第三十六話 歌の思い出
とある陽気の昼下がり。
僕は、フローティアの自由市場として開放されている広場をのんびりと歩いていた。
この辺りは、色んな人が露店を開いている。近くの農村から収穫物を売りに来ていたり、趣味の品らしき可愛らしい木像を並べていたり、古着なんかも並んでいる。
勿論、薬物とか売っちゃいけないものもあるが、色々な品が並べてあって、見て歩くだけで楽しい。
適当に買った果実を齧る。
甘酸っぱい……と言うにはやや酸味が強すぎる。どっかの農家の子供が小遣い稼ぎに売っていたものだから、そう期待はしてなかったが、野生のものだな、これ。
まあ、食うに支障はないので、シャクシャクと僕は食べ続けた。
……こういう風に、自由市場は品質が安定しない。
ティオは、お爺さんと狩りに行っていた頃はここで獲物を売っていたそうだが、そういう食肉なんかは特に当たり外れが大きい。仕留め方やその後の処置で、品質が全然変わってくるからな。
「んー、なんかいいのあるかねえ」
宿暮らしのため、荷物をあまり増やしたくないが、なんとなーく欲しいなって思うものもある。
ほら、そこの古道具と思しきお洒落な砂時計とか、絶対に使わないけどちょっと欲しい。
「おや、興味あるかい? この砂時計は、なんと時間神クロノスが下賜した曰く付きの一品で……」
「いや、見ていただけですから」
あまりに適当な売り文句に、僕は苦笑しながら立ち去る。
いくらなんでも大袈裟過ぎる。
そんな風に自由市場を冷やかしながら歩いていると、ふと知った顔を見つけた。
「これ、収穫してから少し時間が経っているね? どうだろう、少し割り引いてはくれないか。こんなにしなびていては、買い手もつかないだろう?」
「いや、でもな」
「それじゃ、そっちの人参も一緒に買おうじゃないか」
「……あー、わかったわかった。合わせて二十ゼニスでいいよ」
「ありがとう」
「はいよっ、若いのに買い物が上手いね、お嬢さん」
「それはどうも」
……と、なにやら熟練っぽい交渉をしながら野菜を買っているフェリスだ。お金を渡し、受け取った商品を手持ちの手提げバックに入れている。
「おや」
「や、こんにちは、フェリス」
「ああ、こんにちは、ヘンリーさん」
「夕飯の買い物か?」
「そんなところだ。自由市場はちゃんと相場を把握して、目利きができれば、安く上がるからね」
フェリスは、父親の借金の大部分を肩代わりしている。そのため、こうして諸々の費用を抑えようとしているのだろう。
国に対する借金で、なんでも利息はないとのことだが、色々と行動が制限される。この街に引っ越すことだって、白竜騎士団の団長の後ろ盾がなければ出来なかった。
今となっては大分信頼できると思うようになったし、僕が立て替えてやっても良いんだが……まあ、いくらなんでもいらぬお節介か。
自由市場を歩きながら、フェリスと適当に話をする。
「料理とかできるのか」
「シリルみたいにお菓子作りはやったことないけど、一人暮らしで外食ばかりに頼っていたら費用ばかりかさむからね。それに、ジェンドの家に紹介してもらった物件は立派なキッチンが付いていて、使わないのも勿体ない」
……外食ばかりの僕は耳が痛い。
「いやー、そりゃすごいな。僕は野外料理しかできなくて」
「ヘンリーさんは宿暮らしだったか。自分で料理するのも、楽しいものだよ」
「面倒って思うのが先立つなあ。こりゃジェンドもいい娘さんを捕まえたもんだ」
いや、真剣にそう思う。真面目だし、倹約家だし、美人だし、胸でかいし。
「なんとも面映いな……あまりからかわないでほしい」
「あ、手料理、ジェンドに振る舞ったりするのか?」
「やめて欲しいと言ったのに……まあ、たまには、ね。よく食べるから、見ていて気持ちがいいよ」
顔を赤くして肯定された。……もう家デートなんてしてるのか。今まで、特に雰囲気が変になったりしていなかったから、まだ一線は越えていないと思うが、それも時間の問題かね。
……羨ましいとか思っていませんよ?
「はいはい。お熱いことで。まあ、冒険中は割り切ってくれてるから、僕としてはなにも文句はないけどさ」
「聞いてきたのはヘンリーさんなのに……まあ、冒険中は、そりゃね。色恋のせいで油断して、大怪我とか笑えない」
うん、その辺りは助かる。付き合いたての冒険者カップルが、浮かれて次の冒険で死ぬ……なんてこと、割とよくあるし。
一回、僕も巻き込まれて死にかけた。そん時はちゃんとそのカップルさんは助けてやったが、ガチで説教して後方へ叩き返したのを覚えている。
……元気でやってるかなあ。
「ヘンリーさんは、これからどうするのかな」
「もうちょっと自由市場ブラブラしたら、適当な飲み屋で一杯やって帰ろうかと」
「はは、充実した休日だね」
……いや、フェリスのことだから他意はないのだろうが、ちょっと心に刺さったぞ、今。
「っと、ん?」
「どうした? ……ああ、音写盤か」
音を記録するための魔導具だ。直径二十センチくらいの円盤で、音写盤再生機にかけることで音楽を楽しめる。
それなりの値段がする代物だが、自由市場で売っているだけあって中古のようで、意外と安い。
「……むむ」
「むむ、って、フェリス、興味があるのか」
「ああ。再生機は高すぎて手が出ないけど、ジェンドの部屋にあってね。音写盤だけなら……」
と、フェリスが見ているのは、有名な吟遊詩人の作品だ。
シャルロッテ・ファイン。……虹の歌い手の異名を持つ、ハーフリングのアイドル。そして、八英雄の一人だ。
しばらく悩んだ末、フェリスはそれを購入する。
店主さんに渡されたそれを、フェリスは大事そうにバッグに仕舞う。
歩きながら、フェリスは苦笑する。
「はは、自分の小遣い、と決めたお金が、これですっからかんになったよ」
「まあ、いいんじゃないか。好きなんだろ」
「ああ。父が捕まる前は、王都での公演の時には毎回通っていた。歌も大好きだけど、私は彼女のエピソードが特に好きでね。魔物の大攻勢に襲われた街を、歌で奮い立たせ、見事防衛したという……」
ちなみに、その話は魔王戴冠前の話。八英雄の中ではエッゼさんと並んで、魔国攻勢前からの英雄なのである。
ハーフリングなので見た目は子供なのだが、確かもう六十は越えている。なお、シリルと同じく、歌で魔法を使う魔法使い。効果は歌声の届いている範囲全部に対する超バフ。
すげー強いのだが、アイドルとして各地を巡業しているため、常に最前線にいる英雄ではない。年三、四回位慰問兼援軍に来てたけど。
「ロッテさんかあ。確かに綺麗な歌声だけど、あの人、プライベートだとめっちゃ自堕落だぞ……」
「……へ、ヘンリーさん」
「ん?」
「よもやヘンリーさんは、シャルたんと個人的なお付き合いが……!?」
シャルたん……ファンの人が使う、ロッテさんの愛称である。
……つーか、えっ。フェリス、なんか様子がおかしいんだけど。
「ろ、ロッテさんはエッゼさんと親友で。その絡みで紹介してもらって……色々あって、リーガレオに公演に来た時は一緒に呑んでたくらいの関係……かな」
「羨ましいッッッ! 私もシャルたんと呑みたい!」
おい、どういうことだ。真面目なんじゃなかったのか、フェリス。つーか、さっきロッテさんの英雄的エピソードの話してた時とテンション違いすぎ!
「お、落ち着けフェリス。めっちゃ注目されてるから」
「……はっ、失礼。あまりのことに、シャルたんエナジーが溢れ出てしまった」
「シャルたんエナジーて」
ロッテさんが公演のときに使うフレーズじゃないか。ロッテさんが『みんなー、シャルたんエナジー溢れてるぅ!?』と聞いて、ファンがはーいと答えるのが定番だ。
……いや、僕もあの人の歌は好きだけど、あのテンションには正直ついていけないんだよね。
「ところでヘンリーさん。ちょっと、そこらの喫茶店で、その辺の話をもう少し聞かせてもらっても……?」
「す、すまんが、僕は急用ができた。それはまた今度な!」
ぐぐい、と迫ってくるフェリスから僕は逃げるように立ち去るのだった。
「あー、もう。フェリス、あんなところもあったのか」
フェリスから逃走して適当な飲み屋に入って、フローティアンエールを傾けながら、僕は先程の彼女の言動に呆れていた。
……まあ、堅物一辺倒でも付き合い方に困るが、あんな変化球があるとは誰が想像できたよ。
「でも、ロッテさんかあ」
確かあれは、冒険者になって一年経ったくらいだったか。
まだ故郷を滅ぼされた記憶が新しく、僕はその頃すごく荒んだ子供だった。復讐のために冒険者になったのに、一向にそれにふさわしい実力が身に付かないことに憤ってたこともある。
リーガレオではそういった人間は少なくはなかったが、流石に僕くらいの子供は珍しかった。それで当時から面倒見の良かったエッゼさんがよく気にかけてくれたのだ。
で、ある日リーガレオにやってきたロッテさんの公演に、エッゼさんに連れられて行き……その後、『私の歌を聞いて笑顔にならない子供はここかコラァ!』と当時泊まってた部屋に殴り込まれた。勿論、あの人が僕の部屋を知っていたのは、エッゼさんの差し金である。
まあ、そんな闖入者に、当時の僕は当然のごとく文句を言い……なんかあれよあれよと身の上話をすることになり、最後にはなんか子守唄で寝かしつけられた。
ロッテさんの魔法歌は、バフの他にも気持ちを落ち着かせる効果もある。そのおかげで、あの日は久し振りに熟睡できた。
「……あー、そのうち、あの時の礼、言わないとな」
その後も、一週間ほど付いてくれたのだ。おかげで、精神的に最悪な時期を乗り切れた。
懐かしい。当時たかが十二、三の子供が生き残れたのは、本当に色んな人の助けがあったからだ。
「……僕も、音写盤と再生機、買うかなあ」
いや、宿だと他のお客さんに迷惑だな。
……僕も、ジェンドの家の再生機を使わせてもらおうか。
そんな風に考えながら。
僕はこの店の名物らしき鶏の丸焼きを肴に、エールを呑み干していった。
主人公との友好度五位、ロッテさん。これより下はほとんど顔知ってるだけ。
エッゼさんと響きが似ているのに書いていて初めて気付いた……




