第百五十二話 決戦 前編
魔将ギゼライド発見の報が届いたのは、街の周りが瘴気に覆われておよそ数分後だった。
警戒の斥候は何人も出していたが、あまりに遠くまで索敵しようとするとどうしても穴ができてしまう。自然、警戒網の範囲は限られ、魔将が瘴気を放つ前に発見とはいかなかった。
……まあ、これは予想通りではあったので、そこからの動きはみんな迅速だった。
予めある程度組み立てておいた防衛のための柵を、街からやや離れた位置に構築。そこからは大体三段に分かれて布陣。
柵の外側。ここには赤竜騎士団、及び冒険者の中でも腕利きの者たち。
柵の内側すぐにはシリルやエミリーも所属している魔導や魔法、弓などによる砲撃部隊と護衛の緑竜の騎士。
更にその後ろにはサンウェスト市軍と冒険者の中でも上級は厳しい連中が立つ。
上級相手でも戦える人や遠距離攻撃組が柵の外で数を減らし、それでも抜けた魔物を普通の兵士さんや冒険者達が袋叩き、というシンプルな作戦である。昨日の今日で、それほど複雑な作戦など準備のしようがなかったのでこうなった。
なお、魔将が事前に魔物を作成して回り込ませたりしていた場合のため、赤竜騎士団の二割ほどは街の城壁についている。
僕とユー、アゲハは当然柵の外組、かつその先頭だ。
「よう、ヘンリー。調子はどうだ?」
軽く体を解しながら魔将が来るのを待っていると、騎士達への訓示を済ませたゼラト団長が、軽い調子で話しかけてきた。
「調子は……まあ、普通ですね。いつも通りです」
強敵を相手にするのだからそりゃ少しは緊張しているが、動きを阻害する程ではない。丁度いい緊張感である。
「そうかい、そっちの聖女サンに首刈りサンはどうだい?」
「ああ、魔将の首をいただくんだ。当然絶好調に決まってんだろ! アタシはやるぜ~」
おいっちに、と柔軟をしていたアゲハが、親指を立てて断言する。
……この女はもう少しこう、シリアスできないのか。
「私も問題ありません。ご心配ありがとうございます、団長様」
「はっ、別に心配してるってわけじゃねえ。……ああでも。なんかあってもちゃーんと俺が控えてんだ。マズそうだったら、早めにヘルプ出せよ」
……この台詞のどこが心配していないというのだろう。いや、あえて指摘はしないが。
頬をかいて、魔将が来るであろう方角を見る。割と開けているが、まだ来ない。
「おっせーなあ。なあ、ヘンリー。いっそこっちから攻めにいかねえ? ちんたら歩いてるトコをこう、奇襲かまそうぜ」
「却下だ、却下。一撃でやれなきゃ、魔物生み出されて袋叩きだぞ」
アゲハのたわけた提案を一蹴する。……いや、こいつも本気で言っているわけじゃない、はずだ。軽口を叩くことでいつものペースを保つというアゲハなりのリラックス法……ということにしておいた方が八方丸く収まるだろう。
「ちぇー、っと。ん?」
そうしたアゲハの声が聞こえていたわけでもあるまいが。
……四方都市に接続する、立派な街道。その先から、凄まじい違和感が近付いてくる事にその場の全員が気付いた。
少し待つと、道の向こうから一つの影が現れる。
……でかい。身の丈二メートル超。ところどころ破損した鎧を身に着けているが、その覇気はとても最前線から逃げ出した奴のものとは思えない。
それに、これだけ離れていても、普通の人なら数分で昏倒してしまうような瘴気を垂れ流していたる。
魔将が万全であれば、一般人どころか騎士であっても気合を入れないと立っていられない……ってのを考えると随分マシだが、それでも前に踏み出すのを躊躇するのに十分な威圧感だ。
「来たぞ! 魔導と魔法組は準備進めてろ! 合図したらありったけ撃て!」
ゼラトさんが後方に指示を飛ばす。
冒険者は小規模な戦いに参加することが多く、必然的に発動の早い魔導流派を好むが、賢者の塔所属の面々の使う魔導は事前に十分な準備が必要なものもある。
詠唱式を補助に使う連中も多いのか、雑然とした声が響き渡り、
「~~~~♪ ~~♪」
そんな喧騒の中でも、しっかりと耳慣れた歌は聞こえる。
シリルの魔法歌。歌い始めでも、明らかに他を圧倒する魔力が高まっていく。……その存在感が、なんというか、背中を押してくれているような気がした。
「……相変わらず凄い魔力ですね、シリルさんは」
「ああ。この前も最上級ほぼ一撃で仕留めたからな」
「魔力だけならリオルのじっさま以上だな。……まぁ、アタシは首を刎ねられない魔法にゃ興味ないけど」
アゲハが阿呆なことを言いながら、すっ、と自然に後退し、騎士達の間に紛れる。
……前面に立つのは僕の役割だ。
「ユー」
「はい」
声をかけると、ユーも承知したように頷き、朗々と詠唱を始めた。
「『我が英雄よ、貴方の力を見せてくれ。私の光とともに、その剣で邪悪を打ち払ってくれ』」
ニンゲル教の由緒正しい力ある言葉。それがユーの呪唱石である複数の腕輪に光を灯し、
「『ティンクルエール』」
その光が、僕を包んだ。
ともすれば翻弄されそうな力の高まりを、いつものように制御する。
……リーガレオから離れて一年くらい。あそこを離れてから、この強化魔導を受けるのはユーの故郷を訪れた時が最後だった。
一応、昨日慣らしのために使ってみたが……昨日と変わらず、息を吸うように増大する力を受け止められる。
これは、何気に僕の力の許容量みたいなのが上がったのか。それとも、ユーと一緒にやった、こいつを使いこなすための地獄の特訓の成果がまだ生きているのか。
あるいは。
……入念な調整が必要で、難易度が高いはずの強化魔導を、未だに研鑽しているどこかの聖女さんが凄いのか。
「……なんですか」
「なんでもない」
ついこないだまで復帰するつもりもなかった僕相手の強化魔導の腕を、よくもまあ維持してたもんだ。
おかげで、負ける気はしな……三割くらいしか負ける気はしない。
魔将が顔がはっきり見える距離まで近付いてきて弱気の虫が頭をもたげるが……まあこのくらいがいつもの僕の気の持ちようだ。いつでも自信満々のアゲハやエッゼさんの真似はできない。
腰の如意天槍を引き抜き、槍の長さに。くるりと手の中で回転させ、構え、
――その辺りで、魔将ギゼライドがこちらの砲撃組の射程に入った。
「今だ! 撃ッッェエエ!」
ゼラト団長の合図とともに、背後の柵から無数の攻撃が飛ぶ。
火に氷、雷等の基本的な属性攻撃に、純粋魔力の破壊光線。矢に投槍、どこの人間の趣味か投石まで。
次々と着弾していく攻撃は、しかし魔将は涼しい顔で躱し、あるいは拳で叩き落としていく。
……地形を変えかねない程の飽和攻撃はしかし、魔将の歩みを止めることもできない。
「《極大化》+《極大化》+《破壊》+《加速》+《斉射》!」
……そして、一際よく通る声で術式の起動キーを唱えるエミリーの放った魔導の射撃が、凄まじい速度と威力で持って魔将に殺到する。
数々の攻撃の中でもそれは脅威に感じたのか、魔将は手に大剣を顕現させ、真正面から打ち払う。
――と、そこで一瞬だけ足が止まった。
「……おっと?」
自分の直上に集まる極大の魔力に、初めて魔将が声を上げて目を見張る。
――逃がすか。
「《強化》+《強化》+《固定》+《拘束》!」
新しい術式も混ぜた四連の魔導を槍に纏わせ、僕は全力でブッ放す。
ユーの強化の恩恵を受け、最上級すら上手く当たれば一撃で倒せるかも知れない投槍が飛んでいく。
途中で穂先を複数に分裂させたそれを、魔将は全力で叩き落とし……僕の目論見通り、《固定》と《拘束》の術式によりその場に縫い留められる。
こんな足止め、数秒と持たないが……しかし、その直後に魔将の上空から極大の雷が降り注いだ。
シリルの決め技、『ライトニングジャッジメント』。……二体の最上級を仕留めた、必殺の魔法。
倒せはしないまでも、ダメージくらいは。
「なかなかに手厚い歓迎だな。痛み入るぞ」
のそっと。
巻き上げられた土煙の影から、無傷の魔将が姿を現した。
「……そうかい。気に入ってもらえたならなによりだ」
ゼラト団長が後衛の追撃を手で制して、魔将に応対した。
あれだけ火力を集中させても、ほぼノーダメージ。であれば、後衛の矢玉や魔力は、魔将が生み出す魔物の方に向けた方がいいということだろう。
そして、こうして口上に付き合っているのは、時間が経てば経つほど向こうの『枯渇』が進み、こちらの有利となるからだ。
……見ると、額の辺りの肌に、罅割れのようなものが走っている。感じる圧力からはとてもそうは思えないが、限界は近いはずだ。
「ああ。特に最後のは肝が冷えた。流石に直撃すれば、俺もタダでは済まなかったろうな。そっちの戦士もいい援護だった」
「……まんまと抜けといて、よく言うよ」
いくらなんでも、シリルのあれが直撃して無傷なんてわけがないとは思っていたが、当たる前に僕の拘束から逃げたってわけか。
抜け出た瞬間は雷の極光で見えなかったから、本当にギリギリのタイミングだったのか。……あるいは、余裕見せてるだけなのか、判断がつかない。
「それで? 俺らの歓迎に満足してくれたというのなら、このまま回れ右して帰っちゃくれないかね。うちの街の連中も、あんたにいつまでも関わってるほど暇じゃあないんだ」
「おいおい、どうせもうすぐ俺は枯渇死だ。勝っても負けても、これが最後の戦ってことになる。せめて最後まで歓迎してくれよ」
……魔将にも色々な連中がいる。アゲハが殺った、計算高く狡猾なバゼラルド。僕の故郷の仇で、あまり感情を見せず、淡々としていたジルベルト。
僕の知っている二人に比べれば、随分と人間味のある奴だ。
「俺達としちゃあ、適当にそこらで野垂れ死んで欲しいんだがな」
「そいつは寂しい。それに、我が王のために、最期にもう一働きといかなきゃな」
ふっ、とギゼライドは笑って、
「俺は魔将。魔将ギゼライド! 悪いな、サンウェスト防衛に集まった諸君! 俺の道連れになって、死んでくれ!」
『お前だけ死ね』
高らかに名乗りを上げ大剣を掲げたギゼライドの『右側』から、声が響く。
ギゼライドは弾かれたようにそちらを向き、
――ギゼライドの『左後ろ側』から現れたアゲハが、魔将の首に向けてナイフを走らせた。
ビギィ! と。金属が擦れ合う嫌な音が響く。
「ッッッ、チッ!!」
ギゼライドが掲げた篭手が、アゲハの奇襲の一手を防いだ。
……あわよくば、これで決まらねえかと期待してたが、流石に虫が良すぎたか。アゲハの隠し技『音飛ばし』の術式まで使って意識逸らしたのに。
「っあ~~~! くっそ、くっそ。テメェ、そこは大人しく刈られとけよ!」
反撃を受ける前に素早く僕の側まで下がってきたアゲハが、文句を飛ばす。
「悪いがそれは聞けない相談だな! しかし、警戒しておいてよかった。やはり、首を狙ってきたな、アゲハ・サギリ」
「んぁ? アタシのこと知ってんのか」
そうだ、とギゼライドは肯定する。
「同胞を一人打ち倒した英雄のことくらいは知っている。そちらの救済の聖女とやらとよく一緒にいるそうだからな。姿が見えなくて警戒していたのだ。……あの声がなければ、もっと余裕を持って防げていたとも」
ニヤリ、と笑うギゼライドに、プライドを傷つけられたらしいアゲハが、ぎりぎりと歯ぎしりをする。
……その鬱憤は、この後の戦いで存分に発揮して欲しい。
「それに、ジルベルトを倒した戦士もいる。最期の戦場としては悪くない」
……エッゼさんの援護くらいしかできなかった僕のことまで知ってんのか。
魔物の他は魔将しか前線に出てこない魔国も、なんらかの情報収集手段はあるらしい。
これも貴重な情報で覚えておくべきだが……それより、この場を切り抜ける方がまず優先だ。
「さあ、いくぞ」
ギゼライドの言葉とともに、彼の背後から黒い煙のようなものがいくつも立ち昇り始め、それぞれが塊となっていく。
そうして形をなしたのは、あるものは獣、あるものは翼持つもの、あるものは爬虫類……のような姿を持つ、上級の魔物達。
目算数百はいる。最悪の想定よりはマシだが、それでも対処を一つ間違えれば街が壊滅する規模だ。
「……おう、三人とも。魔物のことはこっちに任せろ。魔将の方、頼むぜ」
「はいっ!」
ゼラト団長の言葉に応えて、
僕は、魔将ギゼライドへと、一直線に突貫した。
ようやく仕事が落ち着きを見せつつあるので、ペースを戻せるようがんばります。




