第百六十八話 温泉 その二
「おおー! ヘンリーさん、こっち見てください。夕日がすごくキレーですよ~」
きらぼしの間に入るなり、シリルは荷物をほっぽり出し、窓に齧りついた。
はあ、と僕は溜息一つ。シリルの隣に立つ。
……丁度、太陽が向こう側の山に隠れるところ。窓から見える大自然の景色も相まって、確かに絶景だった。
「走ってきた甲斐があったな。もうちょっと遅れてたら、見れないとこだった」
「ですねえ~」
それきり、僕たちは黙って夕日が落ちるのを眺め続ける。
ぎゅっ、とシリルが手を握ってきた。……大体それでなにをして欲しいのか察して、僕はそっと抱き寄せてやった。
……それきり沈黙が落ちるが、まあー、こういう時間を共有するのは嬉しいもんである。
太陽の光が途切れるまで、たっぷり十分ほど。そんな風に過ごして……夕日が完全に落ちてから、僕たちは自然に離れた。
「はー、ヘンリーさん、今のはなかなか良かったですよ! シリルさんポイント追加です!」
「……そのポイント制度まだ生きてたんだ」
「それは勿論! 満点まではまだまだ遠いですよー」
適当ぶっこいているのはわかるが、今具体的に何点なのかはちょっと気になる。
……まあ、どうせ数えてないだろうけど。
「はいはい。えーと、とりあえず座るか」
部屋の中は、サギリ家の客室と同じような感じ。背の低いテーブルに、足のついていない椅子……に座布団が敷いてある。
そして、テーブルの上には、お茶セットと数枚のパンフが置かれていた。
どっこいしょ、と腰を下ろす。
「ヘンリーさん、お茶淹れますか? お湯を沸かす魔導具もあるようですが」
「……アカネさんに散々飲ませてもらったから今はいいや」
アゲハの件を話すに当たって、何度も何度もおかわりを促され、ちとお腹たぷたぷである。それはまた後でもいだろう。
「そですかー。んで、このパンフはー……ほうほう、館内案内図とユカタ? の着方らしいです」
ほむほむ、とシリルがユカタとやらのパンフを読んでいる間、僕は館内案内図の方に目を通してみる。
えーと、ここの旅館の目玉である露天風呂は……この部屋からは割と近い。あと、離れ湯といって、別のところもあるらしい。
それに、遊戯場、土産物屋、一階の大広間に……夫婦湯? なんだこれ。
「あ、ヘンリーさん、そっち貸してください」
「ん、どうぞ」
読んでる途中だったが、別に構わない。
シリルに館内案内図を渡し、もう一つのパンフを読む。
……あー、浴衣、ね。リシュウの民族衣装の一つで、要は部屋着らしい。各種サイズが部屋にあるので、ご自由にお使いください、か。
大陸からの観光客も多いからか、着こなし方について簡単な図解も付いていて、初見の僕でもよくわかった。……つーか、そんなに複雑な服でもないし。
「折角だし、着てみるかー」
ぐるっと部屋を見渡すと、すぐに見つかった。いくつもの布が丁寧に折りたたまれており……僕はその中で、二番目に大きなサイズの浴衣を手に取る。
「よっ、と」
浴衣を着るのに、今着ている服は邪魔なので脱……
「ちょっ! ヘンリーさん、いきなり脱がないでください!」
「……ええ」
お前、今更。
しかし、シリル流の冗談ではないらしく、なんか耳まで赤くなってる。
……あの、シリルさん? 貴女、もう僕と何度もやってますよね? そう回数をこなしているわけではないとはいえ、いくらなんでも初心過ぎないっスか。
――などと、問い詰めたい気持ちでいっぱいだったが、それを言うのはあれだ。藪をつつくってやつだ。
わかったよ、と僕は素直に引き下がって、縁側に退避。縁側と部屋の間には可動式の仕切り……障子とかいうやつがあったので、それで姿を隠して、ちゃちゃっと着替える。
「……お、結構着心地いいな」
特別いい生地って感じではないが、なんていうか肌に馴染む。軽くて動きやすいのもいい。
「っと、どうだ、シリル?」
「結構似合ってますよー。でも、ちょっと帯の位置が……こうしたほうがいいかと」
シリルが僕の帯の位置を修正する。……ふむ、僕としては違いがよくわからんが、服飾関係ならシリルの言うことを聞いて間違いはないだろう。お洒落さんと自称するだけあって、色々と詳しいし。
「それじゃヘンリーさん、私も着替えます」
浴衣を手に、僕と入れ替わりるように縁側に向かうシリル。
………………むう、
「……シリル、見てていい?」
「駄目に決まっているでしょう!」
ぱちーん! と。
すれ違いざま、背中に張り手を食らった。
……服がいつもより薄いせいか、ちょっとピリピリした。
「さ、どうでしょうか。浴衣姿のシリルさんは!」
浴衣に着替えた後。シリルは『これは髪型も弄ったほうがいいですかねー』と、部屋に備えられていた姿見の前で髪を軽く結い上げ。
どうだ、と言わんばかりの自信満々の笑顔で、感想を求めてきた。
まあ、その、なんだ。
……軽く見惚れたことは、口を噤んでおこう。
「あー、似合ってるぞ。うん」
「へへー」
ニマニマと、シリルは嬉しそうにする。……マズい、可愛い。
ん、んん! と咳払いをして、一旦仕切り直す。
「と、とりあえずだ。そろそろいい時間だし、ジェンドたちと合流して、風呂に――」
『おーい、二人ともー』
と、丁度そのタイミングで、ノックとともに、ジェンドの声が響いた。
はいはい、と扉を開けて出迎える。
すると、僕たちと同じく浴衣に着替えたジェンドとフェリスの姿があった。
「よ、ヘンリー。お前も着替えたんだな。こっちの部屋はどうだ?」
「部屋に入った時、丁度夕日が落ちるところでな。いい景色だったよ」
「そうかー。俺たちの部屋の方は、教えてもらった通り裏の滝が見事だった」
そっちも後で見せてもらうことにしよう。
とりあえず入って、と二人を促す。
「いらっしゃい、ジェンド、フェリスさん」
「やあ、シリル。髪型も変えたんだね。うん、綺麗だよ」
「ありがとうございます! フェリスさんもどうですか? リボン余ってますけど」
シリルは素直に喜び、鞄から無地のリボンを一つ取り出す。
「私はいいよ。髪も短いし」
「そこは私にお任せあれ! ちょっと短くても上手く整えてあげますから」
ならなんで最初意見聞いたんだ。
と、内心ツッコミを入れていると、シリルはフェリスの後ろに回り込み、『座って、座って』と肩を押さえた。
「もう、すぐに風呂に行くんだろうに」
フェリスも観念して、腰を下ろす。
「そうですねえ、なら簡単に……」
シリルはフェリスの髪をちょいちょいと編み上げていく。……他人の髪型をよくあそこまで簡単にいじれるもんだ。
「おおー。確かに、風景はこっちの方がいいな。星もちらほら見え始めてるし」
その間、ジェンドは窓の外を見て、声を上げていた。
「もうしばらく泊まる予定だし、明日は部屋交換してみるか?」
「いや、ヘンリー。明日からは男女別の予定だろ」
……そうだった。
ティオが合流するのだから、今の部屋割はできないんだった。
「やっぱティオ、ちょっと疎外感とか感じてるかもなあ」
ジェンドにだけ聞こえるよう、小声で呟く。こういう相談は、うちのパーティの女連中は苦手なので、あまり聞かせたくはない。
「うーん、どうだろ。ティオだぜ?」
「そうなんだけどさ」
パーティの他のメンバーが恋人関係。僕がティオの立場だったら、とっととパーティを抜けているかもしれない……が、ティオのあの性格だと、本当に気にしていない気もする。
まあでも、そうは見えて……ってこともあるし、フォローは考えとかないと。
「ヘンリーさん、ジェンドー? こそこそ内緒話していないで、そろそろお風呂に行きましょうー」
フェリスの髪はもう終わったのか、シリルが呼んでくる。
「ま、この話はまた今度な」
「ああ。今は風呂、風呂っと」
そうして、僕たちは四人連れ立って旅館の中を歩いていく。
館内の案内図は、一度見て頭に叩き込んだ。地形や道の把握は冒険でも必須なので、こういうのを覚えるのは割と得意である。
いくらも歩かないうちに露天風呂の入り口に辿り着いた。
入り口は男女に分かれている。時間帯ごとに、男湯と女湯が入れ替わるらしい。
「それじゃ、私とシリルはこっちだね」
「おう、シリルの面倒頼むな。はしゃぎすぎてこけたりしないように」
「……むう、私だってそこまで子供ではありませんよー、だ」
僕がフェリスに頼むと、シリルは口を尖らせるが、自分でもあまり自信はないのか反論に力がない。
視線でフェリスに重ねてお願いする。あっちもシリルの面倒は慣れたもので、『任せておいてくれ』と頷いた。
男湯の入り口をくぐり、脱衣所でちゃっちゃと服を脱ぐ。
そうして、露天風呂へ……
「おおー」
入ると、自然と口から声が漏れた。
「こりゃすげえな」
自然岩で囲まれた湯船がまず目を引く。
そして洗い場と、湯冷ましがてら寛ぐためなのか、木製の安楽椅子がいくつか。
――これだけなら、大陸の大衆浴場と大して変わらないが。
真正面。壁などがなく、完全に開けた風景。向かいの山々の雄大な姿に、空を見上げれば月と星。
湯に浸かりながらこの景色を楽しむ……なんとも贅沢な感じだ。
気が急くが、湯船に入るには色々と作法があり、注意事項として看板まで立てられている。
それに沿って、僕とジェンドは入る前に身を清めて、いざ突貫――
「ああ゛~~~、いい。いい湯だ」
「変な声だすなよ。……でも、気持ちはわかる」
白濁した熱い湯に肩まで浸かると、なんともいえない充足感がある。
じわじわと手足の先から熱が伝わってきて、その代わりに疲労が全身から抜け出ていくようだった。
ひとしきり湯の感触を堪能したら、景色の方に意識を向ける。
――風呂に入った心地良さとともに、風景がじんわりと心の中に入ってくる。
大陸では魔物の関係上、作ることはできないが……どこかの好事家かなにかが、リシュウ風の温泉旅館を作りたい、そのために山を開拓したい、とか言ったら協力していいとまで思えた。
『わ~、フェリスさん、フェリスさん! すごいですよ、これ!』
『こら、シリル。はしたないからやめなさい』
……ちょっと浸っていたら、一気に現実へと引き戻す声。
「あ~、ったく。風呂上がったら説教だな、こりゃ」
ふとした独り言は湯気とともに消える。
……まあ、上がったあとのことは置いておいて、今はじっくりとこの温泉を堪能することにしよう。




