第二十九話 アルヴィニア中央大学
ジェンドは、フェリスを口説き落とすことに成功した。
フローティアに来るかどうかは、僕は正直五分五分かなと思っていたが、そこもうまくいったらしい。『フェリスが付いてきてくれないなら、俺も王都に残る!』等とジェンドが抜かしたおかげらしい。
……あいつ、もしそうなったら、実家のこととか、ここでの生活とかどうするつもりだったんだろ。勢いだけで発言している気がする。
まあ、ともあれだ。
フェリスは、フローティアに来るだけでなく、僕たちのパーティに加入してくれるそうだし。万が一の大怪我が不安なところだった我がパーティも、盤石となった。フローティアにおいては、ちと盤石すぎるほどに。
なので、ジェンドの奴が白竜騎士団のお歴々に、ちょっと過激な稽古をつけられたのも、笑い話となろう。
フェリスの身辺整理に三日ほどかかるそうだが、問題はない。
ちょっとドタバタして忘れかけていたが、僕たちの真の目的はラナちゃんの大学訪問であるからして。……多分、一日じゃ終わらないしな。
「で、何時だっけ?」
黒竜騎士団の兵舎。洗面所の鏡の前で身だしなみを整えながら、僕はラナちゃんに尋ねた。
「今日の午後二時から時間を空けてくれるそうです」
例の教授から返事の手紙が昨日届いた。
手紙を届ける役目の使いっぱしりの学生さんが、宛先の住所と実際の建物を何度も見比べていたのはちょっと可哀想だったが。……うん、入り辛いよね、普通に。
「菓子折りでも持っていったほうが良いかな」
「あ、それはフローティアで見繕ってきましたから。フローティアクッキー。ティオ?」
「ん」
ラナちゃんに言われ、隣にいたティオが鞄から菓子箱を取り出す。
フローティアクッキーと言えば、花びらの砂糖漬けを散らした焼き菓子だ。花と水の都らしい銘菓である。喫茶店で食ったことあるが、中々に美味かった。
「ラナ、ええと……頑張ってね」
「うん、ありがとう」
ティオが応援し、ラナちゃんがそれをにっこり受け止める。
「そういや、ティオは午後どうするんだ? ジェンドとシリルはフェリスの荷物整理の手伝いに行ったし」
「グランエッゼさん達の訓練に混ぜてもらいます。……今日こそは、一本は取るので」
ティオは負けん気が強いなあ。でも、黒竜騎士団の騎士に勝てる冒険者っつーと、最低でも勇士レベルだから、そこまでムキにならなくても。
しかも、今日は若手は休みだから、ベテランしかいねえぞ。
「ティオも頑張ってね」
「うん。……符もたっぷり準備したし、叢雲流の強さを見せてやるんだ」
投げつけるだけで使える叢雲流の魔導。確かに、爆符を雨あられと投げつければなんとかなるかもしれん。
ま、結果は帰ってから聞こう。
さて、と。忘れ物もないし、身だしなみも学舎に入ってももおかしくないよう整えた。少し早いが、そろそろ出るとしよう。
「んじゃ、ラナちゃん、行くか」
「はいっ」
さてはて、この国の頂点に立つ叡智の城。どんなところやら。
「ええと、コンラッド教授と約束をしている、ラナと申しますが」
アルヴィニア中央大学は、おかしな人間が入ったりしないよう門番がいる。学生証を持たない人間は手続きをしないと入れない。
まあ、その程度であれば多少重要な施設であればよくあるが……門番はそこらの兵士やクエストを受けた冒険者ではなく、国の治安を守る栄えある緑竜騎士団の騎士が男女二人だ。この施設が、国にとってどれだけ重要なのかがわかる。
「はい、承っております。……しかし、お若いですね」
「えへへ」
照れるラナちゃんに、女騎士の目尻が下がる。
んで、僕の方には男騎士が来て、尋ねてきた。
「それで、貴方は?」
「彼女のご両親に、王都までの付き添いを依頼された冒険者のヘンリーです。保護者代わり……というほどではありませんが、お話を一緒に聞かせてもらって、ご両親にお伝えするつもりです」
「左様ですか。大学へ入るのは構いませんが、武器と呪唱石はお預かりしても?」
ああ、そりゃそうだよな。
僕は、首から下げた呪唱石と、腰に付けた如意天槍を鞘ごと預ける。
「はい。……失礼、軽くチェックさせていただきますね」
僕には男の、ラナちゃんには女性の騎士が付き、身体チェックをする。隠し武器、爆弾や薬品などの危険物。そういったものが万が一にも持ち込まれないようにだろう。厳重だねえ。
バッグの中もチェックされ、ようやく通してもらえることになった。
流石に学生相手にはここまでやらないだろうが、外部の人間は随分警戒されているようだ。
「申し訳ない。少し前に研究成果を盗み出そうとした奴が入り込みそうになってですね。いつもより厳しいんです」
受付台帳にサインをしていると、男の騎士さんがそう教えてくれた。
「そういうことですか。いえいえ、構いませんよ。行こうか、ラナちゃん」
「はいっ」
と、僕たちはアルヴィニア中央大学の敷地に足を踏み入れ……あ゛っ、
「ちょ、ちょっと待った。ラナちゃん、ストップ」
「? ヘンリーさん、どうかしましたか」
僕は受付に戻る。
「どうされました。なにか忘れ物でも?」
「いや、忘れ物と言うか……言い忘れていたんですが、僕が預けたあのナイフ、神器でして」
「はあ……」
うん、冒険者が神器の武器持ってる事自体は不思議ではないのだろう。なにが問題なのかと、男騎士さんがハテナ顔になる。
「それで……手元に引き寄せる能力があるんです」
手を差し出し、少し念じると、受付の中に保管されていた如意天槍が手元に現れる。
ついでに伸び縮みもするんです、と短槍サイズに伸ばしてみる。
「……マズイっすよね」
「え、ええ、困りました。正直にお話してくれたのですから、いつもであればお通ししても問題ないのですが。先程も言ったとおり、今は少し微妙な時期でして……」
まさか、こんなことで悩む羽目になるとは。
……まあ、敷地内に入ってしまえば、危険などないだろうし。ラナちゃんほどしっかりしていれば、僕の付き添いなど不要だろう。
しかし、仮にもクエストを受注した身として、いい加減な真似は……
「ん?」
「お」
と、そこで、大学前の通りで見慣れた顔が横切った。女連れで。
「……? ああ、そういえば、ラナちゃんの大学行きって今日だったか。頑張れよー」
「ちょっと待ってくれ、オーウェン!」
休暇でデート中のところ悪いが、ちょっと名前を貸してもらおうか!
流石は現役の黒竜騎士団の一員。オーウェンの保証とサインのおかげで、僕は無事アルヴィニア中央大学に入ることが出来た。
しかし、僕って意外と暗殺者適性高かったんだな。魔物相手はともかく、人相手なら非武装でパーティとかに参加し、如意天槍呼び出して要人をこうグサッと……
勿論、やるつもりは一切ないが。
「やあ、こんにちは、ラナさん。私がコンラッドです。はじめまして」
「はじめまして、コンラッド教授。ラナと申します。あ、こちらをどうぞ。私の街の銘菓なんです」
「ああ、これはこれは、ご丁寧に。後で、学生たちといただきましょう」
と、ラナちゃんが挨拶しているのは、柔和な印象を与えるお爺さんであった。とても大学の教授とは思えないのんびりした雰囲気の人だが、このアルヴィニア中央大学で教授職を勤めている以上、世界でも有数の頭脳を持つ人のはずだ。
「コンラッド教授、はじめまして。私は彼女の付き添いを依頼されてきたヘンリーと申します。どうぞ、お見知りおきを」
「ああ、どうも、どうも。黒竜騎士団の方とご縁がある方、ですよね。門番の方から連絡がありましたよ」
……まあ、伝わるよね。
「はは……今はフローティアを拠点にしていますが、少し前までリーガレオにいまして。グランエッゼ殿らと、協力することもあったのですよ」
「兵舎の部屋を貸してもらうほど昵懇の仲だとか。うちの学生が騒いでいましたよ。彼らは英雄ですからねえ」
うん、手紙を届けに来てくれたあの学生君から噂が広まったのだろう。
しかし、偉い人相手とは言え、こういう口調は慣れない。冒険者って、あまり上下関係ないし……
「さて、早速ではありますが」
と、コンラッド教授は、自身のデスクの引き出しを開け、十数枚程の紙の束を取り出す。
「あ、私の論文……」
「ええ、そうです。ラナさんには、是非この論文について、私にご説明していただきたい。例えば、気になっているのは、このページの数式なのですが」
「はい。あ、ちょっと待ってくださいね」
ラナちゃんはバッグから使い込まれた万年筆を取り出し、『どこですか?』と尋ねる。
「ええ、こちらです。途中式が一部省かれていますね?」
「ああ、ここなら……」
さらさらと、ラナちゃんは論文に注釈を書き加える。
ふむふむ、とコンラッド教授が頷く。
ちら、と視線を送ってみてみたが、そもそも使われている記号がわからん……
「ああ、確かに、これでぐっとわかりやすくなりましたね」
「独学では、他人に見せる論文の書き方がわからなくても仕方ないでしょう。では、こちらの証明文ですが……」
そうして飛び交う専門用語に、僕のおつむじゃおっつかない計算の話に、論文の表記方法に。
うん、ちんぷんかんぷんで、わけわかんねー。
しかし、まさかラナちゃん一人置いて、大学見物に走るわけにはいかないし。
退屈さに出てきそうになった欠伸を噛み殺しつつ、お話が終わるのを待つ。
そうして、一時間も経ったか。ようやく、二人の話が一息ついた。
「色々とアドバイスありがとうございます」
「いえいえ。清書ができたら、またお見せください。貴女のお名前で、学会に発表しましょう」
「え、ええ……それは」
「これは広く世に知らせる価値がある論文ですよ。クラッジ・ノインの定理の証明そのものは、今の所それほどの価値はありませんが、その解法には大いに見るべきところがあります」
大絶賛だよ、オイ。
「……ええ、と、じゃあ。お願いします」
「はい。……正直、最初にフローティアのシェリー先生からこの論文が送られてきた時は、わずか十四才の少女が書き上げたものとは到底信じられませんでしたが。お話させていただいて、納得しましたよ」
「それは、その……どうもありがとうございます」
ラナちゃんは少し困惑している。まあ、勉強は趣味っつってたもんな……大学の教授にここまで褒められて、戸惑うなという方が無理だ。本人的には大したことしてないつもりなんだろう。
「どうでしょう。試験も必要ありません……というか、今の一時間の会話で十分な学力は見せていただきました。私の研究室に所属してみませんか?」
コンラッド教授からのお誘い。
手紙でも、是非入学試験を受けてみてくれ、とあったので、まあ予想できた勧誘だ。
なんだかんだで、ラナちゃんは旅の道中も、どうするかずっと悩んでいた。
僕たちが黒竜騎士団の訓練に参加した日も、兵舎の部屋で考え込んでいたらしい。……あの日、訓練に行ったのは、一人にしたほうが良いかと思ったからでもある。
「私は……」
さて……どうなるのかね。
なお、作中の教授の論文への指摘とかは割と適当です。




