第五十一話 魔境
シリルたちがアルトヒルンで敗走した翌日。
グランディス教会の二階にある会議室で、冒険者と、二人のこの領の重要人物が集まっていた。
「……では、会議の進行役は私が務めさせていただくよ」
と、フローティア領の領主、アルベール様が口火を切る。
「はい、よろしくお願いいたします、アルベール様」
そう恭しく頷いたのは、グランディス教会司教。この一帯の冒険者の元締め、カステロさんだ。昔は勇士の冒険者として鳴らしていた六十代のお爺さん。しかし、鍛え上げられた体躯は衰えているようには見えない。
「よろしく頼んます」
「こら、ラッド。失礼だろう」
「いや、結構だよ。今はそんなことを気にしている場合じゃあない」
適当な挨拶をしたラッドさんをグウェインさんが咎め、領主様はそれを手を上げて制する。
……うん、確かに。今はそんなことよりも重要な事がある。
「さて。頂いた報告を整理しよう。シリル、ジェンド、フェリス、ティオ。昨日昼前、アルトヒルン中腹を冒険していた君たち四人は、正体不明の魔物と遭遇した。これは間違いないね?」
「はい、間違いありません」
つい昨日、腹に穴が空いていたのに、ジェンドの回答によどみはない。
この会議室に来る時は歩くのも辛そうだったが、気合で顔に出さないようにしているようだ。すごいガッツである。
「その魔物の、詳細は? 一度聞いているが、一晩経った今、冷静に、もう一度報告して欲しい」
ついで、カステロさんの質問。
昨日は怪我のこともあったし、色々と気が動転していたはずだ。命からがら逃げ帰ってきた冒険者が、ただのゴブリンをオーガと思い込む、なんてことはよくあるし、それは別に馬鹿にするものではない。
できれば、そういった勘違いであって欲しい。そう、カステロさんは祈っているはずだ。
「……それは私から。私が一番後ろで、よく観察できたので」
と、手を上げたのはティオだ。確かに、シリル達四人の中では一番観察眼に優れ、そして魔物知識も豊富だ。子供ということで侮るような人間はこの場にはおらず、そのままティオは説明を始めた。
「遭遇したのは四体の人型の魔物です。全部オーガの倍以上の身長で、一番大きい個体は目算八メートルはあったと思います。手には魔法で作ったと思われる武器をそれぞれ持っていました。大剣、槍、杖、棍棒」
……オーガの、倍以上の、人型。
「そいつらは私達には理解できませんでしたが、言葉でコミュニケーションを取っていたようです。少し話し合うような仕草をした後、一体が背後に撤退して、残り三体との戦闘に。……撤退した一体は仲間を呼びに行ったものと判断して、私達も逃げました」
……沈黙が落ちる。
鳴き声でコミュニケーションを取る魔物なら珍しくはないが、言語を操る程知能の高い魔物はそう多くはない。
そして、超巨体の人型、となれば、ほぼほぼ一種に特定できる。
「巨人、ですか」
「氷瘴領域に出るということは雪巨人ですな。過去、アルトヒルンの山頂付近での討伐実績があります。……八十年程前のものですが」
領主様が深いため息とともに漏らし、それにカステロさんが補足する。
上級上位の魔物、巨人。
純粋な筋力等はオーガよりやや上といったところだが、とにかくデカイ。デカイってことは強いってことだ、を地で行く魔物……なんて生易しい存在ではない。
ともすれば人間以上の知能を持ち、明確な戦術や武術めいたものを使う個体すらいる。そして高い魔力を持ち、高度な魔法を操る。ドラゴンに匹敵すると言われる、強大な魔物である。
「……『魔境』は?」
「今、俺達のパーティが監視してますが、作っているみたいです。幸い、今はそっちに注力してるみたいで、下山してくる気配はありませんが。なお、巨人は全部で九体のようです」
領主様の次の質問に、ラッドさんが答える。
……上級の中位以上の魔物は、それより下の魔物と比べて、明確に異なる点がある。
通常、強力な魔物ほど瘴気の薄い場所では活動できない。しかし、ある一定以上の魔力を持つ魔物は、魔境と呼ばれる瘴気を生み出す領域を作成し、『瘴気汚染地帯を広げる』。
なにもおかしい話ではない。
僕たち人間も、瘴気に汚染された土地から魔物を追い出し、浄化をかけることで人の住める場所に開拓するってことをしている。その逆が、魔物にできないって理屈もないだろう。
要は、あれだ。
……上級中位以上の魔物は、ただの害獣の延長線などではない。人の生息圏を侵食する、人類の天敵なのだ。
「一体やられて、警戒しているのかもしれないです」
グウェインさんが推測を話す。
ティオは逃げたと言ったが、当然、向こうは追いかけてくる。そして、その撤退戦で全員が大怪我を負ったのだが、相手も一人倒したのだそうだ。
戦闘の様子は聞いている。
一番頑丈なジェンドが殿を受け持ち、シリルが魔法で牽制。ティオが先導して、フェリスはジェンドが怪我を負うたび癒やしていた。
そうして逃げても、三体の巨人も当然追いかけてきて、距離を一向に離せない。そしてついに一体がジェンドを突破し、シリルの目前まで来たそうだが……あの馬鹿、自爆覚悟で至近距離で魔法をブッパなし、相打ち気味にそいつを倒したらしい。
それに動揺した巨人共を尻目に撤退、と。
……うん、不意打ちで初めて戦う相手、しかも巨人を相手に、一体とは言え倒して全員無事で逃げ帰ってくるとは。
昨日、突発的な事態に対する対処力が欠けているんじゃないか、などと僕は考えていたが、寝言にも程があったらしい。そこまで出来るんなら、なんも言うことなんてねえよ。
「しかし、魔境が完成して瘴気の汚染が深まれば、そこを橋頭堡として更に山を下りてくるのは明白ですね」
「領主様、領軍での対処は……」
「無理とは言わないが、やりたくはないね。我が軍の練度を疑っているわけではないが、上級上位の魔物なんてそもそも想定外の相手だ。どれだけ犠牲が出るかわかったものじゃない」
だよねえ。
そういうのの相手は、騎士団とかの役目だ。領軍の訓練や武器、戦術陣形なにもかも、強力無比な魔物に対応するためのものじゃあない。
「あ、あの。だ、大丈夫なんですか? その、私、戦っててわかりましたけど、あの魔物すごく強くて。フローティアの街が大変なことになるんじゃないかって」
直接対峙したシリルが訴える。
もっともな心配だ。……相打ちとはいえ一体倒しておいてなに言ってんだとは思うが。
……まあ、二回目は無理だろう。シリルの顔は覚えられてるだろうし、遠間から強力な魔法で仕留めようとしても魔力に気付かれて逃げられる。
「うん、シリルの懸念は正しい。私も、これが一年前の出来事だったら、もっと慌てていただろう」
領主様の視線が僕に向く。
……まあ、そうなるよなあ。
「勇士ヘンリー。指名クエストだ。受けてくれるね?」
「引き受ける前に、報酬を聞かせていただけますかね、領主様?」
この街は僕にとっても大事な街だが、それはそれとして、もらうもんはもらいますよ。
――しん、と。
冒険者連中が静まり返る。
「やはり、そうなりますか。巨人のドロップの買い取り、となるとうちの教会の年間予算にも影響しますな。ちと頭が痛い。グランディス教会の中ではうちは零細ですから」
「私も、昨日報酬の相場を調べたら少し気が遠くなったよ。ただでさえお金のやり繰りは大変なのに。でも、この幸運には感謝しないとね」
「ええ、まったくですな」
カステロさんと領主様がこれみよがしに話す。ちらっ、ちらっ、とこちらに視線を向けてきて、露骨すぎる。
「な、なんですか。多少は割り引いてもいいですけど、極端な値下げは出来ませんよ。経費もかかるし」
「わかっているさ。あまり相場を壊しすぎるのも良くない。だが例えば、フローティアの公共サービスで便宜を図ることで、こう、なんとかならないかな」
「う、うーん」
「公営カジノの優待パスでも発行しようか」
こす狡いぞ、この領主様。
と、呆気に取られていた冒険者の中で、ジェンドがいち早く立ち直る。
「……あ、あの。アルベール様。今、ヘンリーに指名クエストって」
「勿論、件の巨人の殲滅だ」
「~~っ、無茶です! 俺だってヘンリーが強い事は知っていますけど、あんな化け物を九体も倒せるほどじゃない!」
あー、うん。
ジェンドの反論も、仕方がないと言えば仕方がない。
僕、今までこいつらの前で全力を出したことはな……いや、エッゼさんとの模擬戦は全力だったか。
とにかく、あの一回くらいだ。しかもあの時は負けたし、それに、あん時だって使わなかった手管もあるし。
……いや、別に手ぇ抜いていたわけじゃないよ?
冒険中は、常に余力を残していたってだけの話だ。獅子は兎を狩るにも云々ってのは、その狩りだけで終わっていい奴の言葉で、たくさん魔物を倒すのにも、予期せぬ出来事に対応するのにも、体力は温存しとくに越したことはない。
まあ、もっともっと切実な問題があるのだが。
……僕が本当に後先考えず全力でやると、フローティアの森とか程度じゃ採算が取れない。
「パーティでの魔境の制覇件数、百七十六。個人での討滅、十四。……彼、ヘンリーの実績だよ。しかも、我が領で巨人が作っている作りかけの魔境なんかじゃない。成熟した魔境がほとんどだ」
「上級中位の魔境も結構含まれていますけどね」
半分くらいか? 後半は儲けを求めて上位の方行ってたし。
「ただ、攻略した事自体もすごいけど、恐ろしいのはそんな数の魔境が生み出される最前線だね」
「まったくもって」
潰しても潰しても潰しても湧いて出てくるからな!
「魔境の攻略ともなると、冒険者の賞罰として教会に記録される。……うちの教会にこんな勇士が来るなんて、最初は目を疑ったよ」
カステロさんが嘆息する。
……そういえば、こっち来て一週間くらい経った頃、呼び出されて面接されたなあ。
懐かしんでいると、シリルが口を開いた。
「……ほ、本当ですか、ヘンリーさん」
「本当。……いや、大したことじゃないって言うつもりはないが、エッゼさんとか一人で五百以上潰してるからな」
二つ名の『大英雄』の名は伊達ではないのである。
騎士団長が一人で特攻すんなという意見は勿論ある。
なお、アゲハはたくさんの相手を倒すのは苦手なので、魔境のソロ攻略は二つだけだったりする。最上級の魔物相手の戦果だと、あっちが上手なのだが。
「まあ、心配すんな、シリル」
たまにはまともに格好をつけよう。
「絶対に大丈夫、なんて言い切れりゃしないけどな。……フローティアは無事に済むよ。僕が出るからな」




