第百六十五話 リシュウ到着
「ヘンリーさん。足元、気をつけてくださいねー。よろめいて、海に落っこちたりしないように」
「だ、大丈夫……」
シリルに心配されながら、船のタラップを歩く。
……結局、二日目も船酔いに悩まされ、薬は飲んだものの、そいつが効くまえにリシュウに到着した。
……ほんっとーに辛かった。甲板で吐いていた時に陸地が見えた時は、おお母なる大地よ、なんて地母神の信徒でもないのにニンゲル教の聖句を頭の中で唱えてしまったほどである。
「帰りはやっぱ泳いで……」
「はいはい、馬鹿なことを言っていないで。もうちょっと長く効く薬を調合してあげるから」
「でもフェリス。調合つっても、リシュウの植生は大陸とは随分違うって聞くぞ」
医術や薬学をアルヴィニア王国で学んだフェリスの技術が使えるのだろうか。
「向こうの薬草を取り扱っているお店もありますし。それに、酔い止めの薬くらいはこっちでも売ってますよ。島国だから、船を使う機会は向こうより多いので、よく効くのも多いです」
「ああ、考えてみればそれもそうか。ティオ、この無謀なリーダーに、いいのを見繕ってやってくれ」
「わかりました」
むう、船の中じゃちょっと――あくまでちょっとだけ!――情けない姿を見せてしまったからな。
無駄に心配をかけてしまった気がするが……まあ、気にかけてくれること自体は嬉しい。
「しかし、噂には聞いていたし、船からも見えてたけど……リシュウ式の建物は、やっぱ随分大陸のとは違うなあ」
ジェンドが港から見える街並みを、珍しそうに眺める。
「でもジェンド。いくつか、大陸風の家もあるみたいだぞ。ほら、あそことか」
「ああ、本当だ。でも、なんでだ?」
僕が指を差すと、ジェンドが首を傾げる。
「この街は、毎日のようにシースアルゴと行き来する船がありますから。向こうの大工さんを呼ぶのも比較的簡単なんです。で、仕事とかでこっちに移住した人たちが、住み慣れた家を求めて建てたりするんですよ」
流石にこの辺りの事情には詳しいのか、ティオが解説してくれた。
「そういや、ガンガルドには、ゴードンさんが作ったリシュウ風の建物があったなあ」
やっぱり、よく知っている建築様式の建物の方が住みやすいのだろう。
……リーガレオにもリシュウからの義勇兵の人たちがいたけど、苦労して作ってもすぐ壊れるあの街じゃあ、流石に作る気起きなかったんだろうな。
「ふむふむ、服装もちょっと変わっていますねえ。お洒落っ子のシリルさんとしては、服の一着でもお土産に買っていきたいところです」
「内陸部の方はもっと変わってますよ。服飾に関しては、この街は特にアルヴィニアの影響が大きいので、違和感は少ない方です」
「ほうほう。じゃ、ティオちゃん、リシュウの服屋さんにそのうち案内お願いします!」
「まあ、いいですけど」
フェリスさんもー! と、二人との腕を組んでなにやらテンションを上げているシリル。
……まあ一応、服の一着くらいは奢ってやるか。船では面倒かけたし、そういや最近プレゼントみたいなの贈ってないし。
「っとと。くっちゃべるのもいいけど、ティオ。確か、迎えの人が来るって話じゃなかったか」
事前に手紙でやり取りをしていたのだ。
「あ、そうですね。ええと」
船に乗っていた知り合いを迎えに来た人が、岸辺には何人もいる。
そちらにティオは目を向け……あっ、と小さく声を上げて、手を振った。
「見つかったのか?」
「はい。……ほら、あの人。アゲハ姉のお母さんですよ」
向こうもティオに向けて手を振ったのでわかった。
アゲハの母親なのだから最低でも三十代半ばくらいのはずだが、それを感じさせない若々しい女性。柔和な笑顔が人となりを現しているかのような、結構な美人さん。
「……シリル、なぜ僕の脇に肘を入れる」
「なーんか、変なことを考えている気がして」
「阿呆か。そりゃ美人とはちょっと思ったが、アゲハの母親だぞ」
つまり、人妻である。……いや、そういうジャンルを好む男がいることは確かだが、僕はちげーよ。
「むう、私、可愛いとは言われても、美人とは言われたことなかったような」
「言われて欲しかったら、その形容に相応しい感じになってくれ」
「ふーん! 私ももう数年もしたら、大人の魅力がバリバリ出るんですからね!」
今でさえ、実年齢より大分子供っぽいのだが。……数年で変わるかあ、これが?
大人の魅力溢れるシリル……駄目だ、僕の想像力の限界を超えている。
「……そう、期待しとく」
などと、僕は口だけの期待を口にして。
迎えに来たという、アゲハのお母さんと合流するべく、歩き出すのであった。
「ティオちゃん、久し振り!」
「久し振りです、アカネ伯母さん」
合流すると、アカネさんとやらは満面の笑みでティオを歓迎する。ティオの方も、珍しく素直に喜んだ顔をして、アカネさんの抱擁を受け止めていた。
「それで? そちらが手紙にあったお仲間さん?」
「はい」
一応、パーティの代表として、僕が一歩前に出る。
「ヘンリーといいます。……最前線の街リーガレオでは、アゲハさんと組んだこともありました」
アイツをさん付けするのはすげえ違和感があるが、しかし親御さん相手では仕方がない。
「ええ、ええ。お名前だけは、実は以前から存じておりました。あの子がたまにくれる手紙にヘンリーさんのお名前が。手紙、貴方が書くように言ってくれたんでしょう?」
「……はい、一応」
故郷がちゃんと健在なのに、便りの一つも送らないのはいかがなものか。
なーんて、アゲハにウザがられながらも、忠告しまくったのだ。
僕は手紙を送る先もなかったから、その代償行為だった、気も、するが。
……ええい、やめやめ。折角の旅行に、辛気臭い。
シリル、ジェンド、フェリスの三人も、それぞれ自己紹介をする。
「これはご丁寧に。私はアカネ・サギリと申します。そちらのティオちゃんの伯母で、皆さんもご存じのアゲハの母です」
アカネさんは実に丁寧なお辞儀をする。
所作が一つ一つ洗練されており、ふわり、という表現の似合う笑み。噂に聞くリシュウ美人とはこういう人のことを言うのだろう。
……娘はああなのになあ。
顔立ちは似ているけど、逆に言うと顔立ちしか似ていない。
「アカネ伯母さん、そっちのおうちの人は元気?」
「ええ、勿論。シモンくんとティナさん、それにお父さんは?」
「お祖父ちゃん、狩りをやめて暇らしくて、最近釣りにハマってるよ」
ティオと近況を報告し合うアカネさん。柔らかな応対で、ますますアゲハとは似ていない。
(ヘンリーさん、ヘンリーさん。そのー、アカネさん、アゲハさんとはこう、随分印象が)
(口に出すなよ。失礼だぞ)
(いえ、口には出していないんですが)
(……いや、そりゃそうだけど)
シリルがヒソヒソと神器『リンクリング』の能力で頭の中に話しかけてくる。
この神器は、密談にも色々と好都合なのだ。
……それはそれとして、初対面の人の陰口みたいなことを言うのは感心できない。
「ああ、すみません。つい、ティオちゃんと話し込んでしまって」
「いえいえ、全然いいですよ」
元々、ティオの挨拶がメインの目的なのだ。
「……もしかしたら、アゲハと似てない親子と思われるかもしれないですけど。私もこれで、昔は少しやんちゃだったんですよ?」
ギクリ、と心臓が少し跳ねる。
……あ、完全に見透かされてらぁ。
ジェンドとフェリスも、少なからず似たようなことを考えていたのか、愛想笑いをしている。
「さて、長旅で疲れていらっしゃるでしょう? うちのお屋敷にご案内しますから、ついてきてください」
「はい、よろしくお願いします」
アカネさんとティオが先頭に立ち、僕たちはそれについていく。
街中に入ると、まさに異国、って感じだった。
建築様式や服装だけでなく、荷車や馬車の形も違うし、お店の人が客を呼び込む掛け声も違う。店の看板の字もリシュウ風に崩されており、向こうの表記に慣れている人間はぱっと見は読めないだろう。
……海で隔てられているせいで、昔は交流がなかったはずなのに、大陸とリシュウで言葉や文字が多少の訛りなどがあれど同じなのは、色々な学説がある。
言葉や文字は神様が授けてくれたからだ、とか。リシュウ人のルーツは漂流した大陸人だ、とか。
まあ、僕は興味はない。秘境の民みたいに、全然別の言語を使ってて意思疎通ができない、なんてのよりずっといいし。
「あ、ヘンリーさん。あっち、あの木彫り細工可愛いですよ」
「はいはい、お土産買うのは、とりあえず落ち着いてからな」
自然と腕を絡めてきて、きゃっきゃとはしゃぐシリルをなだめる。
……まあ、腕組んだままだと歩きづらいけど、いいか。後ろじゃ、ジェンドとフェリスも似たような感じだし。
「仲が良いんですね。……ティオちゃんもいい人はいないのかしら」
「? 皆さんいい人ですが」
違う、そうじゃない。
トボけた返事をするティオに内心突っ込むが、言っても無駄だってことはよくわかっている。
アカネさんも大体想像はついていたのか、頬に手を当てて『あらあら』と口にするが、さほど意外そうな顔ではなかった。
「もう、一昔前なら婚約者でも押し込まれていたところよ」
「そういう意味ですか。……面倒がないのであれば、見合いでもなんでも構いませんけど」
大陸でも、都市部では比較的少ないが、田舎では親同士が結婚相手を決めることは少なくないと聞く。
だから別に、恋愛が一番大事だー、なんて言うつもりはないのだが……ここまで無関心なのも珍しいぞ、おい。
「アゲハも、どうせそういう人はいないんでしょうし……困ったわね。サギリの血が途絶えちゃうわ」
「アカネさんご夫妻かうちの両親が、もう一人、二人こしらえれば済む話では」
「ティオちゃん!」
あまりの物言いに、アカネさんが声を上げる。
……うん、僕も今の言い方はちょっとアカンと思う。直球すぎんだろ。
「……はあ。まあ、案外、好きな人ができたらころっと変わるのかもね」
「そうですかね」
ティオはピンと来ない様子だ。
……まあ、そうなったら素直に祝福してやるとしよう。
とか考えていると、ティオとアカネさんが一つの門の前で足を止めた。
……随分、大きい。このカイセイの街は結構発達した街で、地価も高いだろうに。フローティア一の商人、ジェンドの家よりデカイ。
「こちらが、サギリ家本邸になります。現当主の妻として、歓迎いたします」
そうアカネさんが言って。
……その言葉に反応して、ゆっくりと門が開いていくのであった。




