第百二十八話 ハヌマンとの戦い
ハヌマンとの激突。
一合、二合、三合……と、やりあって、順当に僕が不利になっていく。
~~っ、つーか、攻撃重っも!
一つ武器を合わせるごとに、手の平が痺れる。それでも、全霊で集中して取りこぼさないようにして、すぐさま次の攻撃の対応に移る。
そうして、永遠とも思える数分が過ぎ……僕は防戦一方となっていた。
「ギィッ! ギィッ!」
ハヌマンは自分の優勢に喜色を隠せない様子で、下卑た笑い声を上げながら攻撃の回転を上げていく。
雑で、技の術理の欠片もない叩きつけ。しかしそれが、最上級の膂力で、伸縮自在の棒でもってやられると、対応は非常に困難だ。
大振りの一撃を、かろうじて躱し――今、空振ったところの、隙!
「……っ、《強化》+《強化》+《拘束》!」
じゃら、と魔導により生成された光の鎖が、勢い余って地面に叩きつけられた如意棒に絡む。
「キィ?」
ハヌマンが引き戻そうとしたところで、《拘束》による捕縛により一瞬止まり、
「ギッ! ……!?」
力ずくで引っこ抜こうとしたところで、魔導を解除した。
勢い余って、ハヌマンの体勢が僅かに崩れる。
「《強化》+《強化》!」
強化の魔導を付与した、全力の片手突き。頭部は的が小さいので、狙うのは胴体、できれば心臓……!
並の前衛であれば反応すらできないはずの、一閃。
「ッッ、キィ!」
――しかし、相手は最上級。人類最大の脅威の一つ。
確かに崩れていたはずのハヌマンの体勢がいつの間にか安定を取り戻している。その理由が、交差の間の僅かな刹那に目に入った。
……ハヌマンの足元の体毛が伸びて、地面に突き刺さっている。あれが後ろに流れかけていたハヌマンの身体を保持させたらしい。
ハヌマンが、如意棒を伸ばしながら突いてくる。今更止められない僕は、ままよ、と祈りながら必殺の突きに全力を注ぐ。
激突。
「ガッ!?」
左肩に激しい衝撃を受け、僕は後ろに吹っ飛ぶ。痛みに脳が掻き回されるような感触がした。
……同時に、刺突を放った右手には、確かな手応え。
如意天槍を手放してフリーになった右手と両足で動きを制御。隙にならないよう、すぐに体勢を整え、ハヌマンの方を見る。
「ギィァァァアア!」
怒り狂った様子のハヌマンが、こちらに突進してくるところだった。
僕が抉ったらしき腹からは夥しい血が溢れているが、まるで無視。ハヌマンの豊富な生命力からすれば、あの深手でも戦闘に問題はないらしい。
「喰ら」
左肩がほぼ逝っている。左がロクに使えない状態で、さっきのように接近戦は不可能。
だったら、決めるしかない。『帰還』の能力で右手に引き戻した如意天槍を全力で振りかぶる。
「え!」
投擲。
最初は分裂させない。防がれないよう、ハヌマンに命中する直前に如意天槍の穂先を二十に分け、
「ギィィィィィーーー!」
……距離の関係で、魔導を込める暇もなかった僕の投槍は、ハヌマンに無視された。
突き刺さったことは突き刺さったが、皮膚を傷つける程度で行動を止める程ではない。いきり立って全開で魔力を開放しているハヌマンに、この程度じゃ通用しない。
「こっっの!」
如意棒の薙ぎ払い。槍を引き戻す暇もない。肩は痛むものの、なんとか稼働する左手の手甲で受け……ミシリ、と嫌な音を立てて、手甲に大きなひび割れが入る。
骨も逝ったのか、更なる激痛がするが、無視して無事な右でポーチを漁った。
今この状況で槍を戻しても、一合と持たない。それよりは……!
「くっ!」
ポーチから取り出したのは閃光弾。魔力着火式のそれを、手の中ですぐに発動させる。
カッ、と。急いで目を瞑っても、それでも瞼を貫通して広がる光に、おそらく直撃したであろうハヌマンが悲鳴を上げた。
「ギャゥゥゥ!」
腹に、衝撃。感触からして、相手が無茶苦茶に振り回した如意棒だ。
更に吹き飛ばされる。口の中が血の味でいっぱいになり……それでも、一時は稼げた。
「つっ……つつ……ぺっ」
血反吐を地面に吐きかけ、立ち上がる。
「《強化》+《強化》+《癒》」
癒やしをかける。
戦闘中は、意識的に考えないようにしている痛みが和らぎ……でも、そこ止まりだ。僕の回復魔導では、気休めと痛み止め程度にしかならない負傷。
対して、数秒で視界を回復してこちらを睨みつけているハヌマンの方はというと、僕がつけた傷はもうほぼ全て治りかけている。
……ポーチの中の道具も、もうなにを出しても警戒されて通用する気がしないし。左腕がぶっ壊れること覚悟で、戻した如意天槍で交戦して……あと一分持てばいい方か。
この負傷だと、もう逃げに舵を切ることも不可能。
……ふつふつと湧いてきた弱気の虫を、ねじ伏せる。
フローティアに拠点を移してからはなかったが、これまで幾度となくこんな場面はあった。こういう時、冷静さをなくした者から死ぬ。
そして……
「ゥゥゥ、グゥゥウラァァ!」
「てめえの相手はこっちだ!」
もはや脅威はない、と確信して僕に襲いかかってくるハヌマンの道を、光り輝く剣が遮る。
ハヌマンの方は当然のように防いで反撃を加えようとするが、魔力を纏った矢が襲いかかり……その対処のために一手遅れる。
「『シャインレイ』!」
そうして、今度は数条の光線が殺到。
その攻撃にハヌマンが……最上級の魔物が、後退を余儀なくされた。
「ヘンリーさん、すぐに治すよ!」
いつの間にか側に来ていたフェリスが、僕の傷を癒やす。流石は本業の治癒士、またたく間に全身の傷が回復し……ぐっ、と僕はほぼ感覚が失せていた左手を握った。流石に少し違和感が残るが、戦闘に支障はなさそうだ。
「大丈夫でしたか、ヘンリーさん!」
「……おう、おかげさんで。つーか、魔猿倒すの早かったな」
駆け寄ってきたシリルに、手をひらひらさせて無事をアピール。
……あと一分足らずで死んでいたことは、心配させるだけだから言わないでおこう。
「っと。前衛がジェンド一人じゃ流石に無理だから、加勢に行ってくる!」
光を纏っているジェンドがハヌマンとやり合っているが、ティオの矢の援護があってもギリギリだ。
……戦いでは、冷静さをなくした者から死ぬ。
そして、味方を信じるやつは、案外生き残ったりするのである。
そのことを改めて思い知りながら、僕は急いで前に向かうのだった。
「ぅ、ぐぁ!?」
全身を輝かせているジェンドはなんとかハヌマンの足止めに成功していたが、やはりまだ最上級の相手は難しい。数十秒は持ったが、とうとうハヌマンの攻撃に対抗しきれず転倒した。
転んで隙だらけのジェンドにトドメを刺そうと、ハヌマンが如意棒を振りかざし、
「させるか!」
……如意棒が叩きつけられる直前、僕はハヌマンとジェンドの間に割って入った。
如意天槍でハヌマンの一撃を受け止め……あまりの重圧に支えている足元の地面が陥没。全身が軋みを上げるが、気合で無視。
「ジェンド! やれ!」
「おう!」
そうして僕が防いでいる間にジェンドは立ち上がり、炎を纏った剣を思い切りブン回す。
まともに当たれば、ハヌマンといえども多少のダメージは通る……が、そんな素直な剣筋に当たってくれるはずもなく、ひらりと躱された。
「ちっ」
ジェンドが舌打ち一つ。
僕たちとハヌマンは睨み合い、互いに隙を窺う。
「……ジェンド、調子はどうだ? 実戦じゃあ初めてだけど」
「ああ。絶好調……って、言いたいけど、やっぱまだ振り回されてる感がある。長引くとマズいかもだ」
ジェンドは今、フェリスからの強化魔導を受けている。ティンクルエール……僕がユーから受けてたやつと同じ魔導だ。
その効力は絶大で、ジェンドの身体能力は飛躍的にアップしている。膂力だけならハヌマンに抵抗できるレベルだ。
が、しかし。
ティンクルエールが形になったのはこの冬の話。ジェンドはまだ、この高まった身体能力を十全に扱えているとは言い難い。僕も、ユーの強化を馴染ませるのに一年かかったし、モノになるにはまだまだ時間がかかるだろう。しかし、ここでは無理矢理にでも頑張ってもらわなければならない。
(フェリスさん、あと二、三分が限界らしいです!)
(了解)
後ろで歌を歌っているシリルの伝言が、神器『リンクリング』を通じて頭に響く。
……ティンクルエールの効果時間も、あと僅か。
「ジェンド、僕が前面に立つから、カバー頼む!」
「わかった!」
だとしたら、速攻だ。僕は一気に距離を詰め、ハヌマンと槍と棒の応酬を繰り広げる。
ここは先程までと同じ。違うのは、要所要所でジェンドがハヌマンに攻撃をして、その気を逸らしていること。ティオの矢が、執拗にハヌマンの目を狙って放たれていること。
……それでようやっと互角だ。
「チィィッ!」
「ジェンド、前に出すぎんな!」
焦れて一歩前に出ようとしたジェンドを制する。今ジェンドが踏み込もうとしていたところに、ハヌマンの尻尾による薙ぎ払い。
……この尻尾だけで、ベテラン冒険者を二、三人まとめて叩き潰せる程だというのだから、やっぱ最上級はおかしい。
そんなおかしい魔物をうちのパーティーが倒せる可能性があるとすれば、
「~~♪ ~~♪」
後ろで高らかに歌い上げているシリルの魔法がやはり一番のアテだ。
しかし、ハヌマンの方も歌とともに天井知らずに高まっていく魔力には警戒を見せており、僕たちの相手をしつつもシリルから視線を逸らさない。
この調子では、バカ正直に魔法を撃っても躱される。
足止め……も、難しい。ロッテさんが加勢してくれたフェンリルの時とは訳が違う。
しかし、絶対に無理というわけではない。こうなったら、多少無茶してでも――
「あん?」
決死の覚悟で切り込もうとした瞬間、ハヌマンが距離を取った。
~~っ、ってマズ!
「ティオ、全力で射掛けろ! あいつ逃げるつもりだ!」
返事を待たず、僕は突撃する。ハヌマンは地面を叩いて土煙を上げ、転進……
「舐めんな! 《強化》+《強化》+《強化》――!」
三重の強化による投槍。
十数に分かたれた槍をハヌマンは逃走しながら避け、あるいは防ぐが、一つが命中する。相当のダメージ。脇腹をブチ抜いた槍の傷はそうそう癒えないだろう。
しかし、ハヌマンの逃げ足はいささかも衰えない。
……マズイ。
ハヌマンは、このまま戦っては少なくない確率で負けると踏んだのだろう。だから、仕切り直しだ。もうすぐ日も落ちる。夜になってから改めて襲われたら、僕たちは抵抗なんてできない。
しかし、止めようにもハヌマンの姿はどんどん遠くなっていく。ティオの矢の射程からもとっくに外れ、
「……ん?」
ハヌマンを追っていた視線の先、その更に向こうからなにか黒い玉のようなものが飛んでくる。
それは、正確にハヌマンを狙い……得体の知れないものに対して横っ飛びに避けたハヌマンを嘲笑うかのように、大爆発を巻き起こした。
「は、は?」
ビリビリと、ここまで威力が伝わってくる。
爆風が晴れると、流石に死んではいないものの、ハヌマンもひっくり返っており、
「――! やれ、シリル!」
「合点! 『ライトニングジャッジメント』ォ!」
その隙を、見逃してやる理由はない。
とっくに魔法の準備が整っていたシリルが、極大の雷を落とす。
先の爆発に倍する轟音と閃光。天地を貫くような極光は、間違いなくハヌマンを貫き、
「……決まった、のか?」
「ああ」
フェンリルの時と同じく、ハヌマンも消し炭となっていた。
……流石に、あそこから復活はない。
「~~~っはぁ。死ぬかと思った……って、気ぃ抜いちゃ駄目だよな。最後のアレなんだ?」
ヘナヘナと崩れ落ちそうになるジェンドが踏ん張る。
まあ、気持ちはわかる。あの謎の爆発、僕たちに有利に働いたが、あれが新手の敵のものではないとは限らない。
しかし、僕はあれのことを知っていた。
「ありゃ使い捨ての魔導具の一種だな。魔導爆弾エーテルボム」
「んな魔導具、聞いたことないけど」
「そりゃそうだ。半端なく高いし、作れる職人も殆どいない」
それでも、リーガレオでは重宝されており、魔物の大群が来たときにはあれでまず数を減らす事もよくあった。
……でも、最上級がひっくり返る程の威力っつーと、作れる人は多分一人。
「あ、おい。誰か来るぞ?」
ハヌマンの逃走経路の向こうから、ずんぐりとした体型の人物が現れた。
遠くでよく見えないが、肩に担いでいるデカイ槌には見覚えがある。
「あ~、やっぱか」
「? ヘンリー、知り合いか?」
「いや、知り合いっつーか、僕客で、あっち職人さん」
武勲ではなく、数多の武器や道具を作り上げて英雄になったというドワーフの英雄。
神の槌の異名を誇る、僕の手甲、脚甲の製作者。
八英雄の一人、ゴードン・ゴブニュ。
……その英雄が、ゆっくりとこちらにやってくるのであった。




