第四十六話 アステリア
領主様との面接? の後。
僕らは領主館の食堂に案内された。
……そして、その食堂には先客が一人。
「はじめましての方もいらっしゃいますので、ご挨拶させていただきます。私が、アルベールの妻、アステリアと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」
ペコリ、と軽く会釈するそのお方。
かつて一度だけ見た顔の面影がある。
今は亡き、フェザード王国の元第一王女。フローティア伯爵領との縁で十二年前にこの領地に嫁いだ、僕が忠誠を捧げていた王家の生き残り。
ほっそりとした面形に、絹のような美しい髪。かつてフェザードの美姫と謳われた美貌は、年齢を重ねてもいささかも衰えていない。むしろ輝きを増している。
……第二分隊にこの人が見学に来た時、子供心にこんな綺麗な人が世の中にはいるんだなあ、と感動した覚えがある。
そんな過去の記憶に、僕は勝手にフェザード騎士団の礼の形を取っていた。
「お顔を拝見するのはこれで二度目となります。元フェザード騎士団准騎士、ヘンリーであります」
「覚えていますよ。まさか、あの時の小さな騎士が魔軍の攻勢を生き残り、あまつさえジルベルトを討つとは。……今はこの伯爵領の者ですが、元フェザードの王族としてお礼を言います。ヘンリー卿、皆の無念を晴らしてくれて、ありがとう」
「ははっ」
お褒めの言葉に、背筋が伸びる。
……うむ、割と自分では根っからの冒険者になったと思っていたが、予想以上に騎士としての自分も残っていたらしい。こういう儀礼の作法も、体が覚えているようだ。
と、そこで、アステリア様は格好を崩した。
「でも、折角フローティアに来たのに、すぐにご挨拶に来てくれなかったのは少し寂しかったわ」
「え、いや、その……」
「ふふ、そういえば、ヘンリー卿はどうしてフローティアに? というのは、意地悪な質問かしら」
はい、意地悪です!
領主様があれだけ情報収集していたのだ。僕がこっちに引っ込んだ理由等、とうに掴んでおられるはず。割と周りの冒険者に『もうゆっくり暮らしたいから後方に引っ込むわ』と話していたからな!
「まあ、フェザードの騎士はいざ戦となると勇猛だけど、平時はのんびり屋さんと有名でしたからね。その気風ということかしら」
「……きょ、恐縮です」
そういえば、第二分隊の仲間も、訓練や実戦のときはともかく、それ以外は割とぐうたらだったな、そういえば。
あ~~~、恥ずい。
でも、思ったより失望はされていないようでよかった。
「はじめまして、ティオです」
「私はフェリスと申します。夫人におかれましては、ご機嫌麗しく」
「はい、どうもはじめまして。うちのシリルがお世話になっています」
ティオとフェリスが挨拶している。
ふう、と久し振りの騎士モードに気疲れしてため息を付いていると、トコトコとシリルが近付いてきた。
「ヘンリーさん、褒めてもらえてよかったですね」
「まあな。お姫様に直々にお褒めの言葉をいただけるなんて、元とは言え、騎士冥利に尽きるってもんだ」
「……ふーん、そうなんですか」
そうなんですよ。
「ただ、余計なことまで知られてんのはちょっと恥ずかしいけどな。のんびりやりたいからこっちに来たってこととか」
「お酒が理由の三割って言ってましたもんねえ」
そろそろ忘れろ。
「あら、ヘンリー卿はお酒が好きなのですね」
ぎゃぁ! 聞かれてた!
「アステリア様。後は、吟遊詩人さんがたまたまこの街のことを歌っていたからだとか言ってましたよ」
「し、シリル。いや、シリルさん。ちょっとお口閉じててくんない? その、僕の威厳が」
「ヘンリーさんの、威厳?」
なんでそこで疑問符だよ! ほら、あるでしょ。こう、凄腕冒険者的な威厳。
「シリルと仲が良いのですね、ヘンリー卿は」
「え、ええ。まあ、良くしてもらっています。冒険のことはともかく、フローティアの街に早くに馴染めたのも、彼女のおかげで」
……しまった、本音を言ってしまった。シリルが調子に乗る。
「はい、良くしてあげちゃっていますよー。うふふ」
ほら調子に乗ったぁ!
「あらあら、シリルは偉いわねえ」
と、アステリア様はシリルを褒める。一応シリルは成人しているはずなのに、思い切り子供扱いだ。
つーか、女同士だからか、領主様以上に距離が近い。同じフェザード出身とあって顔立ちもどこか似てるし、本当の姉妹のようだ。
……顔は同じように整っていても、アステリア様みたいな美人! って雰囲気はシリルにはないわけだが。
「それで、ヘンリー卿。本日の晩餐会ですが……」
……む。
「その、アステリア様。卿はやめていただけると。トーン家の家督を継いだわけでもありませんし、そもそも今の私は冒険者でして」
やんわりと、僕はそうアステリア様に進言した。
騎士であったことを忘れたわけではないが、今の僕は冒険者であることにそれなりの自負がある。それに、口には出さなかったが、僕の騎士の身分を保証する国家はもうないのだ。名実ともに、騎士としての敬称を付けられるのは不適当である。
「……そうですね」
アステリア様も、そのことはわかっていらっしゃるはずだ。少し瞑目してから頷いた。
……いかん、余計な郷愁を誘ってしまったかもしれん。
と、いうのは心配のしすぎだったのか。それとも、取り繕っているのか。アステリア様はすぐに明るい顔となり、
「では、ヘンリーさん、とお呼びしましょう。さあ、そろそろ席に着きませんか? 我が家のコックが、腕によりをかけて晩餐の支度をしてくれました。楽しんでいただけると大変嬉しいです」
「はい、ありがとうございます」
そっちは純粋に楽しみだ。領主館の専属コックともなれば、その領地でも一、二を争う腕前のはず。貴族様だからって、毎日毎日ごちそうというわけでもなかろうが、客に振る舞うものに迂闊なものは出さないだろう。
「やあ、アステリアとの挨拶は終わったかな? ワインセラーからいいやつを持ってきたよ」
と、一時離れていた領主様が、ワインの瓶を四本持ってやってくる。
「あなた、またそんなに持ってきて……あまり呑みすぎないでくださいね」
「なに、新たにアルトヒルンに挑もうとする冒険者への激励だ。四本くらいいいだろう?」
「もう、あなたが呑みたいだけじゃないですか」
「ははは、バレたか」
二人の会話は自然で、笑顔に溢れている。
貴族と王族の結婚なのだから、当然政略結婚のはずなのだが、どうやらアステリア様は良い縁に恵まれたようだ。
領主様に黙礼し、僕は席につく。
給仕さんが領主様からワイン瓶を受け取り、手際よく一本目の封を開け、各自のグラスに注いでいく。ティオは……まあ、一、二杯くらいいいだろう。
「これはフローティア産なんですか」
僕はふと見えた銘柄名に、そう尋ねた。
ワインの銘柄はラ・フローティア。この名前からして、この領が産地のようだ。
「そうなんです。フローティアはエールが有名だけど、これでワインもなかなかなんですよ。北東の領村は葡萄を多く栽培していましてね」
「へえ」
領主様の解説に、僕はふむふむと頷く。酒造りが盛んなのは、やっぱ水が良いからかね。
「いい香りですね、アルベール様。ラ・フローティアの十六年ものですか」
「まあね。いいものは酔いが回る前に呑まないと。残り三本は普段呑みするものだけどね」
注がれたワインに対し、ジェンドが寸評し、コレクションを褒められた領主様が嬉しそうに肯定する。
あまりワインは呑まないからよくわからんが、ふと漂った匂いは、確かに僕が今まで呑んだことのあるワインとは値段の違う感じの香りだ。
……ジェンドと領主様がいいものだと言っているから、勝手にそう感じているだけな気もするが。
そうしてやがて料理が運ばれ、領主様がグラス片手に立ち上がる。
「さて、堅苦しい挨拶は抜きとしよう。我がフローティア領の冒険者の、今後のますますの活躍を祈念し、乾杯だ!」
領主様のごく短い挨拶とともに、グラスを掲げる。
――その夜は、美味い食事と、美味いワインとが揃い、僕たちは大いに楽しんだ。
途中から酔い過ぎて領主様と肩組んで呑み明かしたような覚えもあるが……ぶ、無礼討ちとかされないよね?
そうして、アルトヒルンでの狩りを許された四日後。
アルトヒルンに出現する魔物や自生している植物、地形その他の情報集め。作戦会議。フローティアの森では使わなかったがアルトヒルンでは必要となりそうな道具の買い出し。
諸々の準備を済ませ、今日僕たちはアルトヒルンでの初狩りへと向かった。
フローティアの森とは違い、アルトヒルンは近付くと領軍による警戒線が張ってある。万が一にも山から来た魔物が街に向かわないようにするのと、許可のない人間が立ち入らないようにするためだ。
領主様から頂いた許可証を見せて無事通過し、アルトヒルンの麓まで向かい、そして、
「さってと。情報通り、山の麓は雪狼の群れがいたな」
「ちっと肌寒いと思ったら、やっぱか。俺、もうちょっと厚着しときゃよかった」
どこか青っぽい体毛の狼の群れと、僕らは相対していた。
口から冷たい吐息を吐き、相手の動きを鈍らせるという能力が特徴的な、中級下位の魔物。氷の属性の瘴気が濃いアルトヒルンでは最も多い魔物だそうだ。
「打ち合わせ通り、私は火の魔法で攻めます」
「作戦を忘れないようにな」
「……来ますよ」
こちらの様子を窺っていた雪狼が、一斉に駆け出す。
初めての魔物とは言え、もうシリル達も狼狽えたりはしない。
頼もしいものを感じつつ、僕も槍を構え、連中を迎え撃つのだった。




