第二百四十八話 終結
リオルさんの警告の直後。
実際に魔物の勢いが倍近くになった後のことは、正直必死すぎてよく覚えていない。
とにかく、後ろで魔法を歌ってるシリルに敵を通すわけにはいかないと、腕が千切れる勢いで足の早い魔物から投げ槍で仕留め。
ジェンドとフェリス。あと、魔将がこの魔物の群れに乗じて逃げてしまい、そちらでの役割がなくなったゼストと奇跡的に合流できた後は、ほとんど休みなしの魔物退治だ。
一体何千――もしかしたら万いってるかも――の魔物を倒したのか、自分でもよくわからない。シリルは間違いなく万超えている。
そうして、夜になって。
ティオの鞄に在庫が豊富にあった各種ポーションの類も、ほぼ底をつき。
一発で致命傷……という事態こそなかったが、治癒士であるフェリスがいなければ死んでたレベルの負傷を男性陣が全員三、四回ぐらい食らい。
そろそろ一時撤退か、と判断に悩み始めた頃。
すぅ、と。
……魔物たちは、整然と撤退していった。
いつもの大攻勢なら、三日、四日くらいはぶっ続けて戦い続ける。たまにこうして引くこともあったが、あくまでそれは率いている魔将の作戦で、完全に魔国まで下がることは通常ありえない。
……まあ、ありえないと言えば。ここまでの魔物の密度も、僕が経験した限り初めてなんだが。
で、結局。
上空で魔物を迎撃していたリオルさんが、間違いなく完全に魔物たちが撤退したことを知らせ。
……今回の大攻勢は、終結を見たのだった。
そして、警戒の人員を残しつつ、前に出ていたみんなが次々とリーガレオに帰っていく中。
――その日、勇者は帰ってこなかった。
帰ってきたのは翌日の、もう夜遅くである。
「やあ。星の高鳴り亭のみんなに、ここにいるって聞いてね。来てみたよ」
……と。生死も定かではなかった勇者が、僕たちが借りているレンタルルームに、右手を上げながらやって来た。
「ティオちゃんの成人祝いだって? ごめんね、お祝いの途中にお邪魔して。っと、俺からも、おめでとう」
そう。僕たちは、昨日中断してしまったティオの成人の祝いのパーティーの続きをしていた。
ラ・フローティアの面々にラナちゃん、アゲハという昨日集まったメンバーだ。
大攻勢で亡くなった人も多いのに不謹慎だと眉をひそめる人もいるだろう。
しかし、一晩経って大攻勢が完全に収まったことを確認できた今、過度に気にするのはこの街の習いではない。
いつ、自分が死ぬ立場になるのかわからないのだ。
その時、生き残った仲間が自分のせいで辛気臭い空気のままというのは……今生きているからこそ言えることではあるが……嫌なもんだ。
……まあ、あとは折角作った料理を無駄にするのもなんだし。
で、んなこたあ今はどうでもよくて!
「セシルさん!? 手、どうしたんです!?」
そう。
シリルが突っ込んだ通り、セシルさんの片腕……今、上げている右手ではなく、左手の方は前腕の半ば辺りからバッサリ切れていた。
……別に、リーガレオはこういう街だからそういう負傷者がいないわけではないが。
まさか、あのセシルさんが。
「はは……魔王に不覚を取ってね。実は、ここまで帰還が遅れたのも、昨日『夜になったから帰る』なんて言い出したあいつを、魔国まで追っかけていたからで。結局、俺の体力の限界で逃しちゃったけど」
軽い口調で言っているが、よくよく見るとセシルさんの言動は憔悴の色が酷い。
一昼夜戦い続けてもいつもピンピンしている勇者とは思えないほど疲弊している。
……って、だから今はそういう話をしている場合じゃないんだって!
「説明はいいですから! 血は止まってるみたいですが、治療しないと! フェリス!?」
「ああいや、大丈夫。俺も自前で軽い治癒はできるからね。切断面が『死なない』ようにしているし」
ごそ、と。セシルさんは無事な方の手で、腰に括っている道具袋を漁る。
セシルさんの標準装備。僕の持ってる空間拡張ポーチと同じメーカーの、最上位モデル。
そこからにゅっ、と取り出されたのは……な、なんか魔導かなんかで氷漬けにされた、腕?
「これこの通り、腕はちゃんと回収している。まあ、これだけあったところで、並どころか導師レベルの治癒士でもどうにもならないだろうけど」
「……ユーがいますからね」
あいつにかかれば、くっつけるのは簡単……とまではいかないまでも、まあ普通の治癒の範囲だ。
勿論、本来であれば『国一番の~』とかのレベルの治癒士が、万全で臨んでも苦労する治療だが。
「……だったら、なおさらですよ。時間が経てば、ユーだってやりにくくなります。早くあいつのところに」
「いや、うん。星の高鳴り亭に寄ったのは君達のこともあるけど、まずは彼女を頼ってのことでね。でも、聞くところによると、二十四時間ぶっ通しで怪我人を治療し続けて、やっと眠れたところだって聞いたからさ。まあ、あと一日くらい十分持つし、寝かせておいてあげた方がいいかな、と」
確かにその通り。つい一時間ほど前……僕たちがこのパーティーを始めるためレンタルルームに向かうその時が丁度ユーが帰ってきたところだった。それまで、ユーはずっと負傷者の治療にあたっていた。
同じく怪我人の治療にあたっていたフェリスがここにいるのは、ユーより五時間ほど早く開放されたからだ。
……ユーしか対応できない怪我人がそれだけいたということで、文字通り粉骨砕身で頑張っていたらしい。その安眠を妨げるのは気が引ける。
だがしかし、だ。
「……今すぐ星の高鳴り亭に戻って、ユー叩き起こして治療させてください。僕が許します」
「ゆ、許すんだ? ていうか、ヘンリー君は許可できる立場なのか……?」
「できる立場です」
フカシだが、断言する。
……っていうか、あいつの場合。自分しか治せない怪我人がいるのに、寝こけている方が後悔するタイプだ。僕がセシルさんを説得しなかったりしたら、逆にブン殴られかねない。
それに現実的な話。セシルさんがまともに戦えないと、真面目にリーガレオの防衛力は数パーセントは落ちる。特に魔将や……今回対峙した魔王みたいな超級を相手取る戦力という意味では、他に替えが効かない。
ユーには悪いが、踏ん張ってもらわないと。
「え、ええと。そういうことなら……お言葉に、甘えていいのかな?」
「はい」
僕は大きく頷きながら、セシルさんの背を押すように断言した。
まだ戸惑っている様子のセシルさんだが、納得はしたのか、『わかったよ』と嘆息する。……いや腕切れてるのに、相変わらずだなこの人。
「じゃあ、一つだけ伝えてから星の高鳴り亭に行くよ。そのために来たんだ。……君たちは、魔王と会ったんだし、聞いておいたほうがいい」
「伝えること……ですか」
ちら、と僕はレンタルルームにいるラナちゃんとアゲハに視線を向ける。
今回の大攻勢で初めて敵の首魁、魔王が前線に現れ、セシルさんと決闘していたことは公表されている。
しかし、それだけだ。その魔王がセシルさんの妹なんだとか、あの場での会話の諸々は秘密になっている。僕らも固く口止めされた。
アゲハは妹の件は知っているが、二人の前で聞かせてもいい話なんだろうか。
「あーん? なんだ、ヘンリー。アタシをジロジロ見て。このスケベめ」
「だれがスケベだ」
「お前」
掌底。躱される。手刀の反撃。真剣白刃……手刀取り。アゲハが動きを止めたところでローキック。アゲハは脛受け。
そこで少し間が空き、
「……なんで流れるように乱闘しているんですか! 部屋の中でやめてください!」
シリルの怒りが爆発した。
『だってこいつが!』
「シャラップ! 特に先に手を出したヘンリーさん。反省です、反省!」
ベシベシと叩かれる。
……いや、だって!
「あ、あはは。いいよ、ヘンリー君、気にしなくても。アゲハさんは年若いとはいえ英雄だし、ラナさんについてはリオルも見解を聞いてみたいと言っていたしね」
……セシルさんがそう言うのであればいいんだろう。
「まあ、まずはごめんなさい。大攻勢の途中で、いきなり魔物がガッと増えただろう? あれ、俺のせいだ」
「え……?」
「魔王……俺の妹リーフィを、胴のところで両断したらさ、下半身が瘴気に気化して。リーフィがそこから魔物を発生させたんだ。『勿体ないし』とか言ってね」
……いやいやいやいや。えっ、最後に見た時は滅茶苦茶押されているように見えたけど、両断したの?
「ああ、ちなみに、当たり前みたいにリーフィの下半身は生えてきたよ」
一瞬、倒したんだと思ったら生えてきたの!? いや、さっきセシルさんが魔王を逃したって言ってたから、倒してないのはそりゃそうなんだけど!
「……ちなみに、知ってるとは思うけど、魔将が死んだところで身体が瘴気に昇華したりはしない。図らずも、あの子が特別だってことはわかった。ま、そんなところ」
「そ、そんなところって」
「俺も、それ以上はわからない。リオルに事実だけは伝えたから、あとは頭のいい連中で考えてもらうさ」
じゃ、と。
セシルさんは来たときと同じく手を上げて、レンタルルームを去っていく。
呼び止めたかったが、さっさと治療に行ってくれ、と言った手前、引き止められない。そもそも、呼び止めても『どういうことですか!?』としか聞けないし、セシルさんもそれについての答えなど持っていないだろう。
「あーん? なんかあんま面白くなさそうな話だなぁ。だったら、ティオのお祝いの方が優先だな」
「アゲハ……お前……」
いやある意味ブレないその態度になんか安心するけど。もっとほら、こう、あるだろ?
「私は気になりますけど、多分リオルさんからお話が来るんでしょうし。今はこっち優先しましょう。ほらほら、ティオへの成人祝いのプレゼント、皆さん用意しているんでしょう?」
ラナちゃんはラナちゃんで図太い。大攻勢の喧騒に普通の人はビビるもんだが、昨日帰ってきた僕たちを出迎えてくれた時もケロっとしてたし。
……ま、まあ。下手の考え休むに似たり。
セシルさんも言っていた通り、詳しい考察は頭のいい人――目の前にその筆頭がいるが――に任せ、こちらはセシルさんの登場で中断していたティオへのプレゼント贈呈の時間といこう。
「じゃあ、そうだな。……シリール」
「はいはいなー。ふふーん、ティオちゃん、これはラ・フローティアのみんなで色々案を出し合って決めた、とっておきの品でしてー」
とりあえず。
……あの激闘を生き残った報酬としてはささやかだが、その日のパーティーを僕たちは存分に楽しむのだった。
翌朝。
「あー、ティオちゃん、付けてくれてるんだ」
「……あって無駄になるものじゃありませんから」
なお、僕たちの贈り物のブレスレット――『盾形成』の力を持つ魔力充填式の魔導具は、ティオも普段遣いにしてくれたようだ。
ティオを着飾らせたいシリルの要望で、オーダーメイド。高くついたが、能力だけでなくアクセサリーとしてもお洒落なものに仕上がった。
「ふふー、魔力切れたら私がドドーンと充填しますからね」
「ちょっと……くっつかないでください」
さて……とりあえず、ラナちゃんはもう数日滞在するらしいし。
今日も頑張るとしようか。
長引きましたが、本章はこれにて終了となります。




