第二百二十八話 シリルとの休日-リーガレオ編 前編
ラ・フローティアの休日。
休みの日の過ごし方はみんな思い思いだが、僕は大体シリルと過ごすか、訓練するか、適当な男友達と呑みに繰り出すか……辺りである。
そして今日は一番目。
とはいっても、別にデートに行ったりするわけではない。
「ふんふーん」
宿のシリルの部屋。ベッドに腰掛けたシリルは、鼻歌を歌いながら詩集を開く。
……別に、出かけるだけが一緒の時間の過ごし方というわけではない。シリルの体力的にも、ちゃんと休養を取らないといけない時もあるので、こうして部屋で二人でのんびりするのも定番である。
「よ、っと」
空間を上手く使っているのか、置いている荷物は僕より多いのに、妙に広く感じる部屋の床に腰掛ける。
そうして床が汚れないようタオルを敷き、僕は持参した冒険道具を取り出して並べていった。
如意天槍に手甲、脚甲といった装備類。ナイフ、遠眼鏡、グローブ、鉤爪、ランタンその他諸々の小物。
今日は、これらの品の手入れをするのだ。
あんまりかさばるものは無理だが、このくらいの大きさであれば部屋の中でもメンテできる。まあ、なんかフローラルな匂いのするこの部屋で、油を差したりとかはするつもりはないが。
「……ヘンリーさん、本当に色々道具使うんですねえ。あんまり見ないのもありますけど」
「ティオの鞄に普段は入れさせてもらってるんだ。まあ、そのうち使う時も来るさ」
しまいっぱだと、いざ使おうとしたときに壊れてしまっている可能性もある。普段使っている手甲とかも勿論丁寧にやるが、これまでロクに使っていないものも疎かにはできない。
昔は使用頻度の低い道具なんか、必要になった時だけ買ってた。ティオの神器のおかげで『いざって時、あったら便利かもしれない』程度の道具も用意するようになったのだ。
……ちょっと無駄な買い物が多かったかな、と反省しなくもない。
「でも、そんなにたくさんあると、手入れの仕方を覚えるのも大変じゃあ?」
「よっぽど特殊なモンじゃない限り、基本は似てるから大丈夫」
大雑把に革、金属、布とかの素材ごとの特徴を覚えて、あとはまあ慣れだ。
「シリルも、自分の装備の手入れくらいはしてるだろ?」
「私、道具とか使わないので装備だけですけどね。冒険用の服とかマントは、ゴードンさんに言われたとおりの手順で洗濯していますし。杖の方は……一応時々磨いてはいるんですが」
「あー」
シリルの杖は、精神集中を助ける希少な鉱物である青の虹水晶が先端に据えられている。
これだけを見るといかにも魔法使いの杖でござい、といった風情だが、そこは鍛冶英雄ゴードンの作。シリルが杖術も多少――まあ、下級上位くらいなら殴り殺せる程度という、リーガレオの冒険者水準だと本当に多少だが使えるということで、打撃武器としても立派な品に仕上がっている。
……でも、シリルが接近戦する状況って、割とパーティの緊急事態だ。
幸いにも今までそういうことはなかったので、魔物を撲殺して汚れが付いたり、杖が歪んだりなんてことはない。
「……今日はこの詩集を読んで過ごそうかと思っていましたが、手伝いましょうか? ほら、内助の功ってことで」
「慣れてないと意外と疲れるし、お前は今日はゆっくり過ごしてろって」
昨日、結構ハードな冒険だったしな。大人しくして、体力回復に努めてもらわねば。
「はい、わかりました。そういうことなら」
「おう」
それきり、会話は途切れ、それぞれの時間となる。
でも、寂しいってことはない。
後ろで、ぺらり、ぺらりとシリルがページを捲る音がして、それに耳を傾けながら手甲の手入れをしていく。
布で汚れを拭い、歪みや損傷がないかをチェックし、革部分を交換する。
……魔将とか最上級とかとやり合ってきたせいで、少し傷んでいるような気がするな。コンコン、と叩いた感触からして、まだまだ実用には問題はないが、今度ゴードンさんがリーガレオに来た時にメンテしてもらうことにしよう。
そうして右、左の手甲を手入れし、次は脚甲へ。
時々聞こえるシリルが詩集を読み進める音に、なんとなく落ち着くものを感じながら。
僕は、並べた道具の手入れを続行するのだった。
「……よし、終わりっと」
始めてから二時間ほどか。
一通りの作業が終わり、僕は立ち上がる。そして、凝った肩をほぐすように大きく腕を回した。あー、疲れた。
「あ、終わりましたか」
「おう」
振り向くと、シリルが詩集の中ほどに栞を挟んで閉じるところだった。
……?
「あれ、結構ページ進めてたのに、まだそんだけしか読んでなかったか?」
「二周目です。良い詩は、二度、三度と読み返すとまた新しい発見があって楽しめるんですよ」
そ……ソウデスカ……
出会った頃から変わらず、その手の感性に乏しい僕は若干の敗北感を覚える。
「ところで、まだちょっと早いですけど、今日お昼ご飯はどうしましょう。時間もありますし、私が作りましょうか?」
星の高鳴り亭は、朝、晩の飯と、希望者に対する弁当は出しているが、昼は料理を提供していない。外食でもいいのだが、シリルは結構な頻度で休日は昼を作ってくれる。
「いつも悪いな。じゃあ、頼んでいいか?」
「はい、お任せください! それではヘンリーさん、リクエストをば!」
フンスフンス、と鼻息荒くシリルが聞いてくるが、
「いや、なんでも「なんでもいいはなしで!」
……全部言う前にバッサリぶった切られた。
でも、こういう時にぱっと思いつかないんだよなあ。
ぐるぐると、僕はしばらく頭の中に流れる料理を吟味し、
「……じゃあオムレツを頼む」
「はい、わかりました! プレーンもいいですが、今回は具沢山にしましょう。どうですか?」
「ああ、いいよそれで」
それでは、行きましょう! とせっつくシリルに押され、僕たちは部屋を出て階下に降りる。
受付で、気難しそうな顔をして帳簿を付けているクリスさんに会釈で挨拶して、僕たちは食堂へ。
飯の時間帯は宿泊客一気に集まって騒がしいが、この時間は閑散としている。今食堂にいる人は一人だ。
「パトリシアさん。こんにちは」
「どうも」
「うん? ああ、シリルちゃんにヘンリーくん。こんにちは」
この宿の厨房の主。クリスさんの奥さんであるパトリシアさんは休憩中だったらしく、飲み物を手に食堂のテーブルについていた。
「この時間に来た……ってことは、またシリルちゃんが腕を振るうの?」
「はいっ、そのつもりです。厨房、お借りします」
「いいよいいよ。シリルちゃんは料理上手だし、道具も丁寧に使ってくれるから」
同じ料理を得意とする者同士、シリルとパトリシアさんは滅法仲がいい。レシピの交換とかやっているそうだ。
「で、今日はなにを作るつもり?」
「ヘンリーさんのリクエストでオムレツを。玉葱とかじゃがいもとか、色々入れるつもりです」
「へえ~、いいねえ。あ、食材はいつも通り好きに使っていいよ。その代わり、味見させてね」
はいっ、とシリルは元気よく頷く。
シリルが料理する時は、別途お金を支払ってここの食材を分けてもらっている。冒険者は基本健啖家で、どこの宿も食材は常に余裕を持って確保してあり、二、三人分の料理程度では朝晩のメニューに影響が出ることはない。
さて、話もついたようだし、
「んじゃ、料理している間、僕はちょっと体を動かしてくる」
回れ右して訓練場に向かおうとすると、ガシッ、と肩を掴まれた。
「ヘンリーさ~ん? 今日は一日、私に付き合ってくれる約束でしたよね?」
「い、いや。でも、普段はお前、料理は一人でやりたがるし……」
「今日は別です! 食材切ったり、食器出したり。手伝ってください」
はい……と、僕は観念した。
「? どーしたの、シリルちゃん。ヘンリーくんと喧嘩……じゃないっぽいけど」
「それが聞いてくださいよ。ヒドいんですよ、この人!」
ああ……広めたくないのに、広まってしまう。
「ヒドい……ね」
パトリシアさんの鋭い眼光が僕を射抜く。僕は思わず身を竦ませた。
……ガキの頃からこの宿に世話になってた関係上、ガチのマジで僕はこの人には逆らえない。昔から無茶するたびに折檻されていて、魂から上下関係を叩き込まれている。
「で、ヘンリーくんがどうしたの?」
「それがですね。ここ二週間ほどの休日、全部訓練にあてて、ちっとも私に構ってくれなかったんです!」
話しながら怒りが再び湧いてきたのか、シリルが僕を睨んでくる。
……この前、ゼストに宣言通り攻撃全部防がれて。
ちょーっと訓練不足を痛感した僕は、休みの日はほぼ一日中トレーニングをすることにした。疲れを残したら駄目なので、寝るのは早めにして……結果、シリルが『寂しいんですけど!』と憤慨したのだ。
今日一日、シリルとずっと一緒にいるから、と説得して勘弁してもらったわけである。
「ああ、そういえば。最近熱が入ってるなあ、とは思ってたけど」
「別にそれを否定するつもりはないですけど、それにかかりきりというのはいただけません。シリルさんに定期的にちゃんと構うのは、ヘンリーさんの義務なんですから!」
……いつの間にか義務にされている。
憤っていますよ! と全身で表現するシリルに、パトリシアさんは深刻な事情ではないとわかったのか、格好を崩して僕の方を見る。
「ヘンリーくん? シリルちゃんはこう言ってるけど、反論は?」
「……ないっす」
別に嫌というわけではない。その義務、甘んじて受け入れよう。
「じゃ、ちゃんとしなきゃね? シリルちゃん、ヘンリーくんは昔うちの厨房の手伝いもやってたから、下ごしらえとかは任せて大丈夫よ」
「えっ、そうなんですか。野外での料理ができるのは知っていましたが」
「子供の頃は宿代もままならなくてな……宿の仕事手伝って、オマケしてもらってたんだ」
色んな意味でクリスさんとパトリシアさんに頭が上がらない理由の一つである。
「なるほどー。では、協同作業と参りましょう。いきますよー」
「へーい」
「返事はちゃんと!」
「……はい」
そうして、パトリシアさんの好奇の目にさらされながら。
僕はシリルの手伝いを頑張るのだった。




