第百六話 フェザードの王女
「シリュール……」
「姫?」
ぽかんと、ジェンドとフェリスがアイリーン様の言葉を復唱する。
「あ、あら? どうかいたしましたか、皆さん? あの、シリュール姫?」
アイリーン様が空気の固まりっぷりに動揺する。どうやら、このような雰囲気になるとは思っていなかったご様子。
「あ、あははー。アイリーンさん、いきなりなんですか。このシリルさんがお姫様だなんてそんなー」
「? なにを言って……。間違いありませんわ。十一年前、私がフェザード王国へ訪問した際、沢山遊んだではありませんか。まあ、当時五歳の貴女が覚えていないのは仕方ありませんが……」
そういう繋がりか。十一年前と言えば、アステリア様がこの領に嫁いだ後。また絶妙なタイミングだな……
「い、いやいや。アイリーンさんの勘違いですって。ね、ね?」
「どういう……」
アイリーン様が怪訝そうにし、しばらくして思い当たったのかきゅぴーん、と目を光らせた……ような気がした。
「はっ、わかりました! 皆様、どうも私の勘違いだったようですわ! フェザードのシリュール姫とシリルさんは無関係ですわよ!」
……アイリーン様が訂正するが、もはや手遅れである。つーかこの王女様、腹芸すげー下手糞だな。
「そ、そうなんですよー。いやはや、アイリーンさんの勘違いにも困ったものです。……えーと、その」
僕達の視線にシリルはたじたじになり、助けを求めるように周囲を見渡すが、ここには僕達しかいない。そうしてしばらく、観念したように項垂れた。
「だ、駄目、ですかね?」
「あー、うん。駄目だろ」
はあ、と僕は大きく溜息をついて、シリルの肩を叩く。……うん、もう誤魔化すことは出来まい。
「へ、ヘンリーさんは驚いてないんですね」
「……エンデ流」
「はい?」
「お前の使うエンデ流魔法道って、フェザード王国の王族にしか伝わってないんだと。開祖のエンデ様って、流派創設した後、王家に嫁入りしたそうで」
割と前の話。図書館で流し見した『魔法大全』にあった記載だ。
あっ、とティオが声を上げる。ティオもその本は読んでいてその記載自体は見ているが、なんだかんだでシリルの流派を知らなかったので、繋がらなかった。
知った後、少しだけ意図的に、シリルの流派名が出ないよう話題を誘導してきたしな、僕。
「そ、そうだったんですか?」
「知らなかったんかい」
「だ、だって、私、おうちで魔法習ったの六歳まででしたし。魔法書持ち出して使い方は覚えましたけど、そんな細かいコトまでは。姉様は魔法習ってなかったですし」
……姉様、ね。
「傍流かな、とも思ってたけど、アステリア様の妹ってことは直系だったか」
「はう!?」
がびーん、とシリルが固まる。……自分から語るに落ちてるよ、こいつ。まあ、動揺しているからだろうが。
「ま、半分気付いてて、聞かなかった僕が言うのもなんだけど。……少し、事情を聞いてもいいか?」
態々綺麗な景色を見るためにルカン湖の南西側に出ていたのが幸いして、周りに僕達以外はいない。
今ならば、聞かなかったことにして、明日から何事もなかったかのように過ごすこともできるだろう。
しかし、まあ。そろそろ頃合いだとは思っていた。目を逸らし続けるには、シリルと距離が近くなり過ぎてしまった。なので、年内くらいには話そうとは思っていたのだ。
……なんか予測不能な方向から暴露されてしまったが、いい機会と考えよう。
「え、ええっと。その、うーんと」
シリルが百面相をする。すごく戸惑ってる様子だ。
「落ち着け」
ぽん、とシリルの頭に手を置き、ぐりぐり撫でる。むうー、とシリルは子供扱いに口を尖らせるが、されるがままだ。
……まあ、もしかしたら。正体がバレたらこんな気安い付き合いはできないとか勘違いをしていたのかもしれないが、生憎と僕はそう簡単に手の平を返すつもりはない。残念だったな!
「うー、乙女の髪の毛に気安く触らないでくださーい。訴えますよー?」
「はいはい。まあ、言いたくないんだったら無理には聞かないけど」
どうする? と視線で問いかける。
シリルは顔を赤くさせ、大いに悩んだ後、
「……わかりましたよぅ」
と、呟くように言った。
「アイリーンさんが言ったように、私の本名はシリュール・フェザードって言って、元フェザード王国の第二王女でした」
と、領主館の応接間にやって来て、開口一番シリルは告げた。
なお、身内の話でしょうから、とアイリーン様とベアトリスさんは席を外している。今頃は買ってきた酒で一杯やってる頃だろう。
「シリュール……っつーことは、シリルは偽名か。俺と会った頃はまだ子供だったのに、よくボロ出さなかったな」
「いえ、私の本名呼びにくいので、子供の頃から自分の名前はシリルってことにしていました!」
「……さよけ」
ジェンドが呆れる。
流石に幼馴染のジェンドは知ってるかも、と思っていたが、どうやらこいつにとっても寝耳に水の話だったらしい。
「私も子供の頃のシリルは知っているが。よく一度も自分の身分のことを言わなかったね? 普通、子供心に少しは自慢しそうなものだが」
「そのー、ぶっちゃけて言うと、王女ってどういうことなのかイマイチ理解していなかったので」
……あー。フェザード王国が滅ぼされたの、シリルが六歳の頃だしな。自分の身分に無自覚でも、当然っちゃ当然か。
「それで、なんで正体を隠していたかと言うとですね。まー、うちの王家ってすごく魔力高い人生まれる可能性が高くて。亡国とは言え、旧い国でしたのでそれなりに権威もありますし。下手を打つとどっかから政略結婚とか押し込まれそうだったので、内緒にしていたんですよ」
「そういうのもあるのか……」
国自体がなくなっても、そういった方面での価値はあるらしい。僕にはよくわからない世界だ。
「成程。シリル、勿論私達は口外するつもりはないから、安心して欲しい」
「お願いします。このこと知ってるの、領主様と姉様と、この館で働いてるフェザード出身のメイドさん達くらいなので」
そりゃ、結構徹底しているな。
「それにしても、仲間にも話さないなんて。シリルさんちょっと水臭いじゃないですか」
「こら、ティオ。こういうことは知っている人が少なければ少ないほどいいんだ。仲間だからって、隠し事の一つもしない、なんてことはないだろう」
ティオがちょっと拗ねたように言い、それをフェリスが嗜める。
……絶対に自分からは言わないだろうが、なんだかんだでティオの奴結構シリルに懐いてるからな。姉のように思っている相手の秘密に、ちょっと憤慨しているらしい。
「いえ、フェリスさん。別に絶対に隠さないといけない、って程の秘密でもないですし、話しても別に良かったんです。そもそも、皆さんが口外するとも思ってませんし」
「? そうなのか。ということは、単に話す機会がなかっただけ、ということかな?」
「えーと、それもちょっと違くて……」
ちらっ、とシリルが僕の方を見る。
「……大体想像はついてるから、どうぞ」
「い、いつから察してたんですかね」
「エンデ流のこと知ったときから、当たりはついてた。僕のせいだろ、言わなかったの」
他国の貴族に嫁いだアステリア様と違い、シリルは王家の一員のままだ。国こそなくなったものの、元その国の騎士である僕としては、あだやおろそかにできる存在ではない。
「……そーです。ヘンリーさんに今更畏まられるのは嫌ですし。それに」
シリルが、最前線に行きたがるその目的。
今日までの付き合いの限りでは、シリルにそのような強烈なモチベーションがあるとは思えない。
しかし、その身分を考慮すると、いくつかの心当たりはできる。
「私、故国を復興したいんですよ。だから、リーガレオでジャンジャン功績を稼いで、領地を取り戻さないと」
……想像していた中で一番難易度高いやつ来た。
僕らの故郷、フェザード王国は北大陸と南大陸を結ぶビフレスト地峡の向こう側。南大陸北部にあった。
ビフレスト地峡という、戦力や物資を集積しやすい地形に最前線の街リーガレオを置いて、三大国は魔国と拮抗しているのだ。その先に攻めようとすると、単純な物量で敵わない。なにせ、南大陸の瘴気の濃さは尋常ではなく、陣地を守るための魔導結界も完全に役立たずになるのだ。
そりゃ、南大陸攻略の立役者にでもなれば、元フェザード王国領くらいの領土は得られるだろう。大功を立てた冒険者が貴族に叙され、領地を与えられることは極稀にだがあることだ。旧領の回復、という名目もあるのだから、それほど反発もないだろう。
しかし、遠い。あまりに遠い目標である。魔国との戦争が始まって十年。これを崩そうと思えば、更に十年、二十年、それ以上の年月を積み重ねて、それでも徒労に終わる確率のほうが遥かに高い。
「と、いうのが第一目標です!」
「……ほう、第一」
「第二目標はー、功績を立てるのは変わりませんが、狙いは北大陸南部の小国家群があったとこです。今は三大国の共同統治になってますが、功績立てればいくらかブン獲れるかもしれません。アルベール様も後押ししてくれるそうですし」
……ビフレスト地峡周辺の地域は、小さな国家が無数にあった。
一時、北大陸南部まで魔軍に侵攻され、三大国が総力を上げてリーガレオまで押し返した経緯がある。
で、その関係で未だにあの辺りの領地の所有権は曖昧で。基本はどこかの国の代官が統治しているのだが、たまーに大貴族の次男、三男辺りが領地を金で買ってるって話は聞く。
……冒険者として大きな功績を立てた亡国の王女が、アルヴィニア王国伯爵家の後見でもって領を獲得する。多分、リーガレオでしこたま稼げばそれなりに金も使えるだろう。
どうなんだろう。その辺のことはさっぱりだが、なんかいけそうな気がする。
「そして第三ですがー」
「まだあるのかよ!」
「シリルさんはこれでも現実が見える女です。無鉄砲な目標に無闇に突撃なんてしたりしません」
……うん、いや、感心な心掛けだと思うよ。
でもお前、どっちかっつーと無鉄砲とか無闇とかゆー単語の方が似合ってるよね。
「第三はー……せめて、一発魔軍に一泡吹かせて、フェザードはまだ死んでないぞー、って主張することです」
……………………成程。
「それ、僕がもうやった。お前は見たことないみたいだけど、ジルベルト倒した時は冒険者通信の一面に『元フェザードの騎士、仇敵を討つ!』とか書かれてたんだぞ」
「ですよねー!」
笑うしかないのか、シリルが笑い飛ばす。
「まあ、でも。おかげで最低限の目標はとうに達成しているわけですから! 気楽に行けるってモンです」
「そうか」
「はい。なので、沢山頑張ったヘンリーさんは、この街でどうかゆっくりと」
……理屈じゃ、まあそうなんだよな。
国はもうない。義理は仇を討って十分果たしただろう。シリルに無理に付き合う必要なんて、ないはずだ。
だからって、頑張れよー、と軽く送り出せるほど割り切れなんてしないし。
……でも同時に、またあのしんどい戦場に行くことに、躊躇を感じないわけでもない。
「あー、やっぱり。だから内緒だったんです。困らせるつもり、なかったんですが」
ふとした沈黙に、シリルが頬を掻く。
みんなも、僕達を気遣わしげに見ている。今まで散々、前線に戻るつもりはないって主張してきたもんなあ……
んー、よし!
「とりあえず、保留にする。今日明日にリーガレオに行くわけじゃないんだ。もうちょっとぐだぐだ悩ませてくれ」
「……ヘンリーさん、割と優柔不断ですよね」
ティオが鋭い言の葉で僕の心に切りかかってきた。
いや、違うんだって。優柔不断ではなく、慎重と言って欲しい。
そう、僕は適当に言い訳をして、その話は終わり。
……その後は、シリルの昔話にみんなで付き合った。




