第四十二話 ルカン湖の遊泳場
ギラギラと輝く太陽が眩しい。
本来であれば、じっとりと汗ばむような陽気。しかし、フローティアの周辺は湿度が低く、気温が高くなってもさっぱりと過ごしやすい。
……僕がフローティアに来た頃は、まだ冬の気配が残る春先だった。
それから半年弱。季節は夏真っ盛り。
今日まで色々なことがあった。仲間集め、冒険、王都行き……リーガレオの殺伐とした記憶とは違う、騒がしくも穏やかな毎日。
……さて、それはそれとして、素晴らしい事実をご紹介しよう。
フローティアのすぐ隣には、ルカン湖という湖がある。街の北にある山、アルトヒルンから流れてくる水は、一度この湖に溜まり、フローティアを横断するような川となる。
透明度が高く、綺麗な水質。夏ともなると、湖の一部は遊泳場として開放され、フローティアの人間の絶好のレジャースポットとなる。ここ目当てでやって来る観光客もおり、フローティアの名物の一つだ。
そう、つまるところ……水着である。
シーズン始まりにも関わらず、割と人は多い。その中には当然若い女もいるからして……
「なにをやらしー目で女の人見てるんですか」
ぎゅぅぅぅ、と、僕の隣のシリルが頬を引っ張ってきた。
「……失礼な。やらしい目で見てなんていない。眼福だとは思うけど」
「まったくもう。これだから男の人って……」
どうにも潔癖なところがあるシリルはぶつくさ言っているが、仕方がなかろう。男とはそういうものである。
「はいはい、悪かった悪かった。じゃ、早速柔軟して、今日の目的といこう」
「はーい」
ちなみに、この遊泳場に来たからには勿論シリルも水着姿。白の水着は、露出は少ないもののなかなか似合っている。
言うと調子に乗るから言わんけど。
「そういや、シリルは泳ぎの方は?」
「毎年、ここで泳いでますから。特別得意というわけではないですが、普通に泳げますよ。ヘンリーさんこそ、リーガレオって泳ぐ所あったんです?」
「少し足伸ばせば海があったからな。海の魔物退治すんのに、泳げなかったら困る。装備付きで水に叩きつけられても溺れないぞ」
「……なんかレベル違いますね」
えっさ、ほいさ、とシリルと共に柔軟運動をしながら、雑談をする。
「そうそう。泳げるって言っても、訓練のために泳ぐっていうのは初めてなので、力尽きて溺れそうになったら助けてください」
「いや、流石に水の中でそこまで追い込むつもりはないけどな」
そう、今日泳ぎに来たのは別に遊びに来たというわけではない。それであればジェンド達も誘ってる。
これは、王都から帰ってきた辺りから始めている、シリル肉体改造計画の一環なのだ。
シリルは僕の作った訓練メニューを毎日消化している。身体強化を用いて、毎日二十キロ――最近増やして三十キロのジョギングに、各種筋トレ。パーティメンバーとの模擬戦で杖術の鍛え直し。体捌きの練習。
僕も毎日ではないが、付き合って訓練してる。
その努力は大いに評価すべきであり、実際少しずつ成果も出始めている。体質的にあまり筋肉は付かない方のようだが、体力は後衛職としては立派なものだ。
だけど、そろそろ悪い意味での慣れが出てきた。体の動かし方に慣れてきたおかげで、体力をあまり消耗しないような動き方を覚えてしまった。
勿論、それはそれで大事だが、単位時間あたりの負荷が少なくなってしまうので、やや効率が落ちてしまう。
僕は、最初は古典的に重りでも担ぎながらの訓練を考えていたが、遊泳場が開放されると聞いて、こちらに切り替えた。
水泳は、実に体力づくりに向いているためだ。
なので別に、女性の水着目当てだとか、そういう下心で提案したわけではない。真面目に、シリルのためを思って遊泳場での水泳トレーニングにしたのだ。
下心など、ないったらないのである。
割とシリルの水着姿にも興味はあるのだが、それを悟られるとめっさ面倒くさいことになるので横目で見る程度に留めているし。
「……ちなみに、視線には気付いてますからねー」
なにぃ!?
エッチ、スケベ、と罵倒され、背中にぱーんと張り手を一発食らって勘弁してもらえた。
掌型のあざが背中にできてそうだが、まあダメージらしいダメージはないので別に文句はない。
ただ、その格好で遊泳場に出てきたのはお前なんだし、ちょっとジロジロ見るくらいいいじゃん。とは思わないでもない。……そういう言い訳をすると話が長くなるのが目に見えていたので口は噤んだが。
「お、結構泳ぎ上手いな」
「そうですかね?」
平泳ぎで、遊泳場の境の目印となっている浮標に向かって僕たち二人は泳ぐ。
顔を水面から出して泳ぎながら、軽く打ち合わせを始めた。
「あの境のところまで行ったら、折り返して浜辺まで戻って、もっかい……って感じで往復するぞ」
「……なんか他の人に変な目で見られません?」
「人多いし、気にする人もいないだろ」
人は、そこまで他の人のことなど気にかけてはいない。
「でも、遊んでる人たち見たら、私も少しは遊びたいなー、とか思っちゃいますねえ」
「別に、訓練終わってから遊ぶ元気があればいいぞ。僕も付き合ってやる」
「あ、約束しましたよ。なにがいいですかね。久方ぶりに童心に帰って砂のお城でも」
……シリルは余裕そうにしているが、まだ一往復もしていない。どこまで続くか見ものである。
「とりあえず、僕は僕のペースでやるから。今日は初めてなんだから、シリルも自分のペースでやれよー」
「はーい」
と、僕は本格的に泳ぎ始めた。
思い切り水を掻き分け、前に進む。
水練なんてマジ久し振りだ。フェザード時代以来かもしれない。一応、シリルに言ったように実戦で水ん中に叩き込まれた経験はあるので溺れはしないが、泳ぎの技術の向上を目指しても良いかも知れない。
しかし、水中は冷たくて気持ちがいいね。
思い切って潜ってみる。
遊泳場として開放されているのだから、それほど水深があるわけではない。しかも、透明度が高いルカン湖は、よく湖底が見通せる。
……ふむ、魚の類も結構いるな。流石に手掴みでは捕まえられんが。
うむ、なかなかに楽しい。
さて、頑張るか。
「おーい、まだ大丈夫か?」
後ろからシリルに追いついたので、声を掛けてやる。
泳ぎ始めて、はや二時間程か。もう何回もシリルを追い抜いて、また追いつく……ということをしている。
「ま、まだまだあ」
「……いや、水ん中で体力切れは洒落にならんから、そろそろ切り上げよう」
シリルは負けず嫌いで。大丈夫か、と聞くと決まってこう答える。
やれやれ、と思いながら、戻るぞ、と再度声を掛けた。
「……はーい」
「それに、昼も結構過ぎてる。飯にしよう、飯に」
訓練始めたのが太陽が真上にかかる少し前。
めいっぱい運動して、僕は腹が減っている。
ゆっくりと、シリルのペースに合わせて浜辺に戻ってくる。足のつくところまで来て、歩きはじめ、
「あ……」
「危ないな、お前」
いよいよ体力切れか、シリルがふらついた。腕を掴んで支えてやり、しっかりしろと声をかける。
「あー、すみません。思ったより、ヘバッてたみたいです。水の中だと、浮力があって気付きませんでしたが」
「上がると、一気に身体が重くなる……ってやつだな」
「ヘンリーさんは……大丈夫ですよね」
「腹は減ってるけど、もう半日くらい泳いでも平気だぞ」
まあ、夜になると遊泳場閉まるし、水が冷たくなりすぎるのでやらないが。僕ももうちょっと負荷上げる手段考えとかないとな。
「……化け物」
「最前線で、前衛張ろうと思ったらこんくらいはな」
流石に、ティオとフェリスはここまでではないが、ジェンドも多分大丈夫だ。やはり、こういう体力面は男のほうが優位である。
「あのアゲハさんとかも、そうなんですか? 女の人で、割と華奢に見えましたけど」
「あいつ、走って最前線からここまで来たんだけど」
「……そうでした」
アゲハはどっちかというと遊撃役だが、英雄になれるだけあってそんじょそこらの前衛など歯牙にかけない。後、華奢なのは見た目だけ。筋肉でスゲー固いぞ、あいつ。
話しながら、浜辺に到着する。
「よし、ご飯ご飯。シリルはなに食べたい?」
「私、疲れすぎてあまり食欲ないんですけど」
「そうか。それでなにが食べたい?」
「……わかってますよ、食べます。食べれば良いんでしょう」
そうだぞ。折角厳しい運動をしても、その後ちゃんと肉とか食べないと身にならない。これはもう何度も言っていることなのでシリルもわかってはいるのだが、まあいつものやり取りである。
「はあ~~」
「んじゃ、ちょっと待ってろ。なんか適当に買ってきてやるから」
「はーい」
遊泳場には、客を当て込んで飯やら飲み物やらを売っている売店がある。
こういう場所のお約束として多少割高。ただ、街がすぐ側にある立地上、あまり高くしすぎては街まで買いに行かれてしまうので、そこまで劇的に高いというわけではない。
いい匂いに、何を食おうか迷う。
焼きそばもいいし、トウモロコシもいい。湖とは言え水辺だからか、シースアルゴの魚介を焼いている店もあるし……うーむ、お悩み。
そうしてしばらく悩んで、でっかい肉の串焼きと果実水を買ってシリルのところに戻る。
シリルは、ぜっはぜっはとまだ呼吸を整えている。
……割と見た目いいやつなので、遊泳場の浮ついた空気にやられた軟派な男に口説かれでもしてやしないか、と少し心配だったが、流石にガチで息を荒げている女に声をかけるやつはいなかったか。
「シリル、買ってきたぞ」
「あっ、ありがとうござ……大きいですね」
少食なやつなら食べ切れなそうな串を見て、シリルがうげっとなる。
「足りなかったらまた買ってくるからな」
「……いえ、これだけで」
「おっと、その前に水分だ」
先に渡した果実水を、シリルはごっくごっくと飲み干す。
串焼きも渡してやり、僕も食べることにした。
熱々の串焼きを、ぐいっと噛む。
ガツン、と濃い味が脳天に直撃した。
うん、熊の酒樽亭のような繊細な味付けではないが、野外ではこのくらい雑に美味い味もいい。
太陽が照りつける中、砂浜に座って食べる串焼き。
ふむ、実にいい感じだ。
「それでシリル、訓練終わったら砂の城だっけ?」
「……ええと、ちょっと休憩してから考えさせてください。流石にヘトヘトです」
「はいはい。じゃ、なんかパラソルとシートでも借りてくるか」
そういうのの貸し出しもやってる。
水辺は涼しいし、泳がなくても寝そべっているだけでもいいもんだ。
昼過ぎのこの時間帯から借りる人は少ないらしく、スムーズに貸し出しの手続きを終え戻る途中、
「……って、あれ」
「ん?」
ふと、見覚えのある顔とすれ違った。
「ジェンド?」
「ヘンリー? お前、どうしたんだ」
「いや、シリルの体力づくりのために、水泳にな。お前は……」
と、聞こうとすると、これまた見覚えのある顔がこちらに歩いてきた。
フェリスだ。
「やあ、ヘンリーさん。奇遇だね。あっちで座ってるシリルにも会ったよ。せっかくだから、一緒に遊ぼうかって誘われた。ジェンド?」
「あ、ああそうか。まあ、折角会ったんだしな。うん」
フェリスは、割と大胆なビキニタイプの水着を着ている。
……いや、他人の女にいやらしい視線を向ける趣味はないので、確認しただけだ。これは本当。
いや、しかし、
「……デートだったか」
「悪いか」
「別に悪かないけど。そりゃ邪魔しちゃって悪いな」
どうせ女友達を見つけたシリルがすぐに体力切れを忘れてウキウキして誘ったに違いない。
あいつ、色恋の機微にちと疎いところがある。フェリスがあんなキメキメの水着着て遊泳場に来ている時点で、察して遠慮しろと言うのだ。
……まあ、次回からは気をつけることにしよう。
「んじゃ、丁度四人いるんだし、二対二でビーチバレーでも」
「いいんじゃないか」
うん、それ用のコートもいくつかある。少し待てば使えるし、浜辺の皆さんに我らがパーティの運動能力を見せて――
……我らが、パーティ?
いつかのカジノに行った日の反省から、僕は速攻でティオを誘いに行った。
街に近いおかげで助かった。
ティオの登場に、シリルは大いにはしゃぎ、ビーチバレーの後、宣言通り二人して巨大な砂の城を建てていた。
……あぶねー。
このお話はなんちゃってファンタジーです。
食事やレジャー等では近現代に近いものが容赦なく登場します。




