第百十話 彼と彼女のお昼
「……よし、っと」
熊の酒樽亭で僕が借りている部屋。
僕は設えられているテーブルに掛けて手紙を一通書き上げ、二度見返して特に問題がないことを確認し、封筒に収めた。
同じような封筒が、今日書き上げた分だけで五通ある。
リーガレオの知り合いへの手紙。そのうち復帰するぜー、って旨と、新しい仲間連れて行くから何卒よろしく、といった内容である。
実力さえあれば、冒険者としての手柄を立てられる……というのは、完全に間違いではないものの、やはり周囲が手伝ってくれればよりやりやすい。
勿論、助けてもらうだけでなく、こちらも助ける。そういう関係の構築は、とてもとても大切である。
僕が、フェザードの仇、魔将ジルベルトと戦うことが出来たのも、周りのみんなが他の敵を引き受けてくれたからだ。ガキンチョの頃から復讐を誓っていた僕のことを、仲間が後押ししてくれたわけである。
……無論のこと、魔将の相手をするエッゼさんの助力程度はできる実力があることが、大前提ではあったのだが。
ともあれ。
リーガレオに戻り、大きな功績を上げるため。訓練の密度を上げつつも、こういう根回しも同時に実施中なのである。
……まあ、親しい相手には近況を知らせる手紙くらいはたまに送っていたし。
もしかしたら、向こうからすると割とこうなることを予想されていたかもしれないが。
改めて書いた手紙を思い返すと、こっち来て数ヶ月で最前線に行きたいシリルやジェンドに絆されていたことは、割とバレバレだった気がする。
「……っと」
かつての仲間のニヤニヤ顔を想像していると、ふと感覚の片隅に一つの気配が引っかかる。
窓の外を見ると、ふわふわのマフラーとなんか全体的にもこもこした感じの暖かそうな服を身を付けて、シリルが熊の酒樽亭の入り口を開けるところだった。
自然と顔が綻ぶ。……が、イカンイカンと気を引き締め直した。
いや、別にあいつの訪問を嬉しく思うのはいいのだが、それをあからさまに態度に出すと奴は調子に乗る。悪いが、いかに付き合うようになったとはいえ、そう簡単にマウントを取らせるわけにはいかないのだ。
……いやまあ。我ながらくだらない意地だとは思うが。
てってって、と階段を上がる音が聞こえる。
その足音の主は僕の部屋の前まで来て、一つ息を整え、軽くノックをした。
「どーもー。ヘンリーさん、いらっしゃいます? 入ってもいいですかー」
「おう、入れ入れ」
「はーい」
明るく弾んだ声で返事をして、シリルが入ってくる。
満面の笑顔で、見ているこっちも楽しくなってくる。一瞬前の意地とかあっさり溶けてしまいそうだ。
……いかんなー。こう、関係が変化してこっち、順調に深みに落とされている感覚がする。それが嫌でないのだからまた始末に負えない。
「こんにちは、ヘンリーさん。そっちはお手紙ですか?」
「ああ。お前も知ってるのだと、黒竜騎士団の知り合いとか、ユーとかな。とりあえず、結構先の話になるけど、復帰することは伝えることにした」
「なるほどー。あ、ユーさん宛だったら私も書こうかな」
そういえば、リースフィールドに行った時やたら仲良くなってたっけ。
「なんか酒盛りした後、随分親しそうにしてたが。ウマが合ったのか?」
「あー、今だから言えますが、あの時恋バナで盛り上がって。こう、遠慮がなくなった感じです」
「恋バナ?」
「あはは、あー、ヘンリーさんとのことですよ、はい」
照れ照れするシリルは割と可愛いが、それはそれとしてユーの僕に対する不当な評価はそこで聞いたんだろうな、多分。ヘタレとかなんとか。
「勿論、ヘンリーさんから情熱的に告白してきた事はちゃんと書いておきますね!」
「おきますね、じゃない。やめれ」
シリルの頬を掴み、横に引っ張る。うにょーん、と実によく伸びる。
「ひゃ、ひゃめてください! 書きまひぇんから!」
「おう、悪い悪い」
実に柔らかくていつまでも触っていたかったが、流石に怒られそうなので早々に離した。
「もー。まあ、経緯はともかく、付き合うことになったことは伝えますね? 一応、色々アドバイスをしてもらった身ですし」
「ユーからのアドバイス……か。聞いたら凹みそうだから聞かないでおく」
「あはは……まあ乙女同士の秘密なので、聞かれても答えるわけにはいきませんが!」
もうその表情で大体察した。
まあいい。今回したためた手紙には、そのことに対するユーへの反撃の手紙も含まれている。一晩酒の肴にされる程度のユーの恥話をアゲハ宛の手紙に書いたのだ。アゲハであれば上手く取り計らってくれるだろう……クックック。
「ヘンリーさんがなんか悪い顔してます」
「悪い顔とはなんだ。これは不義を誅する正義の顔だ」
「いや、わけがわかりませんが」
……いやまあ。
「まあ、それはともかく。ほら、テーブル空けてください」
「はいよっと」
テーブルに並べていた封筒を束ねて、チェストの上に置く。後で郵便屋に持っていくのだ。
そうしているうちに、シリルは持ってきたバスケットの中身をテーブルに広げていく。さっきから美味そうな匂いを漂わせていたバスケットの中身は、シリル手製の弁当。今日は昼飯をご馳走してくれる、という約束をしていたのだ。
「おっ、美味そうだな」
「へへ。一度、恋人に手料理を振る舞う、ってやってみたかったので、ちょっと頑張ってみました!」
冒険中、シリルの持ってきた弁当を分けてもらったり、野営の時にシリルが腕を振るったことはあるが、今日はいつもより豪勢である。
ハーブチキン、彩り鮮やかな温野菜に、キノコのソテー、そして柔らかそうなパン。シンプルながら手が込んでおり、更にデザートにパイまで用意している手の入れようだ。
「このチキンは中々上手く出来ました。どうぞどうぞ」
「おう」
今日は、予めラナちゃんに言って椅子を借りておいたので、お互い対面に座る。
「いただきます」
「いただきまーす」
まずはシリルが自慢しているハーブチキンを試してみることにする。食べやすいよう一口サイズに切り分けられているチキンの一切れを、バスケットに入っていたフォークを借りて口に運び、
「ん……」
じー、と僕の食べる様子を見ているシリルに少々居心地の悪いものを感じつつも、ゆっくりと咀嚼する。
ハーブの爽やかな香味と肉汁がよく合う。冒険中の食事で僕の好みを把握していたのか、味付けは若干濃いめで自然とパンに手が伸びた。
「……んぐ。あー、すごく美味しいぞ、うん。ありがとうな」
「あ、はい! どうもです」
ごくりと飲み込んで褒めると、少し不安そうにしていたシリルがぱっと顔を明るくさせ、ようやく自分も食べ始めた。
……飯が美味い、ってのは重要なことだ。普段、外食ばかりになりがちな冒険者は、母親や恋人の手料理というものに対する憧れが割と強い。
僕は旺盛な食欲を発揮し、四人前はあるだろう弁当を次々と食べていく。
「ふふ」
「? どうした」
「いえー。これから大変は大変でしょうけど、たまにはこうして二人でご飯とか食べましょうね。私、また頑張って作りますから」
「……飯くらいいつでも付き合うさ。今度は僕が作ってもいい」
「ヘンリーさんのは男の料理って感じで……美味しいですけど、全般的に雑じゃないですか」
やいのやいの言いながら、食事を進めていく。
なんというのか……臭い表現だとは思うが、幸せの味がした。
「ふう……ご馳走さん」
「はい、お粗末さまでした」
デザートであるリンゴのパイも平らげて。
僕は、シリルが水筒に入れて持ってきた紅茶を啜り、一息つく。
「午後どうする? どっか遊びに行くなら、飯のお礼に奢るけど」
「いえ、今日はこの部屋でのんびりしましょう。お腹いっぱいですし、あまり動きたくないです」
「そか」
シリルも僕の食欲に刺激されたのか、いつもより大分食ってたしな。
ぽんぽん、とお腹を叩いてぐでー、としている。
「それなら、軽くゲームでもするか。一応、トランプくらいはあるし、ここんちのチェスボードとか借りてもいいし」
「あー、いえ。割と朝早くからお弁当の仕込みしてたので、ちょっと眠いです。少し横になりますねー」
宣言するなり、シリルは僕が普段使ってるベッドにぼすんと横になる。
「……え、は?」
「あ、ヘンリーさんもお昼寝します?」
と、シリルは無邪気に言って、ベッドの隅に寄って僕が寝転べるスペースを確保した。
「――――!?!?!?」
「? どうしたんです、ヘンリーさん。なんか口パクパクさせて」
こ、この女。まだ付き合い始めて一週間と経っていないのに、誘ってやがるのか?
いや、シリルの性格からしてそんなことはないはずなのだが、だとするとこの態度は一体どういうことだ。
「あ、あのな、シリル」
「はい、なんですか?」
「……同じベッドで昼寝する、ってことに、なにか違和感とかないか?」
意を決して聞いてみると、シリルはあっけらかんとした様子で、
「あはは、なにを今更。最近はやってないですけど、野営する時は同じテントで寝てたじゃないですか」
冒険の時と普段の時じゃ、心構えとかが全然違うんですぅーー!
気を抜いたら魔物が襲いかかってくるかもしれない……みたいな状況と、安全な街の安全な宿でぬくぬくしている時とを比べるんじゃない!
……くっ、冷静になれ、ヘンリー。僕的には全然違うシチュエーションだと認識しているが、どうやらシリルにとってはそうではないらしい。
冷静に……冷静に……考えて、普通に同衾する以外の選択肢はないのでは?
勿論まだ手を出すつもりはないが、それはそれとして隣同士で寝るというのは、こう実にいい感じでは? いい感じに違いない。
「お、おう。そういうことなら、まあ僕も満腹でいい気分だし、寝るか」
「? 変なヘンリーさんですねえ」
シリルが首を傾げるが、まあいっかー、と布団を被った。
僕も、恐る恐る隣に横たわる。
「じゃ、おやすみなさーい」
「お、おやすみ……」
目を瞑る。
なお、冒険中であれば即寝入る事ができるのだが、やはりというか、こうドキドキして全然眠れんかった。
……娼館で一晩明かすことくらい何度もあったのに、なぜに僕はここまで緊張しているのだろう。




