第二百四十一話 その一日のはじまり
リーガレオの南門を出てしばらく行ったところ。
二陣と三陣の間辺りに、僕たちはやって来ていた。
「よし、この辺りでいいかな。どう思う、リオル?」
セシルさんが、周囲を見渡して呟く。
「うむ、周囲に他の冒険者は見当たらない。いいのではないか? ……しかし、ラナ君。改めてすまないね。城壁の近くだと誰かに見られる可能性がある……とはいえ、戦闘の心得のない君にこんなところまで同行してもらって」
「いえいえ。平気です。セシルさんが魔物をすぐ倒してくれましたし」
なおセシルさんは、ここにくるまでに襲いかかってきた魔物を、すべて一刀のもと断ち切ってきた。……それだけならまだしも、非戦闘員であるラナちゃんを怖がらせてはいけないと、魔物を発見したらなんか飛ぶ斬撃? で、数秒で仕留めている。
エッゼさんとかも似たようなことやってたが、上の人たちってこれがデフォなんだろうか……
「とはいえ、長居するのも良くないね。さっさとやってしまおう」
「ああ。ラ・フローティアの皆は周辺警戒を頼む。……魔物は勿論、他の人間が近付いてこないよう気をつけてくれ」
リオルさんの指示に、僕たちは頷く。
「じゃ、僕は南側を警戒。ジェンドは西、ゼストは東側。フェリスは北で……ティオ、お前は足を活かしてちょい遠めをぐるっと回っててくれ」
とりあえず、オーソドックスに全周警戒とする。この辺りの魔物なら、みんな一人でもそうそう遅れは取らない。危なそうだったら助けに行けばいいし。
「あれ、私はどうすればいいんですか?」
「シリルはここで通信役」
神器リンクリングは、こういう時にぴったりの道具だ。多少離れていても、シリルを介してお互いが連絡を取り合うことができる。
……それに、魔法使いのシリルはぶっちゃけ周辺警戒とか向いてねえし。
「成程、承りました!」
「みんなもいいか?」
それぞれが頷いたのを確認し、僕たちは散開した。
僕は、宣言した通り南側――魔国方面で、一番魔物が来る可能性が高い方面だ。
実力的にはゼストに任せても良かったんだが、あいつは遠距離攻撃手段がほぼない。ラナちゃんにあまり怖い魔物を見せたくないし、遠間から槍投げで撃破できる僕の方が向いている。
「……っと、早速か」
十ほどの魔猿の群れがこっちにやってくる。人間である僕に敵意を向け、突進――してきたが、連中が間合いに入る前に如意天槍をブン投げ、殲滅した。
討ち漏れは……なし、っと。
あのすばしこい魔猿を相手に、この距離から一発で群れごと殺れたっつーことは、ちっと腕上がったかな? 劇的な成長とかピンチでの覚醒とかは僕には縁がないが、日々の訓練は身になっているらしい。
でも、これで慢心してサボったりしたら、すーぐ腕は落ちる。逆に、ちょいと訓練密度上げるか。
……勿論、前と同じ轍を踏まないよう、シリルの相手をするのは忘れないが。
(ヘンリーさん。そちら大丈夫です?)
(ん、おう。魔猿が来そうだったけど、撃退済み。他の冒険者とかも見当たらない)
シリルからのリンクリングによる語りかけに、心の中で答える。
(了解です。えーと、伝言ですが、本当に魔物を生み出せるかどうか、念の為もう一度確認するそうです。ラナちゃんと私には絶対に傷一つつけないけど、逸れてそっちに行くかも知れないから気をつけて、ってセシルさんが)
セシルさんとリオルさんが揃っていてそんな事態になるとは、最上級が出てこようがありえないと思うが。
(わかった。一応気を付けておく)
(お願いしまーす)
後方に対する警戒の割合を増やす。
ややあって、背後の方に魔物の気配が出現……したと思ったら、すぐに消えた。
ちらりと後ろを見ると、上級上位のオリハルコンゴーレムが、脳天から一刀両断されて倒れるところだった。無論、下手人はセシルさんだ。
……普通であればコアを見定め、そこを狙って一点に集中した攻撃を繰り出して退治するのがセオリーの上級のゴーレムを、よくもまあ、あんな無造作に。
強くなった、とさっきは思ったが。ああいうのを見ると冷や水を浴びせられるっつーか。上は遠いなあ、と痛感する。
(セシルさん、発生した魔物への攻撃はすごかったですけど、やっぱりびっくりしてますねー)
(……そりゃそうだろ)
話で一度は納得しても、やはり実物を見ると驚くに決まっている。僕も自分の目で見ていなかったら、信じられない……どころか、実際に目の当たりにしたのに、明日になったらあれは夢だったと錯覚しそうなほどだ。それほど現実離れした光景だった。
(あ、本番いくそうですよ)
(わかった)
見込みが外れて魔物が発生しても、予想通り魔物が発生しなかったとしても、とりあえず今日の実験はここまでだ。
体力的には余裕だが、色々ありすぎて気疲れした。明日はティオの成人祝いのパーティーもあることだし、今日は早めに休んで――?
「うお!?」
突風めいたものが吹く。
……いや、勘違いだ。いきなり周囲の瘴気の感触が変わって、そんな風に感じただけ。
――って、そういうことなら今の実験と無関係なわけねえ!
最前線では瘴気の具合が変わることはよくあるが、ここまで急激な変化は初めてだ!
(シリル! どうした!?)
(え、ええと。予想通り、魔物は出ませんでした。見た目は何も起こってないんですが……セシルさんのところに瘴気打ち込んだら、なんかこう、空気がヘンな感じに)
嫌な予感がする。
そう感じたのは僕だけじゃなかったのか、
「全員、こちらに集まれ!」
リオルさんが集合をかける。
声の届く範囲にいる、四方を固めていた僕を含めたみんなはすぐに動いた。離れた場所で警戒していたティオも、シリルが念話で呼んだのか、こっちに来る姿が見えた。
「今戻りました! なにが――?」
「わからない。……が、警戒しろ」
周りの瘴気の雰囲気が変わった他は、何の変化も見られない。……が、リオルさんの言う通り警戒は必須だ。
「ラナさん、俺の側に。みんなには悪いけど、俺の近くが一番安全だ」
「あ、はい!」
セシルさんの呼びかけに、ラナちゃんが寄っていく。
……まあ、セシルさんの周囲の瘴気が原因かもしれない、ということを差っ引いても、この人の方がラナちゃんを守れるというのは正しい。
「ゼスト」
「ああ」
ラナちゃんはセシルさんに任せるとして、うちのパーティの他のみんなも、突発的な事態には経験豊富とは言えない。
いざって時、僕とゼストでカバーできるよう、立ち位置を調整する。
そうして、しばらく警戒する。
一分、三分、五分と過ぎ……やがて、瘴気の雰囲気が元に戻った。
「……なにも、起きないね」
剣の柄からは手を離さないまま、セシルさんが呟く。
「少し待て。上空から見てくる」
リオルさんが空へ飛び上がった。
「ラナ。これって予想通り?」
「ううん。魔物が発生しないとは思っていたけど、こんなアクションがあるとは思ってなかったよ。セシルさん、普段魔物と戦ってて、瘴気を利用した攻撃とかも受けているんでしょ?」
『誰かが操っている瘴気』自体が接触するのは珍しくはない、とラナちゃんは言っている。
……言われてみればその通りである。
「でも偶然とも思えないし。でも、今は元に戻ってるし。うーん」
ラナちゃんが考え込む。
……そうしてその後も、念の為三十分ほど警戒し続けたが、なにも起こらず。
上空から見ていたリオルさんも、特にいつもと変わったことは見つけられなかったらしく。
――気になることは気になるものの、その日の実験はそれでお開きとなるのだった。
「《光板》……っと」
自分の身長辺りに、光の板を二つ生み出す。
僕と、そして同じ役目を仰せつかっているジェンドはそれに飛び乗り、下に残ったゼストが寄越した『それ』を部屋の天井に結びつけた。
「……便利だな、おい」
「おう。空中に足場作るって、シンプルだけどこういうことにも役に立つ」
ニヤリ、と。本来なら台かなにかが必要な作業をさらりと終わらせ、僕は我ながら得意そうに笑う。
ここは昨日予約したパーティールーム。
今日はティオの成人の日……その宴のために、今日は朝から準備中なのだ。
そして、我々男性陣はこの部屋の飾りつけを仰せつかった。
テーブルにクロスを敷いたり、壁にマスキングテープで祝いの言葉やちょっとした絵っぽいのを書いたり。確か実家の部屋にはぬいぐるみを沢山飾っていたティオのためにプレゼントも兼ねたぬいぐるみを配置したり。
そんで、今部屋の天井にくくりつけたガーランド――華やかな造花がいくつもついた紐のおかげで、一気にパーティー感が出た。
「こんなもんか?」
「……いや、少し待て。壁に貼り付けたテープ、少しズレているのが気になる。時間が余ったのであれば直してしまおう」
几帳面なゼストに僕は内心呆れながらも、まあ成人の祝いは一生に一度のことだしと、手伝いにかかる。
「皆さん、こちらの調子はどう……わあ! なかなかいい感じじゃないですか」
ひょこ、とこちらに顔を出したシリルが、この手のことに関しては珍しく素直に褒めてくれた。
「あ、本当ですね」
「ねー」
一緒に覗きに来た様子のラナちゃんも感心してくれた。……まあ、
「大体の案はラナちゃんが考えてくれてたしなあ」
「おう。俺たちは手ぇ動かすだけだった。……店のポップとかは考えてたけど、こういうのとはやっぱ勝手違うな」
「なーんだ」
なーんだ、とはなんだ。僕たちも頑張ったんだぞう?
「そんでシリル。そっちの調子は?」
「万端です! 今は焼き上がったケーキを冷まし中ですが、もうすぐデコっていきますよー!」
僕たち男性陣が飾り担当であれば、シリルとラナちゃんは料理担当である。今ここに備え付けの厨房で料理の真っ最中だ。
さっきからいい匂いがしっぱなしで、どうにも腹が減る。
「っと、そういうことなら、そろそろティオを呼びにいったほうがよくないか。時間もそろそろだろ」
「ん、そうだな」
「……無念、テープはこのままか」
ジェンドが指摘したとおり、時計を見るともう良い時間だった。夢中になってたから気付かなかった。
なお、主賓のくせに手伝いを申し出たティオは、昨日と同じくフェリスと……パーティー参加のために休暇を取ったアゲハのやつに抑えられている。
そして、パーティーに参加する面子は以上だ。
このパーティールーム、結構広いのでユーとかも誘ったのだが、身内のお祝いに水を差すのもなんだと、辞退された。
……それを言えば、ゼストなんかごく最近パーティに入ったばかりで、これを機に親睦を深めようと参加してる。ティオも気にするやつじゃないし、ユーも遠慮することないのに。
「じゃ、僕呼んでくるよ」
「お願いします。そうですねー……あと三十分後に到着する感じで調整お願いします!」
「オッケー」
普通に歩いて丁度いい感じだな。
まあ、遅れそうになってもダッシュすれば、全然ヨユーで間に合うだろうし。
「ふふっ、ティオも喜んでくれるといいけど」
そう、小さくラナちゃんが笑う。
……そりゃ、間違いなく大喜びだろう。普段はあまり表情を変えないあのティオも、きっと顔を綻ばせる。
なんやかんやあったが、今日という日はきっといい一日になる。
そう確信して、僕はティオを呼びにいくため、星の高鳴り亭に向かおうとして、
――突然、リーガレオ全域に轟くような、警告の鐘の音が鳴った。
「!?!? なんですか、これ!」
当然、意味を知らないラナちゃんは慌てる。
……僕とゼストは何度も聞いて、シリルたちも知識としては知っている、警告音。
これは、魔将に率いられた魔物の軍勢の襲来。
――大攻勢を知らせる、この街で一番嫌われている音だった。




