第百六十六話 アゲハの過去と今
サギリの家……アゲハの実家に到着して、幾人ものお手伝いさんに歓迎され。
アカネさんの案内のもと、僕たちは一つの部屋に招き入れられた。
「こちらの客間で、しばらくお寛ぎください。今お茶を淹れてまいりますから」
「ああ、いえ。お構いなく」
「いえいえ、ティオちゃんのお仲間さんを歓待しなかったら、私が主人に怒られてしまいますので」
ふふ、とアカネさんはそっと笑って、音もなく障子を閉める。
足音が遠ざかっていく気配がして、僕はふう、と一つ息をついた。
「座布団敷きますから、皆さん座ってください」
と、ティオが隅に積まれていた薄いクッションを、部屋中央のテーブルの周りに敷いていく。
大陸の家とは違い、リシュウの家屋は靴を脱いで上がる。床に座るのも普通のことらしいが……野外活動でならともかく、家の中で床に座るのってなんか変な感じだ。
「よ、っと。……へえ」
思わぬ座り心地の良さに、僕は少し声を上げる。
「おおー、薄いのにふかふかですね」
「そうだな」
……待てよ、薄いのに、ふかふか?
「? なんですかヘンリーさん。私をじっと見て」
「……なんでもない」
いや、変なことを連想してしまった。まだ日も高いのだ、煩悩よ、去れ。
……しかし、良かった。珍しい感触に気を取られているのか、最近とみに鋭いシリルだが、僕の視線に気付かなかったらしい。
なんて、僕が反省していると、ジェンドが肩を回しながらボヤき始める。
「ふう~、しかし、やっと一息だ。ヘンリーほどじゃないけど、慣れない船は疲れた」
「そうだったのかい? 普段と同じに見えたけど」
「いやいや、結構気疲れしたんだぜ。部屋が狭いから肩凝るし、丸二日もロクに運動できなかったし」
まあ、毎日のようにハードなトレーニングをしているジェンドからすると、体が疼くのだろう。船酔いでそれどころではなかったが、言われてみれば僕もちょっと動き回りたい。
「ティオは……慣れてるから平気か」
「いえ、普段の貨物船なら、相乗りさせてもらう代わりに色々と船の手伝いをしてましたから……私も、ちょっと軽く剣でも振りたいところです」
大体の装備は外していても、護身用にといつもそれだけは身に付けている腰の短刀をティオが撫でる。
ゴードンさん特製の短刀。強靭だが極薄で、固い外皮や鎧の隙間を縫うように斬りつけられる……有り体に言って、暗殺者の道具のようなやつだ。
更に、刀身を見えづらくするよう色んな工夫が盛り込まれており、僕だって夜に抜かれたら刃を目視できる自信はない。
「まあ、この家でそんなに動き回れるような場所はないので、我慢ですね。庭で素振りくらいはできますが……お手伝いさんとかびっくりさせるでしょうし」
「あれ? ここ、アゲハの実家なんだろ。叢雲流の本家ってことだし、道場とかあるんじゃないのか?」
てっきりそういうのがあるのかと思っていたが。
「あー、ここは商家としてのサギリ家の邸宅なので、そういうのはないんです。叢雲流の訓練は……ほら、元々サギリの本拠があった叢雲山の方で鍛錬していまして。あちらの家には広い道場がありますし、山が天然の訓練場なので」
「ああ、例の山ね」
リシュウに来るにあたって、軽くサギリ家周りのことも聞いている。
サギリの家は、五、六十年くらい前までリシュウで起こっていた内戦で、密偵のようなことをして生計を立てていたらしい。
そして、その頃のサギリ家の本拠地が叢雲山。そのお山の方には今も家があるらしい。
今はカイセイで商家として大成功を納めており、そちらの家はあまり使っていない……とのこと。
「アゲハ姉は、子供の頃は山に篭もって訓練三昧だったそうです。隠居したハヤテお爺ちゃんに無理言って、稽古をつけさせていたとか」
ええと、ハヤテっていうのは、確かティオの祖父であるシデンさんの兄、だったよな。
しかし、つけ『させていた』とか、実にアゲハらしいエピソードである。
と、考えていると、部屋の外でため息をつく気配がする。
そっと障子が開き、頭の痛そうな顔をしたアカネさんが姿を現した。
「……どうも、お待たせしました」
お盆に大きな急須と湯呑が六つ、後は……ええと、あまり馴染みのない形だが、多分お菓子。急須と湯呑は、ティオの家でも扱っていた商品だから、用途は知っている。
アカネさんが湯呑にそれぞれ茶を注ぎ、僕たちに配ってくれた。
「こちらのお菓子も遠慮せずどうぞ。贔屓にしているお店のお煎餅なんです」
「センベイ……ですか。はい、いただきます」
なんか茶色の丸い板に、黒いのを貼り付けたようなもの。すん、と匂いを嗅いでみると、どこか香ばしい美味しそうな香り。
バリッ、と噛んで見ると……おお、食感はちょいと固いが、美味いじゃないか。
次いで、湯呑を取って熱い茶を啜ると、実にいい塩梅である。
「あ、美味しいです!」
「原料はライスっぽいな。緑茶とよく合う」
みんなも舌鼓を打つ。
ティオは食べ慣れているのだろうが、好物なのか僕でもわかるくらい幸せそうだ。
「口に合ったようでなによりです」
「はい、ありがとうございます」
あと引く味なので、ついつい二枚目にも手を伸ばしてしまう。
三枚目……は、流石に遠慮した。ティオが食べたそうだったし。
そうしてお茶を飲んでいると、先程の……アゲハの幼少時代の話になる。
「本当に、あの子は大変な子供で……。才能があったのか、十になる頃にはお義父様も手を焼くほどの腕になっていたんです。お歳を召していたとはいえ、お義父様は内戦終盤でいくつもの伝説を打ち立てた人なんですけど」
伝説、ねえ。
流石にこっちの内戦の深い事情までは知らないが、伝説ならばアゲハも現在進行形で打ち立てている。特に、魔将を奇襲からの首チョンパでブッ殺したのは、ちょっと他の奴には真似できない。
「まあ、おかげで英雄なんて称号を頂いて成功しているのですから、私が口を挟むことではないかもしれませんけど……本当、子育ての苦労というのを味わいました」
当時のことを思い返したのか、アカネさんが深い溜め息をついて、そう締めくくる。
……でも、本当にそれ子育ての苦労かな? 別種の苦労じゃない? ……と聞くのは流石に憚られたので、僕は口を噤んだ。
ふと。そこで、シリルがはいっ、と手を挙げる。
「そういえば、アカネさん。私、一つ聞きたいことがあるんですけど、いいでしょうか?」
「はい。ええと、シリルさん、でしたよね? なんでしょうか」
ええと、とシリルは言葉に迷っているのか、少しの逡巡の後、
「あの、アゲハさんやたら首刈りを狙うんですが、あれは一体どういう理由で?」
……あ、聞いたか、そこ聞くのか。
しかし、僕も気にならないと言えば嘘になる。『理由なんてない』とアゲハ本人は言うが、しかし母親であればもしかしたら心当たりがあるかもしれない。
……知ったところでなんの得になるわけでもないが、寝ぼけて首狙われた経験多数の僕としては、その原因くらいは聞いておきたいのだ。
「……? 首、ですか?」
「ほら、アカネさん。アゲハ姉、アゲハ・ネックスラッシュとかいう変な技開発していたじゃないですか」
「それは知っていますけど、技の一つがそうだからって……え? アゲハ、どうなっているの?」
~~っ、まさか母親が知らなかった、だと!?
い、いや、考えてみれば当たり前で。リシュウでは、魔物はごく一部の地域にしか生息していない。だから人間同士の内戦なんてする余裕があるのだが……あいつの偏執的なまでの首狙いが知られるってことは、つまり普通の動物やその、人間とか? をやっているってことで。
……流石にアゲハもそんなことはしていなかった、というだけのことである。
アイツ、露骨過ぎるほど首刈り狙うのに、実はわざわざ吹聴したりもしないし……って、これやばいんじゃないか?
「ちょ、ちょっとヘンリーさん。詳しいお話を。『首刈り』の二つ名は、魔将の首を取ったからじゃないんですか?」
……ある程度名の知れた冒険者に与えられる二つ名。
あいつ、ああいう奴なんだって。じゃあこういう二つ名はどうだ? みたいな冒険者の噂がある程度広まるとできあがる、事実上の通称。
アゲハは冒険者始めて一年で『首刈り』の二つ名を戴いていた。異論を唱える冒険者は一人もいなかった。
英雄になって外に出るようになったけど、その前からアイツは『首刈り』である。
……と、いったことをどう説明すればいいのか。
「えーと、その、あのー、ですねえ」
僕は視線を彷徨わせ、どう答えたもんだと頭を悩ませる。
助けを求めるべくみんなに視線を向けるも……すげなく目を逸らされた。
……どうしよう。シモンさんに、アゲハのことをこのアカネさんに話してやってほしい、と言われて安請け合いしたのは、アゲハのあの性癖……もとい、執着……いやいや、その、そうだ、拘り。
あの首への拘りについて、親戚であれば周知の事実であると思っていたからである。
さて、そのことを知らない人に、アゲハの……控えめに言ってドギツイ諸々のエピソードを公開なんかしたら。
……うん、肉親の人だと、卒倒しかねん。
そんな僕の表情に、なにかを察したのか。
「どうやら、私が思っていた以上に、アゲハは羽目を外しているようですね。……お茶を淹れ直して参ります。皆さんは夕刻には出発するのでしょう? それまでにあの馬鹿娘のこと。よくよく聞かせてもらわなければ」
アカネさんは据わった目つきになり、急須を手に立ち上がる。
止めようと声をかけようと思ったが、とてもそんな雰囲気ではない。
……でも、羽目を外してる、なんて表現を使う辺り、まだまだ想像力が及んでいない。いや、あれの行状を想像しろという方が無理筋なのだが。
例えば、冒険に出かける時『今日はアタシ的に首刈りパーティー……略して首パの日なんだ!』と胸を張って言ったりとか。……無論、言葉だけな分、こんなん序の口である。
「ヘンリーさん……責任は取ってくださいね?」
「なんの責任だよ! 悪いのはアゲハの大馬鹿野郎であって、僕じゃねえよ!」
シリルが肩をぽんと叩いてそう言って。
僕は魂からの反論を口にするのだった。




