第百十三話 とある特訓
今日の冒険の精算を終える。フローティアの森で色々試しながらの冒険なので、アルトヒルンをメインにしていた頃と比べるとぐっと稼ぎは少なくなっているが、それでも普通に生活する分には十分な額が懐に入る。
「今日は解散ですかねー? あ、ヘンリーさん、帰りにちょっと甘いものでもどうですか? 奢ってください!」
シリルがナメたことを言うが、今日は用事がある。
「あー、悪い。今日はちょっと、な。……ジェンド、折り入って相談したいことがあるんだ。一杯奢るから、酒場で話さねえ?」
「? 構わないけど。いきなりどうしたんだ」
僕は、ちらっと視線をシリルたちに向ける。
「どうしたんだい、ヘンリーさん。力にはなれないかもしれないが、相談と言うなら私も聞くが」
「私も」
フェリスとティオの心遣いはありがたい。だけど、できればジェンドがいいのだ。
「ふふ……フェリスさん、ティオちゃん。これはあれですよ、男同士の秘密のお話というやつです」
「なんだい、シリル。それ」
「いえ、私もよくわかっていないのですが。男同士の機微についても学ぶようにと、アステリア様が。なので、それっぽく言ってみました」
意味深に言うだけ言って、それ学んでることになんのか。いや、僕としては追求されなくて好都合ではあるのだが。
「あー、そうそう。そんな感じそんな感じ。気にしないでくれ」
手をひらひらさせる。
まあそういうことならばと、シリルとフェリスが連れ立って帰り、
「……ティオ、なんで残ってんだ?」
「私も、今日はここで呑んでいこうかと思いまして。ああ、内緒話を聞くつもりはないので、席は離れておきますよ」
……よく呑むようになったなあ、こいつ。
僕としては一緒に呑む相手ができて嬉しいのだが、親御さんはどう思ってんだろ。
と、やや懸念しつつ、僕とジェンドは教会の酒場の端っこのテーブル席に陣取り、注文を済ませた。
「で、相談ってなんだ? ヘンリーの困りごとなんて、俺にどうこうできるとは思えないんだが」
「いやいや、ジェンドなら大丈夫だ。お前を男と見込んで、頼みたいことがある」
「……また大げさだな。まあ、そこまで言うなら、なるべく頑張るけど」
おお、そいつは助かる! いやあ、持つべきものは友達だな!
「僕にスケート教えて欲しい」
「……は?」
「いや、意味わからないのはわかるぞ? ちゃんと説明する。実はさ、この前シリルと一緒にスケート行って……あいつはすげえ達者だったんだが、僕、初めてだってこともあって、結構情けなくてな」
何度も転んでしまい、シリルに遠慮なく笑われてしまった。頭ぐりぐり攻撃できっちり仕返しはしたが。でも、更にその後いじめた詫びとしてクレープ奢らされた……トータルでは負けてしまったのである!
「と、いうわけで。次までにいっちょ前に滑れるようになって、一度やればなんでも覚えるヘンリーさんとして威厳を取り戻したいわけだ。お前もフローティア育ちなら、スケートはできるだろ? ちょろっと僕に教授してくれませんかね、ジェンド先生!」
「…………」
ん? あれ、おかしいな。ジェンド先生が視線を逸らして、目を合わせてくれない。
「お待たせしましたー。エール二つとポテトサラダです。残りのご注文もすぐお持ちしますねー」
「おっと、ありがとう。さぁさ、ジェンド先生、呑んでください。こいつは美味いですぜ」
へっへっへ、と僕は媚びるように笑顔を浮かべて、ジェンドにエールを勧める。ふっ、どうだこの見事な三下ムーブ。哀れっぽくて助けたくなってきただろう?
……なーんて。こう、気兼ねなく冗談を言える友達はいいね。
でも、それはそれとして、力を貸して欲しいのは本音なので、期待の目をジェンドに向ける。
「? どうした、ジェンド」
どうにも反応がないジェンドに話しかけてみると、ジェンドはエールをグビリと一口呑み、しばらく逡巡。そして、絞り出すように、
「……れないんだ」
「ん? なんだって?」
なにかぼそっと言ったが、よく聞き取れなかった。
ジェンドは、あ゛~~っ、と頭をかき、
「……俺、スケート滑れないんだ。昔っから、苦手で」
そう、のたまった。
「そ、そうなのか?」
「そうだよ! この街じゃ冬の遊びの定番なんだが、ガキんときからダメダメで、めっちゃ友達に笑われてたんだよ。くっそ、思い出したくない」
文句を言って、ぐいー、とジェンドはエールを呑み干す。
こ、子供のときからか。そ、それはちょっと頼む相手を間違えたかもしれん。結構な苦手意識があるっぽいし。
「俺も、今は躱してるけど、そのうちフェリスとのデートで行くことになるかもしれないから、どうしたもんかと悩んでるんだよ。いくらなんでも、一冬に一度も行かないなんて不自然だし。……どうしよ」
「ど、どうしよと言われても。だからその、練習?」
「教えてくれる人がいればなあ。インストラクターの人が教えてんのは、子供ばっかだし、流石に……」
うん、最初にそれは思いついたが、いくらなんでも一桁の子供たちに混ざるのはプライドが邪魔をしたので、こうしてジェンドに頼みに来たのだ。
しかし、そのジェンドが頼れないとなると……
「……致し方ない、か。なあ、ジェンド」
「あん?」
ジェンドに声をかけ、僕は親指で僕の後ろの方の席に座っているティオを指す。
ティオに教わるのも抵抗がないわけではないが、こうなれば背に腹は代えられない。
「……どうだ?」
「確かに、ティオなら馬鹿にしたりしないだろうし。よし、行くか」
僕とジェンドは同時に立ち上がり、三杯目のエールを頼んでいるティオの席に向かう。
――交渉の末、エール二杯、ワインボトル一本、ローストビーフ一皿に山盛りのサラダの追加注文を条件に、ティオは引き受けてくれた。
「はい、それでは今日はヘンリーさんとジェンドさんにスケートを滑れるようになってもらいます」
フローティアにいくつかあるスケート場の一つ。
やや街中から外れているため、あまり人が多くないトコロで、僕とジェンドはティオ先生を前に神妙にしていた。
「レンタルのスケート靴のサイズは合っていますか?」
「ああ、大丈夫だ」
「俺も」
……しかし。
改めて思うが、ブレードを靴底につけて氷の上を走るなんて、正気の沙汰じゃない……正気の沙汰じゃなくない?
スケートリンクの手すりに捕まっているからなんとか立てているが、もう手を離した瞬間こけそう。
「ひとまず、ゆっくり歩いてみましょうか。手すりにつかまりながら」
「お、おう」
「りょ、了解だ」
僕とジェンドは、手すりを命綱かなにかのようにしっかと握りしめ、ゆっくり歩く。
「ぬおっ!?」
一歩、大きく滑って体勢を崩すが、手すりを思い切り掴んで体勢を引き戻……あ゛!?
「……鉄製の手すりを、素手でひん曲げないでください」
「わ、悪い。つい、魔力がこもって。あー、っと、す、すみませーん」
ちょうど通りすがった店員さんを呼び止め、事情を話し、必ず弁償することを伝える。
……えらい失敗をしてしまった。
「ヘンリー、お前でもそんなミスすることあるんだな」
「……咄嗟のときは、とりあえず全力で行けって、エッゼさんが」
大は小を兼ねるのである! と、あのオッサンは言い切っていた。
「ジェンドさんも気をつけてくださいね。ジェンドさんの場合、火を出してスケートリンクの氷、溶かしちゃいそうですし」
「ちゅ、注意する」
そうして、えっちらおっちら、僕たちはひよこか何かのようにちんたらとスケートリンクを一周する。
……ティオは、後ろ向きに滑りながら、時々色々と指摘してくれる。後ろ向きに滑るって、今の僕にとっては駆け出し冒険者がドラゴン退治に挑むくらい無謀な行為だというのに。
「じゃ、そろそろ慣れたと思うので、手すりから手を離してみましょうか」
と、一周回って少し休憩したところで、ティオ先生は無慈悲なことを告げた。
「い、いや。まだまだじゃないか? 俺としては、もうちょっと順序よく行くべきだと思うんだ。もう十周くらいしてから、な?」
「僕もジェンドに同意だ。基礎を疎かにして痛い目を見るのは、こう、冒険者として、な?」
男二人が見苦しく言い訳する。でもいいんだ。この手すりちゃんと離れ離れになるくらいであれば、多少の汚名は被ろう。
「手を、離してください」
「「……はい」」
無表情の中に確かに込められた怒気に、僕たちは白旗を上げた。
そして、おっかなびっくり氷の上を歩き、
「うお!?」
「わっち!」
……転ぶ。
なんでだ。ティオとかはすいー、と見事に滑っているというのに、なにが違う。
「氷だったら、踏み砕いた方が楽なのに……」
「それはスケートではありません」
現実逃避のボヤきに、ティオが冷たくツッコミを入れてくる。
……しかし、流石に二時間程も転んでいると、なんとかコツも掴めてきた。
僕もジェンドも、前衛の冒険者だ。運動神経はかなりのものである自負がある。それにしては、随分慣れるのが遅かったが……ま、まあ、誰しも苦手なものはあるもんである。
「随分マシになってきましたね。その調子です」
ようやく、厳しい言葉だけだったティオ先生からお褒めの言葉をいただく。
鬼教官のようだったティオから褒められて、僕とジェンドは調子に乗った。
「ああ、僕にかかればスケートなんてこんなもんさ!」
「へっ、長年苦手意識があったが、なんてこたぁないじゃないか」
ニヤリと笑ってティオに親指を立てる。
……その瞬間、集中していた意識が途切れ、僕たちは同時にひっくり返った。
「…………」
「……は、はは。まいったね、どうも」
誤魔化すように笑って立ち上がると、ふぅ~~、とティオは大きなため息をつき、
「こうなったら、今日は徹底的にシゴきあげてあげます。……中途半端は、嫌いなので」
あ、なんかティオの瞳に炎が宿った気がする。
「体力だけはあるんですから、とりあえず日が暮れるまでノンストップで滑りましょう。そうしましょう」
ティオが僕たちを追い立てるようにして、無理矢理滑らせる。
――そんなこんなで。
ティオの特訓を経て、僕とジェンドはそれなりに滑れるようになったとか、なんとか。
誰しも、苦手なことはある




