第百三十二話 リコッタという女
ゴードンさんのお屋敷の談話室の扉を開ける。
部屋の中には、大きなテーブルが一つ。そして、それを囲むように二、三人掛けのソファーがいくつか。テーブルの上には、ティーポットと湯気を立てるカップ、そして色とりどりのミニケーキが並べられている四段のケーキスタンド。
やはりこれらもゴードンさんの作なのか、どれもこれも逸品……なんだろう、多分。
そして、そんな話を弾ませるアイテムがあるのだ。中に入る前から楽しそうな話し声が聞こえていたが、案の定、うちのパーティの女性陣はすっかりリコッタと仲良くなったようで、明るく談笑していた。
「あ、ヘンリーさん、ジェンド。お疲れさまです。お話し合い、どうでした?」
「ああ、まあなんとか引き受けてもらえたよ。ただし、明日から地獄のゴーレム狩りだ。アテにしてんぞ、魔法使い」
「ふっふっふ、まあ大船に乗ったつもりで、どーんとこのシリルさんにお任せください!」
シリルが胸を張る。まあ実際、最上級二匹を一撃で仕留めた実績は圧倒的だ。この大きな態度も、当然っちゃあ当然ではある。
「あまり調子に乗りすぎんなよ、シリル。お前、そういう時に限って失敗すんだから」
「まあまあ、ジェンド。シリルもいつまでも子供じゃないさ。さ、一緒にお茶をしようじゃないか」
「おう」
フェリスが誘うと、ソファでその隣に座っていたティオがさっと別の席に移動する。ジェンドはその気遣いに頬をかいて、フェリスの隣に腰を下ろした。
「あ、ヘンリーさん、ヘンリーさん。ヘンリーさんの席はここです、ここ」
ぱんぱん、とシリルが自分の座っているソファの横を叩く。
……いや、恥ずいからそういうのはやめてほしい。座るけど。
「ふふー」
なにが楽しいのか、僕が隣に座るとシリルは満面の笑みを浮かべる。あ、なんか体重預けてきやがった。……いいや、もう。
「仲睦まじいご様子でなによりでございます。ささ、お二人もどうぞお茶を」
リコッタが立ち上がり、ティーカップに紅茶を注ぐ。その所作も洗練されており、やはり彼女はよくよく従者としての訓練を積んでいるのだろう。
「……へえ、美味いな」
僕はどっちかというと珈琲党であるが、これはいい。
「お、ハイランドのセカンドフラッシュか。流石英雄の家、いい葉使ってる」
「よくおわかりで」
「うちは商会でな。高級品もまあ、多少は取り扱ってっから」
美味い、ということしか僕にはわからなかったが、ジェンドは銘柄までわかるらしい。
この辺り、なんつーかジェンドはできる男って感じがする。味覚だけじゃなく、審美眼も備えているし、それでいて戦闘力ももう一流を名乗ってもいいくらいだし。しかも美人の彼女持ち。
……いや別に、悔しいとかはない。全然ないよ?
大体彼女なら僕もいるし! 方向性は違うが、フェリスにも負けてないぞ。……え、身長と胸? うーん、そうねえ……
「ヘンリーさん。なにか私に対して、とっても失礼なことを考えていませんか?」
「なにを馬鹿な。言いがかりはやめてくれ」
意外な鋭さを見せるシリルから、僕は目線を逸らして誤魔化しにかかる。
じとー、と睨まれている感じがするが、全力で無視だ。
「そ、それより。リコッタとどんなことを話していたんだ?」
「……怪しいですが、今日はここまでにしてあげます。で、お話ですか? それは勿論、コイバナです!」
こ、コイバナ……
「ご、ごめんリコッタ。うちのシリルが、また妙な話題に付き合わせたようで」
「いえ。私もとても興味がありますから。……本当に、仲が良いのですね?」
リコッタが意味深に笑う。……な、なんだ。どんなことを話したんだ、一体。
ジロ、とシリルを睨むと、話す気はありませーん、とばかりに腕をクロスされた。
「ヘンリー様とシリル様、ジェンド様とフェリス様のご関係。大いに参考になりました」
「お、俺も……? おい、フェリス、一体なにを話した?」
「おっとジェンド。いくら恋人同士とはいえ、女同士の話を打ち明けるわけにはいかないな」
僕とジェンドは、ほぼ同時に救いを求めるようにティオに視線を向け……我関せずと一心不乱にケーキをパクついている様子に、こいつはアテになんねえという共通見解を得た。
項垂れていると、ぽん、とリコッタが手を叩く。
「そうだ。お二人も、私の相談に乗っていただけませんか? やはり、男性からのご意見というものも聞かせていただきたいので」
「相談……? ええと、別にいい、けど?」
唐突な提案に戸惑う。
この話の流れからして、リコッタは誰か好きな相手でもいるのだろうか。あまり話をしたこともない男に相談するなんて、また随分図太いというか。
「ありがとうございます。それで、旦那様のことなんですが……」
「旦那様……ゴードンさん?」
「はい。私、旦那様をお慕い申し上げているのですが、なかなか靡いていただけません。なにか妙案があれば、是非ご教授いただきたいのですが」
「……ちょ、ちょっと待ってくれないか」
リコッタは、まあ結構な美人さんだ。やや痩せぎすではあるが、それも健康的な範囲。そして、ここ数日のゴードン邸の滞在で、家事全般をプロ並にこなせることも知っている。
ごく客観的に見て、非常に魅力的な女性と言えるだろう。歳は十八だということで丁度適齢期だし、引く手数多に違いない。
……相手が、純人種であれば。
最初に会った時、ゴードンさんはシリルのことを『枯れ木』と称した。まあ、からかい半分ではあるが、ドワーフで言う『美人』像が、僕たちと相当乖離していることの証拠だろう。
「そ、その。正直、難しいんじゃないかなー、と。ほ、ほら、種族が違うと、美的感覚も違うしね?」
「その点はご心配ありません。付き合い始めたら、旦那様を名前がリで始まりタで終わる、スレンダーな純人種の女にしかモノが反応しない性癖にして差し上げる予定ですので」
……怖い怖い怖い怖い。なに言ってんのこの子!?
「ねー、さっきも聞きましたけど、献身的ですよねー」
「シリル様、恥ずかしいのでそうお褒めにならないでください」
待て待て待て待て。シリル的に、この発言献身的ってことになってんの!? それはそれで僕すげぇ身の危険感じるんだけど!
「……とまあ。種族差については問題ないのですが。どうにも旦那様は首を縦に振って下さらなくて。のべ十回ほどプロポーズしているのですが」
そんだけ失敗したんだったら諦めろよ!
「そ、その、だな。俺たちもドワーフのことは詳しくないけど。逆になんでリコッタはゴードンさんのことを……?」
ジェンドがナイス質問をする。
そうだよ、その理由を聞き出して……聞き出して……時間稼ぎだ!
「そうですね……そのお話をする前に、皆様はヴァルサルディ帝国の独占的雇用権、という制度のことをご存知でしょうか」
「……概要くらいは。昔の奴隷制が変化したやつだろ」
大体、二百年前くらいまでは、奴隷というのは普通だったらしい。アルヴィニア王国とサレス法国では、時代とともに廃れていったが、ヴァルサルディ帝国ではリコッタの言う制度となって残った。
まあ、内容は名前の通りだ。要は、ある人物を雇用する権利を、一人の人間しか持たないというもの。
勿論、独占的とは言っても通常の法の範疇での労働しか許可されない。無賃金で年がら年中こき使う、なんて生産性の悪いやり方は認められないのだ。
……この辺り、複雑な法改正の歴史があるそうなのだが、僕が知っているのはその程度。
「実は、この権利、売買の対象にもなっておりまして。私は、元々とある商会でメイドとして働くよう育てられていたのですが……旦那様に注文した品の代金を払えないとかで、代わりに支払われたのです」
ゴードンさんが前金でしか仕事をしなくなったのは、かつて代金を踏み倒されかけたから。
もしかして、だが。この件が理由だろうか。
「お金を払えない、と知った時の旦那様はそれはもうお怒りで。当時見習いとして出仕していた私の手を掴んで、『代金がねえっつーなら、こいつを貰ってくぜ。身の回りの世話役は欲しかったんでな』と、情熱的に……ぽっ」
ん? 最後なんかおかしかったぞ。
「そ、それはそうと。なんでゴードンさんはリコッタを連れて行ったんだ? 当時……八、九歳?」
……その歳で見習いとはいえ出仕って。いや、僕もフェザード王国で准騎士になったのは十歳の頃だけど。
と、とにかく。リコッタ以外には適当な人間、いなかったのか?
「違う環境に慣れるのは子供の方が早いだろうと。大人だと、色々としがらみもありますし……なにより、私天涯孤独の身でしたから。旦那様も不憫に思ってくださったのでしょう。こちらに来て数年は、娘のように扱っていただいたのですよ?」
うお、マジか。意外……でもないか。口は悪いが、ゴードンさん割といい人だし。
「とまあ、私と旦那様の馴れ初めはそのような形で。共に暮らして早十年。特に旦那様のことを好きになるきっかけというものは覚えていませんが……ふふ、もしかしたら、旦那様が私の手を取ったあの時既に、私の心は囚われていたのかも知れませんね」
「わ~~、ロマンチックですねえ」
パチパチパチ、とシリルが拍手までする。
ロマン……ロマン? ロマンチックとは一体……。僕がゴードンさんの立場ならとても困るぞ。娘かなにかと思っていた相手が、実は自分のことを恋愛的な意味で好きだとか言い始めたら。
大体その歳でマジ惚れしてそれをずっと引きずっているのもちょっと……重すぎないですかね?
「し、しかし、約束した支払いができないなんて、商人の風上にもおけねえ奴だな、リコッタの元雇い主は」
「ええ。ですがそのおかげで私はここにいるのですから、その点は感謝しないと」
「は、はは……そうだ、な。うん」
ジェンドが話を逸らそうとして失敗する。
……なお、フェリスとティオは、シリル程でもないが、リコッタの話をいい話として聞いているっぽい。うん、まあ、少しおかしいはおかしいが、話の表面だけを聞けばそう思わなくもない。
しかし、どうにもこうにも、リコッタの情念がこう……どろっとした感じに思えてならない。なんかちょっと寒気がしてきた。多分、ジェンドも同じ感覚なのだろう。
「は、話の途中で悪いが。ぼ、僕ちょっと手洗いに行ってくる」
そそくさと立ち上がり、談話室を出る。
と、部屋の外には、苦虫を百匹くらい噛み潰したような感じの表情のゴードンさんがいた。
い、いたのか。話に夢中で気付かなかった。
くい、とゴードンさんは指で付いてくるよう示して、歩く。しばらくして、談話室に声が届かないところまで来ると、ゴードンさんは重く口を開いた。
「……ヘンリーよ」
「は、はい」
「リコッタのやつ、なんとか諦めるよう説得してくれねえ!? 加工賃半額にまけてやっから!」
「無理です!」
ダッ、と。僕は本気走りでその場から逃げ出した。




