第二百四十話 勇者と天才の邂逅
北門の外での実験のあと、僕たちは英雄セシル・ローライトの自宅へ向かっていた。
セシルさんの実験も街の外でやるのだが……あの人の家は南門からすぐのところにあるので、待ち合わせには丁度いいのだ。ついでに、ちょっと休憩もさせてもらう予定である。
稀代の英雄と若き天才の会合――とか銘打つと格好良いかも知れない。
「ほら、見えてきた。ラナちゃん、あれがセシルさんち」
エッゼさん率いる黒竜騎士団の兵舎、ユーが一応最高責任者のニンゲル教の診療所と並んでいる、勇者セシルの居城を指差す。
「え、ええと。その、すごい英雄さんなんですよね?」
「知名度だとエッゼさんの方が上だけど、タイマンの実力だと多分最強」
「その御方のお家にしては、そのぅ」
ラナちゃんの言わんとすることもわかる。セシルさんの家は、建物の応急処置とかに慣れてるこの街の冒険者であれば、一、二時間で作れるような掘っ立て小屋なのだ。
「奴の実績ならば、その気になれば内壁の中に豪邸の一つも建てられるのだがな。寝起きするだけだから、あれでいいと譲らん。まったく……英雄ともなれば多少の見栄くらいは張らないといけないのだが。そのために私は欲しくもない屋敷を建てる羽目になってしまったというのに」
リオルさんが愚痴をこぼす。
英雄の中の年長者同士だからか、なんとなく気安い感じだった。
「ま、まあでも。セシルさんがあそこに住んでるおかげで、助かった人も多いですし。俺も、夜番の時何度か緊急出動するセシルさんを見ましたよ。夜番する男冒険者にとっちゃ、ものすごくありがたい人です」
セシルさんと仲の良いジェンドがフォローする。
「へー、すごい英雄さんなんですねえ」
「ああ。ただ、治癒士としてはそういう無茶は控えて欲しいところなんだけど……無理だろうね」
素直に感嘆するラナちゃんに、フェリスが複雑そうに零す。
ラナちゃん以外のみんなはセシルさんの妹が云々という話を聞いている。気まずさに、ふと沈黙した。
「? どうしました」
「なんでも。でも、ラナちゃんのおかげで、そういうことも少なくなったんじゃないかな」
僕が昔いた頃は、魔物が壁を越えるごと――週四で夜間出撃して、昼間も誰よりも魔物を倒していたのだ。
週四の夜間緊急出動のうち、半分くらいしか参加していなかった僕とは比べものにならない負担だっただろう。
……いや、今の生活を鑑みてみると、当時の僕も大概ではあったが!
「それだったら嬉しいです」
ぱぁ、とラナちゃんが笑顔を見せる。
……うっ、普通に可愛い。不意打ちで不覚にも見とれてしまった。
確か、ラナちゃんの成人はティオの二ヶ月後だという話だが、これはきっと才能のことがなくても引く手数多……あたたたたた!?
「ちょーっと、ヘンリーさ~ん? 今、ラナちゃん相手に鼻の下伸ばしてなかったですか?」
「伸ばしてない伸ばしてない。耳引っ張るなシリル!」
ぐぅ、ヘンなところで鋭い奴め。
だけど、色目を使ったわけでもないんだし、単にちょっと可愛いなと思うくらいは勘弁して欲しい。……いや、単に構ってほしいから突っかかってきてるだけなのはわかっているんだが。
わしゃわしゃと、頭をやや乱暴に撫でながらシリルを遠ざけ、僕の耳に伸ばしている不埒な手を引き剥がす。
「むむう、もうちょっとお仕置きしたかったのですが、仕方ありません。これくらいで許してあげます」
「……ったく」
公衆の面前でなにをするんだか。
『二人は変わってませんねー』とラナちゃんが滅茶苦茶生暖かい目でこっち見てんぞ。他のみんなは……あ、いつものことと完全にスルーしてら。最近パーティに合流したばっかのゼストですら。
……そんなにいつもの風景と化してる? イカン、僕たちきっと、アレだと思われてる。そう、カップルの前にバがつくアレだ。
ちょ、ちょーっと自重しよう。あとでシリルにも話そう。
なんて、反省しているうちに、セシルさんの家の玄関前に到着する。
代表してリオルさんがノック……する直前、ドアは開いた。
「やあ、リオル。こんにちは。時間通りだね」
出てきたのは、当然家主のセシルさん。多分、僕たちが近付く気配を察して、開けてくれたのだろう。
ただ、その……ええ?
「ああ、こんにちは。……しかし、お前、相変わらず家の中でも完全武装しているのか」
「まあね。ほら、いざなにかあった時、装備を身に付ける時間で遅れたりしたら、悔やんでも悔やみきれないしさ」
そう、リオルさんの言葉通り、出迎えてくれたセシルさんは相変わらずの全身鎧にフルフェイスの兜姿だった。
……いやいやいやいや。
僕の戦闘服みたいに軽装ならともかく、自宅でこの格好はちょっとどころではなく変人である。大体、この格好だと日常生活でも疲れ……ないか、この人の場合。
「家や家具も傷つくだろうに」
「この家は見てのとおりだし、家具類は廃品に近いものしかないしなあ。……っとと、御婦人方もいらっしゃるから一応言い訳はしておくけど、ちゃんと清潔にはしているよ? 家も身体も」
まったく、とリオルさんはその物言いに呆れたように嘆息する。
「で、リオル。後ろのフードの子が例の?」
「そうだ。……が、挨拶は家の中でだな。それとセシル。私は人の気配など感じ取れないので、聞き耳を立てる輩がいないか、くれぐれも注意しておいてくれ。いいな、くれぐれもだぞ?」
「了解。……だけど、いくらなんでも大げさすぎないか? そりゃ彼女がいることが知られたら騒ぎになるだろうけど、歓迎されるだけで……」
「それが通用していたのはつい二十分前までだ」
は? とセシルさんが呆気に取られたような声を上げる。
……うん。ラナちゃんがいることだけであれば、セシルさんの言う通り万が一バレたとしてもなんとかなる。
でも、これから話すことは、控えめに言ってこの街をひっくり返しかねない。
さて、どうなるのかと思いつつ。
僕たちは、セシルさんに招かれるままに家に入るのだった。
「ごめんね、普段この家にお客様を招くことなんてそうそうなくて。適当な店で買ってきたものだけど」
と、セシルさんが飲み物とお菓子を振る舞ってくれる。
なお、小屋の大きさ相応に置いてあるテーブルも狭く、椅子も人数分はなかったので、男は立ちっぱだ。
「適当……ですか? これ、有名なところのじゃ」
「ありゃ、シリルちゃんは知ってたか。バレちゃ仕方ない。白状すると、ちょっと張り切ったんだ」
ぽりぽり、と兜の上からセシルさんが頬を掻く。
相変わらず、歴戦の英雄なのに気さくな人である。……他の人もそうだが、歴戦の英雄ってみんなこうなんだろうか。
「さて、まずは自己紹介といこう」
と、セシルさんが兜を脱いだ。
出てきたのは相変わらずの美形だ。兜で蒸れるだろうに、なぜかサラサラな銀髪と鮮やかな赤目。魔族の特徴としての青みがかった肌は、見慣れてないとちょっと不気味にも思えるが、そんなことは関係ない程に圧倒的な美青年っぷりである。
ほへー、と、少しラナちゃんも感心したようだった。
「はじめまして、ラナさん。会えて光栄だ。俺はセシル・ローライト。……一応、そっちのリオルや、君も知っているというエッゼ君らと同じく、英雄なんて称号を頂戴している。よろしくね」
「ご丁寧にありがとうございます、セシルさん。私こそ、英雄の方にお会いできて光栄です。ご存知のようですが、私がフローティアのラナです。こちらこそよろしくお願いします」
それぞれ丁寧な挨拶を交わし、二人はお互いにお辞儀をする。
そうして、ぱっとセシルさんは笑顔を見せた。
「いや、本当に君には感謝しかないよ。うん、あの結界をまともに働くようにしてくれて、ありがとう」
「あ、あはは……こっちに来て色んな人に同じこと言われてます。お役に立てたのなら嬉しいです」
もはやラナちゃんがこっちに来てから半ば定型になったやりとりである。
そうして、しばらくはひとしきり雑談を交わす。初対面だというのに物怖じしないラナちゃんに、普段から会話に飢えているというセシルさんの話は意外と弾んだ。
「それにしても、魔族の方にお会いするのはこれで二度目ですが、格好良い人ばかりですねえ」
「あはは、ありがとう。……でも、二度目って? 今北大陸に魔族はあまりいないはずだけど」
「戦争が始まる前、私が三歳の時にうちの宿のお客としていらっしゃったんです。カールさん、フローティアンエールが気に入ったらしくて、九杯もお呑みになって」
「よ、よく覚えてるね……」
だとか、
「へえ、じゃあラナさんはティオちゃんと幼年学校が一緒だったんだ?」
「はい。ちなみにティオは長期休暇の宿題を溜め込むクセがあって。最終日に片付けるのを手伝ってあげたりしてました。代わりに宿の手伝い申し出てくれたことがあったんですが、エプロン姿が可愛くてお客さんにも人気で――」
「ラナ、ストップ」
なんて、ぽろっとティオの過去が暴露されたりした。
なお、僕もフェザードの幼年学校時代は同じように宿題を溜め込んでいたので、ティオに向けて『わかるぜ』と笑顔で親指を立て、ウインクを飛ばした。すげえ嫌そうな顔された。
「ちなみに、ティオたちの活躍ってどうなんですか? どうも凄いらしいですけど」
「ああ。俺から見ても、彼らラ・フローティアの活躍は目覚ましいよ。一陣でももう立派にやっていってるし……なにより、魔将と戦って全員生き延びたパーティなんてそうそういない」
「へえ。ああ、ちなみにラ・フローティアってお酒の銘柄なんですよ」
「……考案したのはヘンリー君とティオちゃん、どっちかな?」
違いますぅ!
なんて、風評被害を食らいそうになって、反論したりした。
そうして、振る舞ってもらった茶と菓子も一通りなくなったころ、リオルさんが口を開いた。
「……さて、歓談もいいがそろそろ本題といこう」
「わかった」
それまでの朗らかな空気を引き締めて、セシルさんが頷く。
「その前に、セシル。家に入る前にも言ったが、周囲に人は? ……盗聴の魔導具の類がないのは私がわかるが」
「あ、ああ? うん、言われてたから警戒はしてた。大丈夫だけど」
念の為、僕も探っている。怪しい気配はない。
ラ・フローティアではその辺は今や随一であるティオも、一つ頷いていた。
「一応、俺外で見張っときます」
「俺も同行しよう」
と、厳しい顔になったジェンドとゼストが率先して行ってくれる。僕も――と、思ったが、三人もセシルさんの家の傍でたむろしていると逆に不審に思われそうなので、やめておいた。
「……本当になんなんだい? リオル、説明してくれ」
「今からする。……ときにセシル。私がラナ君に、お前が『魔将』に監視されているのではないか。もしや瘴気を感覚器官のように使っているのでは? という仮説を話したことは覚えているか?」
「あ、ああ。魔将に、ね。うん、聞いている。……まさか本当にそうだったのか?」
リオルさんが首を振った。
「それはこの後に確かめる。……が、ラナ君のその確かめる手段が問題だ」
心底真剣なリオルさんの様子に、セシルさんがゴクリと唾を飲む。
「……その手段って?」
「うむ。前提として、魔将や魔物が持つ瘴気と普通の瘴気では、魔物が自然発生するかどうかという点で大きく異なる。通常の生殖を除き、魔物の身体から別の魔物が発生したりはしないだろう? ……なら、魔物を生み出す術式を打ってみて、お前の周りで発生しなければそれは誰かの操っている瘴気だ」
リオルさんが早口で一息に説明する。
……うん、改めて聞いてもわけわかんねえ。そうすれば確認ができるということはわかるが、なぜ実現してしまった。
あまりにも呆気なく言われて、一瞬では飲み込めなかったのか、セシルさんは少しポカンとした顔になる。
「え、ええと? ……うん、まあ、言わんとすることはわかった。わかったけど、『魔物を生み出す術式』って、冗談は」
「冗談ではない。ついさっき、北門の外で試した。ワイルドベアが出てきたぞ」
一瞬驚愕したセシルさんだが、かぶりを振って、少し非難するようにリオルさんを見る。
「嘘を」
「つくわけがないだろう、こんなことで。……なぜこんなにも警戒したか、わかるな?」
……たっぷり、二十秒ほどの沈黙。
百戦錬磨。あらゆる理不尽な状況を経験し、それらをすべて打破してきた最強の英雄が、それだけの時間僕ですら容易に付け入ることができるほどの隙を見せ、
「……………………は?」
そう、一言だけ零した。




