第三百九話 ヘンリーとシリルとユー 後編
「ヘンリーさん、おかわりください」
「お、おう」
いつになく早いペースで呑んでいるシリルに、ルネ・シュテルのワイン瓶を向ける。
……グラス単位でちまちま注文するのが面倒臭くなったユーが注文したものだ。何故か今日はシリルも相伴に預かっている。いつものシリルなら、薄めた果実酒辺りに切り替えている頃合いのはずだが、なんかユーと一緒でテンション上がってるらしい。
まあ、普段僕の晩酌に付き合う時はそうでもないが、同性の友達と一緒であれば話も盛り上がるだろう。
「いいですねえ。ヘンリー、私にも」
「はいはい」
その様子を微笑ましげに見ていたユーがグラスをこっちに向ける。同じように注いでやり……と、そこで丁度空になったので、ユーが手を上げた。
「すみませーん、ルネ・シュテル、ボトルおかわりお願いします」
「……二本目だぞオイ」
「いやあ、他人のお財布で呑むワインはまた格別で」
こいつ……はあ。
しかし在庫あんのかね? みんなが注文する安ワインなら樽単位で在庫があるだろうが、こんな高い酒……あ、普通に注文通った。あるのね。
「あー、すみません、僕にこの……ハザクラ? ってお酒ください」
「お猪口……グラスは一つでいいでしょうか」
「はい」
僕も店員さんを呼び止めて追加の酒を注文する。
「あれ、あまり聞き慣れないお酒ですけど」
「リシュウのセイシュな。お米から作ったお酒。珍しいんで、ちょっと試してみようかと」
フローティアはリシュウから近かったから割と流通していたから何度か試したことがあるが、こっちじゃ初めて見る。今度ティオにも教えてやろう。あいつ、めちゃ好きだったし。
「へー」
「ああ、アゲハもたまに取り寄せて呑んでましたね。あの子もお酒は好きなんですけど、やっぱり故郷の味は違うんでしょうか」
「……あいつ、好きだけど弱いだろ」
「ヘンリーも、初めて呑んだ時はゲーゲーしていませんでした?」
い、いや、そうだけど。一応トイレまではギリ持ったんだぞ?
くっ、じー、とシリルが呆れたような顔で見ている。……おのれユーめ。そっちがそうくるなら、
「……なあ、シリル。実はユー、勇士になった時に自分へのご褒美と称して今も呑んでるルネ・シュテルを初めて買ったんだが。その時」
「ていっ」
「いだっ!?」
割と洒落にならない威力の蹴りが、テーブルの下で繰り出された。……こ、こいつ、身体強化したな?
「ヘンリー。私のイメージというものを大切にしてください」
「僕のイメージも大切にしてくれるなら吝かじゃないが」
「……はあ、わかりましたよ。すみませんでした」
ユーは小さく手を上げて反省を見せた。……むう、一方的に僕の恥部が晒されただけになってしまったが、今回は許してやることにしよう。
「二人とも相変わらずですねえ。昔を知らないシリルさんはちょっと妬けてしまいます」
「あはは、結婚までしておいて今更ですね、シリルさん。ほら、注文来ましたよ」
ワインと、陶器でできたなんとも珍しい形の酒器一式が運ばれてくる。後者は僕の注文したセイシュが入っているのだろう。徳利と呼ばれる器に酒を入れ、お猪口っていう小さなグラスに注いで呑む……というのはティオの実家で呑んだ時に覚えた。
「はい、ヘンリー」
「おう」
ユーが徳利をこちらに向けてくる。アゲハも呑んでるんだから、注ぐのも慣れてるんだろう。
くい、ユーが徳利を傾けると、なみなみと注がれていたセイシュが溢れることなくお猪口に注がれる。
そいつを口に運ぶと、透明な見た目に反して意外なほど強い酒精が喉を通る。すっきりした甘さのような後味があり、なんとも爽やかだ。
……うむ、久し振りだが、やっぱり
「美味い」
一口で呑んじまったが、次はもうちょっと味わうことにしよう。
「もう一杯いきます?」
「ユーさん、ユーさん。次は私がヘンリーさんにお酌をば」
「あ、そうですね。お嫁さんを差し置いて私としたことが」
徳利がユーからシリルに手に渡り、二杯目が注がれ……なんか視線を感じる。
さっ、と視線を動かさずに少し周囲の気配を探ると、何人かのヤロー共が僕に注目していた。
? いや、そんな変なことをしているわけでもないのになんで……って、ああ。
「ヘンリー、そちらが終わったらこっちも酌をお願いします」
「手酌しろよ」
「人と呑んでいる時にそれは寂しいので」
はいはい、と僕は頷いてユーのグラスにワインを注ぐ……と、視線の熱度が上がった。
いやまあ、うん。
冷静に考えてみると。流石に結婚してそこそこ経ち、リースヴィントでは夫婦であることが周知の事実であるシリルだけならともかく。
ちょっと……いやまあ、かなり面の整った救済の聖女さんが同じ卓に座り、男に酌とかしていると、嫉妬の一つや二つは受けるだろう。
星の高鳴り亭で呑んでた時ならそんなことはなかったのだが、この城の人たちだと僕とユーの……なんつーか、腐れ縁的なものは知らない人もいるだろうし。
両手に花で嬉しいなあ、あっはっは、と呑気に喜べればいいのだが。そんな気のないユー相手に嫉妬とかされると、なんか損した気分になる。
「ふふ、ヘンリー、注目の的のようですね」
「……気付いてんのか」
あんま気配とかわかんない癖に。
「まあ、仕事柄色々と不躾な視線を浴びることもあるので。こういう場では好色な目でも見られますしね」
「さよけ」
まあ、実際に行動に移さない限り、こいつは気にしないだろうが。
実際に行動に移した場合? ……もしんな事が起こったら、襲いかかってきたその某さんのために、僕が叩きのめしてやる必要があるだろう。
「そうなんですか。美人さんは大変ですね。それにしてはヘンリーさんはそういうのなさそうですが」
いやいやいや、
「こいつとは付き合いが長すぎて、もうそんな気になれん」
「私も、その気になられても今更、ですね。シリルさんみたいな可愛らしい方と結婚したのに、そんな真似をするようなら弾きます」
弾くってなにを!?
「……『もう』と、『今更』ってところにちょっとした危機感を煽られますね。言っときますが、二股は一万歩譲って飲み込んでもいいですが、ちゃんと事前に相談してくださいね!」
「ええい、ちょっとした言葉の綾だ、綾」
フローティアに引っ込む前だったらそういう可能性もあったかもしれないが。
「でも真面目に、ユーさんの結婚って大事じゃないですか。お城でもたまに話題になりますよ。引く手数多だとか」
「それは……まあそうですが」
ユーほどの治癒士とは、どこの権力者も結びつきを持ちたい。
で、相手が未婚の女とくれば、婚姻は極めて一般的な取り込み方法である。
前言ってたが、相当上位の貴族からもお声がかかっているらしい。
……それを利用してリースヴィントに利益を引っ張ってくる、みたいなことも、シリル自身は気乗りしていないが、城で真面目に議論されている。
「でも、持て囃されても私は庶民出身ですしねえ。政略結婚というものは知ってはいますし必要性もわかりますが、忌避感があります」
「ふーん、まあお前の自由だけどさ」
こいつが結婚して後方に引っ込んだりすると、命を落とすやつが増えるし、僕の戦力もガクンと落ちる。
それとトレードできるほどの利益を引っ張れる相手なんてそうそういないしな。
「……まあでも。言われて考えてみれば、ユー、お前結婚のアテってあんのか? あんま……っていうか全然男慣れしてねえし、相手の候補すら思い浮かばん。僕の知らない付き合いってないよな」
「なぜそうも断言するのかは知りませんが、ありません。というか、今のところあまり興味自体ないです」
いやだってお前、普段は診療所と自室往復するだけで、たまの休暇も一人か女友達としかつるんでないじゃん。
ちょっと立場変わったとはいえ、冒険者時代の付き合いは継続してて、親しい連中の近況程度は抑えてんだぞ。
「大丈夫か? 都市部じゃそうでもないが、田舎だとそろそろ行き遅……」
「弾かれたいんですか?」
だから弾くってなにをだよ!?
「ヘンリーさん、駄目ですよ。女性の年齢のことを指摘するなんて。大体ユーさん、まだまだお若いじゃないですか」
「そうですそうです! シリルさん、言ってあげてください」
いやでも、ちょっとは自覚させたほうがいいんじゃないか? 本格的に手遅れになったら……あ、駄目だ。シリルもユーも『猛省しろ!』と顔に書いてある。口答えをしたら十倍の反撃を食らう。
「わかったわかった、悪かったよ。ユーは若いし、いい女だからすぐ相手グライミツカルサー」
「なんですか、その投げやりな言葉は」
「そりゃ僕は投げ槍の達人……」
「死んでくださいヘンリー」
そこまで言わなくても。
「まーったく。ヘンリーさん、つまらない駄洒落を言うのは悪い癖ですよ」
「そ、そう? たまにはウケない?」
「今まで一度たりともありませんでした」
そんなに?
「うんうん、伴侶であっても言うべきことは言う。シリルさんはいい子ですねえ。ヘンリーは果報者です」
「ありがとうございます! 聞きましたかヘンリーさん。当然、ヘンリーさんもそう思いますよね!」
「……はい、勿論です」
事実だけど……事実だけど! ちょっとこう、このタイミングで言われると釈然としないものを感じすぎる!
ぐぬぬ、と僕が唸っていると、なにを勘違いしたのかシリルが頭を撫でてきた。やめれ、とどかそうとするが、どうやら酔いも手伝ったのか、執拗に撫でてくる。
くっそ、もういいや、好きにしろ。
「ふふ……」
「なんだよ、ユー。ニヤニヤ笑って」
「いや、本当に仲がいいなあって思いまして。さっきはああ言いましたが、相手を見つけるのも悪くないかもしれませんね」
むっ! とシリルの目が光った……ような気がした。
「先程も言いましたが、長い付き合いといえど、うちのヘンリーさんに粉をかけるのであればまずは私に相談を!」
「はいはい、その予定はありませんが、まかり間違ってそうなったら相談に伺いますよ。はい、シリルさん、おかわりどうぞ」
「いただきます!」
ユーにボトルを向けられ、シリルは勢いよくグラスを差し出す。
……そろそろ酔いが過ぎてるな。適当なところで止めないと。
「はい、ついでにヘンリーもどうぞ」
「おう」
ユーは今度は徳利を手に、僕の方に向ける。
お猪口に残っていた分を呑み干し、酌を受ける。
……周りの視線はそろそろ無視できるようになってきた。
「それでは、もう一度乾杯といきましょう」
「あン? 別にいいけど」
「いいですねー。テンション上がってきました」
ユーはグラスを掲げる。
「じゃ、我らが麗しく、可愛らしい女王様と、その伴侶である私の古馴染みに、乾杯」
「ユーさん!?」
「……僕も巻き込まれんのか」
はあ、とため息を付いて、僕は乾杯を交わした。
結局どうなるかは不明




