第三百十話 勇者の宣言
「――『メテオフレア』!!」
シリルが気合一つ込めて、炎の魔法を南西方向に叩き込む。
数百からの魔物が一気に爆裂炎上し、地面を埋め尽くさんばかりの魔物たちが、ぽっかりとそこだけ消滅する。
「シリル、次は南東! 真南は僕が重点的に殺る!」
「合点承知です!」
もう二時間くらいは魔法を撃ちっぱなしなのに、まだまだいけますよー! とばかりにシリルが次の魔法のための歌に入る。
それを見やり、僕は宣言通り南方面に向けて槍投げを繰り返した。
……なお、この方向は今日は一度もシリルの魔法が撃ち込まれていない。
元々予定されていたことで、今日の防衛に出ている連中の陣形も、そっち方面を厚めに守る形だ。
なにせ、いくらあの人とはいえ、シリルの魔法の範囲と威力だと万が一がないとは言い切れない。『大丈夫だよ、躱すか耐えるから』とかなんとか言っていたが、ただでさえ帰ってくる時は疲れている(はず)なのだ。これは当然の措置である。
(しかし今日はちょっと遅いですね。いつも予定時間より早めに帰ってくるのに。もしかして、なにかあったんでしょうか)
と、歌いながらシリルがたわけたことを通信で聞いてくる。
(いや、心配ないって。なにかあったら通信の魔導具で連絡があるはずだろ。もしあの人がそんな暇も作れないような敵がいたりしたら、正直人類の負けが濃厚だ)
(そうですけど)
まったく。僕らがあの人の心配をするなど、百年は早い。
シリルの杞憂に内心ため息をついていると、南、地平線辺りの魔物がなんか殺された。
魔物がひしめく大地を、まるで無人の野のごとく一直線にこちらにやってくる影。その影が通った跡は、鉛筆で線を引くように魔物がぶち殺されている。
……ほら帰ってきた。
(あ、セシルさんのおかえりですね)
(おう。だから心配いらないって言っただろ)
単騎の戦闘力であれば、こちら側の陣営で間違いなく最強。
絶望的な状況を何度も切り開いてきたその実績から、『勇者』と讃えられる英雄。
魔国に侵入していたセシル・ローライトさんの、予定通りの時間と方向からの帰還だった。
「……とまあ、こんなところかな? そういうわけで、エストリアには結構傷を与えた。ハインケルが援軍に来て撤退することになったけど」
城の会議室。
各国と教会の重鎮を集めた席で、セシルさんは今回の戦果の報告を終えた。
リースヴィントの情勢が落ち着いた今、二週に一回くらいの間隔でセシルさんは魔国に突撃している。
なにせ、リーガレオ時代よりぐっと魔国との距離は近くなった。その分、魔物の密度も増えたので『遠征』の難易度も上がったが、隠密にも優れているセシルさんであれば、ゆうゆうと……とまではいかなくても、魔国イーザンスティアの首都ザインまで到達できる。
ここには敵の首魁、魔王がおり。
……瘴気による捕捉で兄が来ることに気付いた妹さんは、近場の魔将を迎えに出すらしい。
最初は面食らったが、そういえばリースヴィント奪還のためにセシルさんが囮になった時も同じ対応だった。あの子にとっては、当然の対応というわけだろう。
「で、やっぱりザイン周辺にいた魔将は一人だった。……ここまで来ると、多分間違いないね」
何回かのセシルさんの遠征によって判明したことだが。
魔将は特別な事情がなければ、普段は群れないらしい。魔国の瘴気とはいえ、二人以上の魔将が長時間一緒にいると『枯渇』につながるから……というのがこっちの推察だ。
そんなわけで、主の命に逆らうことができない魔将は一人で人間側最強の戦士と相対することになり。
流石に、まだ魔将を討ち取ったことはないが、毎度手傷を与えてセシルさんは帰ってくる。
こうすることで、魔将による大攻勢を未然に防いでいるのだ。大攻勢は万全の状態じゃないとできないようだし。
で、今回は、かつてリースヴィントを襲撃した魔将エストリアと戦ったらしい。
確か女の魔将で、近くの魔物を強化する厄介な相手だったはずだ。……ソロで優勢って、やっぱおかしいって。
「ふぅむ、セシル。お主、目に見えて強くなっておるな?」
「まあ……そうだね。鍛錬も勿論だけど、強い相手との戦いはそれだけ身になるから。魔将と定期的にやり合うようになって、一つ先が見えた感じがする」
「羨ましい話である。我も魔将との死闘をもっと経験したいところだが、いかんせん我が出向いても、魔将ではなく魔物の大群が出迎えるだけであるしなあ」
話の終わりに、エッゼさんがなんか恐ろしいことを言いながら嘆息する。
……え? セシルさん強くなってんの? あれ以上?
確かに強敵との戦いによって一段も二段も強くなることはままあるが。そういうのって、成長途中の人間の特権ですよね。人類最高峰の『勇者』がやっていいことじゃ……いや、いいことなんだけど!
「で、次だけど。流石にまだ同じ間隔で行くと、複数の魔将が待ち構えていそうだから……そうだね、次は一月くらい置くことにするよ。どうかな、シリュール様」
「そうですね、それでいいと思います。リースヴィントの防衛も助かりますし。皆さんの意見はどうでしょうか?」
流石に、毎度二週おきだと読まれるので、セシルさんがそう提案し、シリルは鷹揚に頷く。公的な場ではやはり英雄といえど街の代表を立てる必要があるのだ。
で、その提案については周りの人たちも異論はなく、そのまま承認された。
「はい、それでは、皆さんお忙しいと思いますのでこれで解散しましょう。英雄セシルはお疲れ様でした」
「ありがとう、シリュール様。……じゃあ、俺はこのまま北側の防衛にでも」
「って、ちょっとちょっと!? 待ってください、魔国から帰ってきたばかりでしょう、セシルさん!」
にこやかー、に残業をしようとするセシルさんを、素に戻ったシリルが止める。
「いやあ、帰りは魔物を避けて歩いてきたから、実はまだ元気が余っているんだ」
「駄目です。一時と違って多少は余裕が出てきたんですから、休んでください。万が一倒れられでもしたら、この街の防衛計画、一から見直しです」
「そんな大げさな」
……いやまあ。言う通り、流石に個人が一人抜けたくらいで崩壊するような計画ではないが。
セシルさんクラスともなると、大きな影響がある。
「まあまあ、セシルさん。シリルの言うことももっともですよ。それでもまだ元気だっていうなら、この後僕鍛錬の予定なんで、指導でもしてくれませんか」
「ヘンリー君まで」
「ヘンリーさんは自分の欲望を満たそうとしているだけに見えますが……それでも出撃するつもりなら、私やめろって命令しちゃいますよ?」
『許しません!』と顔に貼り付けて、シリルは威厳たっぷり――いや、嘘ついた、ないわ威厳――に言い切った。
セシルさんは困ったように頬をかく仕草をして、一つため息。
「はあ……わかったよ。女王様の機嫌をこれ以上損ねると、他のみんなから吊し上げを喰らいそうだ」
シリルの人気っぷりなら、確かにそれもあり得る……他の有象無象ならともかく英雄相手にやる奴がいるかどうかはわからんが。
「うむ、いいことだ。後進の指導というものを、セシルはいい加減意識するべきだしな」
「であるな。ヘンリーなら教える練習の相手として手頃であろう」
なんかリオルさんとエッゼさんが訳知り顔で言う。
……そういえば、セシルさんに弟子とかいるって話聞いたことないな。
「やれやれ、リオルとエッゼ君に言われると耳が痛いな」
片や冒険者にはクロシード式をロハで教えている術式の開祖。
片や日常的に団員を鍛えている騎士団団長である。
セシルさん自身が強いのは勿論いいことなんだが、二人のようにその技術を他に伝えてもらえたら、確かに冒険者全体としての強さは上がりそうだ。
「というわけで。手頃だそうなので、よろしくお願いします」
「あはは。わかったよ、了解」
……手頃、というエッゼさんの微妙な表現を褒め言葉として受け取ることにして、僕はセシルさんに頭を下げるのだった。
セシルさんに横で見てもらいながら、城の庭にある練兵場で素振りを繰り返す。
折角なので模擬戦でもやりたいのだが、『疲れている(はず)』という理由でこっちに付き合ってもらったのだ。最初からそんなことやると、シリルからお叱りがくる。
なにが楽しいのか、僕の訓練には用事がなければ毎度見学に来ているし。……まあ、僕も張り合いが出るので大歓迎ではあるのだが。
「うーん」
始めて五分。じっと僕を見ていたセシルさんが困り声を上げた。
「どうしました?」
「いや、困ったなって思って。あまり指摘するところがない」
「えっ、そうですかね?」
セシルさんは剣がメインだが、槍も相当『使う』。何度か槍を持つところを見たことがあるが、とてもサブとは思えない練度で、正直僕よりずっと上の腕前だ。
「うん、よく鍛えられているよ。俺から見ても甘いところはほとんどない」
「少しはあるってことですよね」
「いや。多分、そこは魔導を使う前提のところだと思うしね。槍と魔導を組み合わせたところを想定すると、隙じゃないんだと思う」
……槍振ってるところ見てるだけなのに、そこまで看破すんの?
「半分引退したようなものなのに、よくそこまで鍛えているね。投げはともかく、もう前線に出る機会はないだろうに」
「いやあ。下手に腕落とすの怖いので」
子供の頃からずーっと戦い続けてきたから、半ば強迫観念のようになっている。
「ああ、なるほど。なんとなく、気持ちはわかるよ」
セシルさん程でもそうなのか。……いや、そうなのかもな。
「じゃ、続けます」
「うん」
そうして、素振りを小一時間ほど続け。
セシルさんに受け役をやってもらっての打ち込み。一戦だけ! という約束で、締めの模擬戦をやってその日の訓練は終了。
模擬戦では、当然のように軽くあしらわれた。
全力でいった僕は汗もだくだくで、息が完全に切れている……というのに、セシルさんの方は汗一つかいていない。
『勇者が練兵場にいるぞ』と聞きつけたのか、いつの間にか集まっていたギャラリーは、ひゅーひゅー、と勝者を讃えている。
「はい! ヘンリーさん、お疲れ様でした!」
「お、おーう」
訓練終わり。
シリルが水筒とタオルを差し出してくれる。
「セシルさんもよろしければどうぞ」
「ありがたくいただくよ」
水筒を開け、中身を一気に飲み干す。爽やかな味の水分が、疲れ切った体に染み込んでいく。
「ん、これ美味しいね」
「はい、シリルさん特製、疲れがよく取れるハーブ水です! 美味しく飲めるよう、塩と砂糖の配分は日々研究しています!」
「ヘンリー君、いいお嫁さんをもらったね」
小っ恥ずかしいが『……はい』と頷く。
「あれ、そう言うセシルさんはどうなんですか。浮ついた話は聞きませんが」
「ああ、俺は妹の件が片付くまでそういうのはちょっとね」
セシルさんの妹が魔王……って話はごく一部にしか伝わっていない。もしかしたら周りに聞こえているかもしれないが、これくらいなら問題はないだろう。
「……妹さんの件、ですか」
「ああ。ようやく会えそうになったことだしね。早く解決したいところだけど」
「なんか手伝えることがあれば言ってください」
前に出るのはセシルさん筆頭に他にみんなに任せている身ではあるが。
なにか役立てることもあろう。
「あはは。大丈夫さ」
そうして笑ったあと、セシルさんはふと怖いくらい真剣な目になり、
「……君たちの子供が大きくなる頃までには、俺が方をつけておくよ」
――事実、十年の後。
魔国との戦いに幕を下ろすことになる、勇者の宣言だった。
魔国との戦争がメインどころだったら絶対に主人公だった勇者さんの宣言。




