第百二十四話 救援
景色が物凄い勢いで後ろに流れていく。出発して一分も経たないうちにフローティアは地平線の彼方に消え、新しい街が見えてもすぐに後ろに過ぎ去っていく。
リオルさんの『導きの鳥』、相変わらずやばい早さだ。
「はえー、これならすぐに到着しそうですねえ」
「実際のトコどうですかね、リオルさん。イストファレアまでどのくらいですか?」
呪唱石のステッキを手に術式を維持しているリオルさんに聞く。本来であればこんな複雑な魔導を維持してたら集中力を全部持っていかれるはずで、そんな人に話しかけたりはしないが……リオルさんにとっては、これすらも片手間である。
「そうだな。まあ、飛行に慣れていない者も多いし、やや多く休憩を取るとして……半日、といったところか。夕暮れには着くだろう」
「半日ですか」
無論、破格の早さだ。本来であれば、四方都市ノーザンティアまで走っていったとして二、三日。転移門の予約待ちに、最低二日はかかる。それほど時間に追われているわけでもないが、移動時間は短縮できるに超したことはない。
「凄いですね。リオルさん、ちなみに何人くらい同時に運べるものなんですか?」
「三十人くらいかな。その日の調子によって、多少上下するがね」
ジェンドが質問をして、リオルさんが答える。
「これ、もっと沢山の人が使えれば、旅行とか物流とか捗りそうですね」
「そうだな。私としては教えること自体は構わないのだが、なかなか使いこなせる人間がいない。もう少し術式を簡略化できれば……とは思うがね。これも難しい」
ジェンドは聞き上手で、リオルさんは教えたがりだ。結構相性がいいようで、話が弾んでいる。
さてはて、他のみんなは、っと。
「……ティオ。なんだ、もじもじして。トイレか?」
「違います。高さはもういいんですが、こう、地に足がついていない感じがどうにも落ち着かなくて」
「ああ、なるほど」
僕たちは今、リオルさんの魔導により重さがなくなっている。水に浮かんでいるのと似たような状態だ。手足でかきわければ多少移動できるが、足場となるようなものはない。
言われてみれば、僕もちょっと気になるな。
「こういう時は座禅ですね」
と、一言つぶやき、ティオは空中で結跏趺坐の体勢を取る。すうー、はぁー、と深呼吸をして、目を瞑った。
「……落ち着くのか、それ?」
「はい」
窮屈そうな格好にしか見えないんだけどなあ。そんなもんなのかね?
僕はなんとも微妙な気持ちになったが、瞑想を始めた(迷走かもしれん)ティオは我関せずと泰然としている。まあ、本人が落ち着くと言っているんだから、ほっときゃいいか。
「シリルとフェリスは大丈夫か?」
「はい、私はこのふわふわした感覚、嫌いじゃないです」
「私は可もなく不可もなく、かな。落ち着かない気持ちもあるけど、無視できる範囲さ。……ティオは、感覚が少し鋭すぎるところがあるから、慣れないんだろうね」
ふむ、とりあえず問題なさそうで良かった。
「それにしても、こんなスピードで進んでいるのに、全然風とか感じませんね」
「空を飛ぶ、って一口に言っても、色んな効果の術式を組み合わせているらしいからな」
出発前にリオルさんも言ってた、下から見えないようにするカムフラージュの魔導の他に、こうして術式内部に風圧とかが来ないようにするもの、速度を上げるための追い風の術式、外部からの攻撃へのシールド、気温調整などなど。
以前、僕も気になって聞いたことがあり、そこからリオルさんの一時間に渡る講釈が始まったのだが、覚えているのはこんなもんだ。
「ほへー」
「……まあ、リーガレオだと、飛行する魔物も多くて。そっちの対処とかに追われたら、快適性は放棄されてたけどな」
風圧対策なんかは真っ先に切り捨てられる。そうすると、風にあおられて髪の毛がひどい事になるんだよなあ……
そんな風に話したりしながら空の旅を楽しんでいると、む、とジェンドと歓談していたリオルさんが緊張した声を上げた。
「ヘンリー」
「なんですか、リオルさん」
声が硬い。なにかあったのかと、僕も緊張を高めて返事をする。
「前方二時の方向。まだ遠いが馬車が魔物に襲われている」
「……僕も見えました」
街道を行く馬車の前に、大型の魔物が立ち塞がっていた。護衛と思しき人間が対応しているが、この距離からでも明らかな劣勢とわかる。
……もう、フローティアから大分離れた。あの平和な地域ではそうそうない事態だが、この辺りになるとこういう事も珍しくはない。
「敵は亜竜だな。救援に向かうぞ」
「了解」
中級上位、亜竜。デミドラゴンとも呼ばれる、でっかいトカゲだ。上級上位である本物のドラゴンに比べると雑魚だが、タフで力が強く、火も吹く。それなりの難敵である。
「高度を下げ、掠めるように直上を通る。放り出すから、適当になんとかしろ」
「……だから、唐突に雑になるのやめてくれません? わかりましたけど」
如意天槍を抜き、ナイフ状から槍の形態へ。飛行速度からして、すぐに馬車の元に着くので、魔力を全身に回して身体を暖気。
「流石に、俺たちは行かないほうがいいよな。いきなり空から落とされたら、怪我しそうだし」
「ジェンド、空から放り出される経験も積んどいて損はないぞ」
「……損はないにしても、得はあるのか?」
い、いや。リーガレオでリオルさんと共闘したりとかさ、そういう時なら……そういう時にしか役に立たないだろうけど。
「ヘンリー、あと十秒だ」
僕が反論の言葉を探しているうちに、もう間もなくの距離まで接近していた。リオルさんの言葉に、僕は頷く。
「ヘンリーさん、頑張ってください!」
おう、とシリルに返事をして……唐突に、僕の身体に重さが戻った。
導きの鳥による速度はそのままに、斜め下に向けて僕は放り出される。……流石リオルさん、バッチシ亜竜の真上に着地する軌道だ。何度も何度も似たようなことをしてきただけのことはある。
僕は槍を構えて、軌道がズレないようにして、
「グッ? ガァッッッ!?」
とりあえず、亜竜の無防備な背中に、槍をブッ刺した。
落下の運動量を全部込めた一撃は、硬い鱗を突破して亜竜の背中を深く抉る。
「《強化》+《火》+《火》」
「ッッッ、ギュァァァァァアーーーー!!」
振りほどかれる前に、魔導で突き刺した槍の先から炎を生み出して内臓を焼く。
いかに体力に優れる亜竜といっても、流石にこれはたまらず暴れるが、僕は慌てずに背中から離れた。
「あ、は、え?」
「こんにちは」
「え、えと。こんにち、は?」
亜竜と戦っていた護衛さん二人にフレンドリーに話しかけるが、流石に混乱しきっているようだ。
冒険者のタグ付けてるから、ご同業か。身に付けている装備からして、一端ではあるがまだ中級はきつい、といった辺りの実力だ。
……まあ、この辺もまだそれなりに瘴気は薄い地域。本来であれば、彼らくらいの護衛がいれば問題は発生しないが、運が悪い。
「とりあえず、話は後で」
内臓を一部焼かれても、まだ亜竜は生きている。まともに戦えやしないだろうが、こちらを睨みつけていた。
「……止めだ」
僕は一気に距離を詰め、最後の突きを亜竜に突き刺した。
「いや、すみませんな。食事を分けていただいて」
「いえいえ。皆さんは命の恩人ですからな。当然です。それに、英雄様へ日頃の感謝を伝えられるのであれば、このポール、光栄の至りですとも」
礼を言うリオルさんに、襲われていた馬車の持ち主である商人、ポールさんが揉み手をしながら怒涛のように話をする。リオルさんが自分の名前を名乗った途端あの調子だ。
……まあ、英雄と通じてりゃ、色々と商売的にもウマイのだろう。別に不正をしているわけでもなし、気にしないことにする。
実際、荷の一部である食材を分けてもらって、非常に助かっているわけだし。
「んで、リック、エドワード、落ち着いたかな」
「は、はい。どうも、おかげさまで」
「その、助かりました。ありがとうございます」
カタカタと震えていたが護衛の二人もようやく気が落ち着いてきたらしい。名前くらいは交換したが、さっきまではまともに話せはしなかった。
まあ、無理もない。この二人の実力からして、亜竜相手だと絶体絶命だったはずで。まだ全然若いのに、震える程度で済んでいるだけ肝が太いほうだ。
「ヘンリーさん。スープの方、あとは煮込むだけです」
「おう。んじゃ、できたら亜竜相手に一歩も引かなかった、この二人の勇者に先に振る舞ってやってくれ」
「はーい」
スープ作り担当のシリルが元気よく返事する。
「勇者だなんて、そんな」
「いや、実際大したもんだと思うよ。あの状況で曲がりなりにも亜竜を足止めしてたのは」
馬車見捨てて逃げてもおかしくないし。
まあ正直、護衛対象のポールさん引っ掴んで逃げてた方が良かったとは思うが、今言うのは無粋だしな。
「でも亜竜まで出るのか、この辺り。……うちの販路、この辺まで伸ばしたいって話もあったし、後で手紙でも出しとくか」
「あ、いや。街道にまで出てくるなんて、聞いたことないです。山の奥の方に行けばいるらしいですけど。ええと……?」
エドワードがジェンドの独り言に咄嗟に答えるが、僕以外のメンバーとは自己紹介をしていないので戸惑っている。
「あーっと、ジェンドだ。そっちのスープ作ってんのがシリル、警戒に立ってるうち、背の高い方がフェリスで、小さい方がティオ」
「は、はい。エドワードです」
「リックです。ジェンドさん」
いやいや、とジェンドは手を振った。
「俺まだ十六だし。同じくらいだろ? 普通に話してくれりゃいいって」
「そう、なのか?」
「でも、ヘンリーさんとパーティ組んでるってことは、相当の実力なんだろう?」
「自分の腕に自信がないわけじゃないけど、まだヘンリーには全然敵わないよ。色々あって、固定で組むことになったけど。……まあ、俺の今の第一目標ってとこかな」
おう、目標にされていると思うと、自然と背筋が伸びるな。
……実のところ、武器オンリーの条件だとそろそろ勝率逆転されそうなんだが。いや、まだギリギリ僕が有利だけどね。
まあ、それはいいとして、
「さてっと。ジェンド、僕ちょっと周りぐるっと見てくる。亜竜、あれ一匹とは限んないしな」
「気を付けて……ってのは余計なお世話か」
「んにゃ、サンキュ」
同年代のジェンドの方が、二人とは話しやすいだろう。
僕はそう考え、索敵に向かうことにした。
「あ、ヘンリーさーん。ついでに、食べられる草とかあったら採ってきてください。緑が欲しいのでー」
「あいよー」
シリルのリクエストに適当に手を振って答えて、僕は駆け出すのだった。
――なんて、トラブルもあったものの。
「諸君、着いたぞ。どれ、人の少ないところに降りるから、少々待ちたまえ」
僕たちは、予定通り夕暮れ頃にはイストファレアに到着した。
上空から見ると、広い街のそこかしこに訓練場が点在する様子が見て取れる。
剣に槍、弓、素手……と、どの訓練場にも稽古している人がいた。
武と血潮の都。
そうあだ名される都市に、僕たちは降り立った。
 




