第百六十一話 熊の酒樽亭への帰還
ラナちゃんの勲章授与の式典はつつがなく終了。
アルヴィニア中央大学の講堂での授与式は一般にも公開されていた。しかし、新聞の一面に掲載されたとはいえ、一部の専門家向けの発行部数も少ないもの。一般の人の参加者は少なく、関係者を除けば魔導学関連の学者や学生が少し集った程度。
逆に、そのくらいの方がラナちゃんとしても気楽だったらしいので、まあ結果オーライである。
ただ、彼女の発明した術式が広まるにつれ、世間からの注目は避けられないだろう。ちらりと聞いたが、アルヴィニア王国にとって、サレス法国、ヴァルサルディ帝国への大きな外交カードにもなりつつあるそうだし。
『まさか、もう拉致なんてするところまで話が進んでることはないだろうが。周囲を嗅ぎ回る連中くらいは出てくる。近くにいる時はできれば注意してやってくれ』
王都から離れる時、ベアトリスさんにはそう忠告された。
領主であるアルベール様の方にも、彼女の身辺に気をつけるよう、別ルートで連絡がいくらしい。
『ま、あの子はまだ子供だし。あまり心配をかけないよう色々と動く予定だよ』
ベアトリスさんはこうも言っていた。恐らく、身辺警護の人間かなんかがこっそり付くんだろう。
……なんというか、ラナちゃんが一気に別世界の人間になった感がある。
その一方で、空き時間に母親と一緒に観光に行ったり、王宮の客室に突撃してきたアイリーン様と、シリルともども乙女らしい話題に花咲かせてたりしていた辺りは、年相応の女の子といった風情だ。
すさまじい天才性と、普通の少女の感性が自然に共存しているのは、ラナちゃんの取り柄だろう。
「? なんですか、ヘンリーさん」
「んにゃ、別に」
ゴトゴトと小さく揺れる帰りの馬車の中。
つらつらと考えながら、正面に座るラナちゃんをなんとはなしに見ていると、怪訝な顔を向けられた。
手をひらひら振って、なんでもないことをアピールする。
「ヘンリーさーん? ラナちゃんをじーっと見て、もしや浮気ですかぁ?」
そこで、僕が浮気なんてするはずがない誠実な……そう、誠実な男! であることをよく知っているはずのシリルが、暇なのかそんな風に絡んでくる。
「……はあ、なに言ってんだ。するわけないだろ」
きっぱりと断言してやると、うんうんとシリルは何度も頷き、こうのたまった。
「そうですよね。ヘンリーさんは私にメロメロですから!」
……いや、メロメロって、お前。
「……誰がメロメロだ」
頬を引っ張る。むにーん。
「ひゃ、ひゃめてくださひゃい!」
「はいはい」
ぽん、と手を離した。
「……シリルさんのほっぺ、よく伸びますね。お餅みたい」
「おもち……ああ、なんか聞いたことあるような」
「リシュウの郷土料理です。ライスを加工したものですよ」
ティオの言葉から、記憶をたどる。
……ええと、リーガレオ時代の新年祭の時に、リシュウからの義勇軍の人がなんか木でできたハンマーと臼でそんな名前のもの作ってたな。
味見させてもらったが、味付けが色々あって、どれも美味しかったっけ
……うん、そういえば、確かによく伸びる食べ物だった。
「むう、シリルさんのほっぺたは玩具じゃありませんよ」
「戯言をぬかす方が悪い」
「戯言ってなんですかー」
シリルの抗議に対し、僕は物理的に耳をふさいで聞こえない振りをしてやり過ごす。
そのやり取りを見て、ラナちゃんとリンダさんが笑っていた。
「おーい、そろそろフローティア見えてきたぞー」
と、馬車の外で、ジョギングしながら並走していたジェンドの声が届く。
いい加減座ってて尻も痛くなり始めていたので、僕は立ち上がって御者台の方へ向かった。
「ああ、どうも。いつ来ても、この街はいい景色ですね」
「……はい、そうですね」
貸馬車の御者さんの言葉に、僕は心から同意する。
曇り一つない白亜の城壁に囲まれた、美しい街。街を一望できるほどの遠くからでも、植えられたいくつもの花がフローティアを彩っていることが見てとれる。
そして、日光を反射して煌めくルカン湖と、街の背後に聳え立つ霊峰アルトヒルン。
……僕が最初にフローティアに来たのは、丁度一年前の今くらいの時期だった。
あの時と変わらない風景だが、しかしその景色に対する僕の思い入れは大きく変わっている。
最初に訪れた時は、これからの生活への期待と少しの不安があった。
今は……
「わ~~、やっと帰ってきましたねー」
ぐいぐい、と僕を押しのけてシリルも御者台に顔を出し、フローティアの街を見て声を上げる。
……そう。
僕も、同じだ。帰ってきた、と自然に思った。
――宿暮らしだったくせになに寝言言ってんだ? とか突っ込まれそうだから口には出さない。それもこれも熊の酒樽亭の居心地がいいのが悪い。
とか、内心言い訳をしつつ。
僕は懐かしの街を眺めながら、到着するまでの時間を過ごすのであった。
門のところで皆と別れて。
僕とラナちゃん、リンダさんは熊の酒樽亭まで戻ってきた。……今更、別の宿を選ぶ理由もない。
昼を大きく過ぎた時間帯だが、ここの食堂はランチタイムから通し営業をしている。久方ぶりにここで食事、ついでにちょいと早いが修行終了記念に酒の一杯でも……と思ってやって来たのだが、
「あれ、お休み?」
扉のところに、誠に申し訳ありませんが只今休業中です、の看板が立てかけてあった。再開の時間は……夜になっている。
「……っと、そうか。この時間の給仕二人がいないんだから、当たり前か」
混雑する時間帯は何人ものお手伝いさんを雇っているが、昼のピークを過ぎて夜の客が押しかけてくるまでは、家族であるラナちゃんとリンダさんが交代でフロアを回していた。その二人が王都に行っていたのだから当然……
「ああいえ、ヘンリーさん。私達がいない間は、この時間にも人が来てくれるようお願いしていたんですが」
「誰かが体調不良とかかねえ? ……まあいいや、どうせノルドは夜の仕込みでもしてるだろ」
リンダさんはさっさと扉を開ける。
「あんた! 今帰った……よ……」
リンダさんの言葉が尻すぼみになる。
なんだなんだ、と店の中を覗いてみると、リンダさんがペコペコと平謝りしていた。
「申し訳ありません、領主様がご来店とは知らず、とんだ失礼を」
「いえいえ、このくらい構いませんよ。領民のみんなに支えられてこその伯爵家ですから」
……果たして、店のテーブルの一つで、店主であるノルドさんと差し向かいに座っていらっしゃったのは、フローティア伯爵家当主アルベール様であった。
「やあ、ヘンリーさんじゃないですか。こんにちは。帰りは今日だったんですね……と、いうことはシリルも今は館の方に?」
いきなりの遭遇に僕もちょっと動揺していたが、んん゛、と咳払いをして、居住まいを正す。
「ただいま戻りました、領主様。シリルは真っ先に領主館に向かいましたよ。領主様、アステリア様へお土産を渡すんだ、と張り切っていました」
「はは、あの子らしい」
領主様は上品に微笑んで、視線をラナちゃんに向ける。
「やあ、こんにちは。君がラナちゃんかな?」
「はい、ご領主様におかれましてはご機嫌麗しく」
ちょこん、とスカートの端を摘んで、ラナちゃんが可愛らしくお辞儀をする。流石は宿の娘、リンダさんのように不意打ちでなければ、貴族への対応も見事なものだ。
「はは、ご挨拶ありがとう」
「はい。でも、ご領主様、私のことをご存じだったんですか?」
「それは勿論。ヘスタ二等勲章といえば、非常に権威ある勲章だからね。そんなものを授与された人間がこの街から出たとなれば当然さ。……しかし、我が領の期待の星が、こんなに可憐な少女とは流石に知らなかったな」
「そ、そうですか? ありがとうございます」
不意に褒められてラナちゃんは照れ照れする。まあ、リップサービスも含まれているだろうが……実際、もう少し成長すりゃあ世の男共が放っておかないだろう。
「ええと、それで領主様。今日はどのようなご用事でうちのお店に?」
「ああ、大したことではないんですがね。この辺り、夜も人通りが多いでしょう? トラブルもたまに起きていますし、兵の巡回を強化しようと思いまして。それで、この界隈の顔役のノルドさんに相談に来たというわけです」
巡回、強化……
ベアトリスさんから聞いた、領主様にもラナちゃんの身辺に気をつけるよう通達がいくという話が脳裏をよぎる。
僕が気付いたことに気付いたのか、領主様は僕だけに見えるよう小さくウインクした。
「そういうことでしたか。では、私達は奥に引っ込んでおきます。なにかご用事がありましたら申し付けてください」
「ああ、いえ。話も終わって、今は少し雑談をしていたところです。……うちの『娘』も家に戻ってきたようですし、そろそろお暇しますよ」
ふっ、と領主様は笑って、荷物を手に立ち上がる。
店の壁に張り付いて待機していた護衛の兵士さんを連れて、さっと熊の酒樽亭を去っていった。
領主様が帰って、改めてこの店の家族が顔を合わせる。
「……とりあえず、二人とも、おかえり」
「ああ、改めてただいま、ノルド」
「お父さん、ただいま!」
コクリ、とノルドさんは頷きで返した。
「ヘンリーさんも、どうも」
「はい、またしばらくお世話になります」
相変わらず寡黙な印象を受ける人だが、本当に歓迎してくれていることはなんとなくわかった。
「で、あんた。店の方は変わりなかったかい?」
「大事ない」
「そうかい。んじゃ、ちょいと着替えてくるから、そしたら休業の看板下げて、とっとと再開しちまおう」
……なんかリンダさんがすごいことを言い出した。
「あ、あの。旅の疲れとかは?」
「そんなもの、働いていりゃ吹っ飛ぶさ。ああ、ヘンリーさんは早めに呑みたいんだっけ? 少し待ってな!」
……慣れない馬車旅に結構疲れているように見えたのだが、今のリンダさんにそんな疲れは欠片も見えない。
いや、早くに飯と酒にありつけるのであればありがたいのだが、無理とかしてないよね?
「お母さん」
と、考えていると、ラナちゃんがリンダさんに話しかけた。
「ん? なんだい、ラナ。ああ、ラナは休んでてもいいよ」
「そうじゃなくて。お祖母ちゃんのところに、ランド迎えに行かないと」
……まだ生後一年経っていない、ラナちゃんの弟ランドくん。
母親であるリンダさんが不在の間は、実家の方に預けられていると聞いている。
……確かに、早く母親に会いたがっているだろう。
そういえば、修行のためここを発つ前は僕の顔も覚えていてくれたが、忘れられていないだろうか。
「……あ~、そうだね。それはそうだ。悪いね、ラナ」
「ううん、いいよ」
バツが悪そうにリンダさんが謝る。
まあ、腹は減っているが、夜の営業再開まで我慢……
「お店の方は私がやっとくから。久々だし、頑張るよ」
「ああ、頼んだよ」
……マジすか。
偉い人との会談や会食、勲章授与の式典、空いた時間は観光……と一番ヘトヘトのはずのラナちゃんが、すごいやる気出してる。
本当に休んだほうがいいんじゃないかな~、でも、めっちゃ溌剌としてるしなあ、と考えていると、ラナちゃんがまずは宿の台帳を持ってきて僕に問いかけた。
「……ヘンリーさん! 先にお宿の方の手続き、お願いします。今回は何泊されますか? 三連泊以上だとお得ですよ」
「んじゃ、五泊で」
「それでは……連泊の割引とお得意様価格で、二千五百ゼニスいただきます」
宿賃を渡す。代わりに、いつもの部屋の鍵を渡された。……空いてたのか、よかった。
「それじゃ、お部屋に荷物置いてきてください。一息入れて戻ってくる頃には、お料理出しておきますから。まずはいつものでいいですよね?」
「うん、お願い」
はーい、という元気のいい返事を受けながら。
僕は懐かしき階段を登るのであった。
コミカライズ第二話後編がWEBに掲載されましたー




