第百七十五話 星の高鳴り亭
リーガレオの街並みを歩く。
比較的栄えていた北区から、東区を経由して南へ。
南下するに従い、商店などは姿を消し、代わりに冒険者が泊まる宿や兵士たちの駐屯地が目立つようになる。
更に……壊されたまま放置されている廃墟も、段々と増えていった。
「うわぁ……本当に、壊された建物がそのままですね……」
「ああ。道にこぼれた破片とかは撤去されてるけど、持ち主が死んだり、リソース不足で建て直しが間に合ってなかったりしてな。放置されっぱのもあるんだ」
壊された建物が放置されているなど、フローティアではほとんど見ることのない光景だ。面食らった様子のシリルに説明してやる。
「流石に景観が悪いですし、子供が好奇心で立ち入ったりしたら危ないですから。一応、順次建て直しや更地化は進めているんですけどね。持ち主が死亡していると、諸々手続きが時間がかかるらしくて」
「? ユースティティアさん、この街に、子供なんているんですか」
ジェンドが尋ねる。
……うん、まあ。子育てには著しく不向きな街だし、実際数は普通の街よりぐっと少ないはずだ。
でも、無視できるほど少ないわけでもない。
「あー、そのー」
「ジェンド。この街はな、めっちゃ娯楽少ないんだ。んで、まあ。男女がいれば、お手軽な娯楽があんだろ」
言い淀むユーに代わって、僕が答えることにする。『ちょっと! 昼間っから!』とユーが抗議してくるが、この程度でなにを馬鹿なことを。根が生娘なんだからこいつは……いや、実際も多分そうだろうけど。
「えーと、もしかしてだが……」
「ヤればデキる。当たり前だよな?」
避妊しろという話だが、まあこう、盛り上がってしまったりして……子供を作ってしまう輩は存在する。
そういうやつらが全員、この街から安全な後方へ移動できればいいのだが、色んな事情があって離れられない者もいる。
そんなこんなでまあ、ある程度の子供は存在するわけだ。
なお、子供ができてしまうやつは、冒険者が圧倒的に多い。モラルが低い連中が多いのが、これだけでもわかる。……まああと、命の危機に直面すると滾るしな。
「あとは、昔の僕みたく、ガキのくせに最前線に自分で出てくるやつも、いなくはない」
「そいつはまた無謀っつーか……」
呆れた様子のジェンドに、さっとユーが目を逸らす。
なにを隠そう、最前線では怪我をしている人が多い、という噂を聞いて……僕と同じく弱冠十二歳でソロでリーガレオに突入してきた女なのだ、ユーは。
「まぁ、ジェンドの言う通り、ほとんどは無謀なだけのクソガキ……いや、僕も人のことは言えないけど。そういうやつなんだが。たまーに、ありえねーくらい強いのもいる」
「そ、そうなのか」
マジで突然変異としか思えない出鱈目なやつが、稀に出てくるのだ。
ユーとか、当時からそこらの上級治癒士を鼻で笑えるレベルの治癒魔導使ってたし。
「ほっほう。ならもしかして私も、子供の頃から来ていれば、天才魔法少女シリルさんとして名を馳せていたのでは? むう、惜しいことをしたような気がしないでもありません」
「阿呆か」
妄言を吐き始めたシリルにツッコミを入れる。
っつーか、天才魔法少女って。サンウェストで出会ったエミリーの影響を受けている気がするぞ、オイ。
……いや。でもまあ。魔力は昔から化け物じみてたみたいだから、もしかすると本当に高名になっていたかもしれない。シリルの身体能力じゃ生き延びる事自体が相当厳しかっただろうが。
「むう、そう否定することないじゃないですか。……いえ、むしろこれは『伝説はここから作っていけばいいぜ』、というヘンリーさん流の励ましですか?」
「あー、うん、そうそう。そうだぞー」
適当に肯定する。
……我ながら、棒読みにも程があると思うのだが、当のシリルは『お任せください! 頑張りますよー!』と無邪気にやる気を燃やしている。相変わらず、チョロい。
そうして、雑談しながら歩いていき。
……ようやく、目的地が見えてきた。
「みんな、あれだよ。僕たちが泊まる予定の『星の高鳴り亭』」
記憶にある建物より真新しく、頑丈そうに作り変えられているが、全体的な印象は変わっていない。
六階建てで、青い屋根に星型の看板がトレードマークの、冒険者向けの宿。
この街ではありふれたつくりで、特に際立って特徴的なところはないが……英雄二人を含めた凄腕が集まる宿として、界隈ではそこそこ有名である。
いや別に、一定以上の実力がないと宿泊できないとかそういう制約があるわけではないのだが、なんかそうなってた。
「あれですかー。ふんふん、あの星のマークの看板、かわいいですねえ」
「宿の名前が名前だからな。あれだけは何度建て替えても付けてるんだ」
ここらに来るのは久し振りだが、あれがあるから一発でわかった。
「アゲハ姉も、同じ宿なんだったよね」
「ああ。まー、そこそこ飯も美味いし、いい宿じゃあるんだが……アタシの首刈りに理解を示してくれる冒険者がいないのが不満っちゃあ不満だな」
この世に存在するかどうかすら怪しい存在をハードルにするのはやめろ。
「……さて、それでは。私はそろそろ診療所の方に戻らないといけないので。ヘンリー、皆さん。また夜、お会いしましょう」
「アタシも、ちょっとソロでちょっと狩ってくっから。んじゃな」
ユーとアゲハが去っていく。
さて、と。
「んじゃ、行くか」
そうして僕は、懐かしの宿に戻るのであった。
星の高鳴り亭に足を踏み入れる。
この宿は客室は二階からで、一階は受付と食堂、そして談話室、浴場がある。……という作りは、先代の建物から変更していないらしい。
朝晩は一階はそれなりに賑わうが、この時間は大体が冒険に出ているため、がらんとしていた。
いるのは、受付に座りながら、ぺらりぺらりと小説のページを捲っている、十二、三くらいの少年……に見える男。
客が来たというのに、視線は本に固定されている。……まー、この宿に泊まってんのはほとんど長期逗留のやつばっかだから、そうなるのもわからんではないが。
……相変わらず、本の虫だな。
仕方なく、僕は口を開く。
「クリスさん。ちょいといいですかね。客なんですけど」
「ン……ちょっと待て、今いいところだ」
商売やってる自覚あんのかなこの人!?
相変わらずの調子に、はあ、と重いため息をつき、仕方なく待つ。
……たっぷり十分は客を放置して、『うむ』とクリスさんは頷いて、本に栞を挟んで顔を上げた。
「ああ。ヘンリーじゃないか。手紙通り、お前含めて新規の客が五人だな? 鍵はこいつだ。前の建物と勝手は同じだから、あとは適当にやれ」
五本の鍵を適当に放り投げ、クリスさんは再び本を開……いやいやいやいや。
「うちの仲間に、自己紹介くらいしてくれてもいいんじゃないですかね。これから長くお世話になるんだし」
「……まぁ、道理か。オードリー先生の久々の新刊を堪能していたところなのだが」
面倒臭さを隠そうともせず、ようやくクリスさんがちゃんと対応する姿勢になる。
……が、そこでシリルが余計な口を開いた。
「あのー、ヘンリーさん。この子、このお宿の手伝いの子でしょうか? なんでさん付け?」
「……小娘。この耳が見えないか? 言っておくが、俺はこう見えて百五十六歳だ。エルフでな。この街は多くの種族が生活している。純人種の常識だけで判断するんじゃない」
「? でも、エルフさんって、体の成長は人間と同じじゃ。小さいのは他に理由が?」
うん、そうだよ。老化が極端に遅いだけで、成熟するまでは人間と同じペースで成長する。ハーフリングやドワーフみたく、純人種と比べて体格に極端な差があるわけじゃない。
つまりは、クリスさんの発育が単純に悪い……だけなのだが、
「人の身体的特徴を揶揄するとはいい度胸だ気に入った! 小娘、貴様の食事は向こう一週間芋一個だけだ。喜べ、ちゃんとふかしてやる」
「ええ!?」
……それがすげーコンプレックスなんだよね、この人。本の虫で理屈っぽいところを除けば、割合面倒見がいい人なんだが、身長のことをつつくとこうなる。
「ちょっと! なんの騒ぎ?」
そうして、ぎゃーぎゃーと騒いでいると。
食堂の方から、一人の女性が姿を現した。
――ああ、懐かしい。
などと、感傷にふける暇もなく、クリスさんが声を荒げた。
「おお、パティか! いいところに来た。今日からうちに泊まるというこっちの小娘だが、年上に対する敬意というものが足らん。その辺りを教育してやるため、こいつに出す食事はふかし芋一つにしてやってくれ」
「……ああ、そういう」
はあ、とその女性……パトリシアさんが、納得したように深いため息をつく。こちらは、普通に成熟した見た目の女性……だが、実はこの人もエルフで、年の頃九十いくつかだったはずだ。
「ごめんねー、お嬢さん。この人、ちょーっと拗らせてて」
「こ、拗らせているとはなんだ!」
「『ごめん、私、自分より身長が低い人はちょっと……』って、お姉ちゃんにフラれたの、もう五十年は前でしょ。そろそろ吹っ切りなよ」
アアア゛ア゛!? とクリスさんが頭を抱える。
「……な、なあヘンリーさん。ええと、この人達は」
「クリスさんが、この宿の亭主。で、パトリシアさんはその奥さん」
呆気にとられているフェリスに教えてやる。
「ず、随分とその……ゆ、愉快な人たちだね?」
「精一杯配慮した表現なのはわかるが、あんまりフォローになってないぞそれ。でもまあ、この人達の夫婦漫才は宿の名物みたいなもんだ。適当に面白がっとけばいい」
犬も食わない、というあれである。
「でもなんか、不穏なこと言ってた気がするんだが……本当に大丈夫なのか、ヘンリー」
「ああ、パトリシアさんのお姉さんのことね。大丈夫、あの人の鉄板ネタで、ここに泊まってるやつはみんな知ってるから」
クリスさんとパトリシアさんの姉は幼馴染らしく。で、クリスさんはずっと好きだったらしいんだが……それはもう盛大に玉砕したらしい。
もう吹っ切れたとはクリスさん本人は主張しているが……振られた理由が理由なので、元々コンプレックスだったところを更に拗らせた、というわけである。
うん、しかし。
……久し振りに会うと、なんていうか濃すぎて胃もたれしそう。
「え、ええい。今はそれより客だ! ヘンリーの仲間たち。俺はクリス。ここの亭主だ。……そっちの小娘、今回は見逃してやるが、以後気をつけるように!」
誤魔化すようにパトリシアさんから視線を切って、クリスさんがこちらに向けて自己紹介をする。
「もう、クリスったら。……ああ、ごめんなさい。私はパトリシア。クリスの妻で、ここの食事は私が作ってるの。リクエストがあったら言ってね。……あと、ヘンリー、おかえりなさい」
「……はい、どうも。ただいま帰りました」
僕はパトリシアさんに深く頭を下げる。
僕は、十二から二十二までこの宿で世話になった。特に、ロクに稼ぎのない子供の頃は、宿の仕事の手伝いをして泊めてもらったりしていて……この二人は頭の上がらない人たち筆頭なのである。
「どうも、はじめまして。ジェンドといいます」
「シリルです。さっきはすみませんでした……けど、小娘扱いはやめてくださいね! レディなんですから!」
「フェリスです。今日からお世話になります」
「ティオ」
みんなも挨拶をする。
ふん、とクリスさんは一人一人観察し、
「……まあ、歓迎しよう。ようこそ、星の高鳴り亭に。この宿の名通り、綺羅星のような活躍をすることを期待している」
そうして、僕たちはリーガレオでの宿を得るのだった。




