第百三十九話 初日
パチリ、と目が覚める。
まだ春は遠く、明け方は冷え込むが、気候的にサンウェストはフローティアよりずっと暖かい。毛布のぬくさが後ろ髪を引く力も、あちらより弱いのだ。
まだあまり慣れないベッドから起き上がり、一つ伸び。
「《水》」
サイドテーブルに置いてあるコップに魔導によって生成した水を張り、一息に飲み干す。そうするとすっかり目は冴えた。
「……うし、行くか」
リオルさんから借りている家。その二階の寝室の一つから出て、隣の部屋をノックする。
「シリル、起きろー」
「……ふぁ~い」
寝ぼけた声で返事が返ってくる。まあ、まだ一般的には割と早い時間だし仕方がないと言えば仕方がない。
「起き……起き……起きましたぁ」
非常に不安になる感じの声色である。
「おーい、ちゃんと起きろよ」
「シリルさんに……お任せ……あれ……」
あ、寝落ちしやがった。ガンガン、とちょっと強めにノックすると、部屋の中で起き上がる気配がする。
「ういー……今度こそ、大丈夫です」
「ったく。今日は講習の初日だぞ? 昨日夜更しでもしたのか?」
「いやー、実はワクワクして明け方まで眠れなくて」
そういえば、前も聞いた気がするな。翌日にイベントのある日は興奮して寝れないんだとかなんとか。
……子供か!
「……僕、昨日言った通りちょっと出てくるからな。留守よろしく」
「あいあい、準備は整えておきますよ」
返事の後、しゅる、と中で衣擦れの音がする。寝間着から着替えているんだろうが……まあ、昔のジェンドじゃあるまいし、この程度で僕は揺るがない。
くる、と踵を返して一階の玄関に向かう。
玄関を開け、外に……
「とと、んじゃ、いってきます!」
上の方で、小さくいってらっしゃ~い、とシリルが応えた。
なんとなく嬉しくなりながら、外へ出る。早朝のどこか清廉な空気の中、僕は駆け出すのだった。
「ただいま、っと」
出かけてから一時間ほど。
街並み把握も兼ねたランニングから、僕は戻ってきた。帰りは荷物があったからちょっとスピードを落としたが、朝の準備運動としてはいい感じだ。身体も目覚めた感じがする。
「おかえりなさい、ヘンリーさん。あ、パン買えたんですね」
「おう。ちっと並んだけどな」
ほい、とシリルに紙袋を渡す。シリルが袋の口を開けると、ふわっと香ばしい匂いが広がる。
朝早くからやっている、サンウェストでも人気のパン屋に寄ってきたのだ。開店直後にも関わらず、既に朝飯として買おうと結構人がいた。
「んー、いい匂いですねえ。あ、朝ごはんはもう仕上がってますよ。パン待ってたんです。食べましょう、食べましょう」
「おう」
三日ですっかりこの家のキッチンの扱いを覚えたシリルのこと。今日の朝食もしっかり整っていた。
ハムエッグに蒸し野菜、具沢山のスープ。
ここに僕が買ってきたパンを添えれば、立派な食卓の出来上がりだ。
「いただきます」
「いただきまーす」
そうして、食べ始める。
「んぐ。そういえば、ヘンリーさんとこの講習の開始って何時からです?」
「クロシード式は十時に表の第一演習場集合。お前は?」
「時間は一緒ですが、魔法全般の集合場所は塔の四階にある四〇二教室です。いちお、受付の人に聞きましたが、私が受け付けた時点で、他に二人ほど受講生がいたそうです」
シリル含め三人、か。
クロシード式は、あの並んでいた人数からすると数百人はいる。わかっちゃいたが、やっぱり魔法使い少ないな。
「ま、余裕見て九時半くらいに出ればいいか」
この借家に備え付けられている時計を見る。今はまだ七時過ぎだ。
……しっかしこの時計、改めて見ると凄く凝った高級そうなやつだな。リオルさんの趣味か。そういや、懐中時計とかコレクションしてたっけ、あの人。
「後片付けして……でも時間余りますね。近くを探検でもします?」
「昨日、一昨日で近所は大体回っただろ。……決まってる、訓練だ、訓練。お前は筋トレな」
うええ、とシリルが苦い顔になる。
……いや、確かに僕たちはそれぞれ魔導、魔法を学びに来たわけだが、それ以外を疎かにしていいわけないだろ。
特に僕は槍の方がメインなので、勉強する分密度高めて練度を維持しないといけない。イストファレアの道場で鍛えるジェンドに腕抜かれるのも癪だし。
「うー、わかりましたよ。私も頑張るって決めているんですから、文句ないです」
今のうめき声は文句じゃなかったのか、そうか。
……とかなんとか。
雑談など交わしつつ朝食を済ませて、二人で後片付け。
そうして、借家の裏庭で鍛錬を開始した。
「意外と広くて助かったよ。槍振り回せて」
「そですねー」
流石に投げは出来ないけど、突いたり払ったりするくらいはできる。
僕は如意天槍の能力を使いながら、丁寧に型や技を確認していく。
身体強化もしているが、やはりどうにもぎこちない。こいつを十全に扱えるようになるのが、この街でのもう一つの目標だな……
「ヘンリーさん。それ、やっぱり大変ですか?」
「……シリル、持ってみる?」
「私が持ったりしたら潰れちゃいます」
だろうな……
今、如意天槍は普段の何十倍も重くなっている。生半可な戦士では構える事もできないくらいだ。
如意天槍。僕の扱うエピックの神器である槍は、ゴードンさんの手によりいくつかの改造が施された。
その一つがこれ。重量の操作である。
ちなみに、能力が増えたわけではなく、元々の能力の『形状変化』の強化系らしい。確かに、ナイフにした時と槍にした時では重さが違っているので、そのような感じなのだろう。
訓練時にも重宝するし、叩きつけたり投げたりした時の威力が跳ね上がる。
非常に単純ながら、良い強化だと思う。
……伸び縮みするだけでなく、重さも変わるってなって、取り扱いの難易度は異様に上がってるけど。
ここにいる間に実戦があることはないだろうが、もしあったら重量操作はここぞって時以外使わないようにしないと、振り回されて不覚をとるかもしれないな。
「うし、出るまであんまり時間ないし、密度上げてやるぞー」
「はーい」
そうして、僕たちは二人、大いに訓練に励んだ。
予定通りに訓練を切り上げ、シャワーを浴びて汗を流し……徒歩十分の賢者の塔に到着する。
「それじゃ、私は中なので。ヘンリーさん、頑張ってくださいね!」
「そっちもな」
手を振りながら、シリルは塔の中へと進んでいく。
僕は、既にそれなりに人が集まっている第一演習場へと向かった。
演習場の入り口では、『受付』と張り出されている長テーブルが置かれている。
三人程の受付の人がいる。なんか名前でどこで受付するかが決まっているらしく、僕は自分の名前のところに向かった。
「どうも、おはようございます。クロシード式の三ヶ月講習を受講する、ヘンリーです」
「はい、ヘンリーさんですね。少々お待ち下さい」
どうやら名簿との照合をやっているらしい。名前順に並べられた一覧を、受付のお姉さんは順繰りに指で探し、
「えーと、ヘンリーさんは三名いらっしゃいますね」
「あ、そこのクロシード式三級ってあるのが僕です」
「はい、ありがとうございます」
と、僕の名前の横に丸が付けられる。
「それじゃ、ヘンリーさんは十組ですね。あちらの看板の辺りで待っていてください」
「わかりました」
確かに、一から十の組の看板が立っている。一組が一番人が多くて、組の番号が大きくなるごとに人が少なくなっている印象だ。
……そして、その十組の看板のところには、前に見た顔がいた。
「よう、おはよう、フレッド」
「ああ。おはようございます、ヘンリーさん」
講習の受付の時に知り合ったアルフレッドだ。
黒竜騎士団所属である僕の馴染みのオーウェンの弟。今日もこう、朝から爽やかな笑顔を振りまいている。
「ヘンリーさんも十組ですか?」
「ああ。……っていうか、どういう基準なんだ、この組分け」
ふとついた疑問を口に出すと、十組の看板を掲げていたオッサンが口を開く。
「主には習熟度別、目的別だ。魔導を初めて覚えようって思って来たやつと、更に磨きをかけたいってやつじゃあ、当然やることのレベルは違うだろ? 目的も、日常生活を便利にしたいのか、戦闘で使いたいのか、あるいは別の業務で使うのか。それによって、そりゃ教えることは違わぁ」
と、丁寧に説明してくれたこの人。
……今気づいたが、冒険者のタグを付けてる。しかも、ブルーのラインが引かれているタグ……勇士だ。
術式が刻まれた呪唱石の腕輪が三つ、腰には片手剣。立ち居振る舞いからして、結構な凄腕だろう。
「と、するとここは」
「戦闘目的……それも、クロシード式の腕前が既に一定程度あるやつの組だな。俺が講師のデリックだ」
講師の人だったのか、看板持ってるの。
「そうでしたか。お世話になります、ヘンリーです」
「おう、知ってる知ってる。うちは一等人が少ないから、一通り受付用紙に目ぇ通してるんでな」
……そう、今集まってるのは僕とフレッドの他、ほんの数人だ。
「なんでこんな少ないんですか?」
「一定以上、のラインがたけーんだ。術式の組み合わせ四種以上がここの足切りラインだ」
クロシード式は、三種まで組み合わせられれば一人前とされる。四種までいけばそこそこの凄腕扱いだ。
「そうなんですか。教えていただいてありがとうございます」
「なに、三ヶ月は教え教わる関係なんだ。そう固っ苦しくする必要はねえよ」
いや、普通講師と生徒はもうちょっと堅苦しいはず……
完全に実戦派の魔導士だな、この人。まあ、やりやすいが。
「しかし、フレッド。つーことは、お前も四種いけるの?」
「俺、槍より魔導の方が得意で。六つまでいけます。持ってる術式は十二種類で」
ああ、魔導に関しては普通に僕より上だな、こいつ。
若いのに組み合わせ六つは普通にすごい。
「ただ、俺の場合、咄嗟にどういう組み合わせで撃てばいいのか、なかなか判断できなくて……特にその辺りを重点的に鍛えたいと思っています」
「あー。十二も持ってたらそりゃ困るよな」
僕が六つしか持っていないのも、そういう選択肢を狭めて戦う時に混乱しないようにするため……という面もあるし。
そうしてフレッドと雑談をしていると、デリックさんが演習場に備え付けられている時計を見る。
「……ん、そろそろ時間だな。一人足んねえけど」
初日だというのに、遅刻か。
まあ、そういうやつも……って、ん?
「な、なんだあ?」
うおおおー! と、この十組に向けて全力で走ってくる女の子がいる。いや、スピードは大したことないが、こう、勢いが凄い。
その女の子は、十組の集合場所まで走ってくると、急ブレーキ。ファサ、とその子の長い髪が揺れる。
そうしてその子は腕を組み、割と整っている顔に不敵な笑みを貼り付け、豪快に宣言した。
「ここが私の組ね! 天才美少女魔導士エミリーちゃんがやって来たわよ! ささ、大歓迎しなさい!」
……………………なに、この、なに?




