第十八話 王都行き
第八話で名前の出ていた、ジェンドの想い人の名前を変更しました。
キョウカ→フェリス
「ふぁ~あ」
大きな欠伸をしながら、僕は熊の酒樽亭の階段を降りる。
今日も、モーニングの時間を過ぎてからの起床だ。フローティアに来てからこっち、順調に自堕落になりつつある。
そういやあ、まだ故郷が残っていた頃の僕は、割と朝寝坊する方だったな……
そんで、隊長に折檻されるのが恒例だった。懐かしいなあ。
階段から降りると、いつものように開店前の掃除をするラナちゃんが……いない。
いや、いるんだけど、掃除してない。
なんか、ノルドさんと隣同士でテーブルに座り、その向かいに座っている女性と話をしている。年は四十くらいか。ほっそりとした体躯に眼鏡を掛け、なんとなく知的な雰囲気がする。
「あら」
と、階段を降りてきた僕に、女性の方が気付いた。
「まだ宿泊客の方がいらっしゃったんですか。申し訳ありません」
「……いえ、そういうのを気にされる方ではないです」
ノルドさんが言葉少なにそう告げる。
「ごめんなさい、ヘンリーさん。ちょっと、先生とお話をしているの。モーニング、一応取っておいたんだけど……」
おう、ラナちゃん、いい子だ。愛してる。
しかし、先生とな? 確かに、教師っぽい風体だが、なんの用なんだろう。
「……すぐ済みますから。ヘンリーさん、少し待っててもらっても?」
「なんか内輪のお話ですか? だったら、僕上に引っ込んでますけど」
なんとなく、雰囲気からそう判断して、僕は撤収しようかと考える。
「大したことじゃないですよ。先生が、私に王都の学校に行ってみないか、って」
「ラナさん……もう」
あ、ちらりとテーブルの上に置いてある書類が目に入った。
色々とごちゃごちゃ書いてあるが、目を引いたのは『アルヴィニア中央大学』の文字。
「……その王都の、学校って。まさか」
「はあ……そうです。アルヴィニア中央大学。この国でも最高峰の学校ですわ」
おいおいおいおい。
なんかこの前、ラナちゃんは滅法頭がいいという話は聞いたが、まさか国の最高の頭脳たちが集まる、あのアルヴィニア中央大学に行ける程だなんて、想像もしなかったぞ。
王都に訪れた時に、ちらっと見たことがあるが、王宮近くの一等地にあるにも関わらず、敷地も広く、建物もでかい。ついでに、警備も厳重で、騎士団が見回っている程だった。
教育を是とするこの国の大学のレベルは全般的に高いが、あそこは別格らしい。大卒のインテリ冒険者が言っていた。
「でも……私なんてただちょっと勉強が得意なだけで」
「クラッジ・ノインの定理を証明できる人は、ちょっとというレベルではありません。貴女の論文、当のアルヴィニア中央大学の教授が引っくり返りましたよ」
……知らない単語だ。雰囲気的に、ラナちゃんがなんか凄い発見をしたのだろうか。
「先生……査読をお願いしただけなのに、勝手に送って」
「正直に言いましょう。私では理解が及びませんでした」
おう、すげえできるって感じのおばちゃんなのに、ラナちゃんの論文わからなかったのか。
……どういうことだ。マジで最近僕の出会う十代は才能豊かな奴が多すぎる。
「とにかく、向こうから是非入学試験を受けてみて欲しい、と手紙が来ました。推薦状も付いています」
「……でも」
ラナちゃんは渋る様子を見せるが、女性の方はすぐに話を続ける。
「とりあえず、まずはご両親とお話をね。……ノルドさん。勿論、最終的には貴方方がお決めになることですが、私としては、お子さんの才能を生かすのであれば、受けない手はないと思います」
「シェリー先生……わかりました、よく検討します」
ノルドさんとシェリー先生とやらが、お互いに頭を下げ合う。
シェリー先生は、そのまま帰っていった。
……どうしよう、割と一から十まで聞いてしまったぞ。話の流れ的に、退散する機会を逸してしまった。
「あー、そのー」
「あ、すみません、ヘンリーさん。モーニング、すぐに温め直しますね!」
ぱたぱたと忙しそうにラナちゃんは厨房に向かう。
「ノルドさん、すみません。身内話をがっつり聞いちゃいました」
「……いえ。隠すことでもありません」
髭面の、思い切り男臭い顔をしたノルドさんが、むっつりと思い悩んでいる。
そりゃそうだろう。娘の進路に悩まない親などいない。それも、遠く離れた王都に行くとなれば、容易に踏ん切りはつかないだろう。
「……ヘンリーさんは、どう思いますか」
「え? 僕ですか」
「ええ。恥ずかしながら、私はこの街しか知りません。他の街のことをよくご存知の、ヘンリーさんの意見を聞いてみたい」
ああ、これは結構参っている感じだ。そういう相談をするのであれば、もっと適役は沢山いるだろうに。
しかし、聞かれたからには、僕なりの意見を言うべきだろう。
「そうですね。こいつは、本当に個人的な意見になっちゃいますが」
あまりラナちゃんの将来にとっては、いい選択ではないかもしれない。でも、僕の意見を述べるなら、こう言うしかない。
「折角、親と一緒にいれるんだから、成人するまでくらいは、一緒にいた方が良いんじゃないですかね」
僕もそうだが、最前線の冒険者は身内を亡くした人間が多かった。
時間とともに悲しみも薄れていったが、誰しも、もっと一緒にいたかったと思っていた。
……だから、まだ十四の身空で、わざわざ遠く離れたところに住むことはない。と、思う。
「……そうですか」
「はは。まあ他の人にも聞いてみたほうが良いんじゃないですか? 僕、所詮若造ですので」
「はい。でも、ご意見ありがとうございます」
と、その辺りで、ラナちゃんが温め直したモーニングを持ってきてくれた。
相変わらず、美味かった。
翌日、僕は泊まっている部屋で冒険道具の手入れをしていた。
本格的なメンテナンスは専門店に頼むが、ある程度は自分でできないとランニングコストがかかって仕方がない。
刃物の手入れ、服やマントの補修、靴底の張替え。こういう事も、やりながら覚えた。
そういやあ、ジェンドとシリルは、この辺りは大丈夫だろうか。ティオはなんかできるとか言ってたけど。
うーん、今度聞いてみるか。
なんだかんだで、連中の面倒見るのが楽しくなってきている感はある。成長早いしなあ……
と、考えながらも手を止めず、ナイフの手入れをする。
「……ん?」
ふと、階下が騒がしくなった。
今日は、熊の酒樽亭は隔週一日の休業日だ。宿はやっているが、食堂の方は閉めている。
宿泊客の気配は僕以外ないし、ノルドさんもラナちゃんも、休みの日は静かなんだが。
はて、なにかあったかな?
聞こえてくる音から察するに、物騒なことではなさそうだが。
僕は興味を惹かれて、手入れの手を止めて階下に向かう。
階段を降りるごとに、音も大きくなる。……っていうかこれ笑い声だ。聞いたことのない女性の声。
「あっはっは! ほら、ラナも抱いてみな! お前の弟だ。将来は、どっちかがこの店を継ぐんだろうねえ!」
「あ、うん。わあ……」
……なんか大きくて美人な女性が、赤ん坊をラナちゃんに手渡している。
「むう。リンダ。なぜ、俺が抱くとこの子は泣くんだろう」
と、唸っているのはノルドさんだ。
「そりゃあ、お前さんの顔が怖いからさ! なあに、すぐに慣れる慣れる。私も、最初にアンタと会った時は、そりゃあおっかなかったけど、すぐに慣れたさ」
「……お前、最初はおっかなかったとか、見え透いた嘘を」
「冗談冗談!」
バンバン! とリンダと呼ばれた女性は、ノルドさんの背中を豪快に叩く。
「うん? 宿泊のお客さんかい」
「あ、はい、こんにちは。こちらに長期滞在させていただいている、ヘンリーと申します」
あー、これは、あれだ。
ノルドさんの、奥さんね。そう言えば、出産のために実家に戻っているって言ってたよ。あの赤ちゃんがそうか。
「そりゃあ、お得意様だ。私はリンダ。この宿の女将やってる。今後ともご贔屓にね!」
「は、はあ。それは、勿論」
滅茶苦茶豪快な奥さんだな。寡黙な印象のあるノルドさんとは全く違う性格だ。
どうなんだろう、上手くやっていけているのだろうか。
……いや、さっきの仲の良さそうなやり取りを見るに、余計なお世話だとは思うが。
もしかして、ラナちゃんも将来こんな感じになるんだろうか。……どこか芯が強くて頑固なところがあるから、なんか有り得そうだ。
「んで、ノルド。なんかラナを交えて相談があるんだって?」
「ああ、そうだ。少し、な」
あー、昨日のあれか。
ご家族のお話し合いが始まりそうなので、とっとと場を離れることにしよう。どうせそろそろ昼だ。ここは閉まってるし、昼飯食いに外出るか。
「んじゃ、僕は出かけてくるんで。ラナちゃん、頑張れよー」
「あ、はい」
赤ちゃんを抱いているラナちゃんに、適当なエールを送る。
さて、昼は何を食おうか……
曰く。
「その大学に通うかどうかはともかく、話を聞きに行ってみればいいじゃないか。学校を見もしないで、ああだこうだと、まだるっこしい!」
ラナちゃんのお母様はそう言い放ったそうだ。
丁度、件のアルヴィニア中央大学からの手紙には、研究室に見学に来てみてくれ、という誘いもあったらしく。リンダさんの方針で即決定した。
外の街に行ったことがないラナちゃんが王都に行くことは、見聞を広めるという意味でも良いことだし。実際に進路をどうするかはともかく、少なくとも悪い経験にはならないだろう。
「というわけだ、お前ら」
「あー、ラナちゃん、そんなにすごかったんですか」
「……ん、ラナはやるやつですよ」
シリルとティオは、素直に感心する。
「いやいやいや。どういうわけだよ。話はわかったけど、なんで俺たちにその話をするんだ」
そしてジェンドがツッコミを入れてきた。
「はいはい。本題はこっから。ラナちゃんは王都まで行くわけだが、店があるノルドさんも、赤ちゃんの世話をするリンダさんも、勿論同行できない」
その他、親戚の人たちも、それぞれ仕事があり、容易に王都までなんて行けない。
「というわけで、指名クエストだ。ラナちゃんを王都に無事送り届けよ、ってな。まあ、正直報酬はあまりないが……どうだ?」
僕としては宿泊客としてかなりのサービスを受けており、否やはない。それだけ信用されているって、嬉しくもある。
「? 断る理由、ないですよね」
と、シリル。ティオも無言で頷いている。
「ジェンドはどうだ?」
「うーん、みんなが乗り気なら別に良いけど。正直、冒険もしたいな、って思う」
「でも、正直ここまでハイペース過ぎだ。油断しすぎるつもりはないけど、ちょっくら旅行がてら行くのもいいと思うぞ。そろそろ息抜きでもしないと、どこかで転ぶから」
張り詰めた糸が切れた瞬間、今までなんてことなかった魔物相手に不覚を取る、なんてよくある話だ。
「そりゃあ……まあ、一理あるけど」
「あの、フェリスって子に会えるかもしれんぞ」
昔聞いたジェンドの想い人の名前を告げる。
「! ええい、それはどうでもいいだろ」
「まあまあ。どうだ?」
ジェンドがぐぬぬ、と悩む。
しかし、付き合いの長いシリルはとっくにどう答えるのかわかっているらしく、『王都って、どんなお店があるんでしょうねー』と、もう行く気満々だ。
「あー、もう。わかったよ、わかった。俺も賛成する」
「よし決まりだ。出発は一週間後な」
「なら、明日の冒険の予定はそのままでいいよな」
「ああ。それを最後に、王都行きの準備だ」
僕も、フローティアに来る途中立ち寄ったが、その時はそのまま素通りしたので王都に滞在するのは久し振りだ。
さて、なにがあるだろうかね。




