第二百五話 三日目の朝
三日目の朝。
僕はいつも通りの時間に起床し、男子用の共用洗面所で顔を洗い、よしっ、と顔を叩いて食堂に顔を出す。
ここのモーニングはセルフ式である。いくつも重ねられている朝食のお盆を取り、すぐ隣の籠に山盛りになっているパンを四つ。
その後、沢山並べられている、料理が盛られた皿を一つずつ取っていく。
今日は……季節の野菜のサラダにいつものスープに茹で鶏、か。
朝食も、夕食と同じくおかわりは自由。……ここの茹で鶏は好物なので、今日は沢山食おう。
そんな感じに算段を立てつつ、最近定位置になりつつあるテーブルに向かう。先に起きていたらしいジェンドとフェリスが既に席についていた。
「よう、おはよう。二人とも」
「やあっ、おはよう、ヘンリーさん。今日も清々しい朝だねっ」
……基本、規則正しい生活をしているフェリスは、いつも朝は元気なのだが。今日は……もとい、昨日に続けて今日も、無駄に溌剌としている。
隣に座っているジェンドが、朝っぱらから辛気臭い顔をしているのとは対称的である。
「……ヘンリー、おはよう」
「おう。……元気ないな。ライブ飽きてきたか?」
ジェンドは、フェリスに付き合って、二日連続で午前午後両方のライブに参加しているのである。
参加した日で差が出てはいけないと、基本ライブのプログラムは同じ。違うのは、ゲストが参加する余興くらいなのだ。
そりゃ、四回も参加すりゃ飽きも来るだろう。
「いや、そこは思ったよりも、だな。シャルロッテさんは流石一流の吟遊詩人だよ。同じ歌のはずなのに、毎回楽しく聞かせてもらっている」
「そうだろうそうだろう。ジェンドもよくわかっているじゃないか!」
フェリスが手を叩き、うんうんと頷く。
恋人と趣味を分かち合えたのだ。そりゃ嬉しいだろう。
……うん、だからもうちょっとジェンドのことを慮ってやってもいいんじゃないかなあ。
「ただこう、やっぱり疲れる。普段の冒険とは別のところの体力を使っている感じだ」
「? おかしなことを言うな、ジェンド。そこはシャルたんエナジーで補完できるところだぞ」
「フェリス……悪いが俺、その謎のエネルギーを吸収できる体質じゃないんだ」
「なに!? それは治療が必要なんじゃないか!?」
必要じゃないです。
「ううむ……しかし、そうか。私の我侭にジェンドを付き合わせてしまっていたんだな。仕方ない、残念だけど今日は私一人で……」
「ああいや! 疲れはしてるけど、楽しいしな! 今日も勿論一緒に行こうぜ」
ぱっと顔を上げて、ジェンドが勢いよく捲し立てる。
見上げた根性である。ジェンドの未来に幸多からんことを願う。
「まあいいけどな。明日は初の一陣なんだから、疲れは残さないようにしろよ。いくら今魔物が少ないつっても、普段の二陣よりは出てくるぞ」
「い、いや、そっちは大丈夫だ。うん、今も体は元気だし」
「シャルたんの援護を受けての初陣……うん、不謹慎ながら、そちらも今から楽しみだ!」
……まあ、フェリスも、冒険の時までファン気分ではないだろう。フローティアの花祭りの時、フェンリル殺りに行ったときも自重してたし。
そうやって話をしていると、シリルとティオが揃って起きてきた。
「おはようございます!」
「おはようございます」
おう、と挨拶をして、朝食の攻略に取り掛かる。
僕は今日も今日とて一陣で防衛戦だ。栄養を取っておかないと、とてもじゃないけど持たない。
サラダを頬張り、酸味の効いたソースのかかった茹で鶏を齧る。そこへ焼き色も香ばしいパンを放り込み、スープで一息。
これを三度繰り返す頃には、朝食の皿は綺麗に空になっていた。
「おかわり行ってくる」
「ヘンリーさん、冒険中の食事じゃないんですから、そんなに早食いしなくても」
「わかってる、わかってる」
「ああ、もう。お行儀悪いんですから……」
たまに飛んでくるシリルの説教を聞き流しながら、再び料理の並べられた一角へ。
起きてくる連中も増えてきたので、少し時間がかかったが……丁度パトリシアさんが料理を補充したタイミングで取れたので、熱々を確保できた。
小さなラッキーにホクホクしながらテーブルに戻ってみると、テーブルに一人増えている。
「おはよう、ヘンリー。昨日は世話になったな」
「ああ、おはようございます、リオルさん」
昨日、一緒に一陣で戦ったリオルさんだった。
「でも、なんで朝っぱらから星の高鳴り亭に?」
「今日のロッテのライブの余興は私が務めることになっていると、昨日言ったろう。夜の――おっと、ネタバレは置いておいて」
例の花火とやらか。
……僕、昨日思い切りネタバレ食らったんスけど。
「まあともあれだ。それ以外にも私が協力する余興があってね。ついでなので、ロッテと一緒に行こうと迎えに来た」
ほうほう。
確か、ライブ開始は十時。今は……七時過ぎ。
「……時間には余裕を持って来たつもりだが、そろそろ準備を始めないと開始前の打ち合わせに間に合わないのだがね」
ふう、と諦めたようにリオルさんが嘆息する。
……その溜息が聞こえたのか、目を擦りながら食堂にロッテさんがやって来た。
「ぅぅおはよぅ~~~、みんな~~。ふっ、う、ふぁあああああ~~~~」
そして、挨拶一つするなり、遠慮なしにドでかい欠伸をかく。
『シャルたーん! おはよう!』
「うーん。みんな朝から元気だねぇ……ふぁ」
うちのフェリスを含む、ファンどもの挨拶に応えて。もにゅもにゅと欠伸を噛み殺しながら、ロッテさんは食事の列に並ぶ。
見た目、ふらふらと危なっかしい足取りだが、まああの人に限って問題はない……んだろう。今の体たらくを見ると微妙に信用できないけど。
「いやあ、一緒の宿だと、レアだと評判の寝惚けシャルたんに遭遇できていいなあ!」
「……そうだね」
割と有名な話だが、ロッテさんは朝が弱い。
……呼吸法で短い睡眠時間でも疲れが取れるとは一体なんだったのか。まあ、街中じゃなければすっぱりと目を覚ますそうだから、単にぐうたらなだけなんだろうけど。
「ロッテ」
「んん~? リオルぅ?」
さっさっさとトレイに食事を並べたロッテさんに、リオルさんが手招きをする。ようやく覚醒してきたのか、少しだけしっかりした足取りでロッテさんがこちらのテーブルにやって来た。
「おはよう」
「ぅおはよう。で、なに、朝から」
「まだ寝惚けているな? 今日はライブ会場まで一緒に行こうと約束していただろう」
ああそういえば、とロッテさんが頷く。
「そういやそうだったね。ちょっと待って、これだけ食べたら行こう」
「……行こう、ではない。せめて寝癖くらい直してからにしたらどうだ。いや、そもそも下に降りてくる前に髪くらい整えろ」
リオルさんの指摘通り、ロッテさんの髪は盛大に寝癖が付いている。
それもキュートに見えるのは流石といったところだが、はしたないと言えばはしたない。
「ええ~? いいじゃん別に。どうせ行きはフード被るし、会場入りしたらメイクさんに色々やってもらうし」
「私生活で自堕落なのは相変わらずだな。そういう問題ではない、淑女としての嗜みを指摘している」
リオルさんも、何度も忠告したことなのだろう。半分諦めの色が見えるが、それでも黙っていられない様子で説教をした。
……ロッテさんは、実は戦闘とアイドル活動以外、割と駄目人間なのである。
部屋の片付けもロクにできないので、多分星の高鳴り亭に借りている部屋は、今やもう惨憺たる有様になっていることだろう。たった三泊とはいえ、断言できる。
「う、ううーん、リオルは相変わらず口煩いなあ」
「説教してもらえるうちが花と思うことだ」
はーい、とロッテさんは生返事をする。……これ、絶対に次の日には忘れているやつだ。
「わかったなら、先に身嗜みを……もう、あまり時間がないか。致し方ない、動くなよ」
リオルさんが、愛用のステッキの先で軽く床を叩く。
ステッキに刻まれたアストラ式魔導の術式が起動し、中空に光の文字――クロシード式の術式を描き出した。
それが一つ瞬くと、空中に水の玉が浮かび上がる。
「……《水》?」
僕もよく使う、水を生み出す魔導。一体何を……と思って見ていると、その水は流動し、ロッテさんの頭にまとわりついた。
……当のロッテさんは承知していたのか、んんー、と目を瞑ってご満悦だ。
リオルさんは、更にステッキを二度、三度打ち鳴らす。
そうすると、ロッテさんに絡んでいた水が離れ、突如巻き起こった温風が髪を乾かす。更に見えない力場? のようなもので、ロッテさんの髪がとかされた。
おおよそ、数十秒の出来事。
終わってみると、ロッテさんの髪型はバッチリ決まっていた。
「ほれ、完成だ」
「ありがと。いや、相変わらずいい腕だね」
……英雄二人に注目していた星の高鳴り亭の冒険者は、みんなぽかーんとしている。
勿論、僕もだ。
「り、リオルさん。今の、なんです?」
「なに、とは面妖なことを聞く。見ての通り、魔導で髪を整えてやっただけだが?」
いや、だけだが、って。
そりゃ生活用の魔導もあるが、こんなピンポイントな使い方をするやつは見たことがない。すげー繊細なコントロールで、周りには水滴一つ散ってないし。
「便利だぞ? 私も忙しい身なので、時間のない時はこうやって身を清めている」
普段からやってんのかよ!
いや、流石は英雄、大魔導士……と、言ってもいいのか? すげえ微妙なラインじゃね?
「んじゃ、いただきまーす」
ロッテさんが、朝食に手を合わせる。
その辺りで、宿の亭主であるクリスさんがやってきた。
「リオル、おはよう」
「ふむ。お邪魔しているよ、クリス」
エルフ同士、この二人は割と仲が良い。
リオルさんの方が三十以上年上のはずだが……クリスさんが六十近く年下のパトリシアさんを嫁に迎えているように、長命種の人はある程度の年齢になると、あまり年の上下は気にしなくなるらしい。
「それで、話は聞いていたが、そこのアイドル様を待つ間に、珈琲の一杯でもどうだ?」
「ふむ……今、豆はどんなものを揃えている?」
「ホーリーレイク産のいいやつが入っている。そいつが引き連れてきた行商人から仕入れた」
くい、とリオルさんはロッテさんを示す。
「ほう! では、一杯いただこうかな。よろしく頼む」
「承った」
ひらひらとクリスさんが手を振って、去っていく。
「ふむぅ、楽しみだな」
そう笑って、リオルさんは鷹揚に椅子に腰掛け直した。
……こんな感じで。
ロッテさんのライブ、三日目の朝は始まった。




