第二百四話 星の高鳴り亭の夕暮れ
ロッテさん、ライブ二日目の夕方。
僕は、本日ペアだったリオルさんを置いて、一足先に帰ってきていた。
リオルさん曰く、
『この程度の数なら、私一人で十分だ。ヘンリーは先に帰って、教会へこのことを報告しておいてくれ。……杞憂であればいいが、なにか良からぬことの兆候かもしれんからな』
……とのことである。
その懸念は僕も十分に理解できたので了承。日が傾く前にリーガレオに戻ってきて、その足で教会へ報告に上がった。
グランディス教会はこのような事例の記録は積み重ねており、頭の出来も僕とは全然違う人材が豊富である。僕はなるべく私見を交えず、事実と、リオルさんの所感だけを伝えた。
これからどう対応するのか――あるいはしないのか、は教会の判断待ちだ。三大国の軍のお偉いさんも交えて結論が出るのだろう。
「……ん、っと。空か。クリスさーん? 珈琲おかわりもらっていいですか」
手にとったマグカップが空になっていることに気付いて、僕は注文の声を上げた。
受付で読書をしていたクリスさんが、はあ、と一つ溜息らしきものをついて本を閉じる。
「他に誰もいない談話室で、なにをするでもなく珈琲を飲むだけか。寂しい奴め」
「……思索に耽っている、とかどうでしょう?」
「普段やらないやつが、聞き齧った言葉を使っても滑稽なだけだぞ」
バッサリ切られた。いや、『とかどうでしょう?』って付けてる時点で、語るに落ちているが。
「まあ、珈琲は丁度俺も飲みたかったから、次の一杯はサービスにしておいてやる」
あざーす、と返して、僕は天井を見上げる。
早めに帰ってきてしまったせいで、どうも時間を持て余しがちだ。
昼寝でも、と思ったが、眠気はまるでない。
誰か他のやつがいれば、雑談なりカードとかの遊びなりで時間を潰せるのだが、大体の連中は一陣防衛のノルマをせっせとこなしているか、ロッテさんのライブ見に行ってる。もしくはライブを当て込んだ出店とか見に行っているのだろう。人っ子一人いない。
顎を手に乗せてまんじりと過ごしていると、クリスさんが湯気を立てるマグカップを持ってやって来た。
「ほら、お待たせだ。……そんなに手持ち無沙汰なら、お前もシャルロッテのライブを見に行ったらどうだ。今から行けばラストソングには間に合うだろう?」
「いや、自分から行かないって言った手前……それに、もう少し待てば人も帰ってくるでしょうし」
言って、クリスさんの珈琲を啜る……と、噂をすればなんとやら。星の高鳴り亭の玄関の扉が開いた。
「たっだいま帰りましたー!」
……この、無駄に元気のいい声は。
「シリル。それに、ユーにティオも。おかえんなさい」
見慣れたパーティメンバーと古馴染みの英雄であった。
ユーは確か午前のライブに参加して……そういや、午後はシリルと一緒に買い物に行くって言ってたな。
「あ、ヘンリーさん! ただいまです。……? あれ、でも、今日は冒険から帰るのお早いんですね?」
「ああ、まあな。ちょっとあって」
タタッ、と駆け足でこちらに来たシリルに答える。
「ふむ、よく帰った。ではな、ヘンリー。俺は読書に戻る」
「あ、はい。珈琲ありがとうございます」
クリスさんは、踵を返して受付の定位置に戻る。
そうして僕は、シリルの持つ『それ』を見て、
「……で、お前はまた、結構買ったな」
両腕にそれぞれでかい紙袋を一つずつ。しかも、パンパンに膨らんでいる。
「はいっ。ユーさんとティオちゃんと一緒に、色々買ってきました!」
「私も、こんなにショッピングを楽しんだのは久し振りです」
珍しく興奮した面持ちで、ユーが言う。
「ティオはどうだった?」
「……普通に、楽しんできました。アゲハ姉がいればもっと良かったんですが」
? そういや、昨日今日とアゲハの姿見ねえな?
「ユー? アゲハのやつどうしたんだ?」
「ロッテさんが来たあの夜の模擬戦以来、行方不明です。あの子のことですから、放っておけばそのうち帰ってくるでしょう。心配は無用かと」
……まあ、アゲハがメソメソ泣き寝入りしているところなど、想像もできないしな。
どうせ次のリベンジマッチに向けて、どっかで鍛えてんだろう。
「ま、アゲハのことはいいとして。シリルさん、ティオさん。あとで部屋で買った服を着てみて、お披露目会でもしませんか?」
「いいですねー! ……あ、ヘンリーさんは駄目ですよ」
「誰が行くと言った」
ったく。と僕は嘆息する。
「……ていうか、お前ら。なんで荷物を持って帰ってんの? ティオの鞄に入れりゃ一発だろうに」
ふと気になって聞いてみると、チッチッチ、とシリルが指を振る。
「わかっていませんねえ。帰る時のこの重みもまた、お買い物の醍醐味じゃないですかー」
そうなの? と、ユーに視線を向けると、当然だと言わんばかりに頷かれた。
「そ、そうか。わかった。……で、どんなのを買ってきたんだ?」
僕にはよくわからない理屈に曖昧に頷いて、話題を変える。
そうすると、シリルは我が意を得たり、と言わんばかりに手を叩いて、
「よくぞ聞いてくれました! 秋モノをあれこれと買ってきたのです。いやー、ロッテさんが連れてきてくれた行商人さんのおかげで、今年の流行りのやつが手に入りました! 今年はフリルの形がですねー」
お、おう。流行り……流行りか。うん、中身はわからんが完全に把握した。したんだって。
「し、シリル。その話はまた後でな。ち、ちなみに、ティオはなに買ったんだ?」
つらつらと説明するシリルに分の悪さを悟って、僕は別の人間に目を向けることにした。
「普段着を数点と下着を。最近胸が膨らんできたのでサイズが合わなくなって、まとめて……」
「ティオさん!?」
しー! と、ユーが口を塞ぐ。
……いや、遅え。全部聞こえた。
「ヘンリー! 今のは聞かなかったことにしなさい、紳士ならば」
「へいへい」
僕は肩を竦める。
……普段から面付き合わせているパーティメンバーの体型の変化など、そりゃ把握していたし、別になんとも思いはしないんだが。
「そういう、理由で、買ってたん、ですか……っ。……っっ!?」
「シリル、裏切り者を見つけたような目をするんじゃない。馬鹿者」
コツン、と軽く拳骨を落とす。
……胸のこと、気にしてたのかコイツ。男は拘るが、女自身はあまり気にしていないものと思っていた。
「ぐうぅ……。うう……………………わ、わかりましたよぅ」
非常に長い葛藤の後、項垂れるようにしてシリルは頷くのであった。
荷物を部屋に置いてきたシリルたちとともに談話室のテーブルを囲み、話をする。
階段を上る時はまだティオに複雑な目を向けていたシリルだが、今は落ち着いたようだ。
『私にもまだ未来がありますからね』と小さく呟いていたのは……聞かなかったことにしてやろう。
「それで、ヘンリーさん。今日のお帰りが早かったのは、一体なんでだったんですか? ヘンリーさんに限って、サボりではないと思いますけど」
「ああ、それな。一陣の様子がちょっとおかしくて……具体的には、魔物が少なかった」
理由を言うと、昨日僕と一陣に出ていたユーが思案顔になる。
「今日もですか」
「ああ。教会に報告は入れといた。明日には調査に乗り出すだろ。……もし遠征のクエストが出ても、まだラ・フローティアは無理だけどな」
「行こうとしていたら、全力で止めていましたよ」
と、警戒も顕に話をする僕とユーに、シリルとティオは首を傾げている。
「? あの。魔物が少ないのはいいことなんじゃあ?」
「勿論、短期的にはな。でも、普段と違うことが起こったら、警戒はしないと。良くないことがあったりするからな。例えば……奥の方で魔物が繁殖してたりとか」
魔物は瘴気を元に『発生』する。しかし、普通の生殖が可能な魔物もいるのだ。
で、放っておいて、気がついたら大量の魔物がー、なんて笑えもしない。あまり奥地だと厳しいが、近場に作っている巣は、見つけ次第対処するのが教会の方針である。
特にかつて南大陸最北端の国であったヘキサ王国領にあるフロート山脈は、竜がよく巣を作っており、繁殖期になると卵ぶっ壊してこいというクエストがよく発行されるのだ。
……と、いったことを説明すると、ふとティオが口を開く。
「竜の卵、ですか。……美味しいんですか? 前、ドロップの心臓は食べましたけど」
予想外のところに突っ込んできやがったな、コイツ。
「うーん。僕はその場でぶっ壊してきたからわからないけど……ユーは知ってるか?」
「美味しいらしい、という話はどこかで聞いたことがあるような、ないような」
ユーも困っている。
……いや、まあそりゃそうだよ。ただでさえ危険な竜の巣で、一抱えもある卵をえっちらおっちら運んでたら、卵を盗まれてブチ切れたドラゴン共に囲まれる。
そんなリスクを背負ってまで美食に走るようなやつはそうそういない。
……たまにはいる。そういう、自分の趣味とかポリシー最優先で、生き残りを二の次にするような馬鹿。
「なるほど。……では、私の当面の目標は、その竜の卵の目玉焼きで一杯やる、ということにしましょう」
こころなしか、ティオの瞳に決意の色が宿った気がする。
……ま、まあ、こいつの持つ神器の鞄があれば、確かにハードルはぐっと下がるが。ラ・フローティアが遠征で竜の巣に突貫するのは、いつの話になるのだろう。
「わー、面白そうですね。ティオちゃん、その暁には是非私にも味見させてください」
「大丈夫です。パチるなら、一個や二個で済ませるつもりはないので。……これは今からいいお酒を用意しておかないと」
お、おう。まあ、モチベーションに繋がるなら、別に否定はしないが。
「……目標立てんのはいいけど。それなら、明後日の一陣も頑張ってくれよ」
「ええ。任せてください」
最近膨らんできたという胸を張って。
ティオは、やる気に満ちた顔で頷くのだった。




