第三話 熊の酒樽亭
「おっと、ここですよ、ここ。我が友人がやっている宿兼食事処。『熊の酒樽亭』」
「へえー」
あの後。
明日以降の予定をシリルとジェンドと打ち合わせ、今日の宿へとトーマスさんに案内されてやって来た。
でかい樽の看板を掲げた、いかにもな宿屋。少し古そうではあるが、きっちり管理は行き届いている。
「こんにちはー」
トーマスさんが先に入り、僕もあとに続く。
「あ、トーマスさん。いらっしゃいませー」
と、迎えてくれたのは、まだ十代前半と思われる女の子だった。
「ああ、こんにちは、ラナちゃん。ノルドのやつはいるかな?」
「お父さんは今厨房ですけど、呼んできましょうか?」
「お願いするよ」
「はーい。じゃ、テーブルにかけて待っててください。そっちのお兄さんも」
おう、と手を上げて彼女を見送る。
「あの子はラナちゃんって言ってね。ここの娘さんで、小さい頃から店を手伝ってて。今やもう、この店のアイドルですよ」
「あー、わかりますわかります」
そりゃ人気出るだろう。ちっと子供過ぎるが、ちょっとしたことでも満面の笑顔で接客してくれた辺り、ポイント高い。
やっぱ、殺伐とした冒険の後はああいう看板娘の笑顔で出迎えてほしいというのは、男冒険者なら誰しも思うことだ。もちろん、普通の仕事でも同じであろう。
しばらくして、ラナちゃんが戻ってくる。その後ろには……おおう、でけぇ。
やって来たのは、二メートルを超える巨漢。豊かな髭を蓄えている、威厳たっぷりの男性だった。まあ、着慣れた様子の厨房服を身に着けているせいか、威圧感のようなものはない。
「トーマスか。仕入れから帰ってきたのか」
「やあ、ノルド。久し振り。なにか変わったことはあったかい?」
「特には」
すごく仲が良さそうだ。トーマスさん、年下の僕にも丁寧な態度を崩さない人だったが、口調がすごく砕けてる。
「それでノルド、今日はお客さんを紹介しに来たんだ」
じろり、とノルドさんとやらの視線が僕を見据える。
「あ、あー。こんにちは、ヘンリーといいます。よろしくお願いします」
「ノルドだ」
無口な人である。
どう切り出そうか、と思っていると、横に立っていたラナちゃんがノルドさんの脇腹に肘を当てる。
「もう! お父さん、もっと愛想よくしないと……っていっつも私言ってるよね!」
「……すまん」
「お母さんもういないんだから、ちゃんと接客も覚えて!」
母親がいない……? もしかして。
……いや、この時代、ままあることだ。来る途中に出くわしたワイルドベアの一群のように、突発的な魔物の発生は魔王の登場により増えている。
トーマスさんによると、この辺りはそうでもないという話だったが、そういう、不幸な話も皆無というわけではないのだろう。
と、僕は妄想をたくましくさせていたのだが、
「……ヘンリーさん。ノルドの奥さんは、今出産のため実家に戻っているんですよ」
「……そ、そうなんですか」
恥ずい。僕の変な妄想を見抜かれた。
「ええと、それでヘンリーさん、でしたね。って、わぁ! 勇士の冒険者さんなんですか。お強いんですね!」
「ああ、まぁね」
ふふん、と少し得意になる。ここらへんは勇士を見る機会が少ないから言っているのはわかる。あと、このちょい過剰なヨイショはこの子の接客術だということもわかっている。
まあでも、ヨイショしてくれるならされておけばいいのだ。損をするわけでもなし。
「えっと、それでお宿の方ですか?」
「うん。ちょっとあって、拠点をこっちに移そうかなって思っててね。そのうちアパルトマンでも借りると思うけど、しばらくは宿暮らしになるから、トーマスさんに紹介をお願いしたんだ」
「それはそれは、トーマスさん、ありがとうございます」
「いやいや、ここは本当にいい宿だからね」
またまた~、と照れるラナちゃん。
「あ、それで何泊されます? トーマスさんの紹介なので少し割り引きますが、三連泊以上だともっとお得ですよ」
ちら、と壁に張り出されている宿の値段を見る。
通常宿泊は、朝飯付きで六百ゼニス。三連泊以上で、五百五十ゼニス。
流石にリーガレオよりだいぶ高い。あそこは冒険者を居着かせるため、宿に国の補助金入ってたしなあ……
まあ、そのリーガレオでしこたま稼いでいるので、別に支払いを戸惑うほどの値段でもない。
「とりあえず、五泊で」
「はい、それでは切りよく一泊五百ゼニスで、二千五百ゼニスいただきます」
「はいはい」
バッグの中から財布を取り出し、二千五百を渡す。
「はい。じゃあ、お疲れでしょうし、早速お部屋に案内しますね! お父さん、少し下、一人でお願い」
「ああ」
「笑顔でね!」
「わかった、わかった」
渋い顔になるノルドさんを、ラナちゃんは叱りつける。ノルドさんはぎこちなく笑顔を作るが、残念ながら似合ってない。
しかし、ラナちゃんにとっては違うのか、『うん!』と頷いていた。
仲のいい親子である。
「それでは、ヘンリーさん。私も自分の店のほうがあるので、これで」
「あ、はい。紹介、本当にありがとうございました」
「いえいえ。できれば、うちの店にも寄ってください。割引は出来かねますが、良い商品をお見せしますよ」
丁寧にお辞儀をして、トーマスさんが去っていく。
「さっ、ヘンリーさん、付いてきてください」
「わかった」
ラナちゃんに先導され、階段を登る。案内されたのは熊の酒樽亭の三階、右奥の部屋。
「ヘンリーさん、これが鍵です。普通のお宿だけど、勝手がわからなかったら聞いてください」
「あいよ。ありがとう」
ラナちゃんから鍵を受け取る。これから忙しい時間帯なのか、ラナちゃんはパタパタと去っていった。
ドアを閉め、ベッドに腰掛け、荷物を下ろす。
「あー、疲れたー」
そのまま、お日様の香りのするベッドに倒れ込んだ。
いや、体力的にはまだまだ余裕があるはずなんだが、街道の護衛、初めての街の散策、初対面の人とのお話と、色々と気疲れした。
だけど、まあ、うん。
「自由だーーー」
ぐいー、と腕を伸ばす。
街全体があくせくしていて、イケイケドンドンなリーガレオと比べ、この街ののんびりした空気は実に安らぐ。
いや、あっちの喧騒もそれはそれで楽しかったけどね。やっぱ、僕はこういう空気の方が性に合う。
「くぁ……ふぁあぁ」
大きなあくび。着替えくらいしようかな、とも思ったが、まあいいかとそのまま目を瞑る。
そうしてしばらく。僕の意識は睡魔に導かれ、眠りへと落ちていった。
階下から聞こえる喧騒に目が覚める。
リーガレオでは、週四で魔物が夜襲してきて、そのうち二回に一回は駆り出されていたので、僕の眠りは基本浅い。
そのうち、この癖も直していこう。
「くあ~~」
欠伸を一つして、窓の外を見る。もう日がとっぷりと暮れていて、街には明かりが灯っていた。
くしゃ、と寝癖が付いているであろう髪の毛を撫で付ける。
喉の乾きを覚えたので、胸元のペンダントを意識して呪文を唱える。
「《水》」
ペンダントトップのサイコロ型の石の一面が少し輝き、僕の目の前に水が生成される。
お行儀が悪いが、空中に浮かんだそれを飲む。これ、意外とコツがいるんだよね。
「……あ~、呪唱石のメンテ頼める店も探さないと」
僕はあまり魔導は使わないほうだが、いざとなったときに《癒》が使えないとかなったら笑えない。
まあ、それはおいおいでいいか。リーガレオ出る前にメンテはしたし。
胸元の呪唱石をなんとはなしにいじりながら、僕は部屋を出て階下に向かう。
階段を降りるごとに喧騒の音は大きくなっていき、一階に降りると人がごった返している酒場が広がっていた。チェックインした時のフロアの様子からは考えられないほどにぎやかだ。
和気藹々とジョッキを傾ける人たち。みんな笑顔で、実に旨そうに飲み食いしている。
……腹が鳴ってしまった。
「あ、ヘンリーさん」
「ラナちゃん。飯と酒もらいたいんだけど、席あるかな?」
「はーい! ちょっと待ってくださいね、カウンター、すぐ片付けますから」
片手に四つ、両手で八つのエールのジョッキを器用に持っているラナちゃんが、人の隙間を縫いながら配膳していく。
テキパキとした動きは見てて気持ちがいい。
その後、まだ片付いていないカウンター席に向かい、皿やら空のジョッキやらなにやらを瞬く間にまとめ、厨房に運んでいく。
そしてすぐに戻ってきて、布巾でカウンターを拭き、椅子を整えて僕の方に声を張り上げた。
「ヘンリーさん、こちらでーす!」
「はいよー。あっと、すみません、通してください」
テーブルとテーブルの間を横になって通る。
カウンター席に座ると、さっとメニューが差し出された。
「決まりましたら――」
「フローティアンエールと腸詰め。後なんか適当にサラダで」
「あ、わかりました。エール、腸詰めにサラダは……熊の酒樽亭特製サラダのハーフをお持ちしますね」
「ん、オーケー、お願い」
ふふん、ラナちゃんが片付けている間、他のお客さんがどんな物を頼んでいるのか観察していたのだ。
ぱっと見、腸詰めを頼んでいた人が多いので、まあ外れはないだろう。
メニューをざっと眺めながら、エールが届くのを待つ。
「お待ちどう!」
「おっと、ありがとう」
エールを運んで来てくれたのはラナちゃんとは別の、ウェイトレスをしているらしきおばさんだった。
キンッキンに冷えて結露しているジョッキ。
ゴクリ、と自然に喉が鳴る。ぐいっと四半分ほど流し込んだ。
口内を吹き抜ける爽やかな苦味。喉を通り、胃に入る。
ふぅ、と息を一つ付くと、口に残るのはどこか花を思わせる香気。
この街特産のフローティアンエールは、中央の貴族にも評判の高い名産品である。
輸送の関係から、リーガレオでは気軽に味わえるモノではなかったが、こちらでは普通に親しまれているお酒のようでお値段はそれなり。
何を隠そう。後方に引きこもるのであればこの街以外にも沢山選択肢はあったのだが、僕がフローティアを拠点と定めたのはこの酒が三割くらいの理由を占める。
ここに来るまでしばらくアルコールを断っていたのもあり、ぐびぐびとつまみもないのに呑み干していく。
「ヘンリーさん、腸詰めとサラダです。エールのおかわりは?」
「もち、お願い」
「はーい」
おつまみの皿が運ばれてきた。
腸詰めは、ボイルされた立派な大きさなのが三本。サラダの方は、野菜とハーブたっぷりのところにチーズが散らされている。
早速、腸詰めを齧る。
「お、っとあち、あち」
プチッとした歯ごたえとともに、熱い肉汁が溢れ出した。噛むと、塩と香辛料、そして圧倒的な肉の味。これはライスが進むだろう。しかし、僕にはライスの代わりに速攻でラナちゃんが持ってきてくれたエールちゃんがいる。
肉の味が残っている間にエールを流し込むと、もはや僕の貧困な語彙では語り尽くせない旨さだ。
「はっぁ~~~」
味気ない食事の日々よ、さようなら。こんにちは、美味い飯のある生活。
サラダの爽やかな味とエール。腸詰め、エール。追加注文もバンバンする。
これが人らしい生活というものだ。事によっては、三日三晩くらい保存食齧りながら魔物と切った張ったするあそこは、やっぱりおかしかった。
僕は七杯目のエールを軽く掲げ、一人乾杯をする。
おめでとう、おめでとう、僕!
なお、この時点で僕はだいぶ酔っており。
翌朝は久方ぶりの二日酔いに悩まされるのだが。
それはまた次の日の話なので、次の日の僕に任せるとして、僕は元気よく八杯目を注文するのだった。
呪文の読みついては、同じ意味の単語を適当にギリシャ語とかラテン語とかエスペラント語とか、なんとなく語感のいいものに翻訳したものです。