第二百五十話 シリルと聖女とカジノ 前編
「ただーいまー」
我ながら疲れた声を上げながら、星の高鳴り亭の玄関を開ける。
時刻はもう夕飯も過ぎた頃。ただでさえ日が落ちてからリーガレオに帰ってきたのに、予想以上に教会での報告が長引いてしまってこんな時間になってしまった。
報告明日にしときゃ良かった、と若干後悔しながら、三日ぶりの星の高鳴り亭の中を見渡す。
「おっ」
ふと、談話室で友達と雑談をしていたアゲハがこっちに気付き、『よっと』なんて軽い調子で椅子からこちらへジャンプ。
くるり、と空中で一回転して僕たちの前に降り立った。
……十メートルは飛んでんのに、なぜ反動で椅子が倒れてないんだろう。
「よー、おかえりー、ティオ、シリル、フェリス。あとおまけの野郎ども」
「……誰がおまけだ」
アゲハの軽口に大げさに反応してはいけない。ただでさえ疲れてんのに、更に疲れるだけだ。ちょっと反射で喧嘩を売りそうになったが、我慢我慢。
「はい、ただいま、アゲハ姉」
「うんうん、怪我してないようでよかったよかった。どうだった、初めての遠征は?」
アゲハが尋ね、ティオが道中のあれこれを話す。
……そう、僕たちラ・フローティアはこの度初めての遠征任務を受注した。
前の大攻勢のあと、目に見えて魔国方面の瘴気が薄くなり、経験が多少足りなくてもなんとかなるだろうという判断だ。
いつもと違っている分、不測の事態が起きかねないから慎重に進んだが……拍子抜けするほどになにもなく、普通に魔物をぶっ潰して終わった。
ただし、遠征の経験も何度もある僕からすると、魔国領域に入っても以前とは明らかに瘴気の濃さが違う。薄すぎる。
この辺りは詳細に調査しておくこと、と教会から申し添えられていたこともあって、なるべく調べたが……その調査結果の聞き取りで、時間がかかってしまった。
まあ、恐らく僕たちの他の遠征組にも似たような調査を依頼していて。
集まった情報を元に、大方針が決まっていくのだろう。
……反撃に、転じるかもしれない。
その辺りの方針に僕たち一般冒険者が関われるはずもないが、心の準備だけはしておくつもりだ。
「そっかー、ティオはやっぱ活躍したかー」
「ああ。なにより、ティオの神器の恩恵は大きい。食料、ポーション、寝具、その他野営道具。欲しいものは全部持ち込めたからな。それに、休息時の周辺警戒もそつのないものだった」
「うんうん。この堅物がここまで手放しに褒めるのも珍しい」
「……誰が堅物だ」
ゼストの寸評に、アゲハがからからと笑う。
ったく。
「アゲハー。話もいいけど、飯と風呂を先にさせてくれ。みんな疲れてんだから」
「あー、そっか。了解。ティオー、またあとで話そうぜ」
「はい」
さて。冷めてしまっているだろうが、遅くに帰った冒険者向けに夕飯はちゃんと取り置いてくれているはずだ。
久し振りの星の高鳴り亭の飯、ゆっくりいただくことにしよう。
「はぁ~~~、さっぱりしましたー」
まだ体から湯気を立てながら、シリルは談話室で満面の笑みを零した。
美味い飯をたらふく腹に詰め込み、風呂で冒険の垢を洗い流す……僕も遠征明けのこれは大好きだ。
簡易ながら調理をする余裕は何度かあったし、温水で濡らしたタオルで体を拭くくらいはしていたが、やっぱり別物である。
「おう。じゃ、さっさと寝ろよ」
「えー、でもなんか目が冴えちゃって。ヘンリーさん、少しお喋りでもしていきません?」
「駄ー目ー。遠征で神経が昂ってるだけで、体は疲れてんだから。ベッドに入って目ぇ閉じればすぐ眠れるぞ」
遠征初心者にありがちなことだ。
四六時中完全に休まる時間というのがない状態が続くので、慣れてないとこうなる。
「むう、わかりましたよぅ」
「もうみんな、さっさと部屋に戻ったしな。お前も早くな」
僕は長風呂のシリルを待っていたのだ。どーせ、寝れないとか言うと思って。
ゼスト以外のみんなも同じような状態だったが、今頃は睡魔にやられているだろう。
「はぁい。……って、あれ?」
「ん?」
シリルが玄関の方に目をやったのに釣られてそちらを見ると……この宿の誇る英雄の一人が、帰ってきたところだった。
「ユーさん、おかえりなさーい」
ひらひらとシリルが手を振る。
それに気付いて、ユーがこちらにやって来た。
「シリルさん、ヘンリー。ただいまです。その様子だと、遠征、うまくいったみたいですね」
「おう、おかえり。まあ、こっちはボチボチってところだ。……それよりお前も、夜遅くまでお疲れさん」
ええ、とユーは頷くとともに、重いため息をつく。
……大攻勢からこっち、重傷の人間から先に治癒を進めていたが、あまりの怪我人の多さに診療所はフル回転。
フェリスの遠征行きもどうするか結構悩んだのだが、ニンゲル教から本業の治癒士の応援が何人も派遣されたおかげで、無理にフェリスに頼る必要はなくなった。
しかし、やはり替えの利かないポジションであるユーの仕事は、どうしてもなくならない。
大攻勢のあとは毎度のことといえば毎度のこと。こいつレベルの治癒士があと何人かいればいいのだが、無理な相談である。
「ええ。少々大変でしたが……今日で峠は越しました。おかげで、明日からは緊急の案件がない限り三日の休み。久し振りに思い切り羽根を伸ばすつもりです」
「わあ、そうなんですか! 私たちも初めての遠征ってことで、三日休養日を取る予定なんです。もしよければユーさん、一緒にどこか行きません?」
「いいですね……………………」
返事をして、不意にユーが沈黙。
何事かを考え込み、何故か僕に視線を向ける。
……あ、まさかこいつ。
「シリルさんがよければ、ヘンリーを護衛にして行きたいところがあるんですけど」
「? はあ、構いませんけど、護衛?」
「ええ。女一人じゃ少し危ないところなので。昔はよくヘンリーに付き添ってもらって行っていたんですが」
そこ、妙な誤解を招きそうなことを言うんじゃない。
ほら、思った通り、なんかシリルが怪訝な顔で僕を見てる見てる。
「……もしかして、いかがわしいところですか?」
「そうですね……まあ、そういう向きもあります。なので、シリルさんと付き合うようになったヘンリーには頼めないと思っていましたが、一緒に行くのなら問題ないでしょう」
気ぃ使ってくれてたのか。ユーが休みの日には三回に一回は付き合わされていたのに、一向に誘ってこないと思ったら。
……まあ、確かに。今の僕がユーとプライベートで二人きり、となると、色々いらん想像を働かせるやつも出そうだが。
「は、はあ。ええと、その、つまりどこに行くんですか」
「シリルさん。冒険者の娯楽といえば飲む打つ買うと相場は決まっています。でもお酒はここで呑めばいいし、男娼を買う趣味は私にはありません。つまり……」
賭場です、賭場。
と、戦場に向かうのとは別の真剣さでもって、ユーはニヤリと笑った。
……あ、なんか一瞬目が光った気がする。
翌日、午後。リーガレオ公営カジノにて。
「……赤! 赤赤赤赤赤、来いっ……っしゃぁ!」
ルーレットに投げ込まれた球がくるくると回転し……ユーの賭けた赤に止まる。
倍増したチップが戻ってきて、ユーがガッツポーズを取った。
「ふ、ふふふ。これは幸先がいいですね。ここは少し突っ込んでみましょうか」
最初だし、と赤黒で賭けてた癖に、いきなりユーが九番の一点賭けに走る。
そして流石にそうそうピンポイントで当てることができるはずもなく、それは外れ。
「んー! でも、隣の隣に落ちました。悪くない結果でしょう。……よし、次に行きましょう! カードにしましょうかね」
勢いよく、今度はポーカーのテーブルに目をつけたユーが立ち上がり、やれやれと僕はついていこうとするが、隣で観戦していたシリルが動かない。
「? シリルさん、どうしました。次はポーカーですよ、一緒にやりません?」
シリルは目を白黒させていた。
……いやまあ、気持ちはわかる。
「え、ええと。ユーさ……」
「シリルさん。出発の時にもお伝えしましたが、ここではティアと」
「……ティアさん、賭け事お好きだったんですか? その……変装までして来るなんて」
ティア、はユーの賭場用の偽名だ。ユースティティア、の後ろから取っただけの安易なものだが。
救済の聖女(笑)のイメージを壊さないため、ユーは賭場に向かう際はこうして偽名を名乗り、変装して、更に変声の魔導具を身に着けている。
まあ、気付いているやつもいると思うが、そいつらは無粋を口に出さない程度には慎みがあるらしく、今のところおおっぴらにはなっていない。
「それなりに、です。ふふ、少し興奮した姿を見せて恥ずかしいですね」
「あれが少しだったらオーガだって慎みがある方だろ」
「ヘンリー」
脇に肘を入れられた。
……シリルのツッコミなら痛くも痒くもないんだが、こいつの場合ちょっと痛い。
「まあその。うちの故国にはこういう施設はほとんどなくて。ものの試しにと成人した時に一度来てみたんですが……お恥ずかしながら、こう、ね?」
「こう、ですか」
「はい。まあ、あまり褒められた趣味ではないかもですが、別に違法というわけでもないですし。適度であればいいでしょう?」
うんうん、今ユーはいいことを言った。博打も適度であればいい。そう、負けたら次の日節約すればいいし、勝ったらいつもよりいい酒を呑む、そんな塩梅が娯楽というものだ。
しかしだね、
「……おい、ティア。お前、一体どの口が言うんだ、おい」
「う……」
僕のツッコミに、ユーが口ごもる。
「? ヘンリーさん、どういうことです」
「こいつが博打覚えた頃は、そりゃあヒドかったんだよ」
あの頃のユーは、引き時というものをまったく知らなくて。当時既に当代随一の治癒士としてしこたま稼いでいたくせに、貯金の一割を一晩で吹っ飛ばしたこともあった。
その頃から付き合わされていた僕が何度もうやめろと忠告しても『あと一回! 次で勝てるから!』と引かなかったのだ。
……と、ゆーよーなことを、シリルに解説してやる。
「ティアさんにそんな時代が」
「へ、ヘンリー。あまり人の恥ずかしい過去をバラすんじゃありません。……お前の恥部も公開するぞ」
勘弁勘弁、と手を振る。
なんだかんだ、久し振りに遊びに来れて機嫌がいいのか、それ以上の追求はなかった。
「過去の失敗談はいいとして……シリルさん、どうです? カード」
「じゃ、お付き合いします。昔ヘンリーさんにカジノに連れてってもらいましたが、その時はルーレットと賭け試合しかやりませんでしたし」
ほー、とユーが興味深げにニヤつく。
……ウザい。あの頃は別にシリルと付き合ってなかったし。
大体それ言ったら、お前と一緒に行ってたのも同じ扱いになるだろ。
「ほれ、行くぞ。……僕はカード弱いし、パスだ」
もうちょっと緩い雰囲気の所ならいいんだけど、冒険者の街だけあってここのポーカー卓レベルたけえんだもん。
と、ふとシリルとユーが小さく笑みを漏らし、口を開いた。
『ポーカーフェイスできませんもんね』
……てめぇら、なんでそこでハモる。
はあ……ったく。




