第三百十二話 歌姫との語らい
さて、諸々の調整や各所への連絡、いざなにかあった場合の対処方針の決定などをしていると、もうフローティア行きが明日に迫っていた。あっという間である。
そして今日、僕とシリルは、リースヴィントの王城内に設置された転移門――賓客を出迎える用の転移作業室で、時計とにらめっこしていた。
「まだですかねー」
「落ち着け、もうすぐだ」
シリルのやつ、さっきから一分に一回くらいの頻度でボヤいている。
楽しみなのはわかるけど、もうちょっとドンと構えてほしい。転移門を運用する魔導士の人たち、少し笑ってるぞ。
「そうはいっても……あっ!」
と、ぶー垂れようとしていたシリルが、転移門に光が宿るのを見て目を輝かせる。
術式に沿って魔力が巡っていき、光が徐々に強くなる。
やがて魔導陣全体が光り始め、カッ、と一際大きく煌めくと、誰もいなかったはずの転移門の上に、小柄な人影が一人現れていた。
「ロッテさん、こんにちは! リースヴィントにようこそ!」
「おー! シリル、こんちは。元気そうでよかったよかった!」
……果たして、現れたのは英雄の一角にして歌って踊れる吟遊詩人。シャルロッテ・ファインさんである。
そのロッテさんは、勢いよく突っ込んできたシリルの手をひょいと掴み、運動のベクトルを気持ち悪いくらい滑らかな動作で変え、ぐるぐるとシリルを振り回して回転させる。
「ひゃわー!」
「アッハハハハ!」
楽しそうだな、オイ。
ぐるぐると……三十回くらい回転して、ようやっとすとんとシリルが着地した。
「面白かったです!」
「それはなにより。またやってやるよ」
……ふらつくかと思ったが、シリルは全然目ぇ回ってない様子である。
見た目は子供が遊んでいるようにしか見えなかったが、普通子供は小柄とはいえ成人女性一人をぐるぐる回せないし、回ってる本人にまったく負担がかからないようなこともできない。
はあ、と一つため息。
普通にやってるようにしか見えなかったのに、なにをどうやってシリルの平衡感覚を守ったんだか。相変わらず意味不明である。
「あ~~、ロッテさん。どうも」
「やあ、ヘンリー。お前さんも元気そうだね。それに――」
トッ、と。
僕がまばたきをした直後、数メートルは距離のあったロッテさんがごく自然に僕の懐に潜り込んでいて、
「うゎお!?」
腹部めがけて放たれた突きを、僕はギリ払い除けた。
び、びっくりしたあ。
「うんうん、立ち方から察してたけど、反応がなかなか良くなってる。やっぱヘンリーにとって結婚はいいことだったねえ」
「……エッゼさんにも言われましたよ。んなわかりやすいですか、僕」
「? 逆に自分がわかりやすくないとでも思ってんのかい、ヘンリー」
ぬぐぅ。
「はいはい! それはシリルさんも同意です! いやー、ヘンリーさん? ポーカーフェイスできないんですから、素直になった方がいいですよ。……いやーしかし、それにしても。やっぱヘンリーさんは私がいないと駄目、ってことですかロッテさん!」
「お前まで乗らんでいい!」
なんか怒涛の勢いで乗っかってきたシリルを抑える。
……うーむ、なんか久々にロッテさんに会えてめちゃはしゃいどるなこいつ。
「あ、すみません、私ったら。ロッテさんも旅でお疲れのところですよね。さっそく部屋に案内します」
「大丈夫大丈夫。転移門使ってきたからね」
……それもそうだけど。食料とか魔物とかを度外視すれば、多分この人、フローティアからリースヴィントまでマラソンしても平気へっちゃらだぞ。
「ロッテさん。すみませんけど、部屋に荷物置いたら、ちょっと何人かに会ってもらう予定です。シリル、忘れてないよな」
「――はっ!?」
「忘れてたか……」
英雄を街に迎えるのだ。諸々面倒なこともある。
普段はしっかりしているくせに、すっかり忘却の彼方へと捨て去っていたシリルに、僕はもう一度ため息をついた。
僕たちのフローティア行き。
それによって、リースヴィント奪還後、初めてシリルという火力がこの街からいなくなることになる。
勿論、この街の防衛計画を立てる人たちは、シリルの将来的なにんし……ごにょごにょとかで離脱は見据えているし、今回のフローティア行きはそのリハって意味合いもある。
だが、初だ。
シリルの離脱に対して、なんの方策も立てないという選択肢はない。
……そんなわけで。
この人がいれば、ちょっとやそっとの不測の事態程度、余裕でカバーできるだろう、という理由で招聘されたのがロッテさんである。
「しかし……今更ですが、ほんの一月前にお願いしたのに受けてくれてありがとうございます」
関係各所への挨拶を済ませ。
割り当てられた客室ではなく、僕らの自宅のテーブルで蜂蜜酒を傾けているロッテさんに礼を言う。
アイドルとしての活動も忙しいロッテさんのこと。相当スケジュール的に無理をしてくれたんだろう。
「いーさいーさ。本来の予定がちょっと延期したけど、責任者の人も『魔国との戦いで頑張っている人のためなら』って快く頷いてくれたし」
「……あう。や、やっぱりそういうのあったんですね」
ツマミの料理を運んできたシリルが聞いて、少し凹んでいた。
「うう、私のワガママで方方に迷惑を」
「だから、気にすることはないって。シリル、あんたがいなきゃリースヴィントの奪還もできなかったんだ。……ちなみにね。十年ぶりに大きく状況が動いて、三大国じゃこの街の話題で持ちきりなんだよ。特に、女王にも関わらず先頭に立って防衛に奮戦するシリルの話は、最近の吟遊詩人の鉄板ネタでね」
「なんですと!?」
あー、マア、そうなるか……
話題性たっぷり、本人も美少女、わかりやすく派手で威力バツグンの魔法使い。
……リースヴィントでも人気だが、そりゃ遠くから噂を聞いてもそうなるな。
「ふっふっふ。こんな感じでね。『おお、遥かリースヴィントに英雄姫あり。放つ一撃は魔将を退け、魔物を撃ち――』」
「ちょ、ロッテさんやめてください恥ずかしい!」
「おや、残念」
ペロッと舌を出す仕草は、実年齢とこの人の正体を知ってると『うわぁ』なんだが、普通の人が見れば可愛らしいのだろう。
「……なにか私に意見でもあるのかい、ヘンリー」
「いや、そんなことは」
突然の詰問に、平静に答える。
……ちょっと顔が引きつっていたやもしれん。
「ホントー?」
「本当です。……ああ、ほらほら。ロッテさん、蜂蜜酒が空いているじゃないですか。どうぞどうぞ」
誤魔化すように、酒の瓶をロッテさんに向ける。
「まったく。今回は許してあげる」
「……どーも」
おっかねえ。
「よいしょっと」
さっきからキッチンを往復していたシリルも、一通り料理が終わったのか着席した。
「シリル、料理ありがとうね。全部美味いよ」
「ありがとうございます。自信作です!」
ロッテさんの褒め言葉に、シリルは素直に喜ぶ。
「さぁて、じゃ、お返しって言っちゃなんだけど、私が仕込んだシードルを振る舞おう。シリル、前呑んだ時、結構気に入ってたろ」
「はい。甘くて美味しかったです」
ロッテさんが手荷物から酒を取り出し、シリルに向ける。
シリルは空いているグラスでそれを受け……改めて、僕たちは乾杯した。
「ヘンリーとシリルは、明日の昼からフローティアに向かうんだっけ」
「はい。レーヴァテイン……元、ラ・フローティアのメンバーと一緒に」
結構な大所帯になるが、転移門の予約は抑えたし、バッチリだ。
あまりの長距離となると失敗する可能性が出てくるので、三つの街を経由する予定である。リーガレオと、アルヴィニアのサウスガイア、セントアリオ。
……三回目ではとある人物も合流予定だ。
「フローティアか。あそこでライブしたのも懐かしいね。……いい街だったし、近々また歌いに行こっかな」
ロッテさんが訪問するとなると、勿論大抵の街は大歓迎である。
「あ、じゃあアルベール様にそれとなく伝えておきますねー」
「うん、お願い」
そんな感じで歓談しながら料理をつまみ、酒を呑む。
明日の午前は、フローティア行き前最後の火力支援予定だから、あまり酒を過ごす訳にはいかないが、久し振りの人と一緒に呑んでるとついついペースが早くなってしまう。
と、ふと。
じーー、と、ロッテさんが僕の顔を見つめていることに気がついた。
「ロッテさん、僕の顔になにかついてます?」
「いやあ」
聞くと、ロッテさんは相好を崩して。
「私の歌を聞いてもニコリともしなかった子供が、幸せそうに笑ってるなあと思ってね」
「……あの頃の話は勘弁してくれません?」
フェザードから落ち延びて、復讐心に逸っていた頃。
しばらく、ロッテさんに一緒にいてもらって……ちょっとだけ、立ち直った記憶。
子供時代とはいえ、我ながら不甲斐なかった。
「あはは。少しだけど面倒をみた子供が、立派に成長したんだなあって、感慨にくらい耽らせておくれよ」
「むう」
恩人にそう言われると、口をつぐむしかない。
「ヘンリーさんの子供時代ですかー。他の人からはちょこちょこ聞きますが、この人あんまり話してくれないんですよねえ」
「あんま面白いもんでもないから」
サツバツとしていたぞ、あの頃の僕は。
「うーん、確かにあの頃は結構大変だったね、ヘンリーは」
「そうでしょう、そうでしょう」
「でも面白いエピソードがないでもない。では、ロッテさんからその辺を話してあげよう」
なにィ!?
ロッテさんが知ってるおもしろエピソード……あれか? それともあれか!?
「ちょっ、ロッテさん待っ――」
「えい」
思わず立ち上がろうとしたら、ロッテさんが軽く床を踏む。
……なんか振動が僕の椅子だけにピンポイントで伝わってきて、立ち上がろうとする僕の動きを阻害した。
「なんすか今の!?」
「ちょっとした裏技さ」
ぜってえちょっとじゃねえ!
その後も止めようとしたが、ロッテさんの口を塞ぐことはできず。
……いくつかの恥ずかしいお話がシリルに漏れてしまうのだった。
「はあ」
ばかすか呑んでたくせに足取りも軽やかに『じゃーねー』とロッテさんは去っていった。
その後ろ姿を思い出し、
「……ありがとうございました」
酔った頭で、僕はそう零すのだった。
三百十話の後書きで後三話くらい……と書きましたが、書きたいこと並べるととてもそれじゃ終わりそうにありませんでした。
というわけでもう少し続きます。
(あと何話くらいかは終わりが見えてから……)




