第百四十六話 エミリーと勉強
影が長く伸びる夕方。僕はずっしりと重い買い物袋をいくつも持って、シリルと二人で並んで歩いていた。
本日は近所の行きつけの食料品店の特売日。日持ちする食材を中心に、あれやこれやと買った結果、普通の人が持つと十メートルも進めないほどの量になった。
「今日は安いのたくさんありましたねえ」
「……それはそうだけど、お前買い過ぎだよ」
「折角家に大きな冷蔵庫があるんですから、しっかり活用しないとー。ほら、ヘンリーさん健啖家ですし」
まあ、大半は僕の胃に収まることになるんだから文句を言う筋合いはないのかもしれないが……僕も決して疲れないってわけじゃないんだぞ。
「ふんふーん」
鼻歌を歌いながら歩くシリル。なんか、文句を言う気も失せてくる。
同じように帰路につく人達の流れに乗って、僕たちは家に到着……っと、
「こんばんは、二人共」
そして、家の玄関の前で佇んでいたのは、僕と同じくクロシード式の講習を受けているエミリーであった。初遭遇ではやや喧嘩腰? であったシリルとはすっかり意気投合しており、講習が終わった後お茶しにいったりしているらしい。
「あれ、エミリー? 五時の鐘が鳴る頃、って約束してたと思うんだけど。待たせちゃった?」
「ああ、ごめんなさいシリル。友達の家に招かれてテンション上がっちゃって。ちょっと早く着きすぎちゃったわ」
そして、今日はとある約束をしており、うちにお招きしたというわけである。
買い物とかあったのでもう少し遅い時間にうちに来てもらう予定だったのだが……まあ、この様子だとそれほど待ちぼうけていたわけでもなさそうだし、いいか。
「それにしても、綺麗なお家ね。こんないい家、家賃も高いんじゃないの?」
「いやー、それがちょっとしたコネで安く借りているんです。あ、鍵開けますねー」
シリルが玄関を開けて先に上がり、ささ、と手招きする。
「どうぞどうぞ、エミリー。入ってください」
「ええ、お邪魔します」
で、僕は……買い物袋全部持ったままだと、玄関通れねえ。仕方なく、玄関先にいくつか袋を置いて、キッチンへと少しずつ運んでいく。
二回目の往復の時。シリルが薬缶を手に話しかけてくる。
「ヘンリーさん。熱湯ください、熱湯。エミリーにお茶を出すので」
「《火》+《水》」
熱めに調整した湯を薬缶に入るよう放出した。後は少し火にかけりゃすぐ沸騰するだろう。魔導を使った時短テクである。
「どうも」
ぺこり、と一礼して、シリルは薬缶をキッチンの魔導コンロにかける。
「そんなに気を使わなくてもいいわよー?」
「いえ、このおうちにお客様を招くのは初めてなので、歓迎させてください。させろ」
リビングのソファに座っているエミリーの言葉を、シリルは秒で却下した。つーかこいつ、たまにこういう命令口調になるなあ。親しい相手限定で、内容も可愛らしいもんだが。
シリルは鼻歌を歌いながら薬缶を火にかけ、休みの日の飲んだり来客に出す用に買ったちょっといい茶葉を棚から取り出す。
まあ、後はいいようにしてくれるだろう。茶を淹れるのも上手いしな、シリルは。
エミリーの歓待はシリルに任せることにして、僕は次の買い物袋を持ってくるため、再び玄関へ。
……と、五つあった買い物袋の中身をようやく整理し終えた頃には、シリルとエミリーはリビングのテーブルを囲ってお茶をしていた。
「あ、ヘンリーさん。お疲れさまです。どぞどぞ」
「おーう」
エミリーの対面、シリルと同じソファにかける。そうすると、シリルがいそいそとお茶を僕にも淹れてくれた。
……うむ、相変わらず美味い。
「はあ……いいお茶ね。シリル、おかわりもらってもいい?」
「どうぞどうぞ、ご遠慮なく。今日はヘンリーさんがお世話になるらしいですし」
ぐむ、と僕は苦い顔になる。
……いや、こんな時間まで付き合わせるのは本意ではないのだが、
「五日後だっけ、クロシード式の資格試験。ヘンリーさんも熱心よね」
「まあな。追い込みかけてんだけど、一級になるとどうも参考書だけじゃわかんないトコが多くて……面倒かけるけど、頼む」
「ええ、任せて頂戴」
クロシード式の試験は、月一回やっている。つまり、サンウェスト滞在中三回チャンスがあるわけだが、呪唱石の加工に時間がかかるため、早めに受かってしまいたい。一級のみに許された素材の加工は、当然それなりに時間がかかるのだ。
幸いにも実技の方は余裕で合格ラインに乗っているのだが、こう、筆記の方で苦戦していた。
そこで、既に一級の資格を持ち、意外にも人に教えるのも上手なエミリーに助っ人を頼んだわけである。
フレッドも頭はいいが、あいつまだ二級だから、一級の深いところまでは把握していなかった。
茶を飲み干した後、上品にティーカップを置き、エミリーが持ってきた鞄を漁って筆記用具やテキストを取り出す。
「さっ、お茶も堪能させてもらったし、早速始めましょう」
僕も残っていた茶を一気飲みし、カップの片付けを……って、シリルがさっと持っていった。片付けの手際もいいな、あいつ。
「よろしく頼む、エミリー」
僕も、用意していた勉強道具を取り出し、小さく頭を下げる。いくら年下だろうと、今日はこっちが一方的に教わる立場だ。ちゃんと礼儀正しく……
「そこは美しくて聡明なエミリー先生と呼んで欲しいわ」
と、思っていた僕の出鼻を、エミリーは見事に挫いてくれた。
え、そ、そんな風に呼んで欲しいの? いや、無理に付き合わせているのだから、言って欲しいなら言ってもいいが……
「う、美しくて聡明な、エミリー、先生?」
「ん~~~」
なんか浸っとる……嬉しいのか? 本当に? 演技とかではなく?
「ええ、気合入ったわ! この私にどーんとお任せておきなさい! あ、二回目はいいわ、呼びにくいでしょうし」
「……わーい、ありがとう、エミリーせんせー」
言動からは不安しか感じないが。
しかし、実際エミリーはできるやつなので……僕はとりあえず無心になってヨイショし、エミリーのご機嫌を取るのだった。
「ヘンリーさん、エミリー。晩ごはんの支度がそろそろ整いますけど……ヘンリーさん、大丈夫です?」
エミリーの勉強会が始まって一時間と少し。
わかってはいたが、クロシード式一級の高度問題は相当に難しく、僕は脳みそがひきつけを起こしそうになっていた。
「ええ、大丈夫よ。ヘンリーさん、そんなに飲み込みは悪くないから。一つ一つ噛み砕いて説明すれば、ちゃんと理解できるみたい」
「……できるけど、すげー大変だな、これ」
「んー、そうねえ。やっぱり反復は必要かな」
あっけらかんとエミリーが言う。
……つーか、仮に試験を突破できたとして、この問題を他の人に教えることなど到底僕はできそうにない。
「まあ、頑張ってくださいね。私は仕上げに入りますのでー」
と、再びシリルがキッチンに引っ込む。
僕はテキストを取り上げて、再び問題とにらめっこする。相変わらず、わからん。
「エミリー、よくこんなの理解できてるな……」
「ああ。小さな頃は寝たきりで。家にあった本は片っ端から何度も読み返していたから。お婆ちゃんの蔵書のクロシード式の教本もね。それで覚えたの」
……さらりと重いことを言う奴だ。
「あー、大変、だったんだな」
「まあ、そこそこね」
しかし、今のこいつを見るに、とてもそんな病弱だったとは思えないが。
いや、余計な好奇心だな。話したくないことなのかもしれないし、追求はやめ――
「あら、ヘンリーさん。私の過去が気になるようね! ふふ、シリルがいるというのに、この助平!」
「誰が助平だ!?」
人の気遣いなんてエミリーにとっては余計なことだったのか。
ふふ、と一つ笑ってエミリーは言った。
「興味があるんだったらいいわ、話してあげる」
「……いや、別に無理することは」
「無理? なんのこと? それより、私の過去バナよ? もっと興味を持ちなさい!」
……へい。
「私、小さな頃は自己魔力適合不全だったのよ。知ってる?」
「あー、概要くらいは」
瘴気を取り込むと体を壊すように。
普通の魔力も、あまりに強すぎると体調不良の原因となる。
勿論、生来高い魔力を持って生まれた人は、普通は自分の魔力を収めることができるのだが……稀に、自分自身の魔力に体が負けてしまう人もいるそうだ。
これが、自己魔力適合不全症候群。基本的に、成長とともに改善することが多いらしい。
……成程、今エミリーが元気そうなのはそういうことか。
「それで、家で寝たきりで。お父さんとお母さんはお仕事で忙しいし。基本的に、お婆ちゃんがお世話をしてくれたのね。本を読み聞かせてくれたり、冒険者時代の武勇伝を話してくれたり、淑女としての心構えを色々と教えてくたり」
……エミリーの間違った淑女像は子供の頃からの刷り込みか。
「あと、そうそう。魔力外に出せば楽になるって、お外に連れてって魔導の練習を指導してくれたり」
ちょっと待った。
「……エミリー、魔導初めて使ったのって何歳?」
「花も恥じらう三歳の頃よ! 最初はお婆ちゃんが制御手伝ってくれたの」
危ねえよ!
魔力が大きいだけの子供に魔導使わせる……英雄と呼ばれるほどの魔導の達人の補助がなければ、普通に暴発して吹っ飛ぶぞ。
「つーか、寝たきりだったって割には元気だな、おい」
「魔導使っている時間以外は寝てたの。まあ、一日三、四時間くらいは魔導使ってたかな?」
「おっそろしい訓練してやがんな……」
いや、訓練? 魔力を外に出すという目的だが……いや、多分今のエミリーの礎にはなっているのだろう。
「ま、それで自然と私も冒険者に憧れるようになって……十三、四の頃には体もだいぶ良くなったし、本格的に訓練始めて。今に至るというわけ」
「はー」
やー、まあ、なんつうのか。
お婆ちゃんとやらがいても、辛いこともたくさんあったはずの過去を語るエミリーの顔は明るく。
……やはり、僕は余計な気遣いをしていたらしい、という認識を新たにした。
ていうか、芯が強い……もとい、図太いなこいつ。
「ヘンリーさん、食器並べるの手伝ってください」
「あー、はいはい、少し待て」
立ち上がって、キッチンに向かう。
そうしてしばらく、普段より一人分多い食事がテーブルに並び、
「わあ、シリル、料理上手なのね」
「えっへん」
お客さんが来たからか普段より張り切っているようで、品数が多い。それにエミリーは感嘆し、シリルはいい気になった。
「エミリー、この豚のフリットはよくできたんです。どうぞ召し上がってください」
「ん~、確かに美味しい。……体重がちょっと怖いケド」
乙女らしいことを言うエミリーに、不意にシリルは目から光をなくして、
「大丈夫です。訓練で動けば太りません。むしろ、たくさん食べないと痩せこけますよ。……ヘンリーさん、ヘンリーさん、そうでしたよね」
「そうだぞ」
力強く頷く。
シリルの肉体をいっちょまえの冒険者並……ひとまず、ワイルドベアとタイマン張れる程度に鍛える過程で、そりゃあ食は重要だった。
流石に僕程ではないが、シリルも普通の成人男性並みには食うようになっているのである。一向に筋肉がつかないのは、これは体質だな……まあ、体力は然程問題なくなったから、いいとしよう。
「……ヘンリーさん。シリルに一体どんな特訓を」
「ん? 普通だよ、普通。むしろやや軽め」
リーガレオの標準的な前衛基準で見ると。
「……ヘンリー、シリルの方がよっぽど恐ろしい訓練してない? シリル、目が死んでるわよ」
いや、あの頃はシリルが貧弱だったから相対的にきつく感じただけで……普通だよ?
ここまでトラウマ抱えるほど辛かったのか、と僕はやや反省しつつ、
……和やかに食事は進んでいった。進んだんだって。
そうして、試験までの残りの日。毎日、夜遅くまでエミリーは僕の勉強に付き合ってくれ。
――どうにか、先生のメンツを潰すことなく、僕は一級に合格した。
ま、筆記の内容は受かった次の日にはすっぱり忘れていたけどね。




