第六十一話 最上級 中編
アルトヒルンの山頂付近。
ちょっとした平原のようになっている場所の中央に、フェンリルはその身を横たえている。
僕たちは山頂側からぐるっと大回りして回り込んだ。上に陣取ったので、かなり距離は離れているがフェンリルのことはよく見える。
蒼銀の体毛、ひと目で尋常でない膂力を秘めていると分かる体躯、ただ目を瞑って寝そべっているだけなのに、こちらの身体を刺してくるような圧倒的な存在感。
姿形こそ狼に酷似しているが、ある種の神聖さすら感じる佇まいだ。
「あ、あの。あれ、眠っているみたいですし、今のうちにヘンリーさんお得意の不意打ち投槍で」
「……いや、得意だけどな。でも、無駄。あのフェンリル、とっくに気付いてる」
シリルに、僕は肩を竦めてそう返す。
特に隠密に熟達しているわけでもない僕たちがこの人数で近付いて、フェンリルの感知から逃れられているなんてのは夢物語が過ぎる。単に、敵として見られていないから無視されているだけだ。
「ま、だろうね。眠ってるように見えるけど、こっち意識してるよ、あれ」
……とは言え、完全に油断してくれるほど、甘い相手でもない。
「ロッテさん、ちなみにあの個体、どんなもんですかね」
最上級は、その中で上位や下位には分かれない。あまりに数が少ないため分類する意味が薄いのと……個体差が大きすぎるためだ。最上級はほとんど無尽蔵に瘴気を溜め込むから、年を経れば経るほど強くなる。
「んー、まあ目算、ふつーかな」
つまり、普通にヤバいやつですね。
「幸い、お付きはそんなにいないみたいだ。そっちはジェンド達に任せるよ。いいかい?」
最上級は、その問答無用の実力で他の魔物を付き従えている事が多い。……これも個体差が大きく、孤高の王みたいなやつもいるが。
その点、このフェンリルはやや他の魔物を寄せ付けたくないタチらしい。
フェンリルの寝床を守るように、少し離れたところで巨人が五体。スノーフェアリーの上位種、雪の女王が四体。比較的種族が近い雪狼が最も多く、総数五十匹前後がいくつかの群れになって固まっている。
巨人が他の魔物と群れるのは珍しいが、最上級の配下となれば普通だ。
「あ、ああ。いや、はい、わかりました、シャルロッテさん。……でも、俺達に勝てるかな」
ロッテさんの言葉にジェンドは頷くが、やはり以前の敗戦の記憶が思い出されるのだろう。珍しく弱音を漏らす。
「……確かに、私達は以前巨人に敗走した。苦い記憶だが、あれから対策も十分に練っただろう?」
「今回は不意打ちというわけでもありません。……この前のリベンジと行きましょう」
ジェンドの言葉に、フェリスとティオの二人がそう励ます。
「そのとーりです! どーんとカマしてやりましょう!」
「……シリル。お前はフェンリル担当だろ」
最後にそう締めくくったシリルに、ジェンドは力なくツッコミを入れる。
つーか、うちの女性陣はタフだね……僕が最初に冒険に失敗した時は、三日くらい凹んだし、今でもその原因だったジャイアントスパイダーには苦手意識があるんだが。
「よし、気合十分だね。打ち合わせもさっきしたし……始めようか」
フェンリルとの戦いについては、道中どのように戦うのかについては大体決めていた。
ロッテさんと僕がフェンリルの相手、シリルが後ろで魔法のための歌をチャージして、一発ドカン……という、あまり捻りのない作戦だが。
「……っし! いつでもいけます、シャルロッテさん」
「私も、当然」
口々に返事をするみんなに、ロッテさんは大いに頷く。
「さあ、聞かせて上げよう。虹色の戦歌を!」
ロッテさんがたん、たん、と足でリズムを取る。そうして、朗々と歌い始め、
「ふわ!?」
「うお!」
みんなが、驚きに声を上げた。
……まるで、声自体が光輝いているのではと錯覚するような、ロッテさんの天上の歌声。
それが体に浸透するような感触がして、そうして実際に力が今まで感じたことがないほどに充溢する。
ポーションでの無理矢理な向上よりも、より自然な形での強化。それでいて、上昇率は更に高い。
「よーし、これなら――」
気合を入れようとしたシリルの声が尻すぼみとなる。
ロッテさんの歌が鳴り響いて、流石にフェンリル以外の魔物もこちらに気付いたのが一つ。
高まり続ける魔力に、ようやくこちらを対応すべき『敵』と見定めたのか、フェンリルがのそりと起き上がったのがもう一つ。
……というか、後者がほとんどの理由だろう。
ロッテさんの虹色の戦歌によってもたらされた万能感が、フェンリルの一瞥により冷や水を浴びせられたかのように霧散した。
……最上級の魔物の殺気とはそういうもんだ。
正直、僕もみんなの手前がなければ、ビビっていただろう。単に年長として、リーダーとして気を張っているから動揺を見せずに済んでいるだけだ。
これでも僕は、一部の反則みたいな連中を除けば冒険者の中でもトップクラスの実力を持つと自負しているが、最上級の魔物となると……相性にもよるがソロでの勝率は二割を切る。
しかし、である。
「おうおう、中々良い面構えだ。久々に全力を出せそうだ」
……この歌姫さん、むしろ『ワクワクしてきたぜ』って顔なんだけど。
なお、この台詞もなんか歌っぽくリズムが取られており、魔法の効果は切れてない。相変わらず、効果はすごいが適当な魔法である。
「ヘンリー、さっきの話通り、私が先に突撃するから、向こうに到着するまでに一発かませ!」
「ああもう、わかりましたよ!」
ぐっ、ぐっ、とロッテさんが二度屈伸をし、刹那目にも留まらぬ速度で駆け始める。
「《強化》+《強化》+《強化》! ……《火》!」
氷の気が強いフェンリル用に、強化三つの火一つ。乾坤一擲の魔導を如意天槍に込め、その形状を投げに向いた形に変える。
……フェンリルの視線が、僕を射抜くのがわかった。
だが、生憎とそのくらいで手元を狂わせては、ロッテさんに後でシメられる。
「っっっ、い、っけッ!!」
大投擲。
それが、最上級の魔物と、僕たちの戦いの合図となった。
炎を纏った槍が、一直線にフェンリルに向けて飛んでいく。
その速度は、並の魔物であれば反応すらできない、そんな会心の投擲。
……しかし、この距離で、最上級の魔物を相手に命中するほどではない。
槍の軌道を見切って、フェンリルが避ける。無防備に直撃しては痛烈なダメージとなる、くらいは向こうも理解している。
如意天槍はあえなく空振り、無駄な魔力を使っただけになる……その、直前、
――今っ
「分かれろ!」
地面に着弾する直前、念を込めて如意天槍を分裂させる。
タイミングがズレれば、地面に突き刺さった後で無意味になるところだったが、我ながら上手いこといった。
……余裕を持って躱せるはずの槍が、突如として二十にその穂先を分裂させ、自分を攻撃範囲に捉えている。
そんな状況でフェンリルは吠えた。
「ガアッッッ!!」
ビリビリと、大気が震えるような鳴き声。
四肢をたわませたフェンリルは弾けたように飛び……結果、僕の投げ槍の大半を避けた。
直撃したのは二本、カス当たりが一本。
――そんじょそこらの上級上位であれば、二、三回は殺して余りある威力のはずだが、血を流しながらもフェンリルは平気そうに身を振るい、背に刺さった二本の槍を振るい落とす。
カシャ、と軽い音を立てて、僕の手に如意天槍が戻ってきた。
「……ヘンリーのあれで貫通しないのか」
「そこそこダメージは通ったみたいだけどな。まあ、距離もあるし……近くても十は食らわせないと倒せないと思うけど」
基本、最上級はすげぇタフである。
「っと、それより、とっとと行くぞ! ロッテさん一人で全部は流石に荷が重い!」
――と、いうことにしておこう!
ダッ、と我らがパーティも英雄に加勢するべく、戦場へと駆けていく。
「シリル! 私がガードに入る。集中切らすなよ」
「わかっています。……ら、らー」
シリルも走りながら歌い始める。
……戦場に二つの歌が重なり合って響き渡った。
ロッテさんの今の歌は有名な歌なので、シリルもそれに合わせた。
魔法歌は、あくまで精神を高揚させるためのものなので、別に歌の種類はあんまり関係ないらしい。『火の魔法使う時は燃える系の歌のほうがテンション上がりますが』とか前にシリルは言っていたが。
「ガァ!」
「邪魔だ!」
先行して襲ってきた四匹の雪狼を、ジェンドが一刀のもとに切り伏せる。掠っただけの相手も、問答無用で吹き飛ばした。
虹色の戦歌の効果で、ただでさえ高いジェンドの攻撃力も五割増だ。
「っし、こりゃいいな!」
「ええ、まったく、です!」
言いながら、ティオは魔弓の弦を引き狙いをつける。それもほんの一瞬、弦を引くことで自動装填された矢を、走りながらという不安定な姿勢のまま、自然と射放った。
それは、正確無比な精度でもって、こちらに近付こうとした雪狼の一匹を貫く。
続けざまに放たれた二本、三本も、それぞれ一射一殺。こちらに魔物が近付く前に撃ち落としていく。
いつものティオも弓の腕前は見事だが、走りながら、この短時間でここまでの射はできない。感覚等も鋭敏になっているのだ。
「おいおい、全部やるつもりか?」
「いえ。……右斜めからくるやつは射線が通らないんで、ジェンドさんどうぞ」
「あいよ!」
岩に隠れるように接近してきた雪狼をジェンドが仕留める。
「……で、巨人のお出ましだ」
雪狼が先行してきてくれたのは実にありがたかった。
常とは違う動きというものに、みんなが慣れる時間ができた。
「よっしゃ、ヘンリー、手は出さないでくれ! どこまでやれるか試してやる!」
「おう、任せた」
事前の打ち合わせでは、僕はこの後はロッテさんの加勢に向かうことになっているから、フォローできる今のうちに巨人との戦いの加減を知っておいて欲しい。
その巨体からは考えられない速度で近付いてくる巨人は、その身の丈に合った巨大な棍棒を振りかざしている。
八メートルはある巨体。その接近に動じず、ジェンドは真正面から待ち構える。
「オラッ、来いや!」
「жегиле, аны!」
先頭に立ち、大声を張り上げ注目を集めたジェンドに、巨人の打ち下ろしが襲いかかる。
激突。
激しい音が鳴り響き、降り積もった雪が巻き上げられた。
そうして、視界が遮られるのも一瞬。
「……ふっぅう」
火神一刀流の技と神器の効果で燃え盛る大剣が、雪を吹き散らす。
剣を斜めに構え、ジェンドは危なげなく巨人の痛恨の一撃を逸らしていた。巨人の棍棒が叩いたのは地面だ。
火を纏うことで、氷瘴領域に住まう雪巨人の氷の魔力を相殺したのだろう。
その巨人の一撃に紛れ接近してきた雪の女王は、得意の魔法で後衛に控えるシリルへと攻撃を仕掛けていたが、
「甘い!」
フェリスのガードを貫通することは出来ない。フェリスの魔導『ニンゲルの手』は、治癒魔導が最大の特徴ではあるが、その他支援や防御の魔導も得意だ。
魔法の盾を展開する『フォースシールド』は、生半可な魔法は通さない。
その雪の女王は、音もなく接近したティオのマチェットで首を刈られ、消滅。
巨人とやり合うジェンドは、ロッテさんの魔法の後押しのおかげで巨人と五分以上に渡り合っているし、
「……大丈夫かな」
巨人が一番の難物だが、フェンリルのいる平原を見やると、ロッテさんが行きがけの駄賃に五匹いた巨人のうち三匹をブッ殺してるし。
今いるこいつと合わせ、二体の巨人と雪の女王、雪狼くらいならこいつらなら難なく対応できるだろう。
「よし、ここは任せた! 僕は前に行く」
「頑張ってください、ヘンリーさん」
比較的余裕のあるフェリスの声を受け、僕は頷く。
「シリルは、でっかいのかましてやれよ!」
ぐっ、と歌いながらシリルは親指を立てる。
その目は、かつてない規模の魔法を放てる嬉しさに爛々と輝いており、
……ま、巻き込まれねえよな、と。
僕は一抹の心配をするのだった。
前後編で終わらせるつもりでしたが、予想外に描写が増えてしまい、前中後編となってしまいました。
もう少しお付き合いくださいませ。




