第百二十六話 偉大なる鉱神の山脈
さて、イストファレアの宿で一晩を過ごして。リオルさんと別れた僕たちは、早朝からドワーフ山脈に向けて出発した。
旅の行程は順調。国境の関所でも、今回はちゃんと色々準備していたおかげで、ユーの見舞いにサレス法国に行った時のように『おう、なんで勇士が国外に出んの? おうおう、兄ちゃんちょいと事情を聞かせてくれや』みたいなことにはならなかった。
そうして、国境を越えてしばらく。
「お、おお~。なんていうか、雄大ですねえ」
と、目に入ってきた光景に、シリルは思わずといった感じで感嘆の声を漏らした。
――ヴァルサルディ帝国、偉大なる鉱神の山脈。アルトヒルンも随分高い山だったが、それと同等以上の山々がいくつも連なっており、自然の大きさを思い知らされる光景であった。
遠目にも見えていたが、こうして近くまで来ると圧巻である。
「そうだね、これだけいい景色なら観光地にでもなりそうなものだが」
「いや、そりゃ無理だろフェリス。ほれ、あそこ」
ジェンドが山の方に指を向ける。その先には中級上位の魔物、魔猿が一体、僕たちの方に視線を向けていた。どっかの群れの偵察だろう。
「……だね。魔境を観光地にというのは流石に無理があったか」
「ここに来るまでも、魔物に襲われましたしね」
「ああ。でもティオがすぐに見つけてくれたおかげで、対処は余裕を持ってできたね。ありがとう」
「役目ですから」
当然のように言うティオだが、内心結構嬉しそうである。
「さってと。もう少し進んだらドワーフ山脈に入るけど、歩きながら復習な」
僕は腰のポーチからメモ帳を取り出す。
「ここに出てくる魔物は、ゴーレム系の他にさっき見えた魔猿。それに亜竜、トレント、ウッドサーペント、人食い花辺り……だな。脅威度高いのは。ただ、上位のゴーレム系以外は中級以下ばっかりだから、油断しなけりゃ問題ないはずだ」
「はい、ちゃんと覚えています。対処方法もみんなで予習しましたからね!」
「はいはい、テンション上げるのはいいけど、山に入る前に体力切れになんなよ、シリル」
なお、下級の魔物は種類が多すぎるので割愛。流石に、今更この面子で遅れを取ることもないだろう……なんて、慢心したらころっと転ぶので油断は禁物。まあ、その辺はみんなもわかってる。
「んじゃ、手筈通り、ティオが先行して僕が殿。ジェンドとフェリスで、シリルを前後に挟む陣形で」
「おう、了解だ」
ま、普通に考えるとこの布陣になる。偵察役のティオが先頭、僕がバックアタックを警戒して最後尾。で、この中じゃ脆いシリルは守らないといけないから、残り二人でカバー、っと。
山に入る前にその形に切り替えて、歩くこと数分。
「山の入り口が見えてきました」
「……また、わかりづれーな」
先頭のティオが登山口を発見して指を差すが、僕はもっと近付かないと気付かなかっただろう。
山の麓の木々が、少しだけ途切れているところがある。よーく見ると、そこには小さな看板が立っており、多分あれが目印なのだ。
「こちらからドワーフ山脈に入る人、あまりいないという話だしね」
「そういやあ、関所のおっちゃんも言ってたな。俺たち以外の人間、ここしばらく来てないって」
アルヴィニア王国側からドワーフ山脈を行き来しようとしたら、必ずあの関所を通ることになる。でも、関所の人、滅茶苦茶暇そうだった。
言っても、一ヶ月に二、三回くらいはドワーフがアルヴィニア王国に武具を卸しに来るらしいが、ここ数週間は来ていないとのことらしい。
「んー」
まあ、ドワーフにも色々事情はあるだろうし、気にすることでもないはずだが……なんとなく、引っかかるものがなくはない。ちょいと注意しておこう。
そうして気を引き締めた辺りで、登山口に到着する。
「……それじゃ、入るぞ。みんな、さっきの魔猿の群れがすぐに来るかもしれないから注意しろ」
応、と返事があり。
僕たちは、ドワーフ山脈に足を踏み入れた。
ただ踏み固められただけの道を歩き、山脈の間を通るように進む。最初の頃は森に囲まれ視界が不明瞭だったが、奥の方の山はハゲ山も多く、先々まで見通せる。
何度か魔物との交戦はあったものの、特に問題なく撃退。
「ごちそうさん」
そして、道の途中にあった手頃な広場で昼食。魔物が出るかも知れないので昼食を取るのは交代交代だ。今はジェンドとティオが番に立ってくれている。
とはいえ、昼食はさくっと作ったスープと固いパンだけ。数分で腹に収めた。
「ヘンリーさん、お茶が入ったよ」
「おう、サンキュ、フェリス」
独特の匂いのする茶の入ったカップをフェリスから受け取る。
厚手で壊れにくいカップを手に、僕はゆっくりとお茶を飲む。この疲れに良く効くハーブティーは、ちょいとえぐ味があるが、蜂蜜をたっぷり入れているため飲みやすい。
そうして一息つき……じっとしていると、どうしてもとある件が頭にちらつく。
「んー」
「どうしたんですか、ヘンリーさん。そんなに唸って」
あからさまに思い悩んでいる僕に、シリルが尋ねてくる。
「いやあ、最初に山に入る時、こっちを見てた魔猿がいただろ? あれが襲ってこないのが妙だなあ、って」
ここまでの道中で襲ってきた魔物の中に、魔猿は含まれていなかった。
「妙、なんですかね? 私たちの強さに恐れ慄いたのでは? ほら、私の魔法も炸裂しましたし!」
シリルはなんかよくわからんキメポーズを取る。こいつのボディランゲージは時々ついていけない。
「魔猿って、すげえ好戦的な魔物だから、そんなことはないと思うんだけど……。まあ、魔物にも地域性があるから、シリルの言う通りの可能性もあるけどな」
「ほほー、そういえばそんなこと聞いたことありますね」
「キラードッグなんか、色んなトコに発生するからわかりやすいぞ」
群れる点はほぼ共通するが、群れの数や連携方法なんかは全然違ったりする。珍しいところでは、小さな落とし穴を作って敵を誘導するようなキラードッグもいるらしい。
「ふむ、それは興味深いね。ヘンリーさん、リーガレオではどんな感じなんだろう?」
「あそこに出てくる魔物に変わり種はいないな。その魔物の基本の行動をとるやつばっかりだ」
代わりに、下級下位から最上級まで、バリエーション豊かな魔物が出まくるけどな!
……いやホント、水がないと出てこれない水棲系以外は全部出てくる。瘴気の属性も斑模様みたいになってて常に変化するし。あの街じゃ、対応能力が高くないと死ぬ。
まあ、うちの仲間は、この山脈は初めてなのに危なげなく立ち回れているし、きっと大丈夫だ。従妹もいることだし、最初はアゲハ辺りをパーティに組み込めば、万が一も起こらないだろう。
段々とリーガレオ行きが現実的になってきて、色々考えることは多い。
……なんてことを、フェリスに話し聞かせる。シリルも興味深そうにしているし、警戒に立っているジェンドとティオも、耳だけはこちらに向けている様子だ。
「なるほど、ありがとう。これは気を引き締めないといけないな」
「おう。怪我する機会も多くなるだろうし、そんときはお前さんを頼りにしてるよ」
「怪我をしないことが一番だけど、承知した」
さて、話しているうちに茶も飲み終わったし、交代に立つか。
「ジェンド、ティオ。飯どうぞ」
「おう」
「わかりました」
ぱん、と二人と手を交差させて見張りを交代。次の見張り役は僕とフェリス。この中で一番体力のないシリルは引き続き休憩だ。ちょいと依怙贔屓っぽいが、それぞれ適性が違うのだから仕方がない。
「よし。フェリス、お前は時計回りでゆっくりと全周警戒。僕は逆に回る」
「了解」
この辺りは木があまりなく、視界が明瞭だからそう神経質になりすぎる必要はない。……が、本当に速度に優れた魔物だと、見えないほど遠い距離から一瞬で接近してくる。この山脈にはそんな魔物はいないから大丈夫だけど。
「……ヘンリーさん、あれ」
警戒を始めてすぐ。フェリスが緊張した声で話しかけてきた。
「どうした? ……って、魔猿か」
ひーふーの……十一匹の魔猿の群れが、ゆっくりとこちらに接近してきていた。
……最初に会ったあの魔猿の群れか? えらい遅かったが、遠いところに群れがいたのか、あるいは遠くから観察されてて食事中を隙と見て来たのか。
どうあれ、向こうはやる気満々のようだ。
「敵か?」
「ああ。食べ始めたばっかりところスマンが、ちょっと手を止めてくれ」
口に入れていたパンをごくりと飲み込んで、ジェンドが僕の隣に立つ。
「へっ、飯の前に腹を空かせるのも悪くねえ」
「あんまり気を抜くなよ。なんか行動がヘンだから、普通の魔猿とは違う戦い方をするかもしれないからな」
「おう、了解だ」
ジェンドが大剣を抜く。後ろではシリルが魔法歌を歌い始め、ティオがその隣で弓を構えている。フェリスは中衛として待機。
「……来るぞ!」
ある程度近くまで来たところで、魔猿たちが弾かれたように走り始めた。
……? 一匹だけ、動かないでその場で止まった? ……いや、考えるのは後だ。
「オラッ!」
槍、投擲。途中で分裂させ、その穂先を十に分ける。……五匹を仕留めた。残りのうち、三は当たったが軽症、二は完全回避。
……ちっ、この距離で、敏捷性に優れる魔猿相手に、ムシが良すぎたか。
だが、半分は仕留めた。槍を引き戻しながら、戦闘態勢。
……後方で不気味なまでに動きを見せない一匹の魔猿を警戒しつつ、僕たちは魔猿との戦闘に入った。
戦いは呆気なく終わった。近寄ってきた五匹のうち二匹を僕が、一匹をジェンドが仕留め、残りの二匹はティオが矢で牽制したところでシリルの魔法でまとめて倒した。
もはや魔猿程度は意に介さないレベルまで来ている。
「ふう」
ジェンドが大剣に付いた血糊を、剣を一振りして払った。魔物の血はすぐに瘴気となって空気に解けるが、まあ気分的なものだろう。僕もよくやる。気持ち悪いしな。
「むぅ、もうちょっと大きな魔法使いたいですねえ」
「自然破壊になるのでやめてください」
「なに、いざとなったとき、シリルの火力は貴重だ。そう腐ることはないさ」
と、後ろで女性陣が話している。
うーん、
「結局あの魔猿、最後まで動かなかったな。逃げちまったし」
「ああ。どこかで突っ込んでくるかと思ったけど、そんなこともなかったし。まあ、すぐ終わったから、タイミング逃しただけだろ」
ジェンドはそう言うが、どうも僕は引っかかる。
いや、ジェンドの考えが悪いという訳ではない。僕も普段なら同じように考えていただろう。
だけど、こう。僕の、十年以上に及ぶ冒険者生活の経験が、頭のどこかで警鐘を鳴らしているのだ。この辺の感覚は、冒険者を始めてようやく一年が見えてきた、というみんなに求めるのは酷だろう。
とはいえ、引き返す程ヤバいという事態が起こっているわけではなく。警戒を厳にする、以外の対処方法はないわけだが。
「……どうなってんのかね」
ドワーフ山脈が、どうにも不気味に思えてくる。
僕は腰の如意天槍に手を置き、山脈を睨みつけるのであった。




