第百十二話 シリルの家族
フローティアの街の中央にある領主館。伯爵様のお住まいであり、またシリルが厄介になっているお屋敷でもある。
そんな、この街でも一、二を争うほど贅を凝らした館の一室で、僕は領主様と一対一で向き合っていた。
「ヘンリーさん、どうかしたのかな? どうぞ、お話の前にお茶でも飲んでください。ああ、お茶請けも是非。これは私の好みの菓子でしてね」
「は、はあ」
言われるままに、目の前に配膳されている紅茶を一啜りする。
恐らく、すごくいい茶葉なのだろうが、今の僕にそれを味わう余裕はない。……いや、普段も紅茶の良し悪しなんてよくわからんけど。
事の発端は、だ。
今日は朝からシリルとデートするため、奴を迎えに来たことである。
門番さんに要件を伝えると、散々からかわれはしたが、シリルへ僕が来たぞーっていう言伝を引き受けてくれた。
……そして、なぜか戻ってきた門番さんは神妙な顔で、『領主様がお待ちです』などと言って、なんかあれよあれよという間にこの応接間に通された。
いや、うん。なんとなーく、領主様にいつか呼び出されるだろうなあ、って覚悟はしていた。していたが、まさかこうも唐突に時間を作ってくださるとは。一冒険者なんか、適当に呼びつけりゃいいのに。
なんて、僕は内心の焦りを抑えるように紅茶を飲み、折角なのでと用意されている焼き菓子にも手を伸ばす。
そうして、僕が少し落ち着いたのを見計らって、領主様が口を開いた。
「……さて、ヘンリーさん。シリルと恋人関係になったそうですね?」
「は、はい。その、一週間程前から、お付き合いさせていただいてます」
「君たちの馴れ初めや、どちらから告白したのかとか、根掘り葉掘り聞きたいところではあるが……一旦それは置いておこう」
一旦じゃなくて一生置いといてください。
「それで。お仲間の皆さん共々、シリルの『事情』も聞き及んだとか?」
「はい。あいつの使う魔法流派の関係で、うっすら想像はしていましたが……まさか、領主様にとって本物の義妹だったなんて」
この部屋は、今人払いをしている。部屋の外で聞き耳を立てている人の気配もないので、はっきりと言った。
「ん……まあ、言うまでもないことだけど。みだりに人に言い触らさないように。フェザードの血筋は大きな影響力があるわけではないけれど、無視できるほど小さくもないのでね」
「勿論です」
「ああ、ありがとう。……さて、そこで、今日ヘンリーさんに時間を取ってもらったのはだ。今のとは別に、二つほどお願いしたいことがあるからでね」
領主様が、真剣な顔になる。
ごくり、と一つ唾を飲み込んで、次の言葉を待った。
「一つ、シリルを泣かせないこと。……そりゃ当然、喧嘩したりすることもあるだろうから、絶対に、なんて言わないけれど。大切に、してやって欲しい。義兄としてのお願いだ」
「はい、それは勿論」
「妻のことがなくても彼女は僕にとって大切な子だ。蔑ろにするような真似をしたら」
「しません」
厳しい目で脅すように言う領主様を、こちらも真っ直ぐに見つめ返す。領主様と数秒視線を交わし、先に表情を緩めたのは領主様の方だった。
「ああ、すまない。ヘンリーさんを侮辱するような発言だったかな」
「いえ、ご心配は当然だと思いますので」
シリルは、ほんの子供の頃からこの人たちに育てられている。領主様は義妹と言っているが、父親代わりの面もあるんだろう。
「さて、もう一つは。歴戦の勇士であるヘンリー『卿』にしか頼めないことだ」
……あえて、そう呼ぶってことは、
「最前線に行くというシリルの意志は固い。……何度も翻意を促したんだけど、こればかりは一向に聞き分けなくてね」
領主様が重い重いため息をつく。……そりゃまあ、シリルの人となりを知っていれば、保護者として止めるのは当然だ。
だが同時に。それだけの決意を持った人間を止めることもまた、この国の習いではない。
「あの子を、守ってやって欲しい。もう国はないとは言え、騎士の本領だろう?」
「それこそ、当たり前ですよ。そのために僕は現役復帰するんですから」
「……君、現役じゃないつもりだったの?」
「つもりでした」
思わず素っぽい口調になった領主様に、僕は断言する。
多分、領主様の脳内では、意気揚々と巨人をソロ狩りしてきたり、最上級退治のサポートしてきた実績が思い浮かんでいるだろうが。修羅場の頻度的に、僕としては自分は半引退していたんだと主張したい。
「さて、と。元々そのつもりでしたが、領主様のご依頼は確かに承りました」
僕は立ち上がり、如意天槍を引き抜いて短槍まで伸ばす。
……護衛も伴っていない貴族の方を前に、失礼ではあるが、領主様も心得たようにこれを咎めない。
僕は、かつてのフェザード騎士団の礼の形を取り、大事に言葉を紡いだ。
「シリルを全力で守ることを誓いましょう。我が父母と槍にかけて」
「……うん。ならば安心だ」
領主様が、格好を崩して。
そう言って、笑った。
「よう、シリル、待たせたな」
領主館の玄関ホールのところで、アステリア様と歓談しながら待っていたシリルに手を上げて挨拶する。
あっ、とシリルは声を上げ、小走りにこっちにやって来る。
……なんかめっちゃ懐いてくる犬みてぇ。いや、そういうとこ可愛いんだけどな。しかし、周りの目のあるところではちょっと自重して欲しいというのは僕のワガママだろうか。
「ヘンリーさん、ヘンリーさん。領主様とのお話はなんだったんですか?」
「ん? まあ、ちょっとした雑談だよ」
「……はっ、まさか。お前なんぞにシリルは渡さん! バキーッ、みたいなこと言われたとか!?」
シリル……お前の想像力はどうなってんだ。んなコッテコテな。
「はは、シリル。私も多少なりとも鍛えているが、勇士の冒険者相手にそんなことをしたら、こちらの手の方を痛めるよ。咄嗟に反撃を喰らうかもしれない」
「いや、反撃なんてしませんって」
シリルの冗談に乗った領主様がおかしげに言うが、万が一そうなってもフツーに躱すだけだ。
……領主様のパンチが、予想以上に鋭かったりしたらその限りではないが。こう、反射的にね?
「うん。まあ、シリルの相手がろくでもない相手だったなら、拳どころか領軍の出動も辞さないが」
そこは辞して欲しい。せめて憲兵くらいでさあ。
「しかし、彼ならそういう心配はないだろう?」
「はい! これでヘンリーさんも中々やる人ですので」
「中々とはなんだ」
シリルの脇に肘を当てる。えへへー、とこいつ笑って誤魔化しやがった。
「あらあら。あなた、ヘンリーさんと少し仲良くなりました?」
「ああ。きちんと約束してもらえたしね」
「約束?」
シリルが首を傾げるが、流石に領主様も先程の内容を安易に口外はしないだろう。しないで欲しい。……しないよね? シリルに知られたらこっ恥ずかしいんだが。
……いや、こいつに告白したときも言ったし、今更だけど。でも、騎士の誓いの儀式の体を取っちゃったのはなあ。『私もやって欲しいです!』ってせがむシリルの姿が目に浮かぶようだ。
「そこは男同士の秘密、というやつさ」
領主様、信じていましたよ!
「へえ、それはシリルさんにはよくわからない世界ですね~」
「あら、シリル。それは少し不勉強ね。殿方のことをもっと知らなければ……よければ、私の蔵書を貸しましょ「アステリア」
アステリア様の言葉を、領主様が真剣な顔になって遮る。
「……その趣味は、安易に布教しない約束だっただろう?」
「あら、そうでしたわね。失礼しました」
二人の間ではなにやら通じているらしいが、なにを言っているのかさっぱりわからん。
付き合いの長いシリルもそうなのか、僕と同じくハテナマークを顔に浮かべていた。
「んー? 趣味、ってなんですか、アステリア様」
「オホホ、まあシリルが自発的に興味を持ったら、ね?」
なんだろう。やっぱり意味はわからないが。
こう、僕の中にあったアステリア様への憧れのイメージに、でっかい亀裂が入った気がする。
い、いや。気のせいだよ、うん。それ以上踏み込むな、という本能の警告もまた、勘違いに違いない。
「はいはい、それよりも。邪魔をしてしまった私が言うのもなんだが、二人は今日はデートなんだろう? 存分に楽しんできなさい」
「はい、楽しんできますね!」
「うん。……ああ、お小遣いはいるかい、シリル?」
領主様は悪戯っぽく笑って言う。
「もう、領主様。子供の頃じゃないんですよ? 私も、これでも立派に稼いでいるのです」
シリルが胸を張って言い切る。……張っているはずのとある一部分は子供っぽいが、まあこれはこれで。
と、一瞬よこしまな思いにかられた僕とは違い、領主様はどこか遠い目をする。
「……そうだね。もう、君は立派な大人だ」
「はい、そうなんです」
ここで、『立派な?』という茶々を入れない程度の理性は僕にも存在する。
「そうですね。もう男性とお付き合いまでするようになって……ちなみに、今日はどちらに行く予定なんですか?」
「はい、まずこの時間ですから早めのランチに行ってー、スケートしに行って、その後買い物してって感じです」
「スケートですか。いいですね」
フローティアは冬のスポーツが割と盛んで、中央公園の一角に公営のスケートリンクがあるのだ。フローティアっ子は割とみんなできるらしい。
……僕、滑れるかな。
「私も久し振りに滑りたくなりました。ねえ、あなた?」
「そうだね、近く休暇を取って行こうか」
仲睦まじく相談をする領主様夫妻に、シリルは『いってきます』と挨拶をして、僕も軽く頭を下げて。
僕たちは、領主館を出発した。
「なあ、シリル」
「はい? なんですか」
外に出るなり腕を絡めてきたシリルに、僕は周りに聞いている人がいないことを確認して、
「……いい家族だな」
「はい、自慢の義兄と姉です」
シリルは大いに頷いて。
にっこりと、笑顔を浮かべるのだった。




