第五十六話 それを知った日
フローティア図書館。
フローティアの街の知の集積地。蔵書は地方都市にしてはかなり多く、娯楽本から学術書まで各種取り揃えている。
しかも、館内であれば一部の稀覯本以外は自由に閲覧可能。また、フローティア市民権を持つ人間相手であれば貸し出しもしている。
他の多くの図書館で、入館の時点で色々なハードルがあることを考えると、随分と開明的な施設である。
今代の領主、アルベール様の仕事の一つらしい。領主様は当主を継ぐ前からこの施設の革新を熱心に進めていたそうだ。
さて、そんな図書館だが、僕はフローティアに来てから数えるほどしか足を運んだことがない。……いや、単純に、あんまり本読むほうじゃないし。
それでも、今日来たのは、もう後二週間後に迫った花祭りのことについて調べるためだ。
僕も、フローティア名誉市民(前の巨人退治の報酬でもらった)である。この街の祭りの由来くらい知っておこうかな、とそういうわけだ。
単に暇を持て余しているだけじゃないの、とかツッコミを入れる人は嫌いである。
「ほーん」
そんなわけで、司書さんに聞いて探してもらったフローティアの風習や逸話等をまとめた本に目を通しているのだが、これが中々面白い。
なんでも、花祭りというのは俗称で、正式名称は奉花祭というらしい。
始まったのは千年前。五百年前くらいじゃない? って説もあるらしいが、とりあえず建前としては千年前。
千年前のとある日、フローティアの街に恐ろしい魔物の群れが襲いかかってきたそうだ。
魔物の描写が曖昧すぎて、今の等級で表すとどのくらいの魔物なのかはよくわからんが、とにかく『悍ましい姿の』とか『山程の大きさの』とか、そういう奴らが何百匹とである。
そこで登場したのが、霊峰アルトヒルンに座すと伝説に謳われる真竜フィードルフェア。
その真竜は、アルトヒルンの山頂から姿を表したかと思うと、魔物達をブレス一つで壊滅させたのだとか。
フローティアの人間はそれに感謝し、花を愛でるとされる真竜フィードルフェアのため、毎年この時期に盛大に花を飾り付け……それが長じて、このような大きな祭りになったらしい。
まあ、細かいトコは端折ったが、こんな感じの始まりだった。
「真竜ねえ」
神が遣わしたとされる真竜の伝説は割とあちこちにある。
フェザード王国にも、真竜ヴィーゼレオンに力を与えられ、国を救った騎士の物語があった。
絵姿では魔物の竜と似た姿だが、そちらとは違う人類の味方……とは言い切れん。災厄を齎す真竜の話も結構あるし。
と、このような形で、花祭りの由来については二十ページに渡って解説されていた。
次の章からは、フローティアの歴史……
「……別の本にするかー」
とりあえず、目的は果たしたのだ。歴史とかあまり面白くなさそうだし、また今度にしよう。
そう考え、本を手に立ち上がる。
それほど長時間読んでいたわけではないが、ぐいー、と背筋を伸ばし、元の本棚の方へ。
……と、そこで。
「あれ? ヘンリーさんじゃないですか」
「ティオ?」
偶然にも、我がパーティのメンバーであるティオに出くわした。
ティオは、僕が持っている本を見て、
「ヘンリーさん、この街のことに興味が?」
「いや、まあな。特に、今は花祭りの準備手伝ってるじゃないか。それでちょっと気になった」
「なるほど。良いことだと思いますよ」
「そういうティオは……」
数冊の本を抱えているが、魔導や魔法に関わる本のようだ。
「今後、他の冒険者の人と組んだりする時のために、世の中にどんな魔導や魔法があるか、押さえておこうかと」
「あー、なるほどなあ」
勉強熱心なことだ。と、感心すると同時に納得する。
例えば、僕のクロシード式なんか割とメジャーなので、『クロシード式で六種の術式を修めている。組み合わせは最大五種』と言えば、大体どのくらいの力量かはわかってもらえる。
でも、マイナーな流派だと、どのくらいの発動速度で、どのくらいの威力で、どのくらいの応用ができるのか、事前に打ち合わせておかないといけない。
うちじゃシリルがそうだ。僕も未だあいつの魔法を全種把握しているわけではない。
そんなわけで、ある程度世間にどのような魔導や魔法があるのかを知っていれば、役に立つ場面もあるだろう。
とはいえ……
「魔導はまだいいけど、魔法は大変だろ」
「そうですね。地域ごとに独自の流派があったりして……」
魔導は、ある意味学問のようなものだ。術式の組み方に特徴はあれど、より効率の良い組み方があればそれに収斂していく。
そうして、過去の効率の悪い式は使うものがいなくなり、冒険者が使う魔導式の種類は実質的には十もない。
対して、術者の感性に左右される魔法は、その流派がアホほど多い。僕が名前を聞きかじっただけのものでも三十以上。
しかも、魔法使いって絶対数は少ないので後継者がいなくなって失伝したり、逆に個人の感性で新しいの作ったりするから、そのすべてを把握している人間は多分いないだろう。
「……うん、大手のものだけ覚えて、後はその使い手に会った時に聞けばいいと思うぞ」
「そうですね。この、『魔法大全』なんか、百個くらいの魔法流派の特徴が書いてあるんですが、とても覚えきれませんでした」
百て。
「ああ、そういえば。ヘンリーさんの故国の、フェザード王国独自の流派もありましたよ」
「ん? そうなんだ」
まあ、普通にあってもおかしくないか。フェザード時代にも知り合いの魔法使いは数人いたが、そいつらは割とメジャーなもの使ってた。だから、そんなものは聞いたことがないのだが……単に僕が知らないだけだろう。
「ほら、これです」
パラパラとめくって、ティオが見せてくる。
「ふーん」
名前はエンデ流。
シリルのやつの流派か。聞いたことないと思ったら、うちの国独自の流派だったんだな。
というか、もしかしなくても、シリルが最後の使い手かね。結構強力な魔法だから、残して欲しいが。
ええと、なになに。フェザード王国の騎士、開祖エンデが考案した、破壊力に優れる魔法で、歌を歌うことで発動する。そして――
一瞬、その続きの記述が頭に入らなかった。
……なんだって?
今一度読み返しても、文字は当然変わらない。
「…………」
「? どうかしましたか」
……そういえば、ティオはシリルの流派の名前、聞いたことないんだっけ? 少なくとも、僕のいる前で話したことはなかったな、うん。
「いやー、なんでも。故郷のことが書いてあるのは、なんであれ嬉しいなって思っただけ」
さーて、どうするか。
……一旦は見なかったことにしようかね。これ、迂闊に触れちゃ駄目なやつだ。
まあ、折角知り合いに会ったのに、わざわざ離れて本を読むこともなかろうと、僕とティオは隣同士で読書に耽っていた。
今は、軽い小説を読んでいる。
小難しいやつにも挑戦しようとしたが、今の僕ではレベルが足りない。こうやって活字に慣れるところから徐々にステップアップするべきだろう。
「……ん?」
ふと、感覚に引っかかる。
それに釣られて図書館の入口の方に目を向けてみると、ティオも気付いたようでパタンと本を閉じた。
「あ、来ましたね」
「……これ、待ち合わせてたのか」
「はい。午後、一緒におやつを食べに行こうと約束していて」
うーわ、さっき知ったあれのことで、ちょっと気まずい。
いや、別にあいつが悪いわけではないのだが……まあ、体面を取り繕う事もできないほど、動揺しているわけでもない。ふぅ、と一つ息をついて、こっちを見つけてやって来るシリルを迎える。
「ティオちゃん、お待たせしました。ヘンリーさん、こんにちは」
「こんにちは、シリルさん」
「おう、こんにちは」
そう、やって来たのは我らがパーティの魔法使い、シリルさんである。
「ヘンリーさんが一緒だとは聞いていませんでしたけど、どうしたんですか?」
「ああ、偶然だ。たまたま図書館に寄ったらばったり出くわしてな」
「へえ。じゃ、一緒に行きますか? 最近流行りのお店にお菓子を食べに行くんですが」
お菓子ねえ。
なにを隠そう、酒呑みのくせに僕は甘党でもある。
だから、行きたいことは行きたい。シリルは情報通で、こいつが選んだというのだから美味い店なのだろう。
いやー、しかし、
「なあ、僕がお前らと一緒じゃなんか不自然じゃないか……?」
男女一人ずつならおデートですかで済むが。
さて、十六の女と十四の女の子と一緒に菓子を食べに行く、二十二のそれなりにがっしりとした男って、世間様からはどう見られるだろうか……
「そんなこと気にする人なんていませんよ」
「そうそう、ティオちゃんの言う通り」
……まあ、それもそうか。
「うん、ならありがたくご一緒させてもらおうか」
「やった。じゃ、行きましょう」
シリルが小さくガッツポーズをして、こちらを急かしてくる。
読んでいた本を本棚に戻し、駆け足しそうなシリルをティオと一緒に追う。
図書館を出て、面している大通りを西に。
「今日のお店はですねー、この花祭りに近い時期だけ、特別なケーキを作ってるんです。食用花の砂糖漬けをふんだんに使ったもので。ただの飾りじゃなくて、味も良いらしいんですよ」
「へえ」
「飾り用には使えない形の悪いものを利用しているんでしょうかね」
ティオが鋭い分析を発揮する。
言われてみれば、なるほどと納得である。
確かに、この時期は街中が花で飾り付けられているが、花弁が落ちてしまったりして使えないものもたくさん出るのだろう。
「まあまあ、細かいことは良いです。美味しいケーキが食べられるなら」
と、シリルはルンルン気分である。
身内の贔屓目を抜いても、可愛いやつだとは思うが……こいつがねえ。いや、まさかだよなあ。
先程の本の記述を思い出し、頭を軽く振る。気にしないと決めたはずだ。
「んなに美味しいなら、二、三個食べようかね」
「ヘンリーさんはリッチですねえ。一つ私にも奢ってくださいよ」
「やらん」
ちぇー、とシリルは残念がる。
そうこうしているうちに、件のお店に辿り着く。『ここですここです』とシリルが張り切って入店し、
……ま、美味いものでも食べて、変なことは忘れるか。
なお、噂の特製ケーキは、特製だけあって一日の販売数が限定されており。
午前中にとっくに売り切れていたことを聞いたシリルとティオの凹みようったらなかった。……無論、僕も凹んだ。
まあ、レギュラーメニューのケーキも十分に美味しかったし、そっちはまた今度リベンジしよう。
露骨な伏線……!
回収予定は当分先です




