第百八十六話 勇者との夜会
南門の警護の仕事を終え。
僕とジェンドは星の高鳴り亭に戻ってきた。
……一人、えらいお客さんを連れて。
「へえ、ここが君たちの泊まっている宿か。綺麗で良さそうな宿だね」
と、頷いているのは『勇者』セシルさんだ。フルフェイスの兜の下の表情はようとして知れないが、弾んだ声からして笑っているのだろう。
「はい。セシルさんはどこの宿に泊まっているんですか?」
「ああいや、俺は家を持っていてね。南門近くの……アルヴィニアの黒竜騎士団兵舎の隣にある掘っ立て小屋だよ」
ジェンドは知らなかったようだが、これも有名な話だ。
魔物が来ても、いつでも対応できるように……と、セシルさんは門のすぐ内側に居を構えている。
これがまた、セシルさん自身が表現したように掘っ立て小屋としかいいようのないもので。雨風を凌ぐ以上のシロモノではない。
本人が望めば内壁の中に豪奢な屋敷も建てられるだろうに、こちらのほうが色々と都合がいいから、と言ってそのままだ。
「……あんなところ、住むの大変じゃないですか?」
「はは。まあ、住めば都というしね。それに、少し前までは魔物の夜襲も頻繁にあって、眠りも浅かったけど……最近は熟睡できることも多いから」
勿論、リーガレオの魔導結界が有効になったためで、それすなわち、とある少女のお手柄である。
「君たちが知り合いだというのは驚いたけれど、本当にラナっていう女の子の発明には感謝しかないよ」
「はは……本人、本当に見た目は普通の女の子なんですけどね」
そして、この勇者様にまでラナちゃんの雷名は知れ渡っていた。警護の最中の雑談で話すと、大いに驚かれたものである。
「英雄だなんだと言われても、俺は剣の届くところまでしか守れないからね。こういう、技術面で革新できる人は、なんであれ尊敬するよ」
……貴方の剣の届く範囲って、めちゃんこ広いですけどね。今日発生したフェンリルも、秒で駆けつけて粉砕したし。
「っと、宿の前で話し込んでしまったね。早く入ろう」
「はい」
ぎぃ、と星の高鳴り亭の扉を開く。
中に入ると、談話室でダベっていた冒険者の何人かが、こちらに何気なく視線を向け、
「……あれ、セシルさんじゃね?」
「え、勇者?」
と、どよめきが広がる。
……このリーガレオでは、英雄は珍しくない。エッゼさんとか騎士の人との飲み会でそこらの居酒屋にやって来るし、リオルさんも新しい喫茶店ができたらとりあえず珈琲の味を確かめに行く。なんなら、この宿にゃユーとアゲハが泊まってるし。
だから、普通は姿を出しただけではそう騒ぎにはならないのだが……『勇者』だけは別だ。この人、かなりストイックで遊びに出たりとか殆どしないし。
まあ、ジェンドが『打ち上げに一杯やりません?』と誘ったらホイホイ付いてきたので、一人じゃなければ割とノリがいいのかもしれないが。
と、佇んでいると、談話室で『スターナイツ』のルビー、ビアンカとダベっていたシリルが、てててとこちらに駆け寄ってきた。
「おかえりなさい、ヘンリーさん、ジェンド。……で、えーと、なにやら騒ぎになっていますが、そちらの鎧の方は? って、そのタグ」
セシルさんが身につけている冒険者のタグは、当然英雄を表すオリハルコン製。
シリルの指摘にセシルさんは一つ頷き、一礼する。
「はじめまして、お嬢さん。俺はセシル・ローライト。一応、英雄の一人に数えられています」
「はい、ご挨拶ありがとうございます! シリルといいます。そちらの二人の仲間です」
やっぱシリルもジェンドと同じで、セシルさん相手に物怖じしないな。いや、こいつの場合、誰が相手でもこんなもんな気もするが。
「で、そのう。屋内ですので、兜は脱いだ方が」
「ああ、それもそうか」
シリルの言葉はまあ普通の指摘だろう。……だけど、
「いいんですか、セシルさん」
「なに、この街にいればいずれ知られることだしね。ジェンド君、シリルさん、先に言っておくけど、あまりビックリしないで欲しいな」
パチリ、と留め金を外して、セシルさんが兜を脱ぐ。
その下から現れたのは、銀髪の美青年。世のご婦人方がキャーキャー言うであろう美貌だが、二つほど特徴がある。
肌が青みがかっていることと、瞳が血を思わせるような赤になっていること。
……前者の特徴は、僕たちにとっては特別な意味がある。
「魔族!?」
と、談話室からこちらを観察していた冒険者の一人が、ガタリと立ち上がり……隣の別の冒険者にどうどうと抑えられていた。
多分、セシルさんのことを知らない新人だろう。
「あー、っと。しまったな、二人以外にも知らない子がいたか」
セシルさんは頬を掻く。……ああいう風に言われることは今までも何度もあったのだろう。気にした素振りはない。
「へえ、魔族の方でしたか。私、初めて会いました」
「俺も」
「まあ、北大陸にはほとんどいないしね。……北の三大国は今魔国と戦争中だから、旅行なりでこちらに来る同胞もいない」
シリルとジェンドはあまり隔意がないみたいだが、魔将に散々打ちのめされてきたリーガレオでは魔族に対する心象は正直良くない。仮に、この戦争が終わったとして、魔族という種族との関係はどうなるのか。
……それをたった一人で下支えしているのがセシルさんである。彼がこちら側に立っているから、魔族という種全体への敵視まではいっていないのだ。
「えーと、でも、その。聞いちゃ駄目な気がしますが……」
「ああ、俺が魔国側じゃなく、こっちにいる理由かい? そんなのは簡単だ。攻めてくる兵士が魔物なんて戦争……どちらに立つべきかは明らかじゃないか」
……うん、誰もが言葉にはしないけど、これが尋常の戦争でないことは明らかだ。
魔将と呼ばれる、魔物たちを『発生』させて指揮する奴以外、魔族が戦場に立つことはない。
それ以外の魔族の人は、そもそも現状どうなっているのかわからないのだ。
魔物に阻まれて直接確認に行くことはできないし、通信用の魔導具は瘴気のせいで使い物にならない。
……魔国との戦争、という体で戦ってはいるが、僕たちが戦っている相手は本当はなんなのか。
一冒険者には情報が入ってこないが、多分上の人達はなにかしら探っていたりはするんだろう。
エッゼさんとか、この勇者さんなら知ってるかもしれないが……まあ、聞いて答えてくれるはずもない。同じく英雄でも、まだ若いユーとアゲハは多分知らないだろうしな。
「さ、そんなことより、早く呑もう。俺、酒は久し振りだ」
「あ、はい。じゃ、食堂の方に」
この宿で食事が提供される時間は決まっているが、別に食堂に持ち込んで飲み食いする分には問題ない。
途中で酒とつまみを仕入れてきたのだ。
「もう、明日は休みですけど、あまり呑みすぎないでくださいね?」
「わかってるわかってる」
シリルの苦言を軽く返す。
……いや実際、心配しなくても内壁の中でもないのに泥酔はしない。魔物が潜入した時、少なくとも逃げる判断ができる程度には抑えるのがマナーだ。
「ヘンリー、俺荷物部屋に放り込んでくるよ」
「おう、じゃ、食堂で待ってる」
「ああ」
部屋に戻るジェンドを見送って、食堂に入る……と、亭主のクリスさんが、魔導を駆使して掃除をしていた。
雑巾が何枚も同時にテーブルを拭き、しばらくすると勝手にバケツに突貫。これまた自動的に絞られる。
箒の皆さんも精力的に働いており、小さなゴミをチリトリ君と協力して集めている。
……ライス式生活魔導術。ぶっちゃけ、下手な戦闘用の魔導よりよっぽど難易度が高い、マイナー流派だ。
操る道具が増えれば増えるほど難易度が高まり……雑巾箒チリトリ全部合わせて二十近く操っているクリスさんは、達人の中の達人である。
「ん?」
魔導の制御に集中していたクリスさんがこちらに気付いた。
「なんだ、ヘンリーか。……それに、フン。名高い勇者殿まで」
「やあ、クリス。君の宿だったのか、ここは」
と、セシルさんがクリスさんに気さくに挨拶をした。
「あれ? 二人共、お知り合いですか?」
「俺が冒険者やってた頃、少し組んでたことがある」
クリスさんが昔は勇士の冒険者やってたことは知ってるが、まさかセシルさんと組んでたのか。
「……あれ、だったらなんでセシルさんはこの宿のこと知らなかったんです?」
知り合いの宿だろうに。
「それならなに。こいつは放っておくと何年も会いに来ない薄情者でな。この宿に来たのも、落成式の時以来だ。……初代の建物のな」
あー。僕も結構長いこと星の高鳴り亭に滞在していたが、ここで会ったことがないと思ったら。そういうことか。
「ははは、そうだね、ちょっと気付かなかった。パティちゃんは元気かい?」
「今、うちの宿泊客共の晩飯を作っている」
「へえ」
で、当然、クリスさんの妻のパトリシアさんのことも知っている様子だった。
『それで』とクリスさんが僕たちの手荷物を見て口を開く。
「その酒と食い物。酒宴でもするのか?」
「はい。今日の警護の仕事で、たまたま仲良くなってですね。ジェンドとも一緒に、ちょっと一杯でも、と。どの席使えばいいですかね?」
「そこらの掃除が終わったテーブルを適当に使え。グラスと食器は今持ってきてやる」
ありがとうございます、と頭を下げる。冒険帰りの連中を当て込んだ屋台飯を色々買ってきたのだが、食器類がないと食べづらい。
「あと、今日の夕飯もアテにしているんですが」
おかずだけ出してもらってつまみにするのだ。以前滞在していた時もよくやってた。
「わかっている。セシルも要るなら、別に金を出せ」
「うん、お願いするよ。パティちゃんの料理は美味しいからね」
「人の妻を気軽にちゃん付けするんじゃない。……まあ、注文は承った」
クリスさんがパトリシアさんに伝えるため、厨房に引っ込む。
……『セシルの馬鹿の注文だ!』と、大きな声が届いた。
「クリスも相変わらずだなあ。あれ、しばらく俺が会いに来なかったの、ちょっと怒ってるな」
「しばらくっすか」
少なくとも、十年以上会ってないはずなのだが。
魔族もエルフと同じく長寿命だし、そういう人達独特の感覚だな。
と、思っていると、宙に浮いたグラスと皿、カトラリー一式がふわふわと浮いてやって来て、僕たちのテーブルに着地した。
一緒にやって来たアイスペールは中の氷がなかったが、着地後速やかに生み出される。これも勿論魔導。
……やっぱライス式便利だなあ。
「お待たせ!」
その辺りで、平服に着替えたジェンドが戻ってくる。勿論、リーガレオ冒険者の嗜みとして、武器は持ったままだ。
素早く三つのグラスに買ってきたウィスキーを注ぎ、それぞれが掲げる。
音頭は年長のセシルさんだ。
「それじゃあ、新しい友人との出会いを祝って。……さあ」
「「「乾杯!」」」
と、グラスを響かせて。
……その日の夜は過ぎていった。
なお、有名人であるセシルさんがいたことで場が大いに盛り上がり、宿全体を上げての宴会に発展し。
ティオが帰ってきて、彼女の鞄にしまっておいた……僕が大切に呑むために仕入れていたフローティアンエールの樽がすべて空けられるという悲劇が発生したが。
ま、まあ。セシルさんとの誼ができたのであれば惜しくない。
……惜しくないんだってば。




