第二百十六話 祝勝会
真っ黒だった意識に、優しい歌声が響いてくる。
その歌声に導かれるように、ゆっくりと僕は覚醒していき……
「……うぁ」
目を開けて、軽く呻き声を上げた。
幸いにして昨日ユーが癒やしをかけてくれたから痛みはないが……全身を包む疲労感がヤバい。
昨日、ベッドに飛び込んでから今の今まで夢すら見ない熟睡だったのだが、まだまだ全快とはいかないらしい。
まあ、魔将を撃退した代償がこれくらいで済んでいるのだから、安いものではあるが。
ベッド脇に置いてある水差しでカラカラの喉を潤し、気合を入れて起き上がり身支度を整える。
今も聞こえてくる歌声に、あの人大丈夫なのかと心配しながら部屋の扉を開け、
「……おお。おはよう、ヘンリー」
「おう、おはよう、ジェンド、それにフェリスにティオも」
「ああ。とは言っても、もう昼も近いようだけどね」
「……不覚です、寝過ぎました」
と。
シリルを除くラ・フローティアの面子がほぼ同時にそれぞれの部屋から起き出してきていた。
「あふ……ぉはょぅございますぅ」
次いで、僕の隣の部屋のユーも寝ぼけ眼で部屋から出てきた。
魔将とはやり合っていないが、コイツもコイツで魔国からやって来た魔物の大群の撃退には協力したし、一陣に出てた連中の治癒を片っ端からこなしていたので、疲労度的には僕らと大差ない。まあ、こいつの尽力のおかげで、死者はごく少数で済んだ。
が。
「おい、ユー。馬鹿。疲れてるからって、服くらい整えてから出てこい」
「……おおっと、これは失礼」
寝間着のまま出てきやがって。しかもボタンが上から三つも外れていた。
それなりにある胸の谷間がモロに見えてたぞ。
……ジェンド、必死で目ぇ逸らしてるし。
僕は、戦いで装備が裂けたりして、これくらい見る機会は多かったから特にどうとも思わんが。
そうして、ユーが服を直した頃。僕らを起こした歌声の持ち主がゆるゆると曲を終了し……明るい笑顔で手を挙げる。
「やあ、おはよう、みんな!」
「おはようございます」
僕たちは異口同音に、廊下で歌っていたロッテさんに挨拶をする。
「いやー、昨日は色々ありがとうね! お礼って言っちゃなんだけど、モーニングソングをお届けしたよ。どうだった?」
「勿論最高でした! ……うっ」
例のテンションに入りそうになったフェリスが、足をもつれさせてジェンドに支えられる。
……いやお前、それは疲労が取れるまで取っとけよ。
「あーあ、無理しないしない」
「そう言うロッテさんこそ、体調大丈夫なんですか? 失血死一歩手前まで行ってたそうなのに」
「まあね。飯食って内気を整えて、造血を促したから」
……相変わらず謎な技術を持っているもんである。まあ、空元気というわけでもないようだし、それであればいいことだ。
「エッゼさんとかもですけど。上の人達は、ノリと気合で怪我を乗り切るきらいがあるから……」
治癒士としては複雑です、とユーがボヤく。
「まあ、それはいいじゃないか。さあさ、それより、しんどいとは思うけど下に行こう。今日の朝……もうお昼ごはんの時間だけど、食事はシリルがこしらえてくれたよ」
ふんふーん、と鼻歌を歌いながらロッテさんが階段に向かう。
「あ、じゃあ私は着替えてから向かうから」
と、ユーが一度引っ込む。
僕たちは重い体を引き摺りながらロッテさんを追いかけ……食堂に到着。
「あ、皆さんおはようございまーす! ちょうど今、準備が整ったところですよー」
そんな明るい声で。
皿を配膳していたシリルがニッコニコで手を上げた。
「おー、来たかー。起きるのおっせーよ、お前ら」
「……たるんでいるぞ」
既に席についていたアゲハと……なぜかいるゼストが文句を言ってくるが、こっちとしては、目に入ってきた光景に驚いて返事ができない。僕だけではなく、他のみんなも一緒だ。
ややあって、冷静さを取り戻し、おずおずと尋ねてみる。
「し、シリル? なんだこの、どこぞのパーティーかなにかみたいなご馳走の山は」
星の高鳴り亭の五、六人掛けのテーブルがいくつか連結され。その上には料理の山が唸っていた。
ローストビーフ、オムレツ、ピザ、豪勢なサラダにシチューにミートパイに揚げ物各種に海鮮のオーブン焼きに……なんかお高そうな酒もずらりと揃っている。
「ロッテさんが、奢るから、昼は祝勝会をしよう! って仰ってですね。これらの食材を融通してくれたんです」
「最初はどこかのお店に行くつもりだったんだけどね。『それであれば、不肖このシリルさんにお任せをば!』と、料理役を買って出てくれたんだよ」
そ、そういうことか。
確かに、あの魔将についての対策会議やらなにやらをするそうで、それに参加するエッゼさん、リオルさん、セシルさんとの詳しい話は明日。僕らは今日一日、休養に当てる予定だったので祝勝会自体は別に問題はない。
……でも、この料理の山。いつから準備始めてたんだ?
普段はシリルが先に起き出すと、隣の部屋なんで僕は寝てても気付くんだが、今日は熟睡しすぎて覚えてない。
「シリルさんは、昨日の戦いで疲れていないんですか?」
そう、そこが気になる。こいつも昼近くまで寝過ごしても、なんら不思議ではない……というか、普通そうなるはずだが。
「? はあ、まあ普通くらい? 私、あまり動いたりせず魔法撃ってただけですからねー」
「魔力を消耗しすぎると、体力がないのと似たような状態になるはずでは」
「あ、私、昔から一晩寝ると魔力系は全快するんですよ。勿論、ポーションとかで無理くり回復した訳ではないです」
むん、とティオの質問に胸を張るシリル。
……桁外れだとは思っていたが、ホント魔法使いとしての才能はすごいな、コイツ。
魔力も、人の持つ力の一つ。使いすぎると肉体も疲労する。そうなると、回復にも相応に時間がかかるのが普通なのだが。
僕たちより先に起きていた様子のアゲハとゼストも、全身気怠い雰囲気は隠せていない。元気いっぱいなのはシリルとロッテさんだけだ。
「なーなー、アタシは腹減ったー。ティオ、今は美味そうな料理の方に注目するべきだろー」
「う、うん。わかった」
従姉に言われ、ティオは困惑しながらもアゲハの隣の席につく。
「みんなも早く早く。冷めちゃう前に食べましょう!」
「お、おう」
シリルに促され、僕たちも席につく。
「お待たせしまし――って、なんですかこれ!?」
「あ、ユーさんもいらっしゃい! ふっふっふ、これらは私が今回の祝勝会のために、腕によりをかけて作った品々です。ほら、ユーさんもどうぞお席に」
「しゅ、祝勝会?」
少し遅れてやって来たユーが、戸惑いながらもシリルに手を引かれて席に付き、
「あ、ルネ・シュテルじゃないですか!」
……好物であるワインの銘柄に、目を輝かせた。大概現金なやつだよな、こいつも。
「お、そういやユー好きだったな。待ってろ、今日はアタシ機嫌いいから、酌してやる」
と、アゲハはワインクーラーで冷やされていたルネ・シュテルを一本手に取り、手刀で先のところを切り飛ばして開栓……開栓? する。
「ああん、もう。ワインはコルクを抜くところも醍醐味なのに」
「お前も酔うとたまにやるだろ。失敗してワイン瓶粉砕したこと、何回あったっけ。ひの、ふの……」
「……それはそれとして、祝勝会って?」
あ、逃げやがった。
「決まってるさ。魔将相手に生き残ったんだ。祝勝会くらい開いてもバチは当たらないだろうって思って企画したんだ!」
「あのー、ロッテさん? 私は魔将相手はほとんどなにもやっていないというか」
「細かいことはいいんだよ! 命の恩人だしね。今日、休みもらったんだろう? ほらほらアゲハ、やっちまいなー」
「あいよー。ほれユー、グラス」
ユーもそれ以上はなにも言わず、ふう、と一つため息をついてアゲハの酌を受けた。
「アゲハも飲んでみる?」
「じゃ、もらおーかな」
ユーの返杯をアゲハが受ける。
「ほらほら、皆さんもどうぞ。シリルさんがお酌しますよー」
「あ、ああ。……起き抜けに酒を呑むというのは、いささか罪悪感があるが」
「ま、こういう時くらいはな」
フェリスとジェンドのグラスにワインが注がれる。
ティオは……あ、高そうなウイスキーをいち早く確保して手酌してやがる。
「ヘンリーさんもワインでいーですか? フローティアンエールの樽も用意してますけど」
「……そっちのテーブルに置いてる樽、やっぱそうだったのか」
フローティアの街章が刻まれているからそうだと思ってたが。
「じゃあ、折角だから久し振りにフローティアンエールで。……でも樽一つ丸ごとは、ちょっと多すぎじゃ」
「なぁに、余ったら夜、適当に振る舞うさ。お裾分けってことで。ちなみに、厨房の方にもう三樽あるからね。この宿の冒険者くらいには行き渡るだろ」
ロッテさんがあっけらかんと言う。……いや、多すぎ。
まあ、ともあれだ。
それぞれに飲み物が行き渡り、祝勝会の開始の準備が整う。
ちといきなりのことに戸惑いはあるが……激戦を生き残ったのだ。これくらいではバチは当たらないだろう。
「明日から、昨日の後始末でちぃっと忙しくなりそうだけど。今だけはそれを忘れて騒ごうじゃないか。みんなグラスは持ったね!」
ロッテさんが音頭を取る――と、見せかけて、
「じゃ、ヘンリー! 乾杯の挨拶頼む!」
「えっ、僕ですか!?」
「参加者の半数以上が、お前さんをリーダーとするパーティメンバーだろう。当然だよ」
と、当然なのか……?
ま、まあ、大きな集まりならともかく、内輪だけの宴会だから、別にいいけど……
「あー、わかりましたよ。じゃあ……えーと、みんなで生き残れて本当に良かった。運も大きかったけど、紛れもない僕たちの実力だ。今後も頑張っていこう! 乾杯!」
みんなの声が唱和し。
グラスを打ち鳴らす音が、勝鬨のように響き渡るのであった。
すみません、少々忙しくてお届けが遅れました。
 




