第百九十八話 旧友 中編
フェザード郷友会の定例会の日。会は夕方から始まるので、今日は冒険を早めに切り上げ、出かける準備を整えた。
僕は汗を流してちゃっちゃと着替えて、帰ってからものの十五分で用意ができたというのに、シリルはまだ来ない。
「ったく、遅いなあ」
「まあまあ。女性の準備には時間がかかるものよ。ヘンリーくんも、少しは気を使いなさい」
僕のボヤキに、玄関回りを掃除していたパトリシアさんが応える。
「わかってはいるんですけどね。どうも、こういう待ち時間は苦手で」
「はあ。うちの旦那と似たようなことを。言っておくけど、あんないい娘をもし泣かせたりしたら、二度とこの宿の敷居をまたがせないからね」
「……肝に銘じときます」
手を上げて降参する。ガキの頃から面倒見てもらっていた都合上、僕はこの人には逆らえないのだ。
それにこの人、星の高鳴り亭女性冒険者集会の会長様である。敵に回したら、ここに泊まってる女全部を敵に回す羽目になる。
……こわっ。
「おっ待たせしましたー!」
と、そこで元気のいい言葉とともにシリルが階段を降りてきた。
「ったく、シリル?」
「ちょっと」
文句の一つでも言ってやろうと口を開くと、パトリシアさんが牽制してきた。
穏やかな笑みを浮かべているが、なんか眼力がすげえ。
……んぐ、こ、ここは引き下がらざるを得まい。
「? ヘンリーさん、なんでしょう」
「い、いや。その、いつもより時間かけてたみたいだけど?」
「はいっ。初めてお会いする方ばかりなんですから、ちゃんとお洒落しないとと思いまして!」
お洒落、ねえ。
シリルは外出するときはいつも身だしなみに気を使っているから、普段との違いが僕にはイマイチわからん。
……でも、僕は学んだ。そういうことを素直に口にすると、シリルはブーたれるのだ。
ふっ、僕も成長している、ってやつかな。
「ヘンリーさん、普段と何が違うんだろー、とか思っていますね?」
ギク。
「……なにを馬鹿なことを。うん、バッチリ似合ってる。キメッキメだな」
「褒め言葉にまったく中身がないね……。この辺りも教育しておくべきだったか」
畜生! この宿の女将さん容赦がねえ!
「ぱ、パトリシアさん。その辺でご勘弁を……」
「どうにも、昔のクリスを思い出してね。私もあの朴念仁を調きょ……ゴフゴフッ。……教育するのには苦労したから、シリルちゃんに親近感が」
今なんて言いかけましたかね!?
「パトリシアさんも苦労なさったんですね」
「ええ、それはもう。シリルちゃんもね?」
「はい、その通りです」
あ、これ味方いないやつだ。
「あのですねー、ヘンリーさん? 今日は私は、薄くですがお化粧して、アステリア様から譲っていただいた香水を付けてるんですよ」
な、なるほど。そういや、シリルあんま化粧とかしない方だっけ。
匂いも……爽やかな甘さ、とでも表現すればいいのか。確かにいい香りがする。
「あとはー、髪もいつもより整えてー、服もこれ、ちょっといいやつです。そしてここがこだわりポイント、靴と小物がー」
「お、おう、そうか。言われてみれば、だな。ははは……」
「……なーんで魔物相手の観察力はドン引きするくらい鋭いのに、こっちはこれなんですかねえ」
いや、それとこれとはまったく別の能力な気がする……
「ま、少しずつ教育はしていくとして……早速行きましょうか」
「へーい。んじゃ、パトリシアさん、いってきます」
「はいよ。今日の夕飯はなしでいいんだね? 外で泊まってく?」
外泊……ちら、とシリルの方に視線をやる。
……い、いや! 酒も入るだろうしな!
「……あー、その、一応帰ってくるつもりです」
「わかった。じゃ、いってらっしゃい」
「はい、いってきます!」
最後にシリルがブンブンと大きく手を振って挨拶をして、僕たちは出発する。
「ええと、それで。内壁の中の……なんていうお店でしたっけ?」
「フェアリーフェア。元フェザードの兵士さんがやってる店で、ちょっと高級な居酒屋って感じだ。ちなみに、その店長さんが郷友会の副代表」
「へー、どんな人なんですか?」
そうだな、と僕は昔の記憶を掘り返す。
そうして、シリルにみんなのことを話しながら僕たちは店に向かうのだった。
「おお、ヘンリー! 久し振りだな。ボーマンから聞いていたが、本当に帰ってきてたんだな!」
店を訪れるなり、ぱっと近寄ってきて、ばんばんと背中を叩いてくるこの人が酒場『フェアリーフェア』のマスターであるホーキンスさんだ。
元々はフェザードの兵士……後にリーガレオで冒険者として活動していたが、足に怪我をして引退。
以来、昔からの夢だったという酒場を開いて成功させている。
「どうも、ご無沙汰してます、ホーキンスさん」
「ああ。で、そっちの女の子は?」
ホーキンスさんが視線を向けると、シリルは小さく微笑んで、スカートの裾をつまみ丁寧にお辞儀をする。
「はじめまして。ヘンリーさんのパーティメンバーのシリルと申します」
「おう、こりゃご丁寧に。ホーキンスだ。……ヘンリー、女連れとはお前もやるようになったな」
「いえ、丁度ついさっき出かける時に改めて判明しましたが、この人全然できません」
シリルの言葉に、カカッ! とホーキンスさんが笑う。
「おいおい、尻に敷かれてんなあ」
「……ノーコメントで」
はあ~、と溜息をつく。
「で、ホーキンスさん。あとでまとめて紹介しますけど、別に彼女だから連れてきたってわけじゃなくて。シリルも、元フェザードの人間なんですよ。フローティアに避難した」
「へえ、そうなのか。それなら、フェザード郷友会としては歓迎しなくちゃならんな。シリルさん、だったか。好きな食べ物とかあるかい? この酒場のマスターとして、腕によりをかけて作ってやるよ」
うーん、とシリルは頭を悩ませ、
「ではでは。ホーキンスさん、この酒場のオススメをお願いします」
「っとと、そうきたか。それなら、店の威信にかけて、美味いのを出さないとな」
……相変わらず、人と仲良くなるのはえーな、シリル。
「ホーキンスさん、部屋は?」
「奥の個室取ってる。先客は……あっ」
ホーキンスさんが小さく声を上げる。
……今の時刻は、集合時間よりやや早い。こんなタイミングで来ているやつといえば、
「ゼスト、来てるんでしょ?」
時間前行動をしないと死ぬんじゃないか、ってくらい律儀なあいつくらいだ。
今日はやめに来たのは、先んじてあいつと話をつけておくためである。定例会の真っ最中に空気を悪くしたりしたら申し訳ないので。
「あー、来てるが。どうする、俺が間に入ろうか?」
「いえ。多分、僕が話さないといけないと思うんで」
気が重いが、致し方ない。
まあ、いくらなんでも、前みたいにいきなり決闘とかは言わないだろうし。
「つーわけでシリル。僕はちと昔の友達と話してくるから、ここで待機な」
「は? 勿論私もついていきますが」
……言うと思った。
「わーったよ。行くぞ」
これは説得しても無駄だと僕は諦めて、シリルを伴って個室に向かう。
個室の扉を開ける前に、少しだけ息を整え。
「……入るぞ」
ひと声かけて、扉を開けた。
「む」
中で一人、背筋をピンと立てて座っていた男が、じろりとこちらを見る。
顔は整っているが眉間の皺が固定されており、気難しい印象を受ける――そして実際間違いではない――相手に、僕は少し緊張しながら手を上げた。
「よう、ゼスト。久し振りだな」
「……ヘンリーか。こんばんは」
ずっこけそうになる。
……い、いや確かに。どんな状況だろうと挨拶は欠かさないやつではあったが、どんな第一声かと身構えてた僕が馬鹿みたいじゃないか。
「お、おう、こんばんは。座っていいか?」
「俺に止める権利などない。好きにすればいい」
じゃ、失礼して。と、僕はゼストの正面に座り、シリルも隣にチョコンと座る。
そして、座ったはいいが、どう話題を切り出そうかと悩んでいると、先にゼストが口を開いた。
「それで、ヘンリー。再会してすぐだが、一つ質問させてくれ」
「……なんだよ」
「魔将を倒した後、元とはいえ騎士にあるまじき姿を見せ。あまつさえ後方に逃げた臆病者が、どういう了見でこの街に戻ってきたんだ?」
言いたい放題だなテメエ!?
……って、いかん。僕が怒ってどうする。
一つ深呼吸して気を落ち着かせ、口を開く。
「その後方で色々あったんだよ。んで、お前みたいに魔軍に復讐ってわけじゃないが、こっちでやるべきことができたんでな」
「……ふん。またそのやるべきこととやらが終わったら、気が抜けるんだろう」
「んなつもりはない。大体、そんな簡単に終わらねえよ。ある意味、魔将退治よりハードル高いしな」
ジロリ、とゼストが真っ直ぐにこちらを睨んでくる。……いや、睨んでいるように見えるだけで、こいつは普段からこういう剣呑な目をしてんだが。
「口だけならなんとでも言える。どれほど本気か、怪しいものだな」
「なら、最後に会った時にお前に申し込まれた決闘、やってもいいぞ。あん時はやる気出なくて逃げたけどな……それで納得するんならやってやるよ」
僕は戦意を込めて、ゼストを見つめ返す。
ゼストの瞳も同じように強くなり……そうしてしばらく。ほんの少しだけゼストの視線の力が弱まった。
「……ふん。戦って、相手の本気が分かれば苦労はない。これからの行動で示すことだ」
「お前、前は自分で申し込んでおいて」
「俺だって、あの時は冷静じゃなかったんだ」
そうゼストは言って、続けた。
「だが……一度信用をなくした者が、そう簡単に認めてもらえるとは思わないことだ。周囲の人間の信用を取り戻すためにも励め」
まだ気に入らない部分はあるようだが、ひとまずこれ以上喧嘩腰にはしないということだろう。
しかし、
「いや、ちょっと待て。僕は魔将倒した後も仕事自体はちゃんとこなしたし、ここ離れる時もきっちり引き継ぎとかしたし。信用なくした相手ってお前くらい……」
「ゴフンゴフン! ええい、そこは素直に納得しとけ、貴様」
チッ、まあいいか。
「あのー、男の方同士で盛り上がっていますが。私もご挨拶くらいさせていただけませんか」
ああ、そうだ。つい置いてけぼりにしてしまった。
っていうかゼスト、珍しいな。初対面の相手の挨拶を後回しにするなんて。
で、そのゼストがじー、とこちらを見ている。
「? なんだよ」
「……人様の恋人に、自分から自己紹介なんて破廉恥な真似はできん。お前から紹介してくれ」
また妙なところを気にするやつめ……まあ仕方ない。
「シリル。こっちがゼスト・ゼノン。フェザード王国元准騎士で、今は勇士の冒険者。ゼスト、こっちはシリル。フローティアに避難してた元フェザードの人間で、僕の今のパーティメンバー。で、察しの通り付き合ってる」
「よろしくお願いします!」
「ああ」
と、シリルとゼストがお互い几帳面に頭を下げた直後、個室の扉が開いた。
「話はついたみたいだな。で、こっちはウェルカムドリンクだ。そろそろ他のやつらも来るだろうから、これでも飲んで待っててくれ」
トレーにシャンパングラスを乗せて入ってきたのはホーキンスさんである。
……いや、気配で気付いてたが、いつでも割って入れるようこの人途中から扉の前で待機してくれていたのだ。
「……ありがとうございます」
「どうもです!」
「ありがたくいただきます」
三者三様にグラスを受け取り、
「……で、乾杯、するか?」
ぎこちなかった関係のゼストとやるのは、ちょっと悩むが。
「お前とは、あまり気は進まないが」
「乾杯、はい、やりましょう!」
「……ここで断るほど無粋でもないつもりだ」
ウッキウキでグラスを掲げたシリルに、ゼストは一つ嘆息して同じくグラスを上げる。
僕もそれに倣い、
「んじゃま、乾杯」
チン、と。
澄んだ音が、個室に響いた。




