第三百八話 ヘンリーとシリルとユー 前編
「ふう……!」
ラスト。
渾身の投げが狙い通り空飛ぶウインドドラゴンの翼を引き裂き、ボトボトとデカいトカゲどもが地面へと落下していく。
ドラゴンの再生能力ならすぐに復活するだろうが、空では無類の強さを誇るものの、地上ではさほどでもない風竜であればあとは地上のみんなに任せておけば良い。
案の定、翼が再生する前に全てのドラゴンは止めを刺された。
「お疲れ様です、ヘンリーさん」
「ああ、お疲れ」
もう日が傾き始めており、これで今日の僕たちの仕事は終了だ。
今日も精力的に魔法をぶっ放していたシリルは、うっすらと汗をかきながらも満面の笑顔を浮かべた。
夕日に照らされるその顔が、僕にとって一番の報酬――というのはいささか気障すぎるか。いや、本音じゃあるんだけど、とてもではないがシラフでは言えない。
「? なにか」
「なんでも」
ちょっと照れくさくなって視線をそらし、僕たちの仕事の終わりに手を振ってくれている前線のみんなに目を向ける。勿論、手が空いているやつだけだが、こうして感謝されるはこの仕事のやりがいの一つだ。
……まあ、連中の感謝の対象は、十中八九がシリルオンリーだろうが。一応手を振り返しておく。
「で、今日の飯はなに作るんだ?」
「あー、そですねー」
城の中に引きながら、シリルに尋ねる。
毎回美味い飯を作ってくれるから、なにが出てこようが平らげるつもりだが、さてはて、今日は一体……
「……うーん、なんとなく今日はお疲れモードなので、今晩は外食にしましょう」
「お、そうか」
基本的に三食すべてを作っているシリルだが、たまにこういう時もある。
勿論、僕も文句はない。シリルの料理は美味いが、店の味もいいもんだ。それに、疲れている人間に無理くり料理させる趣味はない。
「まー、外食っつっても……わかってると思うけど」
「わかってますよ。お城の酒場ですね」
冒険者時代と違って、立場というものがある。
前々から予定をしていたならともかく、ちょっとした思いつきで城下のレストランに行くわけにはいかない。
しかし、案ずるなかれ。『城下』なら問題でも、『城内』であれば問題は少ない。
なんとこのリースヴィントの城には、従業員用の食堂の他、酒場もあるのだ。
往年のリースヴィントの城の敷地内にあったグランディス教会。そこに併設されていた酒場を、ちょいと規模を大きくしてつい先月開業したのである。
城の敷地に入れるだけの信用とか身分があれば一般の人でも呑めるが、もっぱら城勤めの人間の憩いの場となっている。
「それじゃ、折角なのでユーさんも誘いましょう。確か今日は、仕事の上がり私たちと同じ時間だったはずですし」
僕は、城で投げる時は大体ユーの強化魔導を受けている。
だから、ユーの診療所も城の敷地内にあるし、リーガレオ時代は宿暮らしだったものの、今の救済の聖女様は城に一室を持っている。
……僕とシリル、二人で一人の英雄扱いだが、そのために実際は僕はユーにかなり依存している感がある。ユーの都合がつかなきゃ強化ポーションキメて投げるんだが、やっぱそれだと物足りない部分があるし。
まあ、ともあれ。
その関係上、ユーのシフトは僕らは把握しているってわけだ。
「ヘンリーさん、いいですよね?」
「あー、うん。世話になってるし、たまには奢ってやるか」
「はいはーい。では少々お待ちを」
シリルが腕のリングを一撫でして、神器の『通信』の能力を使う。
しばし、やりとりの時間があり、
「ユーさんもオッケーですって。汗を流したら現地集合で。『いいのをご馳走してくれることを期待していますよ?』とのことです」
「……あいつ舌肥えてて、たけーの呑むんだよなあ」
ま、いいか。
ガヤガヤと、まだ日が落ちて間もないのににぎやかな酒場の入り口を開く。
……そうすると、どよ、と一瞬のざわめき。
「今日はプライベートで来たので、気にしないでくださーい」
注目の的であるシリルは、慌てず騒がず対応する。
まあ、ほとんどが城の人間。公的な場でなければ基本的に気さくなこいつの性格はよく知られており、すぐに自分たちの話に戻った。
一応、いつも家の前を守ってくれてる護衛の騎士さんは帯同してくれているが、不埒者が現れたら多分この店の全ての客がそいつの敵に回るだろう。
と、酒場を見渡すと、奥まったとあるテーブルに座っているユーが、手をひらひらと振っている。
「あ、すみません。僕らあっちのユーと一緒です」
テーブルに案内してくれようとしたウェイトレスさんに一言断り、そのテーブルに向かう。
「お疲れ様です、ヘンリー、シリルさん」
「おう、お疲れ、ユー」
「お疲れ様です!」
挨拶をして、席につく。護衛の人は壁際に直立不動の体勢で立った。
酒は流石に……だが、適当に飲み食いしていいのに、と思って視線を向けると、『お気になさらず』とでも言うように首を横に振られた。
ちょっと気が引けるが、この人もこれが仕事だ。僕が口を挟むものでもないだろう。
「ところでユー、注文は?」
「まだ。ときにヘンリー、私、このルネ・シュテルの十五年モノが気になっているんですが」
「おいおい……なんでこんな最前線にこんないい酒が?」
確か、前来た時はなかったぞ。
メニューを改めて見てみると、なんか色々品書きが増えてる。
「ふっふっふ、ヘンリーさん? お金は溜め込むのもいいですが、使ってもらわないと経済が回りません。ここは激戦区ですが、それだけに儲けてる人も多いので。嗜好品のたぐいは、ちょっとずつ増やしているのです。今は三大国の持ち出しが多いですが、もう一年もすればおんぶに抱っこ、みたいな状況からは抜け出せる試算です」
そ、そうなのか。経済……経済ねえ……ほら、こう、お金が云々って話だろ? 超わかる。ヘンリー理解した。
「どう見てもピンときていない様子ですが。で、ルネ・シュテルの十五年モノ、いいですよね?」
「……はあ、いいよ、もう好きにしろ。今日は全部僕が面倒見てやる。シリルはどうする?」
「私もルネ・シュテルで! あ、私は普通のでいいです」
……それも結構高い。
いや、ええい。なんだかんだ、金はあるんだ。たまの散財くらいよしとしよう。
「すみませーん」
僕は店員さんを呼び止め、二人分のワインと……そのワインと同じく、メニューに新登場していたフローティアンエールを注文する。人気の銘柄だけあって他のエールよりだいぶお高いが、この酒場にもこいつが並び始めたのは素直に嬉しい。
「えーと、料理もお願いします。このサラダと、チキンのトマト煮。豚のリエットとバゲット大盛りで。それとフライドポテト……これも大盛りで。えーと、二人は頼みたいもんあるか?」
「考え中です!」
「私はあとでいいです。……というか、頼みすぎじゃないですか? 三人だけなのに」
なにを言う。このくらい僕一人でペロリだ。今日も投げまくって体が食料を欲している。
「じゃあ、とりあえずそんだけで」
頼むと、素早い動きで店員さんが厨房に注文を伝えに行く。
そしてこれまた一分とかからず、飲み物が運ばれてきた。
……開店してまだそう時間も経ってないのに、結構素早くなったなあ。立場的にプレオープンにも招待されたが、そん時は今の店員さんも慣れていない感じだったのに。
「それじゃ、乾杯といきましょうか」
「おう」
「はい。……あ、ヘンリーさん、今日はあの恥ずかしい前口上はやめてください!」
恥ずかしい……ああ、あれか。
「いいじゃん。『我らが麗しの女王』さん。今もそこら中で言ってるし」
酒場とくれば当然である。二度三度と乾杯する連中もいて、毎分のように聞こえし、本人がいるからこっちにジョッキを向けている連中もいる。
「身内に言われると恥ずかしさが十倍なんです! もう、前来た時はこんなかけ声なかったのに」
「あはは。そうですね、割と最近ですよ、流行りだしたの」
しかし、さてはて。そうすると、
「おう、ユー。僕らよりそういうの慣れてるだろ。いっちょ聖女らしい乾杯の挨拶を頼む」
「意味不明すぎます。なんですか、聖女らしいって」
「こう、神聖な雰囲気で、厳かに、神の言葉を代理で語る的な」
「……酒場で?」
「この雑然とした場を救済の聖女様の徳で清めてしまう勢いで」
はあ、とユーがため息をつき、テーブルの下で僕の足を蹴った。地味に痛い。
「馬鹿なこと言わないの。それと、救済の聖女はやめて。……じゃ、普通にね」
「はいはい」
ワイングラスを掲げ、ユーはもう片方の手でニンゲル教の聖印を切り、本人の言う通り普通の口上を並べた。
「ヘンリー、シリルさん。今日も一日お疲れ様でした。私も含め、たくさんの人の命を守る、大変責任ある仕事ですけど、明日も頑張りましょう」
「はい」
「おう」
僕たちもそれぞれ自分の杯を掲げ、
「では、乾杯」
重ね合わせて、高い音が鳴る。
そうして勢い、ジョッキの中身を半分ほど呑み干した。
疲れ切った体に、冷えたエールが浸透していきなんともいえない気分となる。まだつまみも届いていないが、ぐい、ぐいと爽やかな苦味のエールを十秒で空にした。
「また、体に悪い呑み方を……」
「最初の一杯くらい見逃してくれ。すみません、おかわりくださーい!」
呆れた様子のユーの説教を軽く躱して、次の一杯を注文する。
……そうして、ユーとの飲み会が始まった。




