第二百五十四話 宿の仕事 前編
「ふぁぁ~。……っと、どうも。おはようございます、クリスさん」
遠征から帰ってきた翌日の朝……と呼ぶにはもう遅い時間帯。
僕は大きなあくびをしながら一階に降り、星の高鳴り亭の受付でいつものように本を広げていたクリスさんに挨拶をした。
「眠そうだな。まあ、遠征帰りともなればそうなるか。一応、ゼストは朝食の時間には起きていたが、あいつもかなり疲れている様子だった」
「はい。他のみんなは多分昼までぐっすりでしょう」
体力には自信のある僕だが、四日も遠征に出ていればそれは疲れる。肉体的には勿論、周り中魔物だらけという環境に精神的にも大分キツイ。
シリルたちは勿論僕以上の疲労だ。
「ということは、当然今日は休みにするんだな?」
「ええ。今日、明日の二日はそうします」
遠征も三度目をこなしたとはいえ、やはりこれくらいは休みを挟まないと体が持たない。
……遠征から帰って半日休んでさあ一陣だ! みたいな糞みたいなローテをこなすこともあった昔には戻りたくない。
「ふむ、つまり、今日は暇を持て余しているわけだな? お前」
「……なんすか、クリスさん。休みだって言いましたよね」
その言葉に不穏なものを感じ、僕は思わず身構える。
「実はだな。昨日、ミラ・キール先生の新刊が出たのだ」
「……クリスさんがファンの作家さんですよね。で、それがどうしたんですか」
「おいおい、ここまで言えばわかるだろう。俺は、客どもに煩わされずに、新刊をゆっくりと読みたいのだ」
この人、本当に客商売している自覚あんのかなぁ!?
「つまり……あれですか」
「そうだ。今日、俺の仕事を代わってくれ。ああ、勿論駄賃は出してやる」
クリスさんはニヤリと笑う。
駄賃て……いや、うん。子供の頃は本当にもらっていた時期もあるんだが……
「はあ~~~。わかりましたよ。駄賃はいりませんけど」
「おう、そうか。悪いな」
おい、ワクワク気分が抑えられてない。悪いと思っている人の顔じゃねえぞ。
「っと、お前、朝飯がまだだったな。パティに言って、適当に持ってこさせてやる」
「はい、そっちはありがたく」
厨房の方にいるパトリシアさんにクリスさんはその旨を伝えに行き、戻ってくる。
「じゃあ後は任せた。お前がいた頃から仕事は変わってないから、なんとでもなるだろう」
「はいはい」
僕は適当に手を振り、一つため息をついて星の高鳴り亭の受付の椅子に座るのだった。
僕は、十二の頃からここんちで世話になっている。
子供の頃からクリスさん、パトリシアさん夫妻には大変世話になっており、宿の手伝いをすることも多かった。
んで、ある程度大きくなって実力もついてきた頃。
僕の休日とクリスさんの『読書の日』が重なったら、こうして受付を代行するようになったのだ。
戻ってきてからは初めてだが、受付内にある台帳やらなにやら、見覚えのあるものばかりなのでなんとかなるだろう。
勇士がほぼ一日拘束されるのに無報酬というのは通常ありえないが……こんなことで、恩を少しでも返せるのであれば安いものである。
面倒だけど……面倒だけど……!
「ごめんねー、ヘンリーくん。うちの人が」
「ああ、パトリシアさん」
……なんて考えていると、お盆を片手にパトリシアさんがやって来た。
「ったく、昔から本の虫なんだから。信じられる? 昔は私とのデートの時でも本片手だったのよ」
「あ、あはは」
その愚痴はもう耳タコである。ついでに、クリスさんのそれを、かなり強引な手口で是正したことも星の高鳴り亭に知れ渡っている。
「と、とりあえず、休みの日ならこのくらいお安いご用ですよ」
「ありがとう。じゃ、こっち、朝ご飯ね。まあ、今日のモーニングの残りを挟んだだけだけど」
パトリシアさんがお盆を渡してくれる。
載っているのは、分厚いチキンソテーと葉物野菜が挟まれたサンドイッチといつものスープ。
「どうも、ありがたいです」
「いいのよー。っと、じゃあ私は私で仕事あるから。こっちよろしくね」
そう言って、パトリシアさんは食堂の方に戻っていった。
洗い物やら、食材の発注やら、夜に向けての仕込みやら、パトリシアさんも色々仕事がある。
……かといって、大体いつもここに座っているクリスさんが暇なのかと問われると、実はそうでもないのだが。
そうでもないはずなのに、なんであの人いつも読書してる印象しかないんだろ。
「っとと。冷める前にもらうか」
パンは軽くトーストしているらしく温かい。ガブリと齧りつくと、冒険者向けに濃い味を効かせたチキンと野菜、それを受け止めるパンの味が口いっぱいに広がり、遠征の疲れが残っている体に染み渡っていく。
飲み込んだ後、独特の香りがするハーブを入れたスープを啜ると、ともすればくどく感じる味が洗い流され、自然と次の一口に手が伸びる。
バクバク、バクバクと。一斤分はあるサンドイッチを腹に収め、ふう、と僕は一つ息をついた。
「ただいまー……って、あれ、ヘンリー?」
食事が終わった丁度そのタイミングで星の高鳴り亭の玄関が開き、顔を見せたのはスターナイツのハロルドとヴィンセント。
「おう、おかえり。夜番だったか? お疲れさん」
「ん、ああ。……で、お前が受付やってるってことはあれか。クリスさんのあれか」
「そうそう。ほれ、鍵」
宿で預かっている二人の部屋の鍵を受付内にあるホルダーから取り出し、手渡す。
「サンキュ。……しかし、久し振りに見たな、受付のヘンリー」
「こっち帰ってからはやってなかったしな」
古参連中以外だと、ちとびっくりさせるかもな。
「……っと、ハロルド、ヴィンセント。洗濯屋さん来るの、あと三十分くらいだ。今着てる下着とか出すんなら早くした方がいいぞ」
「そうだったな。さっさとまとめてくる」
「あー、俺は次回でいいや」
星の高鳴り亭は洗濯サービスを提供していない。週二回、提携してる業者さんが来るので、そっちに依頼だ。
勿論、自分でやってもいいんだが……疲れでそんなことをする気力が残らないやつが多いのだ。勿論、単に面倒という人間も。
足早に自分の部屋に戻るヴィンセントを見送り、僕は先程食べた朝食の食器を厨房へと戻しに行くのだった。
さて、洗濯業者さんにものを引き渡し。
あまり宿に人がいない午前中に、共用部分の掃除を済ませることにする。
クリスさんみたいに生活魔導を使えるわけではないが、まあこれも子供の頃から手伝いで慣れている。ぱっぱと済ませていき、
「ふあ~~。あれ、ヘンリーさん~?」
丁度僕たちが住んでいる階の廊下をモップで拭いていると、寝ぼけ眼のシリルが起き出してきた。
「おはようさん。まだ眠そうだけど」
「おはようざいます。……って、ん、んん?」
なにやらシリルが目をこする。
「あれー、ヘンリーさんが掃除してる……そうか、夢ですねこれは」
「なんでだよ」
いや、確かに僕は面倒臭がりではあるが!
「だって、廊下とかっていつもクリスさんが魔導でぱっぱって掃除してますし」
「クリスさんの仕事、一日代わってるんだよ。あの人、今日は読書の日らしい」
「そうなんですか。でも、ヘンリーさん、大丈夫なんですか? 掃除とか」
確かに、サンウェストで、一緒に暮らしていた時は掃除の手際とかダメダメで、シリルに呆れられていたものだが。
「ここの宿の掃除の手順は決まってるから、基本その通りにやるだけだ」
「あー、成程。それで応用が全然効かなかったわけですか」
んぐ!?
「え、ええい、やかまし! とっとと顔洗ってこい」
「はぁい」
しっし、とシリルを追い払って、掃除に戻る。
……で、シリルのやつが契機だったのか、次々とうちのメンバーが起き出してきて、
「あれ、ヘンリーが掃除!?」
「ヘンリーさんが!?」
「……まさか、そんな」
おい、お前ら。
リーダーに対する認識を、あとでじっくり問いただしてやるからな!
「ふう」
一通りの掃除を済ませた僕は、パトリシアさんにもらった昼飯をかきこみ、受付の椅子に座った。
午後もまだまだ細かな仕事がある。帰ってくるみんなに鍵を返却したり、出入りの業者さんの対応をしたり、帳簿付けたり。
これからの動き方を考えていると、談話室でダベっていたハロルドとヴィンセントが『おーい』と声をかけてきた。
「ヘンリー。珈琲一杯頼む」
「ああ、クリスさん程の味は期待していないから、適当でいいぞ」
そして、茶類の提供も仕事のうちだ。
「わかったわかった」
しかしヴィンセントめ。僕の珈琲テクを馬鹿にして。
そりゃ普段は淹れないが、ここの仕事を任せてもらうに当たって、昔クリスさんから指導は受けているのだ。舐めるなよ――!
と、久し振り過ぎて若干もたつきながらも珈琲を淹れて、
「……豆が死んでいる」
ヴィンセントからは散々な評価を賜った。
「マジだ。昔はもーちょっとマシだったけど。……いや、代金は払うけどさあ。ちょっとヘンリー、反省しろ?」
「……うん」
あ、あれ、おかしいな。
自分の分も淹れたんだけど、確かにこう……苦くて、黒い、お湯? 珈琲ってこんなんだっけ、と疑問を抱くような出来上がりだった。
「他のやつが頼んだら、ちゃんと断れよ。この分だと、紅茶の類も駄目なんだろう」
「い、いや……そ、そうだ。今は買い物行ってるけど、シリルが帰ってきたらあいつに頼れば」
その手の技術は、あいつはスゲーぞ!
「おっ、いいな。他人の女とはいえ、美少女の淹れてくれた珈琲は魂が癒やされる。そういえば、お前らこないだ屋台出した時、茶とか出してたっけ」
そんなこともあったなあ。
などと思い出していると、星の高鳴り亭の玄関が開く。
さて、またぞろ誰かが帰ってきたかな、と視線を向けると、宿では見たことのない冒険者の男が三人。
「へえー! ここが英雄様の泊まっている宿か! でも、シケたトコだなあ」
「そうだな。でも、あの英雄、美人だし。ここにいりゃあお相手いただけるかもしれないぜ?」
「いいなあ! ま、それが目当てなんだけどな!」
……うわっ、面倒臭いのが来た。
宿に入るなり暴言をかます三人組に、僕は一応の営業スマイルを向けながら受付に向かい……内心深く溜息をつくのだった。
 




