第二百三話 不審
夜中にふと目が覚める。
ロッテさんが食堂で歌ったり、『私もー!』とシリルが並んで一曲一緒に歌ったり。
賑やかしよろしくー、と無茶振りされた僕とジェンドが剣舞やったり。
それはもう大盛り上がりだった。騒ぎすぎて近所の宿からクレーム……というか、押し掛け客が来たくらいである。
そんな訳で、色々あったせいで頭が興奮しているようだ。感覚的にまだ寝入って二時間程度なのに、どうにも目が冴えてしまっている。
「んー」
ぐい、と体を起こす。
明日――もう今日だが――も一陣に出る予定なのだ。睡眠は十分に取っておきたい。
食堂にいって、残り物でも腹に詰めることにしよう。腹が膨れれば、少しは眠気も来るだろう。
そう考えて立ち上がり……窓から見える、星の高鳴り亭保有の訓練場に、誰かがいることに気付いた。
『ん?』
僕の視線に反応したのか、その人――ロッテさんはこちらを振り向いてニヤリと笑い……こいこいと手招きをする。
まあいいかと僕は窓を開け、夜の空気の中を飛ぶ。途中、一回転して着地。
「こんばんは、ヘンリー。夜更しかい?」
「ロッテさん、こんばんは。いや、なんか目が覚めちゃって。そういうロッテさんは訓練ですか?」
さっきちらっと見えたところ、型稽古をしていたようだったが。
「うん、そうそう。昼はアイドル業で時間が取れないからね。こうして空き時間を見つけてコツコツ鍛えてんだよ」
「……こんな時間に動いて、明日のライブは大丈夫なんですか?」
「ふふん、コツがあってね。ちょっとした呼吸法なんだけど、これを寝てる間繰り返していると、短い睡眠時間でも驚くほど疲れが取れるんだ。教えて欲しい?」
僕は黙って首を振った。
そりゃ僕だって、寝てる最中にも周囲の警戒くらいはできるが、そんな繊細であろう呼吸法なんてできる気がしない。
「でも……ロッテさんくらい強くても、やっぱり訓練は欠かせないんですね」
「当たり前。ちゃんと毎日訓練してないと、すーぐ腕は落ちちゃうし。大体、私だって強さは道の半ばの半ばだよ」
冗談……でもないのか。僕からすると、ロッテさんはとうに拳を極めた、って思っちゃうけど。
「特に私は、エッゼみたいに天才肌じゃないからね」
「……そうなんですか?」
「あの馬鹿、戦いの中で『む、閃いたのである!』とかいって、いきなり新技出したりするから……ちょーっと真似できないかなあ、って」
なんだろう……ものすごく覚えがある。
「……ちなみに、アゲハのやつなんですが。魔物の首を刈って『むむ、この手応えは!』なんつって、その後動きが良くなったりしてました」
「あの子もエッゼと同じタイプか。まあ、アイツほど全方向に突き抜けてるわけじゃあないみたいだけど……」
エッゼさんみたいなのが、二人も三人もいても困る。
「ともあれだ。そういう、戦ってるだけで練度を上げてくる天才たちとは違って、私みたいなのは地道な訓練あるのみ、ってことさ。……言っちゃ悪いけど、ヘンリーも同じタイプだろう?」
「まあ、そうですね」
僕も、その場の閃きで事態を打破するような器用なことはできない。日々積み重ねたものを出すのが精一杯だ。
……普通、みんなそれが精一杯のはずなんだけどね! たまに出てくるバグがリーガレオには多いんだ、これが!
「まあ、頑張れ。えーと、ギゼライド、だっけ? 手負いとはいえ、エッゼやリオルの力を借りずに、魔将をヤったんだろう。立派なもんさ」
なんか真正面から褒められた。少し面映い。
「ちなみに、その魔将とやら。強かった?」
「……『枯渇』寸前のくせに、二度と戦いたくないってくらいは」
なんとかかんとか時間切れまで持っていけたが、十全のギゼライド相手だったら……まあ僕たち三人だと足止めがせいぜいだっただろう。
「そっかぁ。……そりゃ、私の方に来てたら、負けてたかもね」
……!?
「い、いやいや? そりゃこっちは三人でしたけど。ロッテさんはファンの精鋭連中も一緒にいるんだし、やりゃあ楽勝だったんでは?」
ロッテさんソロ対僕、ユー、アゲハのトリオであればそう分が悪い勝負ではないが、ロッテさんの取り巻きには勇士上位も何人もいるのに。
「私、なんだかんだで魔将見たことないからね。見た目は普通の魔族……でも、能力は最上級以上。聞くだけは聞くけど、実感として知らないからさ。初めての相手に不覚を取らないなんて、自信満々には言えないよ」
……そういえば、ロッテさんがリーガレオに来ている時に大攻勢――魔将が魔物を率いて攻めてくることは、なかった気がする。
偶然なのか、向こうもロッテさんバフを受けた英雄連中を相手にするのは避けているのか。
「ま、それはそれとしてだ。眠れないんだろ? 一本やってくかい、ヘンリー。程よく疲れれば、睡眠も捗るってもんだ」
「……一本で終わらせてくれますよね」
「もちろん。いやー、いいところに来てくれたよ。訓練相手が欲しかったんだ」
休憩は終わりとばかりに、ロッテさんがその場で突きと蹴りの型を繰り出……したんだろう。残像しか見えねえ。
「本気で行きますよ」
「勿論。手加減なんてしたらゲンコだよ、ゲンコ。……ああ、でも。みんな寝てるんだから、静かにやろうか」
はい、と頷いて。
僕は、寝てるときでも腰に帯びている如意天槍を抜き、短槍の形にして突進するのだった。
そうして、たった一本なのに実に丁寧にボッコボコされた翌日。一陣にて。
「ふむ。話を聞く限り、ロッテも相変わらずのようだな。まったく、そろそろ年相応の落ち着きを身に着けても……ハーフリングには、特にあのお転婆には無理な注文か」
魔物の襲撃の合間。
僕は今日ペアを組んだリオルさんに、昨日のロッテさんのことを話したのだが、この反応だった。
エッゼさん、リオルさん、ロッテさんは昔パーティを組んでいただけあって、互いに遠慮がない。
「ちなみに、リオルさんはライブ見に行くんですか?」
「一応、明日にな。まあ、いつも通り、友人とともに空から観させてもらうつもりだが」
ロッテさんのライブは、席に限りがあるため立ち見客もすごく多い。
それでも、見れる範囲には限界があり……飛行技能を持ってる人は、空中から参加する人も多い。
そして、他の人を何人も連れて飛べるというリオルさんの場合、『空中席』を用意する感覚で参加するのだ。
「なお、余興として、ライブのシメに私の魔導による光の演出も予定されている。まあ、言ってしまえば魔力でできた花火だな。これは一陣からも見えるだろう。私もたくさん練習をしたので、是非ヘンリーも見てくれ」
「……練習って、そんな派手なのいつ」
んなことやったら街の噂になりそうなものだが。
「休日にちょこちょこ雲に隠れてな。バレやしないかヒヤヒヤしたものだが、意外となんとかなったのだ。ふふん、学徒たるもの、エンターテイメントも嗜んでおかねば」
『学徒たるもの』……って、本当なのか?
いや、学の浅い僕が、大学の理事長まで勤めたリオルさんに、学究の徒のなんたるかを言えるはずもないが……なんか違くない?
「おっと」
リオルさんが南方面に目を向け、ステッキを地面に打ち鳴らす。
魔国の方からやって来た数匹の魔物は、その動作によって撃ち出された魔導の矢であっさりと絶命した。
「しかし……ヌルいな、今日は」
「ええ、そうですね」
リオルさんの感想に、僕も同意する。
……どうにも、魔物が少ない。
いや、今日も百匹規模の群れを四回程撃退したのだが、地形的に魔国からの魔物がよく通るこのポイントにしては少ない。
リオルさんという大火力役がいるのだからこんな激戦区を割り当てられたわけだが、拍子抜けである。
「ふ……む。まあ、魔物の襲撃には波があるし、そう珍しいわけではないが」
「そうですね。四日目は、ラ・フローティア初の一陣なんで、正直助かります」
うちの連中がロッテさんの歌によるバフを受ければ心配ない、とは思うが。まあ、最初だしな。
「でも、なんですかね? このタイミングってことは、やっぱロッテさんが来てるってこと、向こうに知られてるんでしょうか」
魔国側が、こちらの情報をどれだけ把握しているか……というのは、実に曖昧模糊としている。
戦場に出てくる魔族は魔将だけなのだ。
兵である魔物に偵察なんてできない……いや、できたとしてもそれを伝えられない。普通に考えればこちらの内情は知られていないはずである。
ただ、今回みたいに。
リーガレオにロッテさんという英雄が来ていて、戦力が充実している間はあまり攻めてこない……みたいなことは、たまにある。偶然と言っても、納得できそうな程度だが。
「大きな情報くらいは知られていても、そう不思議ではないだろう。それこそ、風で飛ばされた新聞があちらに飛んでいった、ということもある」
まあ、とリオルさんは続ける。
「どれだけ調査しても、内通者の類は出てこなかったしな。その点は安心だった」
「……まあ、どうやって伝えるんだって話ですよね」
敵味方なんて見境のない魔物が蔓延る戦場を越えて魔国に情報を伝える? ……少なくとも僕はどんだけ金を積まれてもゴメンである。
と、ふと会話が途切れ……うーむ、とリオルさんが唸りだした。
「しかし、ここまで魔物が来ないといささか退屈だな。……ヘンリー? 私が運んでやるから、もう少し魔国に踏み込んで功績点を稼ぐつもりはないか? いや、私、もう少しで久々に天の宝物庫を引けそうなのだ」
……長命のエルフで、長年冒険者として稼ぎまくっているリオルさんレベルになると、十回以上出撃しないと宝物庫を一回も引けないらしい。
その分、一回一回はいいものが出る確率がすごく高いのだが、引くこと自体が好きな人からするとやきもきするそうな。
天の宝物庫からはたまに未知の道具とか、神様の書物なんかも出てくるので……リオルさんは、大層好きなのである。
「……いや、駄目ですよ。僕たち、ここ割り当てられてんじゃないですか。不可抗力でもないのに教会の指示無視したら、ペナルティが」
「そこは安心したまえ。私は独自の判断で戦場を移動できる権限が与えられている。他ポイントの応援に行ったりな」
それぜってぇ駄目な権限の使い方ですよね!?
「まあ聞きなさい。実際、普段はメインの侵攻ルートであるここに来ないとなると、別の方向から攻めてきている可能性もあるのだ。その確認の意味もあるんだよ」
「……本当ですね?」
「勿論。功績点稼ぎは、理由の二割程度だ」
二割……低いと見るか高いと見るか微妙な軸線上である。
「はあ……わかりましたよ。付き合います」
「うむ、では」
リオルさんが飛行術式『導きの鳥』を展開し、僕とともに宙に浮き上がる。
そうして、僕とリオルさんは少し一陣より先に踏み込み。
……相変わらず、少ない魔物の様子に、不審感を強めるのであった。




