第二百六十一話 予兆
もう、新年の訪れも近くなったとある日。
今年最後の遠征より帰還した次の日に、僕とティオは七番教会にある貸し会議室で、テーブルいっぱいに広げた地図を前に作業をしていた。
「ティオ、三日目に野営したポイント、ここで合ってるよな?」
「はい。私のメモとも一致します」
「よし、いい感じに魔物を避けられそうだからポイント書き込んどくぞ」
僕が戦いの合間にちょこちょこ付けていた手帳と、ティオが同じくメモってた内容を突き合わせながら、地図――リーガレオを最北端とした南大陸の上部のそれを更新していく。
魔物の出現率は瘴気濃度によってあっさり変わるのであまりアテにできないが、戦いやすい地形や野営に適したポイント、魔物が暴れたりして発生した大きな地形変更などなど。
そういったものをこの地図に反映して教会に提出すると、馬鹿にならない報酬が出る。
僕たちにとっても、こうやって整理することで次回以降の遠征が捗るので、実は毎回やっている重要な作業だ。
「……で、今回の最終到達点はここ、か」
一通り今回の遠征のルートをなぞって、終端辺りを指差す。
十年前の魔国の侵攻によって滅んだ、南大陸最北端の国であった旧ヘキサ王国領の半ば、より少しいった辺り。
……正直、ここまで行けるパーティは、リーガレオの中でもそうそういない。
これはひとえに、ティオによって持ち込める潤沢な物資のおかげなわけだが、
「ううん……やっぱりフェザードまで行くのは難しいですかねえ?」
ぴょこ、と。
この作業が終わったら僕と一緒に出かけるからと、マッパー技能もないのにこの会議室に居座っているシリルが、僕の後ろから地図を覗き込んで呟いた。
「まあ……無理だろうな。僕たちの体力、気力的に、この辺りが多分限界」
この点においては、一番体力のないシリルと夜間警戒とかで負荷が高いティオが足を引っ張っている……という表現はアレだが、事実この二人の限界がこの辺りなのだ。
帰りのことを考えなければもっと行けるだろうが、そりゃ死ににいくのと同義である。
「アゲハ姉に聞きましたが、エッゼさんとリオルさんはフェザードの国境までは辿り着いたことがあるそうですが?」
「ほぼ運らしいけどな。その辺りになると食料とか持たないらしいし」
一番奥まで行けるのはあの二人のコンビなのだが、こっちの場合は持ち込める物資の限界がある。
「うう~ん……閃きました! 食料が問題なんだったら、こう、ポイントポイントでそういう物資を埋めておいて、それを補給してもらえばいいのでは?」
「シリルにしちゃいい線いってるけど、無理。人が手ぇ加えたところには、魔物は目ざとくてな。前に試したらしいけど、失敗したんだってさ」
「にしては、ってのは気になりますが、そうですか~。いいアイデアだと思ったんですが」
実際、国や教会も色々試している。僕らがちょっと考えたくらいで、いきなり妙案が出てくるわけもない。
「私なら、そろそろあの二人にも随行できるんじゃないかと思うんですが。それなら諸々解決するでしょう?」
「かもしれないけどなあ」
ティオの言う通り、今のこいつならエッゼさんたちの遠征にも付き合えるかもしれない。
そうすれば、物資の問題は解決し、フェザードの王都辺りまでは行けるだろう。いや、フェザードの国境を超えて魔国まで行けるかもしれない。
やったぜ、遠征が捗った、万々歳……となればいいが。
「でも、『…それで?』って話になるだろうな。いくら英雄が二人いるからって、そこまで敵の本拠地に近付いたら死ぬかも……死……死ぬかもしれないだろ?」
「思い切り悩みましたね」
「それはともかく。そこまで切り込んで……まあ、十年の間に変わった地形とかは確認できるかもしれないけど、それ以上得るものがあるかっつーと」
リスクに対して、これといったリターンがない。
以前会った魔王様曰く、魔族はそれぞれの街で生き残っているらしいので、そちらと接触できれば……とか思いはするが、連携も取れない人員が増えてもなあ、という気もする。
「うーん、うちの王都は、拠点化できれば、魔国と戦うのに丁度いい立地なんですが」
とん、とん、と、シリルが我らがフェザードの王都リースヴィントの位置をつつく。
まあ……魔国との距離的にもいい感じだし、国の首都だっただけあって攻めるに難く守るに易い地形ではある。
……そもそも、そんなことするための人員も物資も、どうやっても運べないけどな!
「ま、雑談はこの辺にしといてだ。ティオ、地図はこんな感じでいいか? 他になにかあるか?」
「いえ、こんなものでしょう。いい感じのポイント、今回は三つも見つけたので報酬も期待できます」
なお、これに関しては六割ティオ、二割僕、残りがみんな、みたいな割合の仕事なので、報酬の分け方もそれに準ずる。
「んじゃ、地図の提出に……」
「ああ、それなら私やっておきますよ」
と、僕の言葉を遮るように、ティオが言う。
「いいのか?」
「ええ、どうせ私、今日は教会の酒場で適当に呑んで帰りますので。貸し会議室の鍵も返却しておきます。……お二人はこの後デートでしょうし」
「今日はデートじゃないっつったろ。宿の買い出しだ、買い出し」
もうすぐ新年を迎える。
それに向けた諸々の準備のための買い付けをクリスさんに頼まれたのだ。
あと、年明けに星の高鳴り亭にやって来るフレッドとエミリーのため、空き部屋の家具の発注もついでにと押し付けられた。
……宿を新築してから入居者がいない部屋で、今はマジで家具が一つもないのだ。
「しかし、ティオ。お前……呑んで帰るって。まだ日も高いぞ」
「遠征上がりなんです。このくらいのご褒美はいいでしょう」
キャラに似合わず、鼻歌まで歌い出しそうなほどご機嫌に、ティオがテーブルの地図をくるくると丸めていく。
「……いいけど、下手なナンパとかに引っかかるなよ」
「はい、そこは弁えています。ご心配ありがとうございます」
……うん、勿論お前の心配もしてるんだけど。
もっと心配なのは、不幸にもナンパに成功してしまった場合の男の方なんだよね。そんなことがあったら、次の日には首無し死体が路地裏に転がってしまいかねん。
……いや、あいつもそこまで理性がないわけじゃない、はず。
そう僕は信じることにして。
教会の貸し会議室をあとにするのだった。
「おお~! 市場、なんだかいつもより賑やかじゃないですか!?」
馴染みの家具屋さんでフレッドとエミリーの入る部屋のベッドとかの発注を終え。
新年の準備のための買い出しに北門近くにやって来ると、思わぬ賑わいにシリルが感嘆の声を上げた。
「そりゃ、新しい年を迎えるんだからな。結界が働くようになる前も、この時期だけはいつも賑やかだったんだよ」
「ほほー、そうなんですか」
まあ、節目の祝いくらいしないと士気もたねーからな。
年末年始の時は、公金もぶっ込まれて奢侈品の類が輸送されていたのだ。
今は、ラナちゃんのおかげでそんな特別なことをする必要はなくなったはずだが、やはり売れ時ではあるわけで、並んでいる店もいつもより三割増しで多い。
でも、まだまだ増える。今は行商人がリーガレオにどんどん集まってくる時期で……?
「あれ、なんだか門の方賑やかですね?」
「ああ。なんだあ?」
危機を知らせる鐘が鳴っているわけじゃないので、別に魔物の襲撃とかそういう物騒な事態ではないようだが。でも、なんかあんまり聞いたことない感じの騒ぎだ。
「よし、行ってみましょう! もしかしたら有名な吟遊詩人が来ているのかも!」
「いいけど……まさかロッテさんのサプライズ訪問とかじゃないよな……」
興味を惹かれたシリルに袖を引っ張られるまま、北門の方に向かう。
……人が多すぎてなかなか進めなかったが、なんとかシリルを庇うようにして前に向かい。
ようやく、注目を集めているらしいところまでやって来た。
「こら! 見世物じゃないぞ。彼らが通れないだろう! 散った散った!」
北門の門番らしき人が、集まった野次馬をドヤしつけている。
その野次馬の一人であるところの僕はいささかバツを悪くしながら少し離れる。
……が、騒がしくなっている理由はわかった。
「? うーん、冒険者の人……ですよね? なんかたくさんいますけど、なんで騒ぎに?」
遠巻きに、門のところにいる人を見たシリルが疑問符を浮かべる。
「おう。シリル、あの人たちが掲げてる旗に注目」
「旗? って、ホントだ。ええと、車輪? ですか」
うーん、うーん、とシリルは数秒悩み、ぽんと手を叩いた。
「あっ、思い出しました。確か五大クランの一つ、でしたっけ?」
「そうそう」
三つの車輪をモチーフとした紋章を掲げる冒険者集団といえば、かの有名なサレス法国の冒険者クラン『聖輪会』だ。
国から直接クエストを指名されるほどの実力者揃いで、ニンゲル教との繋がりが強く治癒士が沢山所属している。
更に、初心者救済を掲げていて、駆け出しを鍛える手腕についても定評があるクランだ。
英雄の一人、リザさんが率いるリーガレオの獣人のクラン『草原の牙』も含め、知名度や実力が抜きん出た五つのクランのうちの一つである。
「そっか。有名な人たちが来たからですか、この騒ぎは」
「ああ。こっちに拠点移すって噂は前に聞いてたけど、本当だったみたいだな。……ついでに、行商人のグループも護衛してきたみたいだし」
北門がいっぱいに開け放たれ、聖輪会の先導隊がまず通り、その後に商人の荷馬車が続く。要所要所のサイドをまた聖輪会のメンバーが護衛し、殿にクランの本隊が続く……といったところまで遠巻きに見届け、僕たちはそっと北門から離れた。
「いやあ、遠くからしか見れませんでしたが、強そうな人たちでしたねー」
「ああ。流石に装備もしっかりしていたし」
でも、初心者教導を謳う割には、見たところそれなりの実力者しかいなかった。さては、駆け出しの教育はこっちではできないと踏んで、クラン分けたかな? 聞いた話より人数少なかったみたいだし。
「私たちと一緒に戦うこともあるんですかねー?」
「あー、いや。多分、ほっとんどないぞ……」
……クランと十人以下の少数のパーティでは、戦い方も教会との関わり方も、資金力やら組織力やら何から何まで違うので、実はあまり関わることがなかったりする。僕らだと、個人的な付き合いがある黒竜騎士団の方がまだ組む機会が多いくらいだ。
「そーなんですか。そういえば、今までクランの人と一緒に仕事とかなかったですが」
「ああ。でも、治癒士が多いはずだから、ユーとかフェリスとかは関わることあるかもな。リーガレオの死傷率もぐっと下がるぞ、きっと」
「おおー」
リーガレオの環境――物流や結界の改善があったことで、この街の冒険者や兵士は劇的に増えた。今回の聖輪会の合流はそれを象徴する出来事だろう。
これがとある一人の少女の成果だというのが非常に……ひっじょうに恐ろしいが。
……体感だが、一陣から三陣まで、戦況には随分余裕ができている。
以前、セシルさんが魔王にダメージを与えた影響か、魔物の数自体も少ない。数は緩やかな回復傾向にあるが、まだ誤差だ。
多分、そろそろなにかしら次の手を打つのだろう。……勿論、一介の冒険者が教会や国の大方針を知るすべはないが、そういう雰囲気を感じ取っている同業者も何人かいる。
「さて、ちょっと寄り道しちゃいましたが、買い出ししっかりしましょう!」
と、シリルが気持ちを切り替えてそう口にする。
……まあ、そうだ。なにかあるのではないかと思ったとて、年始くらいは忘れてもいいだろう。
「ああ。……しかし、またやたら多いな」
買い物メモをざっと見て、げんなりする。
年末年始の過ごし方は、地域によって様々で。定番のごちそう、というのもこれまた出身地によって違う。
……できる限りその全てを再現しよう、というのが女将であるパトリシアさんの考えなのだが、必然、普段使わない食料やら調味料やらが大量に必要になってくる。
この時期の北門の市場ならあるのだろうが……こりゃちょっと骨だぞ。僕の知らないやつもいくつもある。
「ふふーん。私は、パトリシアさんと直接お話して、大体は聞いていますから! というわけで、買い物はシリルさんにお任せあれ。ヘンリーさんは荷物持ちよろしくでーす!」
「……へいへい。物理的に持ちきれる程度にしてくれよ」
僕は諦めてそう返事をし。
ゴキゲンな感じで市場を練り歩くシリルの後ろをついていくのだった。




