいは小さな動きで捌き、反撃を入れていた。
小さな体躯のロッテさんのことだから、反撃の威力も小さい……というわけではない。
大きく隙を見せたフェンリルの腹に向けてロッテさんが飛び蹴りを食らわせたら、全長十メートルは余裕で超える巨体が軽く吹っ飛んだ。
「ロッテさん、到着しました!」
「遅いよ、ヘンリー!」
と、その辺りで僕も戦場に到着する。
「今の蹴り、効きましたかね」
「駄ぁ目駄目。吹き飛んだってことは、それだけ威力も流されてる」
ですよね。
フェンリルの方も、まだまだ余裕そうに立ち上がる。
「シリルの方の魔法は、どのくらいかかる?」
「……後、七、八分ってトコでしょうか」
それだけあれば、シリルのやつはこいつに致命的な一撃を食らわせることが出来る。
ただ、最上級の魔物を相手にその時間を稼ぐことは、死を意味する。最上級の魔物を十分くらい足止めしてくれ……なんてクエストを教会に申請しようものなら、ふざけんなボケと一蹴されるような案件だ。
「ま、せいぜい頑張ろうか」
「はい」
ロッテさんが数歩前に出て、僕は槍を構える。
……いや、小さな子を前面に立たせていて非常に見栄えは悪いが、ロッテさんと組むなら、僕は中衛に回らざるを得ない。
さて、フェンリルは次はどう――?
と、佇んでいる奴を見やると、フェンリルの周囲に風が巻き起こっていた。
ただの風ではない、なにやらピキピキと音を立てて、空中に氷の粒が出来始めている。
「……ヴォウ!」
そしてフェンリルが吠えると、その風が一気にこちらに殺到してきた――って、寒っ!?
魔力による身体強化とロッテさんの歌声により、熱変化にも相当に強くなっているはずなのだが、一気に冷えた。髪の毛が凍り付き始め、段々と体の動きが鈍く……
「っ、《火》+《火》!」
完全に動けなくなる前に、火の魔導の二重がけ。
《火》は、使い方を工夫することで、低温下の環境に対応するためにも利用できる。
つーか、ヤバイ魔法だ。このそれなりの広さの平原が、一気に氷の世界へと変じてしまった。
――僕やロッテさんに襲いかかろうと隙を窺っていた何匹かの雪狼達が倒れている。氷属性の環境で生まれた魔物ですらこれだ。
「ロッテさん」
「ん? どうしたい?」
「……なんでもないです」
僕とて、ロッテさんの能力すべてを把握しているわけではない。
魔導は使えず、魔法も虹色の戦歌しか使えないロッテさんはよもや……などと思ったが、ロッテさんはなんでもない顔だった。相変わらず、返事自体もメロディ取ってて魔法途切れてないし。
よく見ると、うっすらとした光がロッテさんの身体を覆っており、これが防壁の役割をしている……んだろう。どういう技術かはわからないけれども。
ひとまず戦闘不能には陥っていないが……低温への対策にリソースを割り振っている以上、こちらの動きはそれだけ鈍くなる。対して、フェンリルのほうはむしろこの環境のほうが動きやすいのか、まるで意に介した様子がない。
……フェンリルと対峙するのは初めてだが、これはごく単純に強いタイプの最上級だ。
「……来るよ、ヘンリー」
「わかりました!」
フェンリルが、身を屈ませ飛びかかる体勢となる。
一瞬、噂に聞く弾丸のように飛び出したフェンリルが、同じく飛び出したロッテさんと空中で激突した。
入れ替わり、立ち替わり、フェンリルとロッテさんは交差しながら攻撃を繰り返す。
……押しているのはロッテさんの方だ。的確に攻撃を命中させ、徐々にダメージを稼いでいる。
一方で、フェンリルもさるもの。ロッテさんにいくつかの手傷を負わせている。僕も、要所要所でカバーに入ったが、フェンリルの速度の前では、割って入るのも限界がある。
そうして、もう幾度目かの激突。押し負けたフェンリルは弾かれ、
「――っ、はっ!」
フェンリルが方向転換しようとした一瞬の隙に、僕は投槍をねじ込んだ。
「!! ウォウ!」
たった一本の槍に、フェンリルは大げさなまでの回避をした。
……初撃、分裂した槍が襲いかかってきたのをよく覚えているのだろう。
だが、今回は如意天槍の分裂の能力は使わない。
「もら……った!」
大きく飛び退いたおかげで、フェンリルはロッテさんに無防備な姿を晒す羽目になった。渾身の拳がフェンリルの横っ腹に突き刺さり、最上級の魔物が血反吐を吐く。
身を捻って距離を取るフェンリルをよそに、僕は如意天槍を引き戻した。
「……ゥゥゥゥゥゥウウ」
「怖い怖い」
してやられたフェンリルが、僕を恐ろしい視線で睨みつけてくる。
……如意天槍の、穂先が分かれる能力はとても強力だが、特に優秀なのが念じるだけで発動できるという点だ。つまり、後出しでやる、やらないを決められる。
分裂するかと思えば、しない。次もしないと舐めてかかれば、槍は数多に分かれて襲いかかる。
……人間や知能の高い魔物相手には非常に有効なブラフとなるのである。
コケにされた、とでも感じたのか、前に立つロッテさんより、僕の方にフェンリルの敵意が向く。
「来いよ」
槍を真正面に構え、挑発するように声を上げた。
「ガアァッ!」
詰め寄ってくるフェンリルを迎え撃つ。
悪夢のように迫る爪の一撃を、槍で決死の覚悟で逸らした。
……疾い、重い。受け流すだけで、身体が軋みを上げそうだ。反撃に移るなど、考えることもできない。
だけど、僕に意識が向いているということは、ロッテさんがフリーで動けるということだ。
案の定、もう一発カマしてやろうと、ロッテさんが発現している光を強めながらフェンリルとの間合いを詰め、
「Guo、ガ、oluulo■ooO!」
フェンリルが、獣の声帯で身の毛がよだつ声を上げる。
……それはなにか力のある言葉だったのか、魔氷の刃が十、二十と出現し、ロッテさんを迎撃するため乱舞する。
「あっ!」
だが、ロッテさんもさるもの。目の前に出現した何十という刃に、傷一つ負わない。あるものは躱し、あるものは裏拳で弾き、対処していく。
……が、近付こうとした足は止まった。
邪魔者をひとまず押さえて、フェンリルの瞳が僕を捉えた。
「~~っ、」
間に合え、と。祈りながら腰のポーチを探る。
――大口を開けたフェンリルが僕に襲いかかってくる。
その前に、目的のものを探り当てた僕は、そいつをフェンリルの鼻先に投げつけた。
「!!!?!?!?!」
特製の臭弾だ。強い衝撃を与えると中の薬品が反応して、臭いを発する。
人間が嗅いでも思わず顔を背けるほどの刺激臭。最上級と言っても、嗅覚の鋭い狼系の魔物にとってはたまらないだろう。
……が、確かに効いてはいて、噛み付きは中断したが。どうやら、臭いよりも僕に対する敵意の方が勝ったらしく。
いよいよもって、僕に対する憎悪に燃えるフェンリルが、一直線に襲いかかってきた。
疾走する巨体に、迎撃は不可能だと即座に理解する。
「くっ――っ、っそ!」
僕は慌てて横っ飛び。
しかし、避けきれずに爪の一撃を受け……派手に吹き飛ばされた。
だん、だん、と激しく地面に叩きつけられる。
どくどくと熱い血が肩から溢れて、外気に触れた途端凍りついていく。
戦士として、戦闘中は冷静に、俯瞰するように状況を把握するよう努めているが……滅茶苦茶痛い。
「ぐ……」
「ヘンリー、平気かい!?」
追撃に入ろうとしたフェンリルを止めてくれたロッテさんに、無事な方の腕を上げて返事をする。
地面に派手にぶつかって打撲が数箇所、爪を受けた肩は防御服ごと深く切り裂かれ、派手に出血している。
「……《強化》+《強化》+《癒》」
強化の術式で無理矢理に効果を引き上げた治癒の術式で、血止めと痛み止めをした。
……この氷の領域に対抗するための《火》を維持しながらだから、かなりきつい。
が、ちゃんと戦いができるところまでは回復できた。……怪我したまま戦うと後で地獄を見そうだが、それはフェリスを頼ろう。
槍を支えに立ち上がり……
と、その辺りで、シリル達が戦っている方角からプォオオオオオ! と大きな音が鳴り響いた。
ティオの使う叢雲流の魔導『笛符』。……シリルの方の準備が済んだ合図だ。
「っし! ヘンリー! 足止めしてズラかるよ!」
「わかってます!」
ロッテさんが速度を一段上げる。
本気でなかったわけではないが、時間稼ぎのための動きから短期決戦の動きへと変化した。
「ヴァウ!?」
「ほらほらほら!」
離れて見ていても分身しているのかと錯覚するような動きに、フェンリルが翻弄される。
僕はフェンリルに向かい槍を振りかぶった。
「《強化》+《強化》+《強化》+《拘束》+《拘束》!」
しばらく使っていなかった、クロシード式魔導術式の五重起動。魔力も集中力もこれで空になるだろうが、これで終わりだから全力だ。
「!?」
「おっと、逃げるな!」
距離を離そうとしたフェンリルの上空を取ったロッテさんが、打ち下ろしの一撃でフェンリルをその場に縫い付ける。
……その止まった足が狙い目だ。
「さっきのお返しだ!」
投げる。
即座に、四つに如意天槍を分裂。
五重の魔導分の魔力消費が一気に四倍になり、少し気が遠くなるが気合で我慢。
狙い通り、四つの如意天槍はフェンリルの四足を貫き、発動した拘束の術式とともに地面に縫い付ける。
――それを見届け、僕とロッテさんはフェンリルから大急ぎで離れた。
僕が使える手札の中では、足止めとしては最大級の一手。
それがロッテさんのおかげで完璧に近い形で決まった。
……それでも、フェンリル相手に『持つ』のは十秒にも満たないだろう。
だけど、それだけあれば僕達が安全圏に避難するには十分。
「『ライトニングウウウゥゥゥ』」
ここまで届くような大きな声で、シリルが魔法名を唱える。
遠くで天井知らずに高まっていた魔力が形をなし、フェンリルの上空に集約していく。
……できる、とは言ってたが、射程も尋常じゃないなシリルのやつ。
「『ジャッッジ! メントォ』!」
集った魔力が極大の雷を引き起こし、拘束されたフェンリルを貫く。
……閃光と轟音が収まった後、残ったのは黒焦げとなったフェンリルの残骸。
どうやら、
「うん、大した威力だ。勝ったみたいだね」
「ですね」
僕たちの、勝利である。
なんかタイトル詐欺なお話が三話続きましたが、書いてて楽しかったです。
しかし、次回以降は普通にのんびり暮らしたい話になる予定。




