第百二十七話 魔猿たちの主
魔猿撃退後、ドワーフたちの街ガンガルドへの行程は、順調過ぎるほど順調であった。
一匹だけ逃げていった魔猿が復讐に来るかと思えばそんなこともなく、それどころかあれ以来魔物の襲撃は一度もない。
当初の予定は、それなりに魔物に襲われることを前提としたものだった。夜を過ごす予定だった休憩地に到着したのは、まだ日が落ちるまで三時間はある時間帯。
悩みはしたものの、僕たちは距離を稼ぐべくそのまま進み、
「……やっぱり、気になる」
「? どうしました、ヘンリーさん。ピリピリして」
夕暮れ。岩陰になっているところにテントを張り、野営の準備をしながら……僕は気を張って周囲を警戒していた。
「昼の魔猿からこっち、一度も魔物の襲撃がないだろ」
「そうですねえ。運が良かった……って、訳じゃないんですか。その様子だと」
「勿論、そっちの可能性のほうがずっと大きいんだけどな」
ガンガルドの街へ近付けば近付くほど、登山道の浄化も強くなる――つまり、魔物が出る可能性も減り、安全地帯も多くなる。先に進むことを優先したのはそれもあるのだが……
「……みんな、ちょっと来てくれ」
どうしても拭いきれない予感に、僕は全員を集めて懸念を説明することにした。
予想が外れて、僕が笑われるだけなら問題ない。
とは言っても、本当になにが起きるのか――もしくは起こらないのか――わからないのだ。自分でも、こんなこと言われても困るだろうなあ、って説明になってしまった。
「……いや、ヘンリー。なんかわからんけど、あの魔猿とかの様子がおかしかったし、危険かもしれないから注意しろって。その、曖昧すぎて困るぞ」
と、ジェンドがまず困惑を示す。
「経験豊富なヘンリーさんが言うんだ。無根拠というわけではないだろうが」
「いや、悪いフェリス。根拠はない、僕の勘だ」
「か、勘というのも、その、侮れないとは思うが……」
あ、フェリスのフォローの言葉が尻すぼみになった。
「私も少しだけ、なに言ってんだろーこの人って思ってますが、まあ警戒して損はないんじゃないですかね」
そ、そうそう。シリルの言う通り。いつもとは違う場所でもあるんだし、警戒し過ぎということはなかろう。
まあそういうことなら、と緩い同意が得られ、
「……ん、私はヘンリーさんに賛成です」
「ティオ?」
一人、据わった目つきのティオが、口元に指を当てて声を潜めた。……ティオが最大級に警戒している、毛が逆立ちそうな程の緊張がこちらにも伝わってきた。
「さっきから、少しだけ違和感がありました。言われて気付きましたが……これ、多分あの時の猿の視線です。見られてます」
視線、か。
僕もそこまではわからない。気配察知できる範囲も、アゲハとかに比べりゃ狭いし、多分今やティオの方が広いだろう。
才能がある、とは思っていたが。こと索敵に関しては、ティオはとっくに僕を超えていたらしい。
「今、集中して確認してみました。視線、一匹だけじゃないです。それで……これは私の勘違いかもしれませんが、一つだけ存在感が桁違いっていうか」
……あのラナちゃんの親友というだけあって、末恐ろしい才能だ。頼もしい限りである。
「……ティオ、方向は?」
「私から見て、左後ろ。西方向です」
首を動かさず、視線だけをそちらに向ける。
僕が気配を感じ取れない程の遠方。そちらを注視すると、小さな点にしか見えない影が動くのがかすかに見えた。西日に照らされて見えにくいが……まさかそこまで計算してんのか、あれ。
「……確認した。数はわからないけど、少なくとも数匹。多分、夜闇に紛れて襲ってくるつもりだな」
夜目に関しては、魔物と人間では比べるべくもない。夜に襲われたらこちらが一方的に不利だ。
しかし、魔猿は狡賢いが、好戦性が高く、わざわざ夜を待つなんてことは普通はしない。
それがこのドワーフ山脈の魔猿の単なる習性であればいいのだが……それより、僕の頭に浮かんでくるのは『より上位の個体』の生態について。そいつは、魔猿に輪をかけて知恵が回り、狡猾に立ち回るらしい。
「……どうすんだ、ヘンリー。魔猿数匹くらいなら問題ないと思うけど」
「ティオの『存在感が違う』ってのを信じる。全力だ」
最悪の予感が、僕の脳裏によぎっている。
どうしても焦ってしまうが、魔猿たちにこちらが気付いたことを悟られないよう慎重に、腰のポーチから能力増強用のポーションを取り出した。
「とりあえず、筋力増強、速度上昇、耐久向上、感覚強化……で止めとくか」
僕のこの手のポーションの服用限界は六種。四つに留めているのはケチっているわけではなく、相手によって次どのようなポーションが適切かが変わるからだ。
飲む暇もないほどの強敵の可能性……も、多分にあるとは思うが、これだけ飲めば最悪でも足止めはできるはず。
「……ヘンリーがそこまでやるっつーことは」
「最上級の可能性がある。……魔猿を引き連れてるってことは」
と、僕が予想を告げようとしたところで、隠れていた魔猿が唐突に物影から出てきて、一斉にこっちへ走ってきた。
「――っ! こっちが気付いたことに、気付いたみたいです!」
ティオが鋭く叫び、背の弓を取る。
僕はというと、その先頭を走る猿を見て、最悪の予想の的中を知った。
「~~っ! やっぱりか!」
周りの魔猿より二回りはデカイ、そいつ。僕も見るのは初めてだが、伝え聞いた外見に相違ない。
魔力により生成した金属製の棒を持ち、自身の瘴気を元に分身たる魔猿を生み出す、最上級の魔物。
「ありゃハヌマンだ! 全員、気合い入れろ!」
話しながら発動した《強化》二連。僕の全力投擲をきっかけに、戦闘が始まった。
「キィィィーーー!」
十四に分かれて飛来した槍を、甲高い鳴き声を上げたハヌマンが手に持つ棒――如意棒を一閃して振り払う。
逸れた槍が後ろを走っていた魔猿どもを貫くが、ハヌマンに当たったのは一本だけ。それも掠めただけだ。
まるで投槍が分裂するのをわかっていたような対応……あの、僕らの戦いを観察してた猿か! 伝えたのは!
「くっそ! みんな、魔猿の方頼む! ハヌマンは僕が引き受けた!」
「一人で、最上級をか!? 無理だろいくらなんでも!」
「正直メチャ厳しいから、魔猿片付けたら加勢頼む!」
ジェンドの反論に少々情けない返事をする。
しかし、矢面には僕が立つしかない。みんなも強くなったとはいえ、最上級の相手をするのはまだ早すぎる!
「まず分断すんぞ! シリル!」
「了解、です!」
ティオの警告からすぐさま歌に入っていたシリルに言うと、心得たように言葉が返ってきた。
「『メテオフレア』!」
力ある言葉とともに、シリルが杖を振り下ろす。
それを聞いて、同時に僕は走り始めた。
「ッッ、ギィ!」
「ッォラァ!」
突進の勢いのまま、最大に伸ばした如意天槍による突き。ハヌマンは棒で逸らし、僕の武器と同じく伸縮する如意棒で反撃してくる。
僕は如意天槍から手を離し……引き戻す能力により、うまいこと位置を変更した槍を出現させ、ハヌマンの攻撃を防ぐ。鍔迫り合いの形になり、
……といった辺りで、シリルの放った火炎弾が僕たちを囲むように着弾。主の加勢をしようとした数匹の魔猿があえなく焼き尽くされた。
「お前らの相手はこっちだ!」
「ヘンリーさん、右に移動してください!」
ジェンドの敵意を集める喝破、そしてティオの指示。
「《強化》+《強化》!」
二重の強化を腕にかける。筋力増強のポーションと相まって、腕が破裂しそうな感覚を覚えるが、気合で無視。ティオに言われたままに、ハヌマンを右方向に押し出すべく、鍔迫り合いの位置を調整する。
「ぐ、くく……」
しかし、いくら強化しても、僕の腕力では最上級の魔物を相手に力押しなどできない。逆に押し返される。
ニヤリ、と。勝ち誇ったようにハヌマンが笑った気がした。
……しかし、である。
「せいや!」
「キッ!?」
僕は、不意に力の流れを操作して、ハヌマンの重心を崩した。ぐらりとハヌマンが死に体となり、そこを全力で吹っ飛ばす。
二回、三回とバウンドして、離れたところでようやく止まったハヌマンを僕は追いかける。そちら方向にいた魔猿は、ティオの矢が命中して悶えていた。
同時に回り込んできたジェンドと視線だけを交わして、僕は駆ける。
ザッ、とハヌマンの真正面に立った。魔猿はジェンドたちが足止めしており、こいつの加勢には来れない。
まず分断は成功した。
こいつがまだ技を覚えるほど年月を重ねた個体でなくて良かった。老齢のハヌマンの杖術は、達人顔負けらしいし。
まず、そのことは好材料だ。しかし、
「……最上級とタイマンか」
つっ、と冷や汗が流れた。一番のベテランである僕が慌てると動揺が伝播してしまうので、あえていつも通りに振る舞ったが……死の予感に、ともすれば槍を持つ手が震えそうになる。
ソロであれば、準備万端整えて、ようやく一割、二割の勝ち目が見える……僕にとって、最上級とはそういう相手だ。
ここまで勝算――というか、生き残る確率の低い戦場は、ジルベルト以来か。
僕一人だけであれば、逃げることは可能だろう。しかしその場合、みんなを見捨てることになる。他に逃げ延びることができるのは、ギリギリでティオくらいか。
「――ジェンド、左を薙ぎ払います! 『ブライトフラッド』!」
……まあ、できるわきゃあない。
「来いよ、サル野郎。ぶっ殺してやる」
自分を鼓舞するため、あえて強い言葉を使う。……内容はわからずとも、馬鹿にされたのは伝わったのか、ハヌマンの方の敵意も高まる。
じり、と間合いを計り、
「――シャァオラァ!」
「ギィィィーー!」
僕の如意天槍とハヌマンの如意棒が、再度ぶつかり合うのだった。
書籍版一巻の書影が公開されました。活動報告に載せましたので、是非ご覧ください。




