第百十八話 誕生日
冒険者の年始の行事といえば、新年一日目に開催されるグランディス教のお祭りである。名前はまんま新年祭。
丁度朝日が登る時間に、グランディス教会の一番偉い人が祭壇の前で昨年の加護のお礼と、今年の武運を祈って祝詞を唱える。
……以後、日が変わるまでの乱痴気騒ぎだ。
いや、一応冒険者も祭壇の前でお祈りはする。一年の運勢を占うため、ついでに天の宝物庫を引く奴も結構な人数いる。
そしてほんの数分オゴソカな気分を堪能した後は、教会の酒場で無料で振る舞われている酒食に舌鼓を打つわけだ。
……うん、なんか半日くらいの儀式をしてるニンゲル教や、その年の抱負を神に誓う儀式をそれぞれが行う太陽神ヌルヴィスの信徒からすると、なんでこんなのが最大勢力なんだ、ってなることうけあいである。
いや、理由らしきものはなくはないんだよ? 冒険者って、ぶっちゃけ実力がなければ殆ど稼げなくて。しかも大体冬って魔物退治は危険だったりするから駆け出しの収入はか細いものになる。
そんな連中に精をつけさせ、残りの冬を過ごすための気力を蓄えるのが、この祭りの真の目的なのだ――とまことしやかに噂されている。本当のところは知らん。
まあ実際、稼ぎのある冒険者は、あまり食いすぎないようにしろ、という慣習もあるし、まるっきり嘘の理由というわけでもあるまい。
一応、冒険者として参加はしてきたが、人がごった返しすぎていて落ち着かないので、早々に退散した。
なお、フェリスはニンゲル教の方に参加。今年一年を過ごすに当たり、気が引き締まったらしい。
後、教会以外でも、新年とあってどこか浮かれた雰囲気が漂い、ちょっとした催し物など開催されていた。
……そんなこんなで。慌ただしい年明けの行事の諸々も終わり。
本日、一月五日。シリルの誕生日である。
「どうも、こんにちはヘンリーさん!」
と、昼前の熊の酒樽亭に、すげぇイイ笑顔をしたシリルがやってきた。約束はしていたが、ちょい早い。そして、いきなり勢い良すぎる。
珈琲を啜る手を止め、よう、と僕は手を上げて応えた。
「さあ、ヘンリーさん。どうぞ、今日は私を思う存分ちやほやしてください! シリルさん、楽しみにしていました!」
「ええい、初っ端からテンションたけーな、オイ」
「ふっふっふ、誕生日といえば無条件で祝福される日。私、一年で一番楽しみなのです」
無条件ってわけでもないと思うけどなあ。年を取っていくと、色々悩みも増えるだろうに。
……まあ、こいつくらいの年であれば、歳を重ねることは嬉しさの方が勝るか。
シリルの言う通り、今日は特別な日であることだし、調子を合わせてやろう。
「はいはい。精々エスコートさせていただきますよ、お嬢様」
「うむ、苦しゅうないですよ」
珈琲の残りをささっと飲み干し、立ち上がる。どうぞ、と騎士風の礼を取って手を差し伸べると、シリルはおずおずとその手を取った。
「……さっきとは裏腹に、しおらしいじゃないか」
「い、いや。なんかこー、ヘンリーさんに傅かれている感じが、なんか悪くなくてですね」
「てい」
阿呆なこと言い始めたシリルの頭に、軽く張り手。
「いたーい」
「はいはい、妙ちきりんなこと言ってないで行くぞー」
シリルと腕を組んで、歩き出す。
なお、この時のやり取りは、ランチタイムにやって来ていたお客様方にバッチリ記憶されており。
次の日、目撃者の一人の知り合いの人に散々からかわれる羽目になって……そろそろ、浮かれ気分も抑えないとなあ、と、反省することになった。
熊の酒樽亭もいい店だが、どうしても値段的に食材の限界というものがある。
本日のランチは、奮発してヴァルサルディ帝国風の料理を出す高級店だ。
フローティアでも、一、二を争う名店……らしい。その辺は情報通のジェンドに聞いた。
ランチタイムでも、事前の予約が必須。値段も、その辺の定食屋とは二桁、三桁違う。
「うわぁ。内装も豪華ですね」
「そうだなあ」
席も個室で、飾られている壺や絵も逸品ばかり……なのだろう。
「ちょ、ちょっと落ち着かないかもです」
「まあ、正直僕もあんまり落ち着かない」
リーガレオでは、中心部くらいにしかこういう店なかった。で、客は冒険者がメインではなく、視察に来る貴族様とかだ。
食料の流通に難のあるリーガレオのこと。この店より更に値段はお高く、更に敷居も高く。確か実際に食ったことあるのはなんかのお祝いとかで一、二度くらいだ。
「でもシリル。お前、領主様と暮らしているんだから、こういうの慣れてんだろ」
「うーん、調度の雰囲気がこう、アルヴィニア風ではないので」
……アルヴィニア風とかわかるんだ。その時点で僕より数段上っぽいぞ。
などと、雑談を交わしているといると、個室のドアが静かにノックされた。
「お待たせいたしました。前菜の海の幸のテリーヌ、フローティア風です」
ウェイターさんが音一つ立てることなく現れ、僕とシリルの前に皿を配置する。
ヴァルサルディ帝国料理は、こうして一品一品、決まった順序で料理が提供される。
で、ウェイターさんが料理の説明をしてくれるが、なんのことやらさっぱりわからん。とりあえず一通り聞き流して、ナイフとフォークを手に取った。
一口切り分けて口に運ぶ。
……美味い。
「……ん、美味し」
「ああ、評判になるのもわかるな」
そこからは、僕たちが食べ終わったまさにそのタイミングで次の料理が供される。
スープ、メインの魚料理、肉料理。サラダにデザート、珈琲。
どれもこれも綺麗に盛り付けられ、味だけではなく目でも楽しませてくれた。やや量が物足りないのはご愛嬌か。
そうして、支払いを済ませて店を出て、
「はあ~~、美味しかったです。自分のお金じゃちょっと躊躇うお店でしたけど、ヘンリーさん、ありがとうございます!」
「まあ、誕生日くらいはな。僕だって、それなりに貯金あるし」
「そういえばそんなこと言ってましたねえ。不躾ですが、ぶっちゃけどのくらいあるんです?」
「ん? ちょい耳貸せ。まあ大体……」
ごにょごにょと、教会運営の銀行に預けてある金額を教える。
「におっ!?」
「いい装備一式揃えたら、三割吹っ飛ぶくらいの金額だな。まあ、さんざっぱら上級とか最上級狩りまくったら、このくらいは」
僕の装備で一番高い、空間拡張機能付きのポーチなんか、これ一千万ゼニスするし。
……そういや、これのメンテもそろそろやらないといけないけど、流石にフローティアにできる職人はいないかなあ。
「装備の更新するなら、いくらか出してやってもいいぞ?」
「あー、流石にそれは遠慮します。そんなところまでヘンリーさんに頼ると、色々堕落しそうですし」
「ん。まあ、冗談だけどな」
自分の装備は、自分の稼ぎで買う。これは冒険者として常識である。いくらいい装備を手に入れても、それを使いこなすためには相応の経験が必要なのだ。装備の力を自分の力と勘違いして命を落としたボンボンの話など、いくらでも転がっている。
まあ、本当にどうしようもなくなったら、そういう慣習とかは都合良く忘れるのも、冒険者としての嗜みだが。
「そんなわけでだ。記念日に色々奢るくらいは遠慮しなくていいぞ」
「はーい。ありがとうございます」
「ん、いい返事だ。じゃ、ちょいと早いが誕生日プレゼントといくかー」
「おー、ヘンリーさんのセンスが問われますね!」
馬鹿め、僕は自分のセンスに自信など一切ない。そんな僕が自分で選ぶわけがなかろう。
ぎゅう、と腕を組んで僕たちはある方向へと歩き出す。
職人街に入り進むにつれ、シリルもどこに向かっているのか当たりはついたようだ。
「……あれ、この道。あのー、もしかしてですけど」
「フローレンスさんに、一着仕立ててもらった。あの人なら、お前のサイズとか知ってるし」
元フェザード王国、王宮のお針子にして、現在フローティアに店を構えているフローレンスさん。
以前、戦闘服の補修のためにシリルに紹介してもらったが、今回は彼女のお店にプレゼント用の服を頼んだのだ。
「お前好みな感じで、一丁頼みます、と言っといた」
「えー。できればそこはヘンリーさん自ら選んで欲しかったなあ」
「いやあ、でも、変なの贈られても実際困るだろ。折角プレゼントするんだから、ちゃんと着て欲しいし」
「むう。じゃあ来年は、一緒に買い物に行きましょう。一緒に選べば大丈夫ですので」
ああ、そういう手もあったか。ちょっとシクったな。
と、会話を交わしながら、仕立て屋フローレンスに到着する。
「ごめんください」
「いらっしゃい。……おやおや、これはまた初々しいカップルだね」
カウンターに座るフローレンスさんが、からかうように言う。
「初々しいですかね?」
「ああ。この年になると、見ていて恥ずかしいくらいだよ」
馬鹿な。シリルはまだしも、僕は大人の落ち着きというものがあるはずなのだが。
「それはそうと、ご注文の品だね? できあがっているよ。シリル、最後の調整をするから、ちょっとこっちに」
「はーい。ヘンリーさん、ちょっと待っててくださいね」
「おう」
作業場があると思われる奥へと、フローレンスさんとシリルが連れ立って向かう。
手持ち無沙汰に店内を冷やかしていると、いくらもしないうちに二人は戻ってきた。
「お、お待たせしました。ど、どうですかね?」
「……お、おう。似合ってる似合ってる」
シリルが好む白を基調とした、普段遣い用のフリル付きドレス……なのだが、そのまま夜会に出席しても違和感がない程、格調高い。
一瞬、不覚にも見惚れてしまった。
「これ、結構派手ですけど着心地がすごくいいですね。それに動きやすい」
「そこはそれ、腕の見せどころというやつさ。長年の夢が叶うので、全力さ」
「夢?」
「ふふ、勿論、シリュール姫のドレスを仕立てることさ」
……フローレンスさんは、フェザードの王宮のお針子。当然、シリルの正体についても把握している。
他に客がいないことを確認して、フローレンスさんはドレス姿のシリルを軽く抱きしめる。
数秒、そうしてからフローレンスさんはシリルの背中を押す。
「……ほら、シリル。お前さんの男の方に行ってきな。最初の服は、後で領主館に届けてやるよ」
「はーい」
とてとてとシリルがこちらにやってきて、当然の権利のように僕の腕を引く。
「さ、ヘンリーさん。このまま、どこか遊びに行きましょう!」
「へいへい」
新品のドレスを纏ったシリルの横に立つには、僕は少々釣り合わない格好かもしれないが、こいつはそんなことを気にするやつでもない。
僕は腕を引かれるままに店を出て、やれやれと溜息をつきつつ……自分でも気付かないうちに、笑みを浮かべていた。




