第百四十二話 二人の遭遇
午後は、デリックさんから、これからの三ヶ月のスケジュールについての説明があった。
「ふーん」
デリックさんが退室した後、僕は配られたプリントを改めて斜め読みし、成程と頷く。
他の組のカリキュラムは恐らく全然違うのだろうが……この十組の講習は、随分と自由度が高い。というか、高すぎる。
おおよそ、講習は週に三、四回。午前と午後の部に分けられ、それぞれ実践の時間と学習の時間となっている。どちらが午前でどちらが午後かは毎日入れ替わるそうだ。
その上で、それぞれの時間ですることは……ほぼ、自習である。参加も自由。任意。
クロシード式の特級の資格を持つデリックさんが、望めば個別に教えてくれるし、なんなら実力の近い者同士が集まっているのだから互いに教えあってもいい。更に賢者の塔がやっている様々な講義にも自由に参加できるし、蔵書も読み放題。
……やる気のある者にとっては、凄まじく伸びる環境である反面、鍛え方がわからないとなにがなんだかわからないうちに三ヶ月が過ぎそうだ。
とりあえず、これまた配られたシラバスにはクロシード式一級を目指す人向けの講義があったし、これには参加するとして……さて、どうしよう。
「ヘンリーさん。シラバス熱心に見てるけど、なにか講義受けるの?」
隣に座るエミリーが聞いてくる。
「おう、実は僕まだ三級だからな。いい素材で呪唱石作りたいから、このクロシード式一級講座を受ける。……エミリーは今一級だよな。もしかして、特級とか目指すのか?」
「ふふ……この私にかかれば特級くらい楽勝だけど、取ったところで別に旨味もないし受ける気はないわ!」
……いちいち表現が大袈裟なんだよ、この子。
まあしかし、こうは言っているが、流石のエミリーも特級は難しいだろう。一級と特級、求められる腕に然程変わりはないのだが、特級はクロシード式を他人に教えられる人間……導師たる資格なのだ。
別に特級じゃなくても教えること自体は問題ない。実際、私塾でクロシード式を教えている人の殆どは持っていない。
ただし、この資格を持っているか否かで、月謝の相場が三倍くらい違ってくるらしいのだ。
本来であれば、教導の経験を十分に積んだ四十代、五十代の人がようやく目指すような資格となる。
その意味で、まだ三十前半であろうデリックさんが特級なのは、実はスゲーことなのだ。
それはさておき、
「んじゃ、エミリーはなにか興味ある講義あるのか?」
「私はなにをおいてもまず、この『身体強化学演習』を受けるわ! お婆ちゃんからよくよく言い聞かされているの。拳骨蹴り足は乙女の嗜み、魔導士といえどスカートを乱さない程度にステゴロもできるようになっておけって」
……???? 僕の知らない常識だ。いや、後衛がある程度自衛できることは必要だけど、格闘って。
でもエミリーは尊敬する祖母の言葉を信じて疑っていない様子。
ていうか、スカートを乱さない蹴りってなに。ローを執拗に狙うのか?
……え、これ僕が訂正してやった方がいいの? ちらっとエミリーのもう反対側の隣りに座っているフレッドとアイコンタクトを交わす。
『年上の役目でしょ。お願いしますよ』
『いやいや、歳の近い人間のアドバイスのほうが割と素直に受けられるという説がな』
『いやいや』
……別に声が聞こえるわけではないが、なんとなくこんなイメージの押し問答をしたような気がして、
しゃーなしに、僕は口を開いた。
「な、なあエミリー」
「後、『魔導工学概論Ⅰ』、『魔導工学概論Ⅱ』、『魔力回復法演習』。それと『魔導具製作実習』……これは別にお金がかかるのね。まあいいわ。後は~~」
そして、忠告しようとした僕を遮って挙げられたのはまあ小難しそうなものに実践的なもの、種々様々な講義だった。
十組の講習のない時間帯は全て埋める勢いである。というか、言っているの全部受けたら休みの日がねえぞ、これ。
「エミリー、君、そんなに講義受けて倒れない?」
「あら、フレッド。大丈夫に決まっているじゃない。なにせ……私は天才だからね!」
フレッドの心配を、エミリーが笑い飛ばす。
「……体調にだけは気ぃ付けろよ」
「まあ、俺の受ける講義と割とかぶってるし、適当に見ときますよ。それより、そろそろ出ましょう、ヘンリーさん。次の人たちが集まってきてますし」
っとと、そうだ。デリックさんの講習案内が終わって十分程。次は別の講義で使うのか、ノートや教書を持った学生風の人達が部屋に入りつつある。
「今日はこれで解散だったわね。……うーん、ヘンリーさん、フレッド。折角こうして縁ができたのだし、少しおでかけしないかしら?」
と、立ち上がりスカートの裾を直しながら、エミリーはそう提案した。
……こいつ、めちゃ無防備だな。初対面の男二人と出かけるって、ひょいパクと食われても不思議じゃないぞ。
「エミリー、エミリー。お前のお婆ちゃんは男は狼なのよ、とは教えてくれなかったか?」
「ああ。……狼が現れたら優雅に金的を蹴飛ばして、怯んだ隙に魔導を叩き込みなさい、とは教えてもらったわ!」
――ヒュンッ、ってなったわ!
「前、しつこいナンパ野郎相手にやったら蹴りだけで悶絶してたから、魔導は勘弁してあげたけどね!」
じ、実践済みですか……
いや、万が一僕を蹴りに来られても、当然避けるか防ぐかするのだが……それはそれとして、狙われるかもと想像するだけで背筋が冷たくなる。
フレッドも同じ気持ちなのか、愛想笑いにキレがない。
「あら、二人はそんなよこしまなことを考えてたの?」
ぶんぶん、と二人して首を横に振る。
……まあ、講習仲間と親睦を深めるために出かけるのはいいが、そういうことを考えるのはやめよう。いや、元々そんなつもりは欠片もなかったが。
「っと、エミリー。出かけんなら、僕の連れも一緒でいいか?」
「そういえば、いるって言っていたわね。勿論いいわよ」
さて、エミリーとシリルの相性はどうなのかね。
シリルと合流。自分の連れだ、とエミリーに紹介すると、やつは開口一番、
「はじめまして! 天ッ才、美少女ッ、魔導士! ……エミリー、よ!」
そう、居丈高に宣言した。……恥ずかしくないの? なさそうだな。
「は、はあ、天才? 美少女? ですか」
「そう。お婆ちゃんはいつも、私のことを天才だ、世界一の美少女だ、と言ってくれたもの」
……祖母のせいか! ていうか、今更だが滅茶苦茶お婆ちゃん子だなコイツ!?
「成程……ですが! 生憎とこのシリルさんには敵いませんね!」
手刀の形にした腕を斜め上に振り上げる謎のポーズを取り、シリルがエミリーに断固として宣言する。先程のエミリーの名乗りに負けてなるものかとでも思っているのか、勢いが無駄にいい。
……これが僕の彼女だ、笑えよ。
「なんですってぇ? 聞き捨てならないわね」
シリルとエミリーが睨み合う。バチバチと火花が散っている感じに。……まあ、どっちも迫力というものに欠けているので、傍から見るとなんともほほえましい感じではあるが。
そして、口火を切ったのはシリルのやつだった。
「ふふん、所詮、貴女を褒めているのは家族の方でしょう。私には身内だけでなく、シリルさんかわいい! と日常的に言ってくれるこっちの人がいるのです!」
と、シリルが僕を指し示す。
「……言ってるんですか? 日常的に」
「言ったことあったっけ……」
フレッドの興味津々な視線に、僕はうーん、と思い悩む。冗談めかしてなら言った覚えはあるが、面と向かって真面目に言ったことはなかったような気がする。
……まあいいか、こっ恥ずかしいし。
「シリルとかいったわね。嘘じゃないのよ」
「いえいえ、私にはしっかり聞こえていますよ。ヘンリーさんの心の声が」
エヘン、と胸を張って断言するシリル。
……なに言ってんの、コイツ。
そう思ったのは僕だけではなかったのか、
「……大丈夫? もしかして疲れてるんじゃない? 飴食べる?」
途端にかわいそうな人を見る目になったエミリーが、キャンディを取り出してシリルに差し出す。デリックさんにもあげてたし、いっぱい持ってんな。
「あ、これはこれは、ありがとうございます。でも、嘘じゃないですよ? こう、こっちに気を使う感じとか、仕草とか、視線とかでなんとなくわかりますので」
「あー、そういうことなら、まあ理解はできるわね。ヘンリーさんは意外と情熱家?」
「ですです」
………………いやいや、ないよ? ないない。
「ヘンリーさん、ちょっと話を」
「黙れ」
ニヤニヤ笑いをしだしたフレッドの脇腹を少し本気めに突く。ごふっ、とフレッドは膝をついた。
……あ、いいトコ入っちゃった。悪い悪い
「ふ~~~む、いいわ。今日は負けを認めておいてあげる。でも、そのうちぎゃふんと言わせてあげるから」
「その時を楽しみにさせていただきましょう! ではでは、改めてシリルです。よろしくです」
「一度名乗ったけど、エミリーよ。よろしく、シリル」
ぎゅっ、と二人は友情の握手を交わす。さっきまで喧嘩っぽいのしてたのに、もう仲良くなってる。
……うん、なんとなく想像ついてたけど、相性めちゃいいなこいつら。
夜。
「ヘンリーさん、なに読んでるんです?」
「講師のデリックさんにおすすめされたテキスト。『よくわかる! クロシード式一級対策問題集』」
「へー」
ぽすん、と。
風呂上がりのシリルが、ソファの隣に自然に座る。テキストを横から覗き込み『よくわかりませんねー』と感想を漏らした。
ふんふん、と湯冷ましに水など飲みながらなにやら機嫌がいい。
「それにしても、今日は割と楽しかったですね」
「ああ」
あの後。
エミリー、フレッドと共に、街に遊びに繰り出した。
まあ、四方都市の一角だけあり、娯楽の類もあるある。魔導を使った大道芸に、劇場、大型の商店、カジノに似てるがお金は賭けない遊技場。
ぐるっと回るだけで割と楽しかった。街のガイドブックを隅々まで読み込んでいたというエミリーが、率先して歩き、色々と解説してくれたのだ。
「ま、息抜きは今日までだ。明日からは本格的に講習も始まるしな」
「はい! 頑張りますよー」
そうして。
なんとも楽しかった一日は終わりを告げるのであった。




