第百三十話 ゴードン邸の歓迎
地を走る流星号に乗って空洞を通り抜け、しばらく。
さぁ、と視界が開けたと思ったら、空の代わりに岩の天井がある他は、普通の街と変わらない街並みが広がっていた。
ここが、ドワーフの街ガンガルドか。もくもくと、街の向こうからいくつもの煙が上がっている。
あの辺は工房街かな? 流石はドワーフの街というか、普通の街の何倍もの規模のようだ。
「うわぁ。山の中だって聞いて薄暗いイメージありましたけど、明るいんですねえ」
それに、シリルが感嘆の声を上げているように、普通の街の昼と変わらないほど明るい。数百メートルは上にある天井に、いくつもの照明が据えられているためだ。
「おう。まあ、一日中つけっぱでもいいんだが、昼夜の感覚がなくなるから、ちゃんと定刻には上の明かりは消えるぜ。つーか、そろそろだ」
ゴードンさんの声が聞こえていたわけでもなかろうが、丁度今、上の照明が切れた。代わりに、街灯の火が灯る。
「……それにしても、ゴードンさん。人通りが少なくないですか」
ジェンドがふと気になったようで口をつく。確かに、もう宵の口だというのに、仕事帰りの人とかを全然見かけない。通行人も数人、この目抜き通りの規模なら露店の一つや二つあるだろうに、そんな様子もない。
「ハヌマンのせいで物流が止まってたからな。色々と活動を抑えてんだよ。こん中でも作物は栽培してるが、動くと飯が余計に必要だし、それ以外にも諸々物資が足りねえからな」
「……その割には、あっちの鍛冶の煙は威勢がいいみたいですが」
「ヘンリー、てめぇは職人を殺すつもりか? モノ作りたい病にかかって死ぬぞ」
大真面目な顔で言い切られてしまった。……いやいやいや、死なないだろ。死なないよね?
「まあ、それもお前らのおかげでオシマイだ。これからゲオルグの部下どもが連絡するだろ。で、街を上げて歓迎したいトコだが……お前らも疲れてんだろうし。儂の屋敷に泊めてやっから、今日はおとなしく休んどけ」
「ありがとうございます。助かります」
「ああ。じゃ、もうちょい走らせるぜ」
ゴードンさんが魔導車を走らせる。普通、魔導車が街中を走っていたりしたら注目を浴びるが、この街では日常の光景なのか、少ない通行人の誰もが気にしない。
自然と道の端に寄ってクルマが通れる道を作ってくれる。それに、ゴードンさんは手を上げて礼を伝えた。
「もうちょいクルマが普及したら、道も整備せにゃならんかもなあ」
「道を整備、ですか。失礼ですが、どういう?」
「クルマは馬車よりよっぽど力と速度があるから、あぶねえってこった。専用の道がありゃあ事故も減るし、速度も出せて万々歳ってわけだよ、お嬢ちゃん」
「……もう私はお嬢ちゃんという歳でもないですが。怪我する人が少なくなるのはいいことです」
フェリスが苦笑する。しかし、僕もフェリスはまだ十分お嬢ちゃんで通じる歳だと思うけどなあ。
なんて、話をしながらも、クルマは進んでいく。
「ああ、この通りの街灯。これ、儂の仕事でな。上見てみな。動物の幻影が空に映るようになってんだ」
「わー、本当です! かわいい!」
と、とある通りで空中に浮かぶ動物たちにシリルが大いにはしゃぎ、
「おう、あっちの家の住人はリシュウ出身でな。リシュウ風の家建ててくれって言われて、まあ苦労したんだぜ」
「……庭まで、リシュウ風ですか。凄いですね」
とある木造の建物を見て、ティオも驚く。
街のそこかしこにゴードンさんの仕事の成果があり、それを逐一説明してもらい……ゴードンさんの仕事の幅に、僕たちはただ感服するだけであった。
「おう、着いた着いた」
そうして、とある家に到着する。
二階建ての、立派な建物。建物自体はそれほど大きくはないが、相当贅を凝らしていることはその手のことに疎い僕でもわかった。精緻な細工がそこかしこに施され、下品でない程度に金で装飾されている。
それに、庭はかなり広い。生け垣でぐるりと覆われ、様々な石像が飾られている。しかも噴水まであり、その水の動きの複雑さといったら、美術に無関心な僕でさえ思わず息を呑むほどだった。
その庭の一角。クルマを停めるために誂えたと思われるスペースに、キッ、と地を走る流星号が停車する。
「よっしゃ、降りろ降りろ。さって、今日の飯はなにかねえ」
ゴードンさんは軽やかにクルマを降り、軽い足取りで家に向かう。
しかし、飯……? ゴードンさんの奥さんか? いや、確か英雄ゴードンは独身っつー話だし……
「おうい、今帰ったぞ!」
ゴードンさんが玄関の扉を開ける。そうすると、その向こうに頭を下げている女性……つーか、女の子? が一人。
「おかえりなさいませ、旦那様。ご無事のお帰り、なによりでございます」
「おう、まあ儂にかかりゃあ、ハヌマンなんぞ大した相手じゃなかったぜ。はっはっは!」
はあ、と、出迎えた女の子はこれみよがしに溜息をついた。
「ゲオルグ様から通信がありましたよ。実際には、後ろの方々が倒したそうではないですか」
「げっ、あいつ余計なことを」
通信……シリルの『リンクリング』と同じような効果の魔導具のことだろう。結構かさばるし高価だが、街の入り口を守る戦士団の拠点と英雄の家であれば、設置していてもおかしくはない。
「まったく、最上級に挑むなんて無茶をなさって。旦那様に万が一の事があれば、私は路頭に迷う他ないのですが、その辺りご理解されていますか?」
「な、なんだよ。別に、儂は親族もいないし、遺産はお前に引き継ぐ手筈になってんだろ」
「……言い替えましょう。あまり心配させないでください」
ゴードンさんが『お、おう』と、たじたじになって答える。
ええと? メイド服着てるから、多分ゴードンさんちのメイドさんだと思われるが……なんだろう、この微妙に透けて見える不思議な力関係。
ドワーフのゴードンさんちのメイドが、純人種の若い女ってのも妙だし。
「え、ええい。儂のことはひとまずいいだろ。それより、客だ、客」
「はい。……ご挨拶が遅れました。私はゴードン様の家のメイドを務めさせていただいている、リコッタと申します。以後、お見知りおきを」
礼法に則った見事な所作で、リコッタと名乗ったメイドがお辞儀をする。……これ、一朝一夕で身に付くものではない。幼少の頃から、その手の教育を受けた人間の挙動だ。
……その割にはゴードンさんに対する言葉はちとアレだが、その辺りは主人に合わせているのだろう。なにも完璧に敬語を使うことが常に正しいわけでもない。
「あー、どうも。ヘンリーです」
僕を皮切りに、みんなもそれぞれ自己紹介をする。
「まあ、とりあえず飯と酒だ! 用意は出来てるか?」
「ゲオルグ様の連絡の後、特急で仕上げました。食料の備蓄はほぼ底をつきましたが、構わないですね?」
「勿論だ。すぐに外から仕入れられるようになるしな! それに、街の恩人にケチったりしたら、儂がフクロにされる」
カラカラと笑いながら、ゴードンさんとそれに付き従うリコッタが家に入っていく。
「おう、お前らも遠慮せず入れ入れ!」
僕たちは少し顔を見合わせ。ゴードンさんの家に足を踏み入れるのであった。
「お、おお」
十人以上が余裕を持って食事ができそうな豪奢なテーブルに、数々のご馳走が並んでいた。
ローストした立派な肉に、山盛りのポテト。チーズが散らされたサラダに、ふっかふかのパン。保温の魔導具に乗せられた寸胴には、芳しい香りのするシチューがたっぷりだ。
僕たちがゲオルグさんところからここまで来るのに二、三十分程。よくそれだけの時間でここまで用意できたものだと感心する。
……いや、物理的に間に合わなくね?
「品数が少ないのはご勘弁ください。何分、食料があまり残っていなく」
「い、いえいえ! すごくありがたいです!」
謙遜するリコッタに、僕は慌てて手を振る。ここまで用意されて、文句などつけられるはずもない。
「あ~~、いい匂いですねえ~」
シリルも、よだれを垂らさんばかりに料理に夢中だ。そればかりか、ぐぅ~~、と、でかい腹の音が鳴った。
「プッ」
「~~っ! ヘンリーさん、笑わないでください!」
「はいはい。笑ってない笑ってない。席につかせてもらおうぜ」
もお~~! とぷんぷんと怒りを見せるシリルを宥めて、椅子に座る。
……この椅子も見事な細工が施されており、しかも座り心地も抜群だった。
「リコッタ、酒はあれ持ってきてくれ、あれ」
「旦那様。あれ、と申されましても」
「わかるだろ?」
「わかりますけれども」
はあ、とリコッタはため息をついて、部屋を出ていく。いくらもしないうちに、二つの瓶と人数分のグラスを抱えて戻ってきた。
「酒精が苦手な方はこちらを。果実酒です。そしてこちらは」
「儂が仕込んだ特製のウィスキーだ! 一口でブッ飛べるぞ。酒が苦手とかは知らん、とりあえず呑んでみろ!」
ゴードンさんがリコッタからウィスキーの瓶をひったくり、乱暴に蓋を開ける。
途端に、強烈な香りが部屋中に広がった。その香りだけで問答無用で酔っ払ってしまうような、甘い香り。
ゴードンさんの無骨な手で、琥珀色の液体が六つのグラスに順繰りに注がれる。その色味まで官能的と言えるほど魅力的であった。
「美味しそう、ですね」
ティオがうっとりとした声を上げる。
……十五の癖に、本当に呑兵衛になっちまった。だが、気持ちはわかる。
「私はお酒は苦手ですが……一口くらいなら」
シリルですらこれだ。
酒呑みが多いことで知られ、酒造に関しては種族全員が一家言あるとまで言われるドワーフ。その中でも最高峰の職人の手による、酒。
リコッタがグラスを配して、少し緊張しながら僕はそれを掴む。
「んじゃ、ハヌマンの糞野郎をブチ殺した記念だ! 乾杯!」
乾杯、とグラスを掲げる。
そうして、ゴードンさんのウィスキーを一口呑み、
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その後のことは、圧倒的な幸福感があったことしか、ほぼ覚えていない。




