第百八十三話 夜番
「つーわけでだ。今日エッゼさんと一陣に狩りに行ってたんだ。で、ジェンドにエッゼさんから伝言。お前もそのうち騎士団の方に顔出すようにってさ。どのくらい腕を上げたのか見てやるのである! っつって」
「そりゃありがたいな。グランエッゼさんに剣を見てもらえるなんて、誉だよ」
エッゼさんの言葉を伝えると、ジェンドは嬉しそうに頷いた。
まあ、あの大剣豪に目をかけられているとなれば、剣士であれば誰しもこうなるだろう。
「しかし、ヘンリー。大丈夫なのか?」
「? 大丈夫って、なにがだ?」
ジェンドが、いきなり要領を得ないことを言い始める。……なんの心配?
「いや、ついさっきまで一陣で戦ってて、そのまま夜番って。日中はオフだから引き受けたつもりだったんだが……」
「あー、それかあ」
僕とジェンドは今、南門のすぐ外に陣取っている。
日はとっぷりと暮れており、城壁の上では篝火がいくつも焚かれ、照明の魔導具も合わせて煌々と周囲を照らしていた。
「……噂には聞いていたけど、夜でもあんな来るんだな」
そして、その光の当たっている範囲で、冒険者が、騎士が、兵士が。ひっきりなしに襲ってくる魔物に立ち向かっている。
リーガレオの、夜番。
要は、魔物の夜襲を迎撃する役目である。
魔導結界が作用するようになって随分楽になったようだが、それでも夜襲がなくなったわけではない。こうして城壁近くに明かりを灯し、夜を徹して戦うわけである。
とはいえ、夜間の戦いは神経を使う。前列、後列に分かれ、都度スイッチして戦うことになっている。こうして世間話ができるのも、今の僕たちが後列だからだ。
「……まあ、ヘンリーの体力を疑うわけじゃないけどな。夜番も随分キツそうだし、ちょっと心配になってな」
「うーん、無理しているつもりはないんだけど」
ジェンドの気遣いは正直にありがたい。
でも、夜番とはいっても別に夜通し警戒しつづけるわけではない。
今日の僕たちのノルマは二時までだ。帰って、十分に寝る時間もある。
「まあ、心配しないでくれ。段々、昔のペースも思い出してきたんだ。ちっと身体は疲れてるけど、疲れてても動けるように訓練してるし」
「ヘンリーがそう言うなら信じるけど。……不覚取って、シリル泣かせないようにしてくれよ」
……ジェンドに言われるまでもなく、そんなつもりはさらさらない。
だから、この余裕のあるうちに、多少の無茶をしても勘を取り戻そうって部分もあるのだ。
「わかってるよ。……ジェンドも、ちゃんと今日は休んでたか? 昨日までの冒険の疲れ、残してないだろうな」
「ちょいと筋肉痛は残ってるけど、平気だ。……まあ、フェリスたちは夕方頃もまだダルそうにしてたけどな」
ようやく二日冒険一日休みのペースに慣れつつあるところ。僕とジェンドはまだしも、女性陣はまだ一日きっちり休養を取らないと不安が残る。なので、今日の夜番に参加しているのは僕とジェンドだけだ。
……ていうか伝統的に、リーガレオの夜番は基本男の役目になっている。別に女が参加しちゃいけないっつーわけではないが、やっぱり体力面だと圧倒的に男が有利だからだ。
まあ、もう一つ理由はあるんだけど……っと、
「ジェンド。そろそろスイッチだ」
「……おう」
ジェンドが大剣――ゴードンさんに鍛えてもらった『双炎』のブレイズブレイドを構える。
僕も軽く肩を回しながら、如意天槍を短槍に変えて、静かに深呼吸をした。
……ちらりと後ろの様子を窺う。
城壁の上に据えられた銅鑼に、兵士の一人が取り付き。そして、都合三度、大きく音を鳴らした。
「前列、後列! 交代ィィ!!」
この辺りの指揮官が、よく通る声で号令を出す。
「ジェンド、行くぞ!」
「ああ!」
僕とジェンドはお互い頷き、後退してくる前列の連中に代わって、魔物との戦いに躍り出るのだった。
都合、五度の交代を経て。
ようやく、僕たちの夜番の時間は終わった。
重い身体を引きずるようにして南門の内側に撤退。僕たちと同じ時間を担当していた連中がたむろしている辺りで、腰を下ろす。
「っっ、っは~~~。やっぱしんどいな。おい、ジェンド、大丈夫か?」
「……はっ、はっ、はっ」
ジェンドは返事する余裕もない。外で気を張っていた間はしゃんとしていたが、緊張が切れて疲労が吹き出たのだろう。
できる限り明るくしてるとはいえ、やっぱ夜の戦いは勝手が違うしな。普段より、疲れも溜まる。
……うーむ。
「あ~、明日は狩りに出るの、昼からにするか?」
「ふぅ、ふぅ……大丈……いや、悪い。やっぱ明日の体調次第で」
「おう」
まあ、そこで虚勢を張らない辺り、ちゃんと自分を客観的に見れている。この辺りを見切れないやつから死んでいくので、ジェンドはしっかりしていると言っていいだろう。
……なーんて、偉そうに評価しているが、僕なんか仲間が止めてくれなきゃ何度引き際を誤って死んでたのかわからない。ある程度自分をコントロールできるようになったのは……さて、いつ頃からだったか。
「……はあ。ようやく落ち着いてきた。よし、帰ろうぜ」
「待て待て」
息を整え終わるなり帰ろうとするジェンドを止める。
「? なんだよ」
「まだお楽しみがある」
「は? ……って、他の人達もまだ帰ろうとしてないな」
南門の内側は、ユーのとこの診療所とか黒竜騎士団の兵舎なんかはあるが、基本だだっ広い広場だ。
そこに、続々とさっきまでの夜番の連中が戻ってきて、同時にこの広場で待機していた交代の夜番の人間が出ていく。
……そして、そんなむくつけき男どもの集まる広場に、もう一つの団体がやって来た。
「ん……? あれって……ニンゲル教のトコの人間か?」
「そう」
リーガレオは、北大陸の全勢力が集まっている。
主だったところでは、三大国の軍隊に騎士団。グランディス教が擁する冒険者。……そして、もう一つの大きな勢力が、大陸で第二の信徒数を誇るニンゲル教の神官たち。
ユーやフェリスのように魔導『ニンゲルの手』を使える者もいるが、基本的には非戦闘員の方が圧倒的に多い。看護士や飯場の人間、清掃員に各勢力の事務員など。
それはともかく。
ざわざわと、一仕事終えた奴らが喜色に染まった声を上げ始め、件のニンゲル教の人たちのところに並ぶ。
「……い、一体なんなんだ?」
「あれ? 言ってなかったか。夜番やった人間にゃ、ニンゲル教の神官が差し入れを振る舞ってくれるんだ。茶とかちょっとした菓子とか」
まあ、夜はドロップ拾うのも大変だし、夜番は別途報酬は出るものの、それほど高くもないし。
勿論、魔物が城壁内に侵入したりしたら中止になるが、このくらいの役得がなければ参加する者も少なくなるだろう。
この辺りは、多分上の方で色々話し合ってんだと思う。
と、説明してやると、ジェンドは怪訝な顔になる。
「そりゃあありがたいけど……それくらいで、夜番の人間が増えんのか? 正直、全然割に合わないと思うんだが」
「そこはまあ、ちょっとしたカラクリがあってな」
別に公言されているわけではないが。
おおっぴらに言うことでもないので、僕はちょっとだけ声を潜める。
「ジェンド。話は変わるが、ニンゲル教の神官は女性が多いことは知ってるよな」
「? ん、ああ」
逆に、グランディス教の神官は男の割合が若干だが多い。まあ、戦神と地母神だとそうもなろうって感じだが。
ともあれ、である。
「……夜番の労いに来てくれる神官ってのは、暗黙の了解で綺麗どころばっかりなんだ」
「……おい、まさか」
「『夜番、お疲れ様です』って、美人に差し入れてもらえるから、この街の男は頑張っている。夜番が男ばっかな理由の一つだ」
ジェンドが顔を引き攣らせた。
「そんな理由かよ!」
「そんな理由だ」
阿呆臭い理由だとは、誰もが思っている。
……まあでも、それだけで命を賭けるほどこの街の男も馬鹿ではない。
「あとはまあ。どっちにしろ、誰かがやらんといけないことなわけで。……この場合、表に立つべきなのは男だろ」
まあ、くだらない意地だと言われればその通り。
「そ、そうか」
「そうなんだ。で、その辺りをニンゲルの神官さんが汲んでくれてるわけだ。さ、とっとと並ぼうぜ」
「お、おう。で、でもだな。そういう話を聞くと、こう、フェリスに悪い気もするんだが」
なにを馬鹿なことを言っているのだ、この男は。
「あのな。ちょっと差し入れもらうだけだぞ。なに言ってんだ」
「そ、そりゃそうなんだが」
「大体……ジェンド。お前も、綺麗な人に笑って差し入れもらったら嬉しいだろ」
ぐぬ、とジェンドが口を噤む。
……素直なやつだ。
なお、勿論僕も嬉しい。シリルのことはあるが、それはそれ、これはこれというやつだ。
「よし、決まりだ。とっとと行くぞー」
ジェンドを促して、もう短くなりつつある行列の一つに並ぶ。出遅れたので、ほぼ最後尾だ。
「さて、っと。ここはどの神官さんの行列かね」
差し入れを配る神官ごとに行列が作られるわけだが、人が多すぎて見えないので、先頭の方じゃないと狙った人のとこに並ぶなんてことはできない。
久々にフィナンシェさんの笑顔が見たいところだ……が、
「はいっ、夜番お疲れ様でした。どうぞ」
……なに、この聞き慣れた感じの声。
夜更けにも関わらず、一人一人に対し丁寧な労いの言葉をかけている様子の神官。その声のトーンに、とてもとても覚えがある。
「なあ、ヘンリー。もしかして」
「……はあああああ」
期待外れに大きなため息を突き、頭をかいていると、僕の前に並んでいた冒険者が差し入れのカップを手に列を離れ……果たして、大鍋を脇に携えた救済の聖女さんが、笑顔のまま僕を睨みつけた。
「なにが、『はあ』なのかしら。……後でボコるわよ」
げっ、聞こえてた。
「あ~、悪い悪い。ほれ、ユー。後ろもつかえてることだし」
「……仕方ないわね。お疲れ、ヘンリー」
やや乱雑に、ユーは大鍋から飲み物をひとすくい。厚手のカップに入れて、僕に渡してくれた。
「ジェンドさんもお疲れ様でした。初めての夜番は大変だったでしょう? これを飲んで、今晩はゆっくり休んでくださいね」
「は、はいっ。ありがとうございます!」
僕の時とは打って変わって、聖女スマイルに聖女ボイスでユーがジェンドにカップを手渡す。
……ある程度付き合いがあるというのに、ジェンド、顔真っ赤にしてら。……まあ、確かに、夜番の差し入れに来る神官の『綺麗どころ』という条件には、これ以上ないってくらい合致している女だが。
相変わらずの外面の良さに苦笑しながら、カップの中身を嗅ぐ。
「……お、今日はホットワインか」
酒精を飛ばし、身体の温まる香辛料を効かせたワイン。
一啜りすると、自然とほう、と息が出た。
「お、美味いな、これ」
同じく、カップの中身を一口飲んだジェンドが感想を漏らす。
少し周りを見ると、同じ夜番だった連中が、同様にワインに舌鼓を打っていた。
……夜番が終わった後の、この一体感的なものも、悪くなかったりするのだ。
そして、こうして差し入れをいただきながら見上げる夜空も、また格別で。
「……ん、っし」
さんざっぱら疲れるが。
……まあ、街のため、仲間のため。次も頑張ろうと、そう思うのだった。
 




