第百八十五話 勇者
リーガレオの二重の城壁のうち、内壁の中。
ここには、非戦闘員の居住区やリーガレオのインフラの基幹施設、食料庫など、安全を確保しないといけない諸々が立地している。
普通の冒険者だと、たまにあるまとまった休暇を過ごす時や、怪我や病気などで療養する時以外は縁遠い地区だ。
……その、内壁の中の施設の中でも、執政院は最重要施設の一つである。
普段の手続きは外にある出張所で済ませることができるから、僕も数えるくらいしか入ったことはないが、リーガレオが滞りなく戦いに集中できるのは執政院が様々な行政を回してくれているからでだ。
うんうん、感謝感謝。
……実は、三大国の文官が集まっているせいで国ごとの強烈な縦割りになっていることとかは些細な問題である。些細ということにしとこう。
「ふう~~~……うっ」
さて、そんな執政院にとある用事のためにやって来た僕は、事を済ませて執政院から出るなり……こう、ガクッと膝から崩れ落ちそうになった。
「わわ、大丈夫ですか、ヘンリーさん」
そんな僕を、一緒に来ていたシリルが心配して声を掛けてくれた。
「いや、大丈夫。……大丈夫だけど、すげえ気疲れした」
「あー、そうですか。じゃ、そこの公園で少し休憩していきます?」
「……おう」
執政院の前はちょっとした公園になっていて、ベンチなども据えられている。
丁度よく空いていたその一つに腰掛け、僕は大きな、大きなため息をついた。
「しかし、そんなに疲れましたか?」
「……街の代表三人と面会だぞ。逆にシリルはよく平気だな」
リーガレオの街の、文官の代表。
これも、三大国それぞれから代官が派遣されている。共同統治という関係上、お互いの面子もあるのか、全員が爵位持ちの貴族。
……実は、彼らには以前からアポイントメントを取っており、今日ようやく面会が叶ったのだ。
勿論、その辺の木っ端……とは言わないが、一勇士に過ぎない僕が会いたいと思って会える相手ではない。
「それは勿論、仮にも領主様……アルベール様の名代としてお会いするんですから、しゃんとしないととは思っていましたが。特に利害がぶつかっているわけでもないお相手でしたので、礼節を尽くせば問題ありませんよ」
「そ、そうなんだ」
こともなげに言うシリルに、僕は戸惑うやら感心するやらだ。
……そう、僕たち――というかシリルは、フローティア伯爵領当主アルベール様の紹介でもって、代官様と面会した。
目的は、平和で兵士の強さはイマイチであるフローティアが、戦力を拠出しないことへの詫びだ。
書状では当然伝えてはいるが、直接話をした方が当然心象はいい。まあ、喫緊の要件ではないので、結構待たされてしまったが。
そして、影の目的……シリルが名代として立てる理由を伝えることもした。旧フェザード王国の王家の人間であり、アルベール様の義妹であるということをだ。
故国の復興が僕たちの目的であるわけだが、功績を立てた後に諸々の根回しをするのはいかにも大変で。フローティアを発つ前にアルベール様とも相談したが、こうして少しずつ情報を出していくことになったのだ。
世間話程度に、将来はフェザードを復興したいですね、ということもシリルは伝えていた。
……でも、である。冒険者として護衛とかで接するのであればまだしも、付き添いとはいえこういう立場で貴族様と面会するのは、滅茶苦茶緊張した。
しかし。
「な、なんですか。じーっと見て」
「いや……お前、ああいう話もできたんだな」
シリルの話は堂に入ったものだった。
基本的にはアルベール様からの詫びの言葉を伝えるだけ……とは、とても言えない。僕はあんな優雅な世間話をすることはできないし、政治の話に私見を差し込むこともできない。言葉遣いも、なんかこう……それっぽかった!
「まあ、一応生まれが生まれですし。フローティアでも、多少は仕込まれていましたので」
「そ、そうなん?」
「目標が目標でしたからね。それに多分、アルベール様は、私が復興をどこかで諦めたら、出生を明かしてなにかに利用するつもりだったんじゃないでしょうか? その場合はこういうことできないと駄目ですしねー」
……まあ、アルベール様は温厚で優しい方ではあったが、領主という立場上、そういうこともやるのだろう。
僕にはとてもできない……とは言えないか。もしフェザードの復興がうまくいったら、僕も無関係とはいかないだろうし。
「でも、今日は僕、本当にいただけだったな」
最初と最後の挨拶だけだったぞ、僕が喋ったの。
「伯爵様の名代に供回りの一人もいないのは格好がつかないので。それに、代官様にお褒めの言葉をもらったじゃないですか。私、なかなか鼻が高かったですよ」
二度も魔将の討伐に貢献した件でだ。
世間的には英雄の名前が大きすぎて僕のことは霞んでるが、流石にこの街の代表ともなれば覚えてくれているらしい。
「……まあ、世辞でも嬉しかったな」
「いやまあ、お世辞だとは思いますけど。名前を覚えてくださっていたのは確かですし」
自分で言っといてなんだが、そこはもうちょっとフォロー入れて欲しかった。
「ところでこれからどうします? 折角内壁の中に来たんですから、ちょっと見物でもしていきますか?」
「あー、そうだなあ」
普段のローテーションであれば、今日は冒険に出かける日だった。代官様との面会のためにそれを飛ばしたわけだが、僕とシリル以外はそれぞれ仕事に出ている。
ジェンドは南門前の警備。フェリスはニンゲル教の治癒士として、ユーのところの診療所の手伝い。ティオはアゲハに連れられて訓練だそうだ。
フェリスは顔見知りのいるところだし、アゲハにくっついているティオは心配無用だろう。
んー。
「いんや、僕はちょっとジェンドの様子見てくるよ。社交的なやつだし大丈夫だとは思うけど、リーガレオに知り合いも少ないしな」
「ほーむ。なるほど、ジェンドがぼっちで寂しい思いをしていても可哀想ですしね!」
「……いやいや、流石にんなことは思ってないけど」
でも、初めての仕事なのだから様子を見にくらい行った方がいいだろう。
「あと、シリルは星の高鳴り亭に戻っとけ。冒険の疲れ、そろそろ溜まってきてるだろ?」
「……あはは、わかりますか」
よくペースに付いてきているが、二日冒険一日休みのローテだと、そろそろ疲労が抜けきらないようになってきたようだ。いい機会だから、臨時に休ませよう。
そうと決めて。
僕たちは、執政院前の公園を発つのであった。
南門の警備。
魔物を街中に通さないための最後の防壁であり、魔物に敗退した冒険者が『とりあえずここまで逃げれば助かる』場所として機能する、何気に重要な仕事である。
その他にもいくつかの役割があるが……ともあれ、それだけにここは一陣にも劣らない面子が集められている。また、後詰めのために、パーティメンバーが揃っていなかったりした連中も参加していたり。
何事もなければ一日暇な仕事だが、いざ一朝事あればメチャ忙しい。三陣での突発的な魔物の大量発生とか。
……それはさておき。
シリルを星の高鳴り亭まで送り届けて、その足で七番教会に行って午後からの門前の警備の仕事を引き受け。
いざ、ジェンドはどこかなー、と歩いて探してみると、
「ん、お? ヘンリーじゃないか。執政院の用事はもう終わったのか?」
……非常に目立つ人物と一緒にいたこともあり、あっさりと見つけた。
それはいい、それはいいんだが、
「あ、ああ。まあ、そんな時間かかるものでもなかったしな。……で、その」
ちらり、とジェンドと雑談をしていた男性を見る。
フルフェイスの兜にスマートな印象を受ける全身鎧。業物だと、街の誰もが知っている剣を腰に携えた、剣士。
厳つい装備に反し、どこか安心できる雰囲気を持った、その人。
「あ、セシルさん。こいつがさっき話してたうちのリーダーのヘンリーです」
「ああ、君のことだったのか」
ジェンドが名前を呼び、彼が僕の顔を見て得心したように頷く。
「セシルさん、ヘンリーとお知り合いでしたか」
「知り合い、というか。何度かここの仕事含め、同じ戦場に立ったことがあるよ。ああ、ヘンリー君? ごめんね、名前は聞いたことあったはずだけど、少し君の顔と繋がらなかった」
「い、いえ。ちゃんとした自己紹介をしたこともありませんし……全然、構いませんよ」
ヒクヒク、と曖昧に返した笑顔が引きつっていたかもしれない。
……ある意味、午前中に会った代官様よりもよっぽど緊張する相手だ。
「そうかい? では、改めて。こんにちは、セシル・ローライトです」
「へ、ヘンリー、です」
「うん、覚えた。そういえば、最近見かけないなあ、とは思っていたんだけど、しばらく後方に行ってたんだね。ジェンド君に聞いたよ」
「きょ、恐縮です」
僕はたじたじになる。
「うん、確かエッゼ君やロッテちゃん、リオルさんに。あと救済の聖女さんと首刈りさんと……色んな英雄と懇意だったね。俺とも仲良くしてくれると嬉しいな」
「も、勿論です。よ、よろしくお願いします、勇者さん」
「勇者はよして欲しいなあ」
兜の上から、頬をかく仕草をする『勇者』セシル・ローライト。
エッゼさんを君付け、ロッテさんをちゃん付けすることからも分かる通り、声は若々しいが長命種の人だ。
とある事情から英雄筆頭の称号はエッゼさんに譲っているが、一対一の戦いであれば恐らくこの人が英雄の中でも最強である。勿論、戦いの条件次第ではあるが……
「ジェ、ジェンド? お前、なんでセシルさんと話を?」
「ん? ああ。流石に周りに知り合いの一人もいなくて、手持ち無沙汰だったんだが。そんな俺を見かねて話しかけてくれたんだ」
と、ジェンドが説明すると、セシルさんも喜々とした声色で付け加える。
「いやあ、長年英雄なんてやってると、気軽に雑談の一つもしてくれる相手も中々いなくてね。特に俺は、あまり人と組んだりしないから。話し相手になってくれて、俺としても嬉しかったよ」
「はは。俺も色々話を聞かせてもらって、ためになりました」
ジェンドは笑っているが……セシルさんは英雄歴が一番長く、様々な村や街や、いっそ国まで何度も救った実績のある、『極めつけ』だ。
普段は人品爽やかな人物だが、戦いとなると誰よりも果断に勇敢に立ち向かい、そして必ず勝利する。
あまり目立ちたがらない人だから、知名度という意味では他の英雄に劣るが、このリーガレオでその活躍を目の当たりにしている冒険者は、みんな彼のことを尊敬している。
よくもまあジェンドはここまで気軽に……って、いや、考えてみりゃ、そりゃそうか。
ジェンドはリーガレオに来てまだ日が浅いし……なにより、エッゼさん、ロッテさん、リオルさん、ゴードンさん。あとついでにユーとアゲハ、と、英雄とは知り合いまくっている。
普通のリーガレオ初心者であれば、英雄という時点で気後れするだろうが、ここに来る前にあの人達に会ったせいで色々とハードルが下がりまくっているというわけか。
……セシルさん本人が嬉しそうにしているのだから、指摘はしないでおこう。
「じゃあ、ヘンリー君も是非話そう。フローティアという街で頑張っていたんだって?」
「は、はい。……んん」
ええい、男は度胸だ。確かに僕も彼を尊敬する冒険者の一人だが、それはそれとして同じ仕事をしてる人間であるというのも事実。普通に話せばいいのだ、うん。
「そうですね。この街でずっとやってきた僕としては、色々新鮮な街でしたよ」
「ふんふん」
少年のように好奇心旺盛に聞いてくるセシルさんに、ついつい話も弾み、僕もついつい調子良く話す。
「……ん?」
――そんな平和な時間は、突如何度もかき鳴らされた鐘の音にかき消えた。
僕は槍、セシルさんは剣に手をかける。
……この鐘の打ち方は、緊急事態発生の合図だ。
「六時の方向、三キロ先! 最上級発生……! フェンリル!」
物見に立っていた兵士が、拡声魔導具で警告を飛ばす。
……リーガレオでは、三陣でも月一くらいの頻度で最上級が『発生』する。
週一、二……たまに三回以上襲ってくる一陣よりはずっとマシだが、三陣の冒険者は一陣張ってる連中よりは弱い。下手をすると何人もの犠牲者が出る、が。
「フェンリルか。久し振りだな」
そう一言残して、疾風のようにセシルさんは駆けていく。
「交戦経験のあるやつはセシルさんに続け! ……追いつく頃には倒してるだろうけど!」
続けての指示に、『ですよね』という空気が流れる。でも、万が一……いや、億が一が……あの人に限ってないんじゃないんかな? と思わないでもないが。
一応、何人かがフォローに向かう。
……僕も行こうかと思ったが、少しジェンドが浮足立ってたので、抑えるために残った。
「へ、ヘンリー。フェンリルって、前シャルロッテさんとお前で戦った、あの」
「そう」
「……セシルさんも英雄だけど、大丈夫なのか?」
お前、あの人の心配すんのは百年早いぞ。
「大丈夫、大丈夫。発生したての最上級なんて、セシルさん相手じゃ……三十秒も持てばいい方だ」
……なお、意外と今回発生したフェンリルは根性があったらしく、なんとセシルさん相手に一分近く粘ったらしい。
それでも一分かからない辺りが、勇者である。
 




